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    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

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    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

カテゴリー

2024年12月13日 (金)

ヴィオラ手帳

再びヴィオラを頻繁に弾くようになった。弦を替え、肩当てを替え、弓を交換した。マメに楽器を取り出して弾くのが一番のメンテだという。同感だ。そうすることで自分の楽器のコンディションが常に把握出来る。弦の交換時期や、弓の毛替えの時期も自ずと判るのだ。思えば子供たちを育てる時もそうしていた。顔色や食欲の微細な変化を絶対に見逃すまいと思っていたではないか。

ヘンレ社製の手帳に楽器周辺の細々としたことをメモし始めた。

  • 弦交換 弦種、日時、メーカー、品種、価格
  • 弓毛替え 日時、店舗、価格
  • 購入記録 魂柱、コマ、テールピース、ペグ、アジャスター、松ヤニ
  • 弓購入 日時、店舗、価格、メーカー、品種
  • 修理 裏板剥がれなど。
  • アジャスタ グリス差し
  • チューナー 電池交換日

気付いた点について簡単なコメントを添えている。これがなかなか面白い。ちゃんと練習する人だと、弦交換は4ヶ月から6ヶ月に1回のペースだという。

そして、そして、老後のたしなみとしての日々の練習日記も。

ノリとしては母子手帳か。こういう手帳、どこかが出さないものか。バカにならないニーズがあると思う。

2024年12月12日 (木)

弦は道連れ

愛用のヴィオラのA線をラーセンに代えて1ヶ月経過した。

第一印象は何に付け明るくて、よくも悪くもオープンだと感じた。ここにきてなじんできた。A線ハイポジションのキンキンした感じはおさまった。弦を代えるくらいで私の腕前が上がるはずはないから、これは弦の恩恵に違いない。レスポンスの良さが、キンキンに直結しないということなのだろう。これにコスパを求めてはなるまい。

もう一つ気のせいかもしれないが、このところD線、G線、C線の鳴りに丸みが出てきたかもしれない。A線の交換で他の弦の鳴りが変わるとも思えないのだが、どうしたものだろう。

A線の鳴りが落ち着いたことで腕の脱力が進んだかとポジティヴに想像するが、単なる気のせいという落ちも充分にある。

2024年12月11日 (水)

ドプリンガーのゴールドベルク

「3パートインヴェンション」に続いてまたまた衝動買い。バッハのゴールドベルク変奏曲の弦楽三重奏版だ。

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シトコベツスキーのアレンジとあって飛びついた。マイスキー先生のCDの楽譜だ。今井信子先生のヴィオラということもあって長く脳内に君臨してきた録音。その楽譜が見たいと思っていたから飛びついた。3パートインヴェンションとちがってスコアはついていない。ヴァイオリンとヴィオラそしてチェロのパート譜だけだ。見ての通りウィーンのドプリンガー社からの刊行。

超絶過ぎて弾けないと諦めていたが、場所によってはなんとかなる。第30変奏クオドリベートの出だしだけで満足だ。

細かいことを言うなら楽譜に用いられた紙がしっかりし過ぎていて、ブライトコップフに比べて譜めくりが難儀だ。

2024年12月10日 (火)

3パートインヴェンション

バッハのインヴェンションの二重奏版に深々とはまっている。

しからばという訳でインヴェンションとしばしば列挙されるシンフォニアの弦楽三重奏版の楽譜を所望した。原曲が3パートインヴェンションなのでそれをヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの三重奏用にと編曲した代物だ。

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15年前に買った2パートインヴェンションの楽譜と同じくブライトコップフだから、少々のお値段には目をつむって買い求めた。今度はパート譜がついている。ついてはいるのだが、3パート併記のスコアも律儀に添付されている。パート譜見るよりずっと面白い。

がしかし。

さらってみると2パートほどはわくわくしない。原因はいくつか考えつく。

2パートはピアノ左右の手の担当がヴァイオリンとヴィオラのパートにそのまま転写されているのに対し3パートはそこが曖昧だ。3パート全体として作品が完結するので1パート毎で見ると長い休みが増える。ヴィオラ特有の問題として、最後の音が主音にならない。音域のせいもあってヴィオラは最終和音の第3音を担当することが多い。起承転結感が薄れる原因だ。通常の管弦楽や室内楽ではよくある話なのだが、2パートインヴェンションに比べると物足りなくなる。

つまみ食い程度に楽しめはするが、トータルとして2パートインヴェンションのありがたみを改めて認識させられた。

贅沢な話である。

 

2024年12月 9日 (月)

弦練2日

職場オケの初コンサートが間近にせまった。全体練習で感じる不具合をなんとかせねばと弦楽器練習が開催された。師走の忙しい中どちらかにという主旨で2日連続の開催となった。私は暇を工面して両方に出てきた。つまり思わぬ楽器の損傷の修理が練習にかぶらなかったということだ。

メンバーが日頃感じている違和感をそれぞれ持ち寄ってぶつけ合う主旨。蓋を開ければ皆おなじ場所で悩んでいたというのが収穫。

そして練習後は反省。ビールと餃子の二重奏を楽しんだ。

これぞ醍醐味。楽器の修理が練習に間に合ってよかった。

2024年12月 8日 (日)

夢中とはこのこと

2パートインヴェンションのヴィオラパートに心酔している。

そもそも無伴奏チェロ組曲ヴィオラ版や、ブランデンブルク協奏曲の第6番、ガンバソナタのヴィオラ版あるいは奮起して無伴奏ヴァイオリン作品のヴィオラ版で毎日ヴィオラに親しむと決めたのは自分だが、ここにきてインヴェンションにはまるには相応の訳がある。

やがて次女とアンサンブルができる日のためではあるがそれは長期計画のどん詰まりである。短期的には本作が面白いことにつきる。

  • 1番ハ長調
  • 2番ハ短調 
  • 3番ニ長調
  • 4番ニ短調
  • 5番変ホ長調
  • 6番ホ長調 
  • 7番ホ短調
  • 8番ヘ長調
  • 9番ヘ短調
  • 10番ト長調
  • 11番ト短調
  • 12番イ長調
  • 13番イ短調
  • 14番変ロ長調
  • 15番ロ短調

これだけで惚れ惚れだ。15年前にも少々さらっていたがこのほど懐かしく取り出して練習してみると景色が変わっている。原因は自分。一つはバッハへの知識と理解が深まっていること。練習への取り組みが体系的で充実したこと。調性に対する意識が格段に高まっていること。取り組む作品の調を肝に銘じ、今いる場所の調を意識するだけで味わいが格段に深まる。

1番や8番は元々大好きだった。2番4番7番11番13番の短調はバッハ節炸裂。特に意味深臨時記号の味わいが格別だ。5番変ホ長調もいい。コツコツと繰り返す16分音符の連なりや、気の利いた装飾音符。それらがカラリと弾けるかどうかの運試し。さらには6番ホ長調は15年前に挫折した。苦手な苦手なホ長調で♯4つだ。おまけに延々とシンコペーションだ。がしかし、今それが魅力なのだと気づかされた。10番ト長調は8分音符3個一組という枠組みが鬼門でさえある。C線上のDとFisの長三度がどうも苦しい。14番変ロ長調はかつて32分音符で大挫折したがこのたびリベンジ中だ。

先日の楽器の損傷は、14番変ロ長調の最終小節での出来事だった。演奏会の曲目そっちのけでのハマリ過ぎに注意のアラートかもしれぬ。

2024年12月 7日 (土)

面白さ格上

バッハのインヴェンションは元々クラヴィーア用の作品だというのに、これをヴァイオリンとヴィオラの二重奏に編曲したブライトコップフのグッドジョブに惹かれて、ひっそりと日々の練習に取り入れたところだ。これが想像の斜め100m上を行くヒットだった。

その楽譜にはパート譜がついていない。上下二段のスコアが15曲分見開き2ページに淡々と収載されている。

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パート譜がないからこの状態の楽譜を見て練習するとヴァイオリンの動きがいやでも目にとまる。その上短い。無伴奏チェロ組曲ヴィオラ版や、無伴奏ヴァイオリ作品のヴィオラ版に比べると1曲1曲がとてもコンパクトだ。それなのに曲としての起承転結があり、調ごとのフィンガリング上の特性も律儀に収まっている。

15の作品を見渡すとシャープやフラットは最大4個止まり。長調8で短調7という見事なバランス。長大な休みはなく、ほぼずっと弾きっぱなし。テンポ指定はないからゆるりと指ならしをするに最適。拍子もさまざま。8分の3や8分の6、8分の9など3個一組系の作品も適度に混じる。

はっとするような転調。増4度の罠。要所に配置される装飾音符。こんなに短いのに見所盛りだくさん。

2024年12月 6日 (金)

2パートインヴェンション

15年前、私がヴィオラから遠ざかる直前のことだ。細々とではあるがヴァイオリンを続けてくれている次女といつかアンサンブルをしたいと考えて購入した楽譜がある。

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バッハのクラヴィーア用の作品をヴァイオリンとヴィオラの二重奏に編曲したものだ。原曲は「2声のためのインヴェンション」。平均律クラヴィーア曲集と並ぶ教育用作品の金字塔。ピアノの学習者はほぼ不可避だ。右手と左手のコラボを、常用性の高い長短15の調で学ぶ仕組み。右手と左手の対話からクラヴィーア奏法上での対位法の扱いの習得が目的だそうだが、芸術的側面も軽んじられていないのがバッハテイストだ。

その曲の右手がヴァイオリンに、左手がヴィオラに写し取られている。少々のオクターブの上下はあるけれど、ほぼ原曲のまま。ブライトコップフの装丁ともあいまって、今眺めても気が利いている。

これを今頃になって取り出したのには、訳がある。

この曲集のヴィオラのパートを日々の練習に取り入れたということだ。

2024年12月 5日 (木)

ヴィオラ戻る

昨日夜、我が愛器が修理から戻ってきた。

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1日夜、この状態で修理に出したものだ。穴にパテを埋め込んで乾燥1日、ヤスリで成型したあとにニスを塗って1日乾燥させて、磨く。これで今日4日の夕方完成とは、ギリギリだ。明日の練習に備えて無理を聞いてもらった。

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職人さんいわく、この角の部分は損傷することが多く、いわゆるオールドの弦楽器では修理されていないことの方が珍しいのではないかとのことだった。どんなに時代が進歩してもこの手の修理の課程にある「乾燥」だけは絶対に時短できないとおっしゃっていたのが印象に残っている。

しみじみとした気持ちになった。

2024年12月 4日 (水)

大奇遇

職場のオケの話だ。

練習後の飲み会が半ば恒例となっている。練習に出た人はかなりの確率で飲み会に流れる。8時半からまとまった人数の入れるお店を探す事務局の苦労をよそに盛り上がる。座席は自由席である。来た順に奥に詰める。だから毎回ランダムだ。

先日の飲み会私の隣にはうら若い女子。女子の比率が高いのでそれ自体は珍しくない。彼女は最近入団のホルン奏者だ。しかも高く見積もっても我が家の娘らの世代。多分若いんだと思う。

話が弾むうちに、出身大学を聞いて驚いた。私の後輩だった。所属がオケではなく吹奏楽団だったが奇遇だ。音楽そっちのけで地元ネタで盛り上がった。あまりメジャーな大学ではないので社内では見かけないが、まさかオケでとは。

これもまたアンサンブル。

2024年12月 3日 (火)

成年後見人

先日小田原のケア施設に母の姉を見舞った。面会の他に用事もあった。元々足と耳が悪い上に、このところボケも始まっているとのことで、介護福祉士の先生から、成年後見人の設定を薦められていた。母は実の妹ということで、子供のいない伯母にとってはもっとも近い家族だから、手続きを進める上で家族としての同意を求められるということだそうだ。

平日の訪問ということで大渋滞に巻き込まれながら行ってきた。

今後のケアの進め方に始まって、現金預金の管理の委託など、事細かな説明があり、伯母本人も納得しているとの説明で安堵した。いざというときの緊急連絡先には私のスマホを指定した。

ここ数ヶ月、伯母の件は母の懸案だったから、終わってほっとした様子だ。手続き自体はあっと言う間に終わり、行きつけの料理店でランチをして戻った。

介護士さんやケアハウスの人たちと堂々と意見を交換する89歳だ。日頃たくさんのお年寄りたちと接する人々から「お若い」「お元気」と誉められてますます、気合いが入る母には、ひ孫までいるのだ。

2024年12月 2日 (月)

緊急大修理

まさに緊急事態だ。11月29日夜いつもの通り練習していて、珍しく弓の毛が2本切れた。何かに引っかかった感じで2本ぷっつりだ。

そのときは気にもとめなかった。交換が近いかもしれぬと思った程度。練習を終えて楽器をしまうときに楽器の損傷に気づいた。

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C線側f字孔の上側にある先端が欠けている。木目も鮮やかだ。長い間楽器に触っているが初めての経験。翌日かかりつけの楽器屋さんに電話して急遽、12月1日に見てもらえることになった。

診察の結果、緊急入院だった。楽器の鳴りや性能にはただちに影響がないと断言されたが、この状態のまま放置して、同じところにまた弓が当たると、致命的な割れにつながるリスクがあるとのことだ。

演奏会の曲目をちっとも練習しないでバッハばかりさらっていたからバチが当たったのかもしれない。

5日に練習があるからと無理を言って4日夕方の仕上がりとなった。治療費は4千円。

 

2024年12月 1日 (日)

待降節は巡る

今日が三位一体節後第27日曜日にならないことは既に述べた。クリスマスの4つ前の日曜日は待降節アドヴェントになってしまうから、教会暦はそこでリセットと言うわけだ。本日はその待降節である。

思えば昨年の待降節にブログ「ブラームスの辞書」上の企画として「カンタータでたどる教会暦」を立ち上げた。あれから1年ということだ。

日曜日毎にその日にふさわしいカンタータを取り上げる企画だから、日曜以外はその他の話題もありだと考えていたが、思った以上にネタが膨らんで事実上のバッハ特集となった。

言い古されてはいるが、1年が早い。

2024年11月30日 (土)

引き継ぎの宴

来年1月末の嘱託満了に備えての動きだ。一昨日までに、「後任をよろしく」という主旨の飲み会やランチ会が全て終わった。

私の退任が1月末なので年末年始の繁忙期と重なることもあって、引き継ぎは今月をもって一区切りとなる。あとは日々発生するトラブルとまでは言えないような小ネタに誠実に向き合って場数を踏む2ヶ月としたい。

飲み会はオケの打ち上げが残るのみ。

2024年11月29日 (金)

BWV140の魔力

カール・リヒター先生についての書物で、共通して論じられているのが、リヒター先生とバッハの出会いのエピソードだ。

少年時代にはじめて接して感動した作品が名指しされている。BWV140「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」だ。とりわけ第4曲のテノールのアリアだ。独唱に先立つヴァイオリンとヴィオラのユニゾンの部分に心酔したことがバッハの傾倒のきっかけだったと回想されている。

同曲のリヒター先生の演奏は群を抜く。ピリオド楽器含め様々な音源があふれた現代、それらを手元において自在に聴き比べもできるのだが、リヒター先生のその場所の聞かせ方は最高だ。同じフレーズが2小節後に確保される場所の、ピアニシモに打ちひしがれるかの美音は、どんな解釈も吹き飛ぶ。ピリオド楽器がどれほど「バッハ時代の忠実な再現」と力説しても私の心が動かない原因の一つとまで断言できる。

2024年11月28日 (木)

カンタータ楽曲ランキング

昨日カンタータの脳内ベスト5を選定したばかりだ。カンタータは複数の楽曲の集まりだ。カンタータ総合では先の5曲でいいのだが、それらを個別の楽曲で見るとまた代わってくる。というわけで楽曲別のベストを選定しておく。交響曲で申すなら楽章別ベストの選定に相当する。

<第1位> 「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」BWV140の第4曲。悩んで悩んでこれ。ヴァイオリンとヴィオラのユニゾンを従えたテノールのアリア。元のコラールの存在をかすませるバッハの技法。

<第2位> 「我は満ち足れり」BWV82の第3曲。バスのアリア。こちらが一位でも申し分ない。バス最高の聞かせどころ。

<第3位> 「我が片足は墓穴に」BWV156第1曲のシンフォニア。声楽なし。オーボエが織りなす可憐なモノローグ。

<第4位> 「我は満ち足れり」BWV82の第5曲。事実上バスとオーボエの二重協奏曲。

<第5位> 「我はいずこに逃れ行こう」BWV5の第3曲テノールのアリア。光の描写としてのヴィオラ独奏が宝物。

<第6位> 「神は固き砦」BWV80の第2曲。バスとソプラノの二重唱。

<第7位> 「満ち足りる安らぎ」BWV170の第1曲。アルトのアリア。

<第8位> 「キリストは死の縄目につながれたり」BWV4の第6曲バスのアリア。

<第9位> 「いかにはかなき、いかにむなしき」BWV26の第5曲バスのアリア。

<第10位> 「我は喜びて十字架を背負う」BWV56第3曲バスのアリア。

切りが無い。切り口がバスとオーボエに偏ってしまうのはご愛敬だ。

 

 

2024年11月27日 (水)

マイカンタータ

リヒター先生の録音を頼りに、バッハのカンタータで巡る教会暦の企画がコンプリートした。めでたしめでたし。この辺で大好きなカンタータをランキングしておく。あくまでも今日の時点の評価だ。

<第1位> 「我は満ち足れり」BWV82

不動の位置。ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ先生最高の聴かせどころ。5曲全てに出番がある。クレメント先生のオーボエとの二重協奏曲という側面も見逃せない。

<第2位> 「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」BWV140

三位一体節後第27日曜日用つまり教会暦の年末どん詰まりで、年によっては存在しないレア祝日用。第4曲のテノールのアリアを頂点にしみじみ、ほのぼのではあるのだが、キレッキレのオーボエも聴ける。

<第3位> 「神は堅き砦」BWV80

宗教改革記念日用のカンタータ。ソプラノとバスの二重唱にユニゾンの弦が絡む第3曲を頂点にルター作のコラールをかみ砕く。

<第4位> 「我はいずこに逃れ行こう」BWV5

第5曲バスのアリアにおけるディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ先生の剣幕が山場ではあるのだが、第3曲のテノールのアリアを可憐に縁取る独奏ヴィオラが秀逸。

<第5位> 「満ち足れる安らぎ」BWV170

アルト用アリアの最高峰。リヒタ-先生の選集に収録がないが特別にランクイン。

 

2024年11月26日 (火)

バッハと出張

先日、会社生活最後の福岡出張に行ってきた。往復新幹線。ポータブルCDプレイヤーを持ち込んでバッハを聞きまくった。

  • 無伴奏チェロ組曲ヴィオラ版
  • ブランデンブルク協奏曲第6番
  • 無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータヴィオラ版
  • ガンバソナタ ヴィオラ版
  • オルガンのためのトリオソナタ オーボエとヴィオラ版。
  • インヴェンション ヴァイオリンとヴィオラ版

できるだけ楽譜も持ち込んで聴いた。往復で10時間になるがまったく退屈しなかった。

2024年11月25日 (月)

目覚めよと呼ぶ声が聞こえ

昨日は三位一体節後第26日曜日だった。だから来週の日曜日が「三位一体節後第27日曜日」かというとそうは参らぬ。来週の日曜日はクリスマスの4つ前の日曜日になるので、待降節になってしまう。

だからその三位一体節後第27日曜日用の「Wacht auf,ruft uns die Stimme」BWV140を本日取り上げる次第。三位一体節後第27日曜日は希にしか現れないから、この作品もなかなか上演の機会がなかった。

けれども脳内カンタータランキングでは上位の常連だ。第1曲冒頭の付点リズムの連なりを聞くと「年の瀬感」が脳内に充満する。特徴的なのは2重唱のアリアで、その第2曲や第6曲にあるオーボエの出番もマンフレート・クレメント先生の極上の見せ場だ。

がなんと言って第4曲だろう。ヴァイオリンとヴィオラのユニゾン変ホ調。この旋律は私の結婚披露宴の来賓入場のBGMだった。その披露宴は11月25日で、本カンタータの初演日という小細工を楽しんだ。

で、あまたある同曲のCDの中でもリヒター盤が脳内最高位に長年君臨する。第4曲冒頭の弦楽器の4分音符1個の「B音」の響かせ方が他に類を見ない。

2024年11月24日 (日)

目を覚まして祈れ

「Wacht betet,seid Bereit Allezeit」BWV70は2部構成の大規模カンタータ。バッハ特有のパロディだ。もともと待降節後第2日曜日用にとワイマール時代に書いた作品をもとに、ライプチヒ着任後に三位一体節後第26日曜日用に改作したもの。

第1曲は当日の説法に合わせて、神の裁きを前にした人々の心を描写する。トランペットの大ファンファーレが先導する。第3曲アルトのアリアに独奏チェロが付き従うのもうれしい。

紆余曲折あるけれど第10曲のバスのアリアが「この紋所が目に入らぬか」調で締めくくる。ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ先生お得意のパターン。

2024年11月23日 (土)

憧れのフェストビア

先日都内某レストランにてドイツはミュンヘンの大醸造所ハッカープショルのオクトーバーフェストビアを賞味してきた。

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オクトーバーフェスト現地では同社のテントは人気が高く、なかなか入れ無いとも聞く。昔ミュンヘンを旅行したが瓶で我慢した記憶がある。

この度やっとありついた。甘みと切れがほどよく同居するなどという月並みの説明では到底伝わらぬ。

幸せだ。

 

 

2024年11月22日 (金)

タッチセンサー

孫と接していてつくづく不思議なことがある。

孫を抱く姿勢だ。座って抱いているうちに泣き出す。しばらくあやしても泣き止まないとき、立ち上がってみるとけろりと泣き止む。で、座るとまた泣き出す。こんなことが珍しくない。

立っているか座っているか、赤ん坊は分かるのだろうか?どうして見分けているのだろう。まさか天井との距離を目で測っているのかとも思った。座ってあやすときの揺れと、立ってあやすときの揺れを感じ取っているというのが直感だが定かではない。

精巧なセンサーがついているとしか言えない。

名付けてタッチセンサーだ。

本日初孫生後4ヶ月。3分の1イヤーのバースデー。

 

 

2024年11月21日 (木)

A線はラー線

「エチュード変ロ長調」としゃれこんでブランデンブルク協奏曲第6番をさらい込んでいる。

A線の鳴りにやや不満を感じるようになった。同曲への取り組みが始まってすぐ、小さくない違和感が生じた。テクニックの未熟を弦のせいにするのはもっての他ではあるのだが、私のテクニックは4本どの弦を弾くにも同様に未熟なのに違和感を感じるのがA線だけとなると、やはり弦に原因を求めてもいいのではと思い始めた。

楽器をメンテナンスし、4弦全てをヘリコアに代えたばかりではあるのだが、1週間前にA線のみラーセンに取り替えた。2ヶ月しか使っていないヘリコアは非常用スペア弦としてとってある。

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デンマーク製。お店の人に悩みを打ち明けると「価格がお高くはあるのですが」と前置きしながら勧めてくれたもの。

第一印象としては、明るくてレスポンスがいい。良くも悪くもオープン。バッハ弾くならもう少し陰影も欲しいところだが、そこはこちらの腕前とのかねあいもあるので、弦のせいにしてはなるまい。

なじむにはもう少し時間がかかるかと。

2024年11月20日 (水)

ソートキー不全

昨日、我が家のブランデンブルク協奏曲の第6番のコレクションをとりまとめた。

録音年順に列挙したが、ひとまず「演奏団体名」をキーに表示しておいた。しかしソリストがジギスワルト・クイケンの演奏には団体名の記載がない。著名なピリオド楽器奏者の集まりでの演奏という事情もありそうだ。

そうした目で見てみると、ブランデンブルク協奏曲第6番の演奏は「演奏団体」「指揮者」「ヴィオラ奏者」の3つどれで表そうとも、最低1つは「不明」の演奏が出てしまう。

そりゃバッハだから指揮者なしの演奏はあるに決まっているとして、演奏団体名は名はともかくヴィオラ奏者の名前も書かれていないこともある。これはあんまりだ。ブランデンブルク協奏曲全6曲のうち、ソリストの名前不記載があるのは6番だけだ。

かといってヴィオラ奏者の腕前の披露という楽曲でもない。ヴィオラ奏者の名前を前面に押し出しにくい事情も透けて見える。

 

2024年11月19日 (火)

ブラ6コレクション

エチュード変ロ長調、ことブランデンブルク協奏曲第6番に親しんでいる。我が家には同曲の録音がどれほどあるのか調べた。録音年順に列挙する。

  1. 1965 イムジチ
  2. 1965 コレギウムアウレウム グスタフ・レオンハルト指揮
  3. 1968 ミュンヘンバッハ管弦楽団 カールリヒターCem
  4. 1972 ベルリン室内楽団 ヘルムート・コッホ指揮
  5. 1973 パイヤール室内管弦楽団
  6. 1976 (ジギスヴァルト・クイケンVa)
  7. 1978 ルツェルン室内管弦楽団 ヨゼフ・スークVa
  8. 1982 イングリッシュコンサート ピノック指揮
  9. 1983 ライプチヒゲヴァントハウスバッハ管弦楽団 カール・ボッセ指揮
  10. 1997 ベルリン古楽アカデミー 
  11. 2000 バッハコレギウムジャパン
  12. 2010 ナショナルコンソール ファビオ・ビオンディVa
  13. 2021 ベルリン古楽アカデミー アントワン・タメスティVa

さすがに古い録音が多い。どれもみな思い出深い。これらをUSBに取り込んで連続再生する。第一楽章だけ一気、ついで第二楽章だけ、第三楽章だけなとどいうおタクな聴き方も自由自在だ。

2024年11月18日 (月)

ステージリハーサル

演奏会本番の会場で、練習を行うことくらいの意味か。「ステリハ」と略す事も多い。「ゲネプロ」とも違う。

先日職場オケのステリハがあった。

本番の会場は、本社玄関ホールの特設会場だから、ステリハもそこで執り行われた。普段多くの人が行き交う玄関ホールを、練習のために封鎖して椅子を並べ会場を設営するのだ。裏方事務局の根回しや準備には頭が下がる思いだ。

その感謝を演奏に込めてきた。

本番まであとおよそ1ヶ月。やれることはまだまだある。

2024年11月17日 (日)

汝平和の君イエスキリスト

三位一体節後第25日曜日用「Du Friedefurst,Herr Jesu Christ」BWV116だ。

クレメント先生のオーボエダモーレを筆頭に聞き所が多い。とりわけ第4曲の三重唱だ。ディースカウ先生とペーター・シュライヤー先生、エディット・マティス先生の競演が聴ける。

三位一体節自体が移動祝日で、そこを起点に何番目とカウントするから、三位一体節が遅い年は、このあたりで教会暦の年末になってしまうことも出てくる。第26日曜日や第27日曜日が存在しない年もおおいということだ。

いよいよ押し詰まった感じになってくる。

2024年11月16日 (土)

卒業旅行もどき

多くは大学卒業の記念旅行か。昔娘らも出かけていた。

これに習って私も、試してみた。嘱託満了をおよそ2ヶ月半後に控えて、ささやかな卒業旅行を企てた。

目的地は北海道函館と松前。JR東北新幹線のグランクラスで往復するという魂胆。目的地が函館なのはそのせい。

グランクラスへの乗車が目的ではあるのだが、あちらで一泊しレンタカーを借りて松前まで足をのばした。

現地の食事はイカとラーメン。少々の刺身とスイーツ。

ひとまず天気に恵まれてコートが要らぬ位の陽気だった。

2024年11月15日 (金)

楽器の鳴り

「エチュード変ロ長調」ことブランデンブルク協奏曲第6番との格闘を通じて、学生時代のヴィオラ生活を思い出してきている。今思うとあの頃はレッスンの課題でしかなかった。先生のお導きに忠実ではあったが、バッハや楽典の知識もまだまだ不足気味だった。あれから40年経過してバッハへの思いの他、音楽の知識一般は見違えるほど堆積してきている。

全然違うのだ。バッハへの思い、音楽の知識をがたまった上で練習をすると聞こえてくるものがある。

とここまでは既にブログで語ってきた。

学生の頃とのもっとも大きな違いがある。

それは楽器だ。大学3年までは入学後購入した7万円のチェコ製の楽器だった。そして4年の春にアルバイトして買ったドイツ製の楽器。92年に今の巨大楽器を購入するまで使い続けた。

その巨大楽器は大きさから来る取り回しの悪さに目をつむって、鳴りに一目惚れして衝動買いしたものだ。だから楽器の鳴りが違うのだ。例えばブランデンブルク協奏曲第6番の第1楽章を象徴する下降する分散和音がC線に差し掛かるときの楽器の底鳴りが格段に違う。あるいはG線上第1ポジション薬指で取るC音がはまったとき、隣の開放弦のCがかすかに、しかしはっきりと共鳴するのだ。C線の開放弦は、1度弾くとちょっとの間響き続けるから、事実上保続低音が実現する。これら全て今の楽器の鳴りがあってこそ実感できる。

あるいはあるいは、もしかして歳を重ねて少しは耳も肥えているかもしれないい。

 

2024年11月14日 (木)

ドイツ式音名のまさか

先日ヴィオラの第二ポジションを2系統に分けた。G線上の人差し指で取る音を元に「B型」「H型」と命名してみた。

その過程でまた妄想が膨らんだ。

ドイツ式音名はなぜ「シのナチュラル」を「H」と呼ぶのだろう。英語圏では「B」だ。ドイツ式で「シのフラット」は「B」なのに英語圏では「B♭」と呼ぶ。ついでに申すならイタリアなどラテン系でも「シのフラット」はあくまでも「シの派生」だ。

なぜドイツ式だけが「H」「B」と呼び分けるのだろう。隣り合う半音に独立した文字を当てているのは、ドイツ式においてもここだけだ。

なぜだろう。私の知らぬ歴史が一つや二つ隠れていそうだ。

いいではないか。

音名に「H」を加えることで何が起きるか考えてみるといい。

「BACH」という綴りが完成するではないか。AとCの1音半がかくも濃密に音名となる。

私はこの結論で満足。

«臨時記号の素性

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