ヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲
1896年2月1日。ブロニスラフ・フーベルマンの演奏に感激したブラームスは、楽屋を訪れてフーベルマンを祝福した。ブラームスの感動はよほどのものだったと見えて「ヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲」の作曲を約束した。
ブラームスの作曲活動は夏だ。ウィーンを離れてお気に入りの避暑地で筆を進めるのが常だった。1896年の夏はイシュルだ。フーベルマンとの約束を果たすとすればそこしかない。ところが1896年5月20日クララ・シューマンが没する。失意のブラームスは、イシュルに戻ったものの「オルガンのための11のコラール前奏曲」の作曲にとりかかる。同時に体調不良が露見してしまうのだ。
ブラームスにとって最後のイシュル滞在となってしまった。だからフーベルマンとの約束を果たすことが出来なかった。
「ヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲」というコンセプトは、恩師ロベルト・シューマンに前例がある。1875年1月10日の楽友協会芸術監督だったブラームスは、演奏会の曲目に取り上げており、この作品についてヨアヒムやクライスラーと突っ込んだ意見交換をしている。これがフーベルマンとの約束とどう関係するか判らぬが、裏の裏で繋がっていそうな気がする。







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