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2025年7月12日 (土)

大々奇遇

10年以上のおつきあいの知人が、実はピアノ好きだったとわかった。もちろんアマチュアながらピアノを弾く上に、バッハ好きであるとわかり驚いた。尊敬する演奏家はグールドだと聞いて盛り上がった。

私がヴィオラを演奏するという話から急展開。近所のレンタルルームでアンサンブルしようということになり、8日に合わせてきた。気の利いた防音設備のある小部屋で、ピアニストの他1名が入るのがやっとというサイズながら、ピアノのコンディションが良くて大満足。

レンタル初回ということで恐る恐るだったが120分あっと言う間に過ぎた。

バッハのガンバソナタ全3曲を通してみた。ヴィオラももちろんだが、ピアノが相当難しいと聞いている。テンポを落として、時には片手になりながら、なんとか3番の第二楽章まで行ったところで時間切れ。

今年1月末の退職から次々と拡大中の「非職場系」の人間関係がここでも爆発寸前だ。

楽器の工房、レッスンの先生、そしてピアニスト。切り口は音楽、とりわけヴィオラとバッハ。老後の楽しみがまた増えた。

 

2025年7月11日 (金)

f non troppo

「程ほどに強く」とでも訳すのだろうか。ブラームスの楽譜上に用例はない。私自身が「pocof」のニュアンスの理解を深めるために使用しているに過ぎない。

「non troppo」をブラームスが多用していることは周知の通りだが、その用例はトップ系に限られている。つまり「f」のようなパート系専用の用語との共存はあり得ないのだ。そのようなことは百も承知でなお用いている。

「non troppo」は何かが過剰になることを戒める意味で用いられ、とりわけテンポの速過ぎに目を光らせていた。その感覚は独特なものだ。「allegro」または「presto」を抑制するために使われている。「presto」は単独で用いられるより「non troppo」を伴うことのほうが多くなっているほどだ。

「poco f」もまた「f」が過剰にならぬような自制を演奏者に求める性格がある。片やテンポの自制、片やダイナミクスの自制ではあるが、「過剰を恐れる」という一点においてニュアンスを共有していると直感している。

「poco f」のニュアンスを一言で表す場合、「f non troppo」という表現を「ブラームスの辞書」の293ページで推奨している。このことは「poco」や「non troppo」というブラームス独特な微調整語の理解を深めるのに役立つと思われる。

2025年7月10日 (木)

Andante non troppo

ブラームスは速過ぎを恐れる傾向があると記事「速過ぎを恐れる」で書いた。特にアレグロが速過ぎることを恐れていたと思われる。物事が過剰であることを戒める「non troppo」は主に「allegro」を修飾する。

本日のお題「Andante non troppo」は、その意味では異例である。「Andante」を構成する何らかの要素が極端にならぬようにという警告の意図があるとひとまず考えておく。「Andante」を「歩くような速さで」と解する立場から解釈するとたちまち行き詰まる。「Andante」には古来より、「速いのか遅いのか判らぬ」という側面が付いて回る。用いた作曲家によって意味合いが代わるのだ。ブラームスにおいては「遅い側」の用語なので、「non troppo」で修飾されれば「過剰に遅くなるな」の意味と推測出来る。

生涯で唯一度の「Andante non troppo」はインテルメッツォop117-2に出現する。作品117は3つのインテルメッツォからなる珠玉の小品集だ。3曲の冒頭における発想記号は以下の通りだ。

  • 1番変ホ長調 Andante moderato
  • 2番変ロ短調 Andante non troppo e con molto espressione
  • 3番嬰ハ短調 Andante con moto

見ての通り、3曲全て「Andante」ベースになっている。速いのか遅いのかちっとも判らぬというのはブラームス節の一つである。ブラームスにあっては「遅め系」の用語である「Andante」を敷き詰めておきながら、それらを修飾する用語の使い方を見ると「遅め一辺倒」にはなっていないのだ。

中でも本日話題の2番は「Andante」系の用語としては異例なのである。「Andante」が「過剰であること」を恐れるというのは、直観としては理解しにくい。

フラットてんこ盛の調で歌われる旋律は、16分音符羅列の繊細さとともに、チャーミングな旋律の存在も浮かび上がらせねばならない。旋律自体は「Andante」でよいのだが、それにまとわりつく16分音符の流れを感じさせねばならないことを考えると、停滞はご法度だ。その微妙さが「Andante non troppo」の意味だと考えている。

「Andante non troppo」を異例だと感じるところから全てが始まると思う。

2025年7月 9日 (水)

ディミヌエンドの目安

昨日の記事「クレッシェンドの目安」で「piu f」の解釈の柱を提案した。前後のダイナミクスを調べると「前<後」になっていることが多いことが根拠だった。

しからば「piu p」はその逆つまり「ディミヌエンドの目安」になっているのかというのが本日の話題だ。

結論から申すならばNOである。「piu p」総数98のうち「前>後」のパターンつまり「ディミヌエンドの一里塚」型は3分の1にも満たない30箇所だ。驚いたことに「前<後」のパターンが29箇所でこれに拮抗しているのだ。さらに「前=後」というパターンも25箇所あって混乱に拍車をかける。

つまり「piu p」は前後のダイナミクスの分析では尻尾がつかめないのだ。

お手上げかと申すとそうでもない。直前のダイナミクスに特徴がある。驚いたことに前のダイナミクスに「mf」以上が現れないのだ。まんべんなく現れた「piu f」と対照的だ。「クレッシェンドの一里塚」に対応する「ディミヌエンドの一里塚」というよりは「p枠内での微調整」の性格を強く帯びている。

一見対応している語句の意味が線対称の位置にない。こうしたアンバランスはブラームスの特徴でさえある。

注意しておきたい。

2025年7月 8日 (火)

クレッシェンドの目安

著書「ブラームスの辞書」の中で、「piu f」の解釈の柱として提案している。

ブラームスの「piu f」全用例90箇所について、「piu f」前後のダイナミクスを調査した。直後のダイナミクスが直前より強くなっているケースが51箇所に達する。クレッシェンド途中の踊り場としておかれていると解される。

この51箇所をさらに分析すると、28箇所が「f」と「ff」の中間に置かれていることが判る。この現象を指して個人的に「クレッシェンドの一里塚」と命名したという訳である。

「piu f」は厳密に申せば「いままでより強く」だから、直前が「pp」の場合は「p」と同等のダイナミクスということさえあり得る。現に「ハイドンの主題による変奏曲」には前後を「p」に挟まれた「piu f」が5回も観察される。おまけに6回目には「f」と「ff」の中間に置かれていて演奏者の注意力が試される。

ブラームスの創作経験が深まって行くのと呼応して「piu f」の用法に「fとffの中間型」が増えて行く。「piu f」の字面につられて解釈が混乱しないように配慮したと考えられる。このパターンで使われることがもっともストレスが小さい。

2025年7月 7日 (月)

初たなばた

本日、初孫の初七夕。本来旧暦かとも思うけれど娘夫婦の自宅の飾りは今なのでひとまずお祝いの記事を奉る。

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2025年7月 6日 (日)

ハンガリーの歌

ブラームスがはばたくきっかけとなったのはヴァイオリニスト、レーメニとの演奏旅行だ。ハンガリー出身で、ヨアヒムとも面識があった。ブラームスは伴奏者として同行している途中で、ヨアヒムと知り合うことになる。

相当な腕前の持ち主で来日の経験もある。

ブラームスはハンガリーの旋律を彼から教わった。後にハンガリア舞曲として実を結んだが、当のレーメニーから著作権侵害のクレームをつけられ、裁判沙汰にもなった話は昨日しておいた。ハンガリア舞曲ばかりが有名だが、レーメニーから教わった旋律は他にもある。

1853年に書き留めておいた「ハンガリーの歌」がある。これを元にピアノ独奏用の変奏曲を書いた。これが「ハンガリーの歌による変奏曲」op21-2である。ハンガリー特有の4分の7拍子の旋律が特長だ。1862年の出版なのでハンガリー舞曲のブレークよりは早い。著作権云々の話を持ち出すならこちらのが先かとも思うが、変奏曲特有の「だれそれの主題による」というタイトリングのせいか表立った騒ぎにはなっていない。

楽譜が売れたからというシンプルな落ちということがあるかもしれない。

後日発売されたハンガリー舞曲集の第2集には、ブラームス自作の旋律も密かに混ぜてあると言われていて、ヨアヒムあたりはちゃんと区別していたらしい。

 

2025年7月 5日 (土)

深謀遠慮

物事への考えが深いこと。おそらくこれに加えていくつか条件がある。先が見通せるという意味を濃厚に含む。その結果に基づきタイムリーに適切な手が打てていることが予見される。考えることに時間がかかり過ぎないことも必須だろう。多分に良い意味だ。

シューマンの知己を得て世の中に広く認められる前、ブラームスはレーメニーというヴァイオリニストと組んで欧州を演奏旅行していた。ブラームスの伝記であればほぼ漏らされていることのないメジャーな話だ。レーメニーはハンガリー系のヴァイオリニストで、情熱的な芸風だったという。ハンガリー民謡をレパートリーにしていた。伴奏者として同行していたブラームスは、このときにハンガリーの語法を吸収したと思われる。

1869年ブラームスは、ピアノ連弾用の「ハンガリア舞曲」を発表する。これが楽譜の売れ行きという面で大ブレークとなった。言わば「欧州の紙価を高めた」という状況が生まれた。前年1868年に初演されたドイツレクイエムの成功とともに、作曲家ブラームスの地位を飛躍的に向上させた出来事といってよい。

こうなってしまうとレーメニーはブラームス無名時代のパートナーということになるのだが、大ヒット作ハンガリア舞曲には自分の教えてやった旋律が含まれることを理由に著作権侵害というクレームを付けた。ついには訴訟沙汰にまで発展するが、結果としてはレーメニーの訴えは退けられることになる。理由は以下の通りだ。

  1. ハンガリア舞曲の元になった旋律の作曲者が特定不可能だから著作権を設定出来ない。
  2. ハンガリア舞曲の出版にあたってブラームス作曲とされずにブラームス編曲となっている。
  3. ハンガリア舞曲にはブラームスの作品番号が付与されていない。

大抵の伝記では「レーメニーのねたみ」を原因に挙げている。関係者間のレーメニー評も添えられていることとも多い。ブラームスの伝記の中だから争いの当事者レーメニーの評価が芳しくないことについては、100%信用は出来まい。

そんなことより、ハンガリア舞曲の出版にあたって、作品番号も付けずに編曲扱いとしたブラームスの姿勢を喜びたい。裁判沙汰の発生を予見したとまでは言えなかろうが、民謡に対する姿勢に一貫性が見て取れる。自作と採譜を厳密に区別するストイックさを味わいたい。どんなに魅力的な旋律でも「おいらの作曲じゃあないよ」と宣言する潔さは、彼の作品に充満するストイックさと呼応してはいまいか。

2025年7月 4日 (金)

左手の親指

ブラームスのピアノ演奏を知る人々の証言、あるいは「51のピアノ練習曲」の傾向から、ブラームスのピアノ演奏法の独特な癖を類推することが出来る。

まず言われているのが、左手の重要性だ。多くの人にとって利き腕ではない左手を自在に繰ることが、練習の目的になっていることが多い。申すまでもなく、左手は低い音域を担う。自作のベースラインを曖昧に演奏しようものなら烈火の如く怒ったというエピソードや、「僕はこれしか見ていない」といってピアノの右手のパートを隠した話など、ブラームスの低音域偏愛の証拠は多い。

次に認められるのは、親指の役割期待の特殊性だ。親指への黒鍵使用や親指が小指をまたぐような指使いなどなど、通常のカリキュラムでは考えられないアイデアが「51のピアノ練習曲」には数多く盛り込まれている。

本日のお題「左手の親指」は、上記の2系統の話の交点である。ブラームスは自らの左手の親指を「テノール旋律用の指」だと自慢していたエピソードもある。

右手にしろ左手にしろ、腕を交差させない限り親指は、中音域を担当領域にする指である。つまり親指の活躍する音域はヴィオラの音域とかぶっているということだ。ピアノのフィンガリングには全く疎いが、この話はブラームス自身のヴィオラ好きの嗜好とも関係があると勝手に思っている。ピアノ演奏における左手の親指の音域的な位置付けは、弦楽四重奏におけるヴィオラのそれに対応していると思う立場。

2025年7月 3日 (木)

無人島ごっこ

あなたは無人島に行かねばなりません。CDを1枚だけ持って行くことが許されているとした場合、あなたはどのCDを持って行きますか?

という類のお遊びがある。ネット上の掲示板や雑誌の企画で割と見かける。

持ち込み可能な枚数が10枚になったりするバリエーションもあるが、自らのコレクションからの絞り込みという困難な手順を楽しむ意図は明白だ。1枚ではあまり本人の個性が出にくいから10枚くらいがちょうどいいかもしれない。こういう企画をすると決まって、「~全集」を選ぶという反則をする人が現れるのも微笑ましい。この手を許してしまうのでは、究極の選択を楽しむという趣旨からはずれると思うがどうだろう。

絞れやせんのだ。少なくともブラームスが絡んでしまうと私には無理だ。切るという動作に抵抗があり過ぎる。

無人島にたった一人の作曲家のCDなら持ち込み可能という設定なら、迷わずブラームスを選んで終わりだったが、このところバッハの取り扱いが悩ましい。これも難しい選択になりつつある。

何にしろご無体な遊びである。

2025年7月 2日 (水)

必殺の四択

愛好家同士の会話では、しばしば「ブラームスの交響曲でどれが一番好きか」というネタが話題になる。誰も悪気はないし、実際には突き詰めたニュアンスで語られることもない他愛のない話なのだが、私にとっては「心ない質問」に映る。はっきり言って困るのだ。あの中から一つ選べというのは、「3つ落とせ」といっているに等しい。3人の子供の内、誰が一番好きかと言われると困るのに似ている。お遊びと判っていても出来ない。あの4曲から1曲選べる人が羨ましい。

身勝手なもので、これが他人の作品だと躊躇無く答えられる。ベートーヴェンなら7番、モーツアルトなら40番、マーラーなら5番、ドヴォルザークなら8番だ。全作品聴いた上でのチョイスでもなく軽いノリの答えだ。

「好きな交響曲は何番?」という質問は、お互いに面識の浅い間の場つなぎの質問として発せられることも多く、「わかりませぬ」と対応しては場の空気を凍らせかねない。かといって適当な番号を答えようなものなら、「誰の演奏がお好みですか」というもっと怖い二の矢が飛んでくるのが見えている。

何かうまい対応はないものか。

2025年7月 1日 (火)

ブラームス弾き

ブラームス作品の演奏を得意とする器楽演奏家。声楽家ならば「ブラームス歌い」となるし、指揮者なら「ブラームス振り」という具合に変化する。

「得意とする」という言葉の定義一つで意味合いは変化する。一般に演奏家本人が好んでブラームスを取り上げ、その演奏が概ね好評を博すという課程を相当程度積み上げることでこの言い回しが定着すると思われる。演奏家本人が自分は「ブラームス弾き」だと思っているのに聴衆はそう思っていないケースや、演奏家の意思に関わらず聴衆がそう思っているケースも存在するはずだ。

「▲▲のブラームスはさっすがよね~」「やっぱりブラームスは△△に限る」という類のセリフを聴衆が吐くようになることが「ブラームス弾き」のリトマス紙になる。「ブラームス演奏の職人」というニュアンスも時には混入するし、「当代最高のブラームス弾き」といううたい文句は相当効果的だ。

一方「■■弾き」という言い回しは何もブラームスに限ったことではない。「バッハ弾き」「ベートーヴェン弾き」「モーツアルト弾き」「ショパン弾き」という言い回しは珍しくない。こういう言い回しが存在することをもって一流作曲家であるとする定義もあながち的外れではないと思われる。

不思議なことが一つある。「ブラームス弾き」に類する言い回しはしばしば耳にするけれど、「ブラームス聴き」という言い方はされないように感じている。先の定義を流用すれば「ブラームス作品を聴くのを得意とする愛好家」くらいの意味になるだろう。

私は町内一の「ブラームス聴き」になりたい。

2025年6月30日 (月)

薄幸の弓

昨日の続き。

先般損傷して応急処置しておいた弓、この度新たに購入したことでスペアに回る。昨日の言い回しをするなら「弓3号」だ。2007年に25万円で買い求めたブラジル製である。

今2025年なので18年前なのだが、よく考えると2010年からの演奏空白があるので実働3年ということになる。1992年に購入のドイツ製巨大ヴィオラを鳴らそうと購入したのだが、わずか3年程度の使用で、冬眠を余儀なくされた。そこから15年を経て職場オケの創設によりもう一度楽器演奏を志すことになったのが2023年秋。そこからの1年半を加えても4年半の実働に過ぎない。

さまざまな事情はある。仕事も子育ても忙しい時期、何より住宅ローンやら教育費やらで経済的にも余裕がなかった。演奏団体に参加してもいなかったから、楽器演奏のモチベーションは低かった。あのころ職場にオケがあったらまた違ったはずだ。

それでも今年の母の日の夜ネジが損傷しなければずっと使い続けたはずだ。1992年購入の楽器は弓3代を従わせてまだまだ弾かれてゆくが、このブラジル弓は気の毒だ。

C線を鳴らしに入るときの音量だけは、今回の弓に負けない。丁寧に手入れしてスペアとして日の目の待つ。あるいは、どこかのオケに呼ばれて音量の必要な作曲家を弾く際に引っ張り出すか。

孫がヴィオラをと欲する日までときどき風に当ててやる。

 

2025年6月29日 (日)

楽器4代・弓5代

 すでに47年経つ私の楽器歴を整理しておく。

<世代1>1978年4月10日 ヴィオラ1号&弓1号

大学オケ部室を訪問して、そこにヴィオラの先輩が居合わせたことで、単なる弦楽器志望がヴィオラの新入団員に変わった。即、備え付けの楽器と弓を貸与された。それがヴィオラ1号と、弓1号だ。今となってはいろいろ不明。楽器も弓もグレード、生産国、生産年ともに不明。この楽器で、翌年1月7日の大学オケデビューを迎えた。つまりブラームスの第二交響曲を弾いた。今どうなっているのだろう。

<世代2>1979年たしか4月 ヴィオラ2号&弓2号

団貸与の楽器を返却せねばならず、購入。ただし大学現役合格の褒美として親に買ってもらった。レッスンの先生の紹介だ。ヴィオラはたしか新作で、チェコ製。やけにオレンジ色の強い楽器で7万円。弓の生産国は不明だが2万円。ケースが1万円。正直なところストレスの多い楽器ではあった。大学オケの定期演奏会5回をこなした。練習量という意味でなら過去最高の組み合わせだ。ブラームス作品なら大学祝典序曲、交響曲第1番を弾いた。他にブルックナー4番、チャイコフスキー悲愴、新世界も弾いている。

<世代3>1981年8月 ヴィオラ3号&弓3号

大学4年の夏合宿明け。大学オケ最後の演奏会でマーラーの5番を弾くために購入したとも言える。1979年西ドイツ製のヴィオラ31万円に7万円の弓。大学オケでの活躍は少なかったが、卒業後のアマオケでよく弾いた。ブラームスは交響曲全てと、ヴァイオリン協奏曲を弾いている。室内楽はブラームスのクラリネット五重奏曲と弦楽六重奏曲第1番。で、この組み合わせで特筆すべきは今でもまだ所有していることだ。知人にお貸ししている。

<世代4>1992年1月 ヴィオラ4号&弓3号

長男出生の直前、今は亡き妻に背中を押されて購入した今のヴィオラ。1877年ドイツ製45.5cmの巨大ヴィオラ。100万円だった。弓にお金が回らず弓は3号を使い続けた。ブラームスは弦楽六重奏曲第2番、ピアノ四重奏曲全曲。

<世代5>2007年10月 ヴィオラ4号&弓4号

ドイツ製巨大ヴィオラをそのままに弓をグレードアップ。ブラジル製25万円。しかしこの3年後くらいからあまり楽器に触れなくなっていった。

<世代6> 2025年6月 ヴィオラ4号&弓5号

この度弓4号の破損を機に購入。スイス製。弓4号はスペアに回す。つまるところ現在の巨大ヴィオラは3号から5号の3本の弓で弾かれたことになる。貸与中まで入れればヴィオラ2本、弓3本の陣容だ。

  • 世代1 1年
  • 世代2 2年
  • 世代3 11年
  • 世代4 15年
  • 世代5 18年

ご覧の通りだんだん更新の間隔が延びている。楽器も弓もグレードが上がっているから簡単には更新できないということだ。とくに今回の弓の損傷が無かったらこのまま何もしなかった可能性が高い。今後世代6のために気合いを入れて頑張らねばならぬ。

この先孫がヴィオラ演奏を指向するのか望みだけは捨てずにいる。はたまた「世代7」があるのかどうか。何かと興味深い。

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左からヴィオラ4号と同3号、そして弓4号。

2025年6月28日 (土)

舞踏譜

昨日話題にした本「バッハを弾くためのバロックダンス入門」の件。

最大の驚きは舞踏譜の存在だ。踊りを踊るための図形。ステップや身体の回転などが図形上に記載されていて、図形としても美しい。

宮廷舞踏の本場フランスには200以上も保存されているという。

これを見て踊れたのかというシンプルな驚き。楽譜とセットで保存されている曲もあるらしい。楽譜から音楽への転写には苦労が絶えない素人ではあるが、舞踏譜に比べれば慣れてもいる。

バッハはそれら舞曲のリズムや音型だけをしっかり維持しながら、取り入れているとの指摘と合わせて恐れ入るばかり。

組曲やパルティータなどでおなじみのバッハの舞曲に別角度から情報が肉付けされる。

2025年6月27日 (金)

舞曲は踊る

5月最後のレッスンの日だった。「それではまた」とレッスン室を出る時に、目の前の書棚にあった本。

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先生これって?とおたずねすると「面白いわよ」と激賞。いろいろすごいと。さっそく注文して手元に届いた。

バッハの器楽作品の重要な柱、組曲やパルティータを構成する舞曲たちの氏素性が舞曲側から明らかになる本。踊りのステップが図形風に記載されている「舞踏譜」から解き明かす舞曲。

歴史的には「フランス」である。フランスが欧州と同義だったかのトーン。

バッハ作品の演奏に役立つかどうかはともかく、話として面白い。

2025年6月26日 (木)

転ばぬ先の弓

先頃買い求めた弓は高価である。母にその話をすると、「お金のかかる趣味ねえ」と痛いところをつかれた。一呼吸置いて「5月いろいろあったから験直しだと思えばいいんじゃない」とぽつり。「この先あんたが元気で生きてゆくには必要よ」と付け加える。

90歳も近いというのに驚くほど冷静。的確かどうかはわからぬが少なくともぼけていない。

毎日2時間20年弾いて単価を下げようと思い詰めていたが、肩の荷が少し下りた。レッスンで浴びせられた冷や水が少し乾いた。

2025年6月25日 (水)

新弓初レッスン

昨日弓を新しくして最初のレッスンがあった。

いつも通り、音階から始める。毎度毎度の音程不安は弓を代えたくらいでは収まらぬ。

弓を代えたという心理的効果で練習に精が出るのはよいとして、家庭での練習の視野、目的、方法が定まらぬと元の木阿弥であると再認識した。

やはりヴィオラの演奏は右手と左手の共同作業だから、弓を代えた効果は限定的になる。当たり前の話を再認識。

1年後あるいは10年後か「それでもやっぱり代えて良かった」と思えるように研鑽を積むだけだと、冷や水を浴びせられた。

2025年6月24日 (火)

選定の決め手

レッスンの先生にご同席いただいての弓選定の話。

全7本の候補品から1本に絞る過程が興味深かった。弾いた私と、それを聞いていた先生が7本から上位3つを選ぶ。弓に通し番号は振るがブランドと価格は伏せておく。1番から7番までだ。それらには生産国もブランドも価格もあるが、それを知っているのは工房の先生だけ。私も先生も知らずに選ぶ。一方知っている工房の先生には投票権がない。まさに二重盲検法が成立していると見る。

最終的に先生の一押しと二押しは僅差。二押しの方は通し番号7でA線がなめらかできれい。バランスもいい。となっていたが、C線の鳴りで通し番号3を一押しにしたとおっしゃる。私は2,3,7が気に入ったが、その差は微妙。3と7が共通だ。

思えば思えば貴重。2007年前回の弓選びはお店の人と私2人で選んだ。店頭なので思い切った試奏も出来なかった。本当にここ重要。素人のドアマチュアが、一般店舗でガンガン試奏など出来るものではない。今回は勝手知ったる工房に、ご主人とレッスンの先生と私の3人だけ。腕前バレバレのメンバーを前に気遣いは無用だ。

7本のうちの最高値は実は7で、税抜き48万。これが優勝でも買えなかった。実は7本のうちこれだけがフレンチだったようだ。

通し番号3に決定。スイス・フィンケル社の「E・サルトリー」というモデル。「ユージン・サルトリー」は名高いフレンチボウの作り手の名前で、これをモデルにしたということだ。スイスのフィンケル社の創業者はドイツの人らしく、同社もスイスのブリエンツにある。スイス公用語を構成する4言語のうちのドイツ語圏にあると聞く。

そりゃあ、弓と言えばフレンチではあるのだが、何せお値段も張る。そこで真芯を少々はずして、ドイツ製巨大ヴィオラを鳴らしたいドイツ好きのアマチュアにはぴったりかと、後からやけに納得。この手の納得感あるいは言い聞かせは大切。

2025年6月23日 (月)

下世話な話

この度購入に踏み切ったヴィオラの弓の価格の話。

高い。

規定の小売り価格で申すならほぼ年金2ヶ月分だ。年金は隔月支給と考えると1回の支給分が吹き飛ぶ。で割引はありがたい。割引後の価格で申してもこれまでの弓よりは高い。マイカーの購入よりは「ゼロ」が一個少ないとは言え、庶民小市民には痛手だ。

この先元気に弾き続けることで、単価を下げるしか手立てがない。

毎日2時間20年使うくらいを目指すべきかと思い詰める小心者である。

2025年6月22日 (日)

12分の11を祝う

さすがに1歳を超えたら分数誕生日をいちいち話題にすることもあるまい。

だから満11ヶ月の本日、初孫の12分の11バースデーを祝う。

まさに「すくすく」という表現がピタリとはまる9780g。弓購入の熱狂に、くるりと割って入る初孫ネタだ。

2025年6月21日 (土)

選定立ち会いの儀

まさに恐る恐るだった。

ヴィオラ弓購入にあたって、工房の社長に好適品の選定を依頼し、6月11日に候補品が見つかったと連絡をもらった。6月20日までの間に一度弾きにきてほしいとのお誘いだ。14日15日の週末は予定が合わずに諦め、週明け16日に決まった。

問題は試奏。そこに複数の選択肢がある場合、自分で選ぶのは少々怖い。単純に価格やブランドで決めそうな気もする。

まだ、初レッスンから3ヶ月も経っていないヴィオラの先生に失礼と無理を承知でお願いしてみた。しかも16日11時のピンポイントだ。

意外にもご同席いただけることとなった。梅雨明け前6月の異例の猛暑の中、駆けつけてくださった。

事前に工房にお伝えしておいた私の好みや予算を踏まえて7本の候補品の中から1本を選ぶ作業。あるいはお気に入りが見つけられずに見送る選択だってある。現在レッスンで取組中のガンバソナタの楽譜を持ち込んで、弾き比べということになった。まずは、先生からは以下のアドバイス。

  • 弓をきちんと張りましょう。いつもゆるめにする私の癖を考慮してか。
  • ヴィオラの各弦がちゃんと弾ける場所を選びましょう。
  • テンポの速い場所と、遅い場所、ロングトーン。

価格ブランドをマスキングしてもらい、かれこれ30分で一通り弾いた。先生と私がそれぞれ直感で3つ選ぶ。先生の3つと私の3つのうち2つが共通していた。その2本をもう一度徹底して弾き比べた。この後にブランドと価格をオープン。

結果として最初の直感評価で先生の1位、私の2位だった弓を購入することとなった。

2025年6月20日 (金)

弾きっぱなし

6月18日12時新しい弓を持ち帰った。午後からずっと弾いていた。

ここ1年取り組んで来たバッハを片っ端から弾き直してみた。以下所感。

  • 気のせいかわからんが、弓が軽い。計れば1グラム未満の差だろうが持った感じ軽い。
  • C線の鳴りが穏やか。鳴りは穏やかだが優しさは倍増。
  • 何が驚いたってA線だ。鳴りがまとまる。キンキン感が鳴りを潜めている。ハイポジションの音が収まる。C線の鳴りこそ全てとばかり意気込んでいたのに、A線で驚かされた。
  • C線の鳴りは落ち着いたかもしれぬ。攻撃的ではないまろやかさにとって代わった。DやGも同様。しっとりという感じ。
  • スピカートが弾む。やけに軽い。
  • 弓の反応がいちいち軽やかで、弓から脱力を促される感じ。
  • 諦めていた難所、いくつかでからりと指が回った。

前回2007年に弓を買ったときも驚いたが、今回はそれ以上だ。何が違うって思うに練習の厚みだ。当時はたまの休日に取り出しての練習だったから、弾き込みも足りていなかった。弓の善し悪しを判断するパラメータが決定的に不足していた。バッハにそこまで没入していなかったせいもある。長く取り組んでいるバッハ作品を弾いたときの心地よさが自己評価の切り口になる。

2025年6月19日 (木)

大願成就

ヴィオラの弓を購入した。

6月16日のことだ。付いていた毛があまりいい状態でなかったので無料交換のサービスを受け手元にやってきたのは18日。午前11時、約束の時間に駆け込んだ。

強いて申すなら車を買うときと同じような高鳴りだが、やはり車とも違う。

  • 5月11日 夜の練習前に弓のネジ破損。
  • 5月12日 急遽工房に持ち込んで修理。
  • 5月16日 修理完了も、長持ちはしない旨宣告される。
  • 5月24日 レッスンでヴィオラの先生に相談。
  • 5月30日 購入の意思を工房に伝える。
  • 6月16日 購入。弓毛替えにて預かり。
  • 6月18日 毛替え完成で引き渡し。

ネジに発生した最初の異変からおよそ40日だ。買うと決めるまでの20日、買うと決めて手に取るまでに20日。年甲斐もなくテンションが上がった。具体的には練習に精が出た。楽器を取り出して鳴らすのが楽しくて楽しくてという状態。新しい弓を手に取ってのこの興奮なら理解も出来るが、欠陥を抱えた今の弓でこのテンションは説明不能だ。

 

2025年6月18日 (水)

二度見三度見

ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ先生の伝記の話。巻末にディスコグラフィーが載っている。

バッハ、ブラームス、シューベルトの記述が膨大でさすがに先生ならではだと感心していたらあっと驚く記述。

ブラームスの最後の項目に「交響曲第4番」とある。1976年2月の録音。オケはチェコフィル。ディースカウ先生の指揮ということだ。二度見三度見とはこのこと。我が家のコレクションにはない。

よくよく読むと、出てくる。

  • 1973年2月 シューベルト5番、8番 ニューフィルハーモニア管
  • 1974年1月 シューマンピアノ協奏曲 バレンボイムpf ロンドンフィル 
  • 1975年10月 シューマン2番、3番 バンベルク交響楽団

これら全てディースカウ先生の指揮だ。録音年を見るとブラームスが大トリかとも思える。ハイドン、ベートーヴェン、モーツアルトでは観察出来ない現象。あるいはバッハの膨大なレパートリーを見渡しても指揮はない。

そりゃ聴きたい。

2025年6月17日 (火)

ディースカウ伝

それは6月7日のことだった。

飲み会前の時間調整に立ち寄った古書店で、ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ先生の伝記を見つけた。

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650円とあって即買い。1985年の刊行。ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ先生の還暦記念かとも思えるタイミング。古いと言えば古いが、目次をパラパラと見ただけで脳内が熱くなった。

5月30日に先生の生誕100年を祝う記事を公開した甲斐があったというものだ。

2025年6月16日 (月)

リセットのためのドライブ

5月一部6月は我が家にとって受難続きだった。まずはお断りしておきたいのは初孫の初節句。これを筆頭とする初孫とその家族には吉事が目白押しだった。このこととは別に我が家は要お祓いともいうべき事態の連続だった。少々の整理がいる。

  • 4月11日 小田原に伯母を見舞う。透析中止の可能性について説明を受ける。
  • 5月5日に叔父がこの世を去った。
  • 5月11日の法要の際、叔母2人が車椅子で出席してきた。ボケも始まっていると分かった。
  • 5月11日夜 ヴィオラの弓が破損して、応急修理をしたが買い換え不可避の事態。
  • 5月23日 伯母に透析中止の判断が下された。
  • 5月24日 急遽伯母に面会 帰路マイカーのディスプレーがブラックアウト。
  • 5月26日 私の奥歯が欠けた。金属かぶせる処理が不可避。
  • 6月2日 伯母この世を去った。
  • 6月6日 伯母の葬儀。
  • 6月9日 伯母の遺品の引き渡し。母欠席で遺族代表が受領。

以上だ。ヴィオラの弓と私の奥歯以外はみな母の心労に直結した。片道2時間の小田原に3回母を連れ出している。

で、昨日6月15日母をリセットのドライブに連れ出した。亡き妻の誕生日でもある。静岡日帰りの強行日程。母の好物のとろろ汁を食べに、旧東海道丸子宿を訪ねた。そして安倍川餅を手土産に買い求めて、小田原のケアハウスを訪問。遺品引き渡しを欠席した母の希望だ。伯母の最後の日まで手厚い献身をしてくれた、ケアハウスのスタッフにどうしても礼が言いたいという。ここいらは割と頑固。

当日中に絶対食べてねと安倍川餅を手渡す母。6月2日の伯母の最後の様子を今一度聞き出して涙した。この手順を踏まないと母のこの先が収まらぬ。今後の元気を保証するための不可避な手続き。

帰路、やけに明るくなった母がこれだけの受難が続きながら、家族誰も怪我していないのは逆にすごいとぽつり。

2025年6月15日 (日)

グリーグ

今日はノルウェイの作曲家グリーグのお誕生日。亡き妻と同じ6月15日だ。1843年生まれだからブラームスの10歳年下。

グリークは1896年秋ウィーンにブラームスを訪問している。ノルウエイに来れば第5交響曲のアイデアも湧きましょうと言ってブラームスにノルウェイ訪問を促している。

残念ながら実現していない。

2025年6月14日 (土)

眼科定期健診の夜

網膜剥離の手術とついでに行った白内障の手術から1年経過した昨年12月、職場オケ初演奏会に向けた練習が山場の頃に、経過観察があった。そのとき異常なしで次回は半年後となってから6ヶ月経過したのでまた診察があった。退職後初めての検診。

結果から申せば良好。術後の経過に加えて、糖尿病性の病変も見られないとのこと。

で、眼科検診では必ず瞳孔を広げる目薬をさす。4、5時間目が見えにくくなる。診察から戻って自宅で練習しようと思っても楽譜が見にくい。

仕方なく、教則本の音階練習に当てる。さすがに毎日繰り返しているから暗譜出来ている。

2025年6月13日 (金)

捜すというだけで

5月30日にヴィオラの弓を買うと決めて、好適品探しに着手した。年内を目処にということなので、手元に来るのはまだまだ先だ。

あれから2週間。不思議なことがある。買うと覚悟を決めて工房の先生にそれを伝えただけなのに、気持ちが盛り上がっている。具体的には練習に精が出る。レッスンの先生に伝えたところ「お気持ちよくわかります」と強い賛同があった。

年甲斐もないこの高鳴りは何だろう。

 

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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