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2019年10月17日 (木)

クララの基盤

例によって音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第3巻25ページからの引用。クララ・シューマンの4女オイゲーニエの回想だ。

オイゲーニエはピアノ教師として、母クララの芸術的基盤に言及する。

幼い頃からシューマン、ショパン、メンデルスゾーンとともに成長したと述べる。この3人の生年は1809年と1810年に集中する。やがてこれにバッハとベートーヴェンが加わることになる。18歳でウィーンに赴き絶賛される時点ですでにこのような音楽的基盤が確立していたのだ。

ブラームスはまさにそうした基盤に立つクララの前に現われたのだ。それ以降ブラームスが出版前の草稿を送って批評を乞うとき、クララはいつもそうした基盤に立ち返ってブラームスの作品と向き合った。

その基盤に照らして自分なりの境界線を引き、作曲家やその作品を判断した。その姿勢は年齢とともに頑なになっていた。もちろんブラームスはいつも境界線のこちら側にいた。

ワーグナー、リスト、ブルックナーは線の向こうだった。そして私にとって悲しいことにドヴォルザークもあちら側だった。

2019年10月16日 (水)

タイムトライアル

シューマン全集の刊行にあたって、クララが望ましいテンポの確定についてブラームスに意見を求めたことは既に書いた。クララをそれに駆り立てたのは、シューマン作品の演奏について、クララが夫からしばしば速過ぎると非難された記憶だったという。

片手に時計を持って自分の演奏の平均時間を計るという作業を半年続けたらしい。真面目で几帳面な性格丸出しのクララである。先のブラームスへの相談は、それに疲れ果ててのことらしい。ブラームスの返事は「およしなさい」というトーンになっていたのはそのためである。

クララはブラームスの意見を受け入れたが、その作業が「拷問」に等しかったと述べている。「死のタイムトライアル」だ。

2019年10月15日 (火)

メトロノーム値をめぐって

亡き夫ロベルト・シューマンの作品全集を出版することはクララの長年の宿題になった。おそらく出版社からメトロノームの速度表示を付与するよう要請されたのだろう。クララは気が進まぬ様子でブラームスにどうしたものかと意見を求めている。ブラームスは1861年4月25日付けの手紙でそれに答えている。

ブラームスはまず、「貴女(クララ)は本当にそれをやりたいのですか」と驚いて見せ、すかさず、自分としては不可能だし不必要だと断ずる。以下その理由だ。

  1. 測定の不確実さ
  2. 元々シューマンのメトロノーム値が信用できない
  3. 大規模作品をその測定のために演奏させることは物理的経済的に困難
  4. 大規模作品をピアノ演奏して代用すると概して不必要に速くなり測定は困難
  5. 測定の難易度の割に、ほとんど利用されない

もしやるとするなら、シューマン作品をご自分(クララ)が演奏するたびに、これと思ったテンポを書き留めておき、時間が経過してそれら書き込みが貯まってくれば、その中から最良の数値を選ぶことも出来ると言っている。いずれにしろ締め切りに迫られながらでは無理というニュアンスだ。

そして手紙の末尾でもう一度そのままにしておくことを薦めている。いやはや何とも含蓄がある。

  • 当時28歳のブラームスが14歳も年上のクララに、毅然として自説を主張している。
  • メトロノーム値を楽譜に掲載することへ不審をキッパリと宣言している。
  • シューマン作品への深い理解に立脚している。

だからこそクララが相談するのだ。

 

 

2019年10月14日 (月)

野分去って

「野分」などという優雅な大和言葉では通じまい。台風19号が去って各地の被害報道に接して驚いている。前回15号で千葉県内各地で被害が発生したが、義父の力によって我が家は危うく難を逃れた。その義父はまだ納骨前なので今回もまた我が家を守ったに違いない。

夜中に瞬間的な停電が3回あったほかは、目立った被害もなくやりすごした。12日は朝から家族全員がよりそって息をひそめて過ごした。危ないものの場所替えは11日のうちに母がすました。

時により過ぐれば民の嘆きなり八大竜王雨止めたまへ 源実朝

 

 

2019年10月13日 (日)

クララの物言い

1864年ブラームスの父ヨハン・ヤーコプは念願かなってハンブルクフィルハーモニーのコントラバス奏者の地位を得た。ハンブルクフィルハーモニの芸術監督はシュトックハウゼンで、ブラームスの友人だから、情実が酌量されたと後世の人々は憶測する。結果練習量を増やさねばならなくなった。家でも練習するということだ。これが年老いた妻とのいざこざの原因になるのだから困ったものだ。ブラームスはいろいろてを尽くしたがとうとう両親の別居に同意する。

ちょうどウィーンジンクアカデミーの職を辞したばかりで、まだドイツレクイエム完成前でもあり、ハンガリア舞曲もブレークする前だから、あまりお金が無い頃だ。

年老いた母は姉のエリザベートと同居したが、姉は病弱であった。母と姉の養育費の負担がブラームスに重くのしかかった。ブラームスの窮状を見かねたクララは、驚くべき行動に出る。なんと、別居により一人暮らしを始めた父のヨハン・ヤーコプに物言いをつけたのだ。「あんたの息子ヨハネスは、あんたが考えるほど収入が無い」「少しは妻や娘の扶助に力を貸せ」というものだ。それでも事態はあまり好転した形跡は無いが、ブラームスはけなげにも母と姉に仕送りを続けたばかりか、父親への送金もためらっていない。

後年ブラームスの楽壇での地位は押しも押されもせぬものとなり金の心配はいらなくなる。家族への援助は当然と考えていたが、加えて苦しかった頃心配をかけたクララにも援助を申し入れ、感謝を形にして返している。

2019年10月12日 (土)

シューマンの野ばら

昨日買い求めた「シューマン合唱曲全集」4枚組に思わぬお宝があった。ゲーテの「野ばら」へのシューマンの付曲だ。「Romanzen und Baladen fur Chor Hegt I 」op67の中の3曲目だ。ゲーテの野ばらは欧州の作曲家たちの手厚い帰依を勝ち取り、これに曲をつけた作品は100曲以上あるらしい。

私はウエルナーとシューベルトとブラームスしか聴いたことがなかった。これで4曲目だ。

ブリリアント恐るべし。

2019年10月11日 (金)

クララの耳

1895年10月のある日、ブラームスとクララの最後の対面の時の話だ。

 

当時既にブラームスは、ウイーンのいや欧州の音楽界の重鎮だった。ブラームス自身、相当なレベルの古楽譜コレクターだったし、ウイーン楽友協会の蔵書を自由に閲覧出来る立場にあった。だから大作曲家の自筆譜を見ることは珍しいことではない。

 

ベートーヴェンのピアノソナタの自筆譜を見て、市販の楽譜に誤りがあることを確信したブラームスは、「私はおかしいと思っていたンだが、思った通りだった」とばかりに、クララの家の楽譜を手に取った。クララに自慢話でも聞かせようと思ったのかもしれない。そのページを開いたブラームスは、既にその音がクララの筆跡で修正されているのを見て驚いた。クララは長年の演奏の経験から、既にその場所を誤植と断じていたのだ。クララは自筆譜も見ていないのに、耳の命ずるままに断固として修正していたということだ。聞き分ける耳もさることながら、それを誤植と断じる音楽的な判断力、あるいはベートーヴェン作品に対する揺ぎ無い規範が、クララの脳内に存在したことは疑い得ない。「ボクは自筆譜を見たンだよ」というささやかな優越感は、あっけなく吹き飛んだと思われる。

 

自慢が不調に終わったブラームスではあるが、悪びれることは無い。ただただ無邪気に驚くのだ。「お母さんほどの耳を持った演奏家なんてどこにもいやしない」とクララの娘たちに語ったという。語られた娘の一人オイゲニーの証言である。

 

このとき、これが最後の対面になるという自覚は2人にはなかった。この話は最後の対面であるが故の話ではなく、あたりまえの会話なのだ。会う度にこういう話をしていたに違いないのだ。2人にとっての世間話である。

 

ベートーヴェンのどのソナタなのか語られていないのは残念だが、自分の発見を自慢しようとしたブラームスの健気さ、とうの昔に気付いて既に楽譜を修正していたクララの耳、微笑ましくも感動的だ。

2019年10月10日 (木)

コンサートツアー

クララ・シューマンにとってロベルトの入院後最初の演奏会シーズンとなった1854年秋の演奏会の記録を調べてみた。

  1. 10月16日 ハノーファー 宮廷演奏会
  2. 10月19日 ライプチヒ ゲヴァントハウス
  3. 10月23日 ライプチヒ ゲヴァントハウス
  4. 10月25日 ワイマール リストと共演
  5. 11月03日 フランクフルト・アム・マイン
  6. 11月04日 フランクフルト・アム・マイン
  7. 11月13日 ハンブルク フィルハーモニーとの共演
  8. 11月15日 ハンブルク・アルトナ
  9. 11月16日 ハンブルク
  10. 11月18日 リューベック
  11. 11月21日 ブレーメン
  12. 11月23日 ベルリン
  13. 11月29日 ブレスラウ
  14. 12月01日 ブレスラウ
  15. 12月04日 ベルリン ヨアヒムとジョイント
  16. 12月07日 フランクフルト・アム・オーデル
  17. 12月10日 ベルリン ヨアヒムとジョイント
  18. 12月16日 ベルリン ヨアヒムとジョイント 
  19. 12月20日 ベルリン ヨアヒムとジョイント
  20. 12月21日 ライプチヒ ヨアヒムとジョイント

いやはや意欲的である。1月以降はオランダにも足を伸ばすなど、ほぼこの調子で4月までのシーズンを乗り切った。これにより5000ターラーつまり15000マルクの収益があったとされている。

上記7から9の前後ハンブルク滞在の折、クララはブラームスの実家を訪れ、母ヨハンナから家族同然の歓待を受けている。

2019年10月 9日 (水)

クララの嘆き

1841年7月のある日、クララは演奏会でべートーヴェンのソナタを弾いたが、聴衆の反応に落胆した様子で日記にしたためる。

実名を書いて、彼等がベートーヴェンのソナタから喜びを感じ取れないと嘆く。彼等にとって教養と名人芸がイコールではないかと疑問を呈する。おそらく彼等にとってバッハのフーガは退屈なもので、各声部への主題の出現を感じ取れないハズだと推測している。

単なる機械的な演奏への嫌悪感をきっぱりと宣言している。さらに興味深いのは、ヘンゼルトの「練習曲」、タールベルクの「幻想曲」、リストの演奏会用作品がたまらなく嫌だと付け加えている。「新音楽時報」1838年4月27日の記事 に 当代屈指のピアノニスト4名の比較が掲載されていた。クララを除く3人が、上記で嫌だと言っている曲の作曲者と完全に一致ずる。クララの日記は問題の記事の3年後だ。4人一組で比較されたことを踏まえた記述だと思う。

このときクララは22歳である。

 

 

2019年10月 8日 (火)

友情の書簡

みすず社という出版社からブラームスとクララの書簡集が出版されている。1950年原田光子訳で出版されたものの復刻だ。長らくその存在だけは知っていたが、復刻されたので思わず購入した。

かなりの分量だ。お互いに手紙を変換し合って廃棄したが、そうでもないようだ。クララ側の廃棄が甘いことが見て取れる。どうもクララの娘たちが、捨てたと見せて拾っておいたらしい。

 

 

2019年10月 7日 (月)

雨の歌を聴きに

一昨日、ヴァイオリンソナタ第一番を聴きに行った。竹澤恭子先生の演奏だ。

クララ・シューマンのヴァイオリンとピアノのためのロマンスで始まったのは今年が生誕200年だからに違いない。そして「雨の歌」が続く。休憩後はショーソンやクライスラーなど。率直な印象としては、休憩後に長いアンコールがあった感じ。

それはそれはもう期待以上のブラームスだ。おそらく構成上の山場は第二楽章なんだろう。全てそこからの逆算で成り立っていた印象だ。暖かくて深くて。第三楽章の途中で再現したときは鳥肌がたった。音がきれいだからどんな曲にも説得力がと言ってしまっては元も子もない。ブラームスってやはり深いなと再確認させてもらった。

2019年10月 6日 (日)

ケアレスミス

受験の大敵。実直に注意力を高める訓練をするか撲滅は無理と諦めるかで、心構えも対処方法も違うだろう。

1881年61歳のクララ・シューマンは、夫ロベルトの作品全集の刊行にこぎつける。作品の普及はクララの念願だったから、この刊行は一つの区切りであった。ところがこの時、らしくないケアレスミスが発生した。漏れの無い全集のはずだったが、小品がいくつか収載から漏れたのだ。

その小品の中には、ヨハネス・ブラームスが校訂した作品が混じっていたことが、後になって誤解を生む元になった。刊行された全集を手に取ったブラームスは言葉を失う。自分が携わった作品が漏れていたからだ。おそらくその場でクララに問い合わせれば傷口は小さくてすんだ。しかしブラームスは「クララは夫ロベルトの作品全集にブラームスの名前が記されることを拒んだに違いない」と邪推し、この無念を呑み込んだ。

その10年後、シューマンの交響曲の出版に関して、クララとの間に決定的な誤解が起きた。二人は絶交状態になったのだ。1892年にop118を切り札として、仲直りしたのを機に、ブラームスは勇気を出して10年前の収載漏れについてクララに問いただした。

今度はクララが言葉を失う番だった。完全なケアレスミスだ。けれどもクララにも言い分はある。「私がそんなにみみっちい女だと思っていたの?40年もつきあってきて」ってなもンである。あるいは「全集への収載の可否は芸術的な価値の有無だけが判断基準に決まっているではないか」「何故もっと早く教えてくれない」「水くさい」というような思いもあっただろう。

クララは即座に全集からの遺漏を集めた補巻の刊行を決断する。この補巻について、編集はおろか序文の執筆までもブラームスに依頼するのだ。10年の誤解を解く切り札だ。ブラームスはもちろんこの付託に全身全霊をもって答え1893年には刊行にこぎつけた。この出来事以降、クララが没するまで、クララとブラームスの間に一切の誤解揉め事が起きなくなったという。

嬉しいのだが、とても切ない。

2019年10月 5日 (土)

家持忌

本日10月5日は、奈良時代の歌人・大伴家持の命日だ。万葉集の撰者であることが確実視されている。大好きな歌人である。「短歌界のベートーヴェン」と感じる。人麻呂を「短歌界のバッハ」とした流れの上にある。

785年に没したから本日は没後1234年のメモリアルイヤーだ。何としても今年公開せねばならない理由はご理解いただけよう。

9月29日の定家ネタ に続いてクララ特集を敢然とさえぎってまでこの記事をと欲する脳味噌になっている。

2019年10月 4日 (金)

シューマン全集

ロベルト・シューマンは生前1851年に、もし自分の身に何かが起きたらという用心のために、遺作として残された楽譜の出版を誰と相談するべきかをクララに書き残していた。従順な妻クララではあったが、結果としてこの件に関してはロベルトの遺志には従わなかった。シューマン全集の刊行にあたりクララが相談を持ちかけた相手は2人だ。ブラームスとヨアヒムである。シューマンの支持者は少なくなかったが、クララは「あなた方以外は信用できません」とばかりにブラームスとヨアヒムに全幅の信頼を置いた。

ブラームスが自作の草稿をことごとくクララに送って批判を仰いだように、クララは校訂譜の全てをブラームスに送って意見を求めた。刊行された楽譜は全責任をクララが負うという体裁になっていたが、合唱作品、室内楽及び管弦楽においてはほぼ全面的にブラームスの意見が採用されているという。

1881年あくまでクララの校訂とされた「ロベルト・シューマン全集」が、ブライトコップフ社から刊行された。ブラームスも深く作業に関わっていたために、クララはブライトコップフ社からの報酬の半額を受けとるよう説得したが、ブラームスはこれを固辞した。いやいや渋い。

2019年10月 3日 (木)

時刻表どうなる

ラグビーのジャイアントキリングやらジェシーノーマンさんのニュースに紛れてとんでもない知らせが届いた。

英国の旅行会社トーマスクックが倒産したらしい。旅行の個人手配が普及したことが原因らしい。世界最古の旅行代理店ということで、しばしば話題にしてきた。旅先から帰国できない「旅行難民」の発生も報告されている。

がしかし、ブログ「ブラームスの辞書」としては、同社が刊行する欧州鉄道時刻表の行く末が気になる。

2019年10月 2日 (水)

ジェシーノーマン逝く

何ということだ。突然の訃報に驚いている。御年を聞いて、そんなにと。

ブログ「ブラームスの辞書」草創期の大企画三色対抗歌合戦 では緑組の主将を務めていただいたほどだ。

ご冥福をお祈りするばかりだ。

2019年10月 1日 (火)

消費増税

本日から消費税が10%になる。「ブラームスの辞書」刊行時2005年の段階では、5%だった。

書籍「ブラームスの辞書」は4300円と価格設定している。2005年刊行のときだ。購入いただいた方に消費税を上乗せして請求していないので、事実上の内税だ。本体価格は4095円23銭という計算だ。これに204円77銭の消費税が載っているという建前である。

2014年に消費税が8%になったときも、購入者に消費税を請求していない。販売時の請求は4300円に据え置いたから、113円75銭の値下げである。このたび消費税が10%に上がる。お買い上げに際しての請求は引き続き4300円に据え置くので、72円39銭の値下げとなる。

世の中、増税前の駆け込み需要でにぎわったのだが、「ブラームスの辞書」には恩恵がおよばなかった。

 

 

 

 

2019年9月30日 (月)

CD配置レイアウト

完成なったCDラックに収納した。左右に二分されて11段。片側一段に68枚の収納だ。概ね左側薄水色部分がバッハエリアだから、作曲家不記載はバッハ。右側黄色に塗ったのがブラームスエリアとし、作曲家不記載はブラームスとする。

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横長サイズになっているのは、下記のようにCD陳列エリアに収めるための工夫だ。

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ショップの陳列棚ではないので、目安程度で十分に機能する。こうして見ると左はバロックゾーンでもある。右側ドヴォルザーク、シューマン以外の作曲家が、最下段に押し込まれている。各々の棚の内部は、作曲家または演奏家のアルファベット順に収納した。棚各段に少々の空きがあるとはいえ、思ったよりギッシリだ。

2019年9月29日 (日)

定家神社

先日、群馬県高崎市にある定家神社に行ってきた。百人一首の撰者として名高い歌人・藤原定家が祀られている。

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退屈していたセバスチャンを連れて行った。あたりは佐野という。

駒止めて袖打ち払う陰も無し佐野の渡りの雪の夕暮

この歌にある佐野らしい。

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よい雰囲気。季節の違いはあるけれどお歌の通りの夕暮時だ。しかし、この説明書きにも境内にもお歌の情報がない。もったいない。定家は、この辺りに滞在したか通過したか。すぐそばを流れる烏川と中山道の交点にあるのが「佐野の渡し」だということだ。近所にはその名の通りの無人駅がある。

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すぐ先が烏川になっている。

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すぐそばに今時珍しい木製の橋。佐野橋というらしいが表示が無い。生活の足に徹している感じ。

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下流。左手の森の奥に定家神社がある感じ。

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上流。上信電鉄の鉄橋。

定家のお歌は一顧だにされていない感じがするが、ここで夕暮を詠む必然性だけは実感できた。清少納言「枕草子」以来の「秋は夕暮」という常識を破って「雪の夕暮」と結んだ理由は不明のままだ。「秋の夕暮」と結んでも秀句の位置づけは揺らぐまい。

車止めてお歌を偲ぶ跡もなし佐野の渡りの秋の夕暮

字余り。

 

 

2019年9月28日 (土)

令和の大掃除

前回の大掃除は5年前だった。自室の大掃除のことだ。

この度また大掃除を企てた。実は5年前も感じていた課題がこのほど解決したことが大掃除を決意するきっかけとなった。CDの保管だ。千数百枚におよぶ捨てるに捨てられないCDの処遇こそが大懸案だった。時間をかけて掃除してもCDの収納はいくつかに分散になる。それが課題だった。このほど大壁面収納のオリジナルラックが実現したことで、周辺の事情が一変することになった。どう片付けようとも中途半端で、全体の足を引っ張っていたCD収納が、逆に全体の牽引役になった。

効果は劇的だ。

それからもう一つ、地味に大切なこと。次女の高校オケへの関与が一段落したことで、関連の書類を大量に処分できたことだ。スペースという意味ではこれもバカにならない節約となった。

来年早々に迫った定年退職にむけた心の準備の一環と位置付けうる。

2019年9月27日 (金)

収納こそ命

完成間もないラックにCDを収めた。

わがままてんこ盛のオリジナルラック。収納もまた楽しみだった。

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いやはや壮観。これにより既存のラック5本を処分した。プラスチックのおかたずけボックスに一時避難していた分も全て収まった。もっと余裕かと思ったが意外と満杯になった。一部廃棄か売却も真剣に考えねばなるまい。

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右端に飛び出した白い板は、仕切り板兼ストッパー。こうしておくと蓋をあけっぱなしにできる。全棚に1個準備した。

何よりもこれにより、目的のCDを探す時間の短縮になるのが大きい。大工さんありがとう。

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2019年9月26日 (木)

大工仕事

大工さんのお仕事のこと。今回のCD収納棚制作をお願いした 大工さんは、お若くてイケメンで、何より腕が確か。こちらの要望をじっと聞いていたかと思うと、矢継ぎ早に質問。やりとりの中からこちらの本音をくみ取り、もう脳内にイメージが出来ている。このほど待望のCDラック据え付けとあいなった。彼の職人芸を隅々まで見せていただいた。

この度の彼のキャンバスはこちら。

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ささやかな自室の150cm*230cmの壁面だ。問題はドアの横に見えている電灯のスイッチである。据え付けが始まる。

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周到な段取りに脱帽した。「段取り八分」を実感したがご本人はこともなげだ。

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完成。昔、小学校の木造校舎で見かけた「鎧張り」みたいなイメージ。狙い通りだが、実物の迫力に圧倒された。防塵を第一に考えた結果の総木製カバー付き。蝶つがいで上に開くこととし、結果として「鎧張り状」の見た目が実現した。カバーをガラスやアクリルにしないことで地震の際の安全も考慮したつもりだ。

課題の電灯スイッチは以下の通り。

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元の壁面からコードを伸ばしラック側板からスイッチを露出させた。配線が悪さをせぬよう白い板で覆った。この部分CD10枚ほど収納量を犠牲にするが、あざやかな処理っぷりにただただ敬服した。

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中央3段にだけ、CDディスプレーを付けた。常用CDの置き場になる。

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直径4mm程度の金属パイプを穴あきの角材間に張ったアイデアの勝利。

左右対称の片側1棚に68枚。これが11段あるので748枚。左右あって計1496枚収納だ。電灯線の配線部分カバーのため10枚程度減じられて1486枚といったところ。最上段の活用、ボックス、紙ジャケ、複数枚組で誤差も生じるが目安になる。

ブラームスもお喜びだ。

2019年9月25日 (水)

クララの評判

新音楽時報(Die Neue Zeitschrift fur Musik)は1834年4月3日に、ライプチヒでロベルト・シューマンにより創刊された音楽誌だ。現在も刊行が続いていて、ドイツでもっとも権威のある音楽誌と位置づけられている。シューマンは1843年まで同社にとどまって数々の論文を発表している。後にシューマンがブラームスの出現を喜んだ記事を寄せたことでも知られている。

ブラームス関連の資料を捜すつもりで記事を当たっていて、思わぬお宝情報に出会った。1838年4月27付けの「新音楽時報」の記事だ。

当代屈指のピアニスト4人についての比較論が掲載されていた。4人とは以下の通りだ。

  1. タールベルク 洗練された感性。最高に楽しませてくれてしばしばうっとり。イタリア風おべっか。
  2. クララ 気取らない心酔、夢見心地。ドイツ感傷主義。
  3. リスト 激しい熱弁、悪魔的。フランスロマン派。
  4. ヘンゼルト 真のドイツ的叙情、素晴らしい感激に誘う。ドイツ感傷主義。

さらにピアノ演奏を様々な要素に分解して4人の個性を分析する。

  • 演奏の純粋さ タールベルク、クララ、ヘンゼルト、リストの順
  • 即興性 リスト、クララ
  • 感情と暖かさ リスト、ヘンゼルト、クララ、タールベルクの順
  • 芸術家的な激しい性格 リスト、クララ
  • 高くそびえる精神 リスト
  • 洗練された振る舞いと礼儀正しさ タールベルク
  • 気取った振る舞い ヘンゼルト
  • 比類無き独創性 リスト
  • 自己反省 クララ
  • 初見演奏 リスト、タールベルク、クララ
  • 多芸 クララ、リスト、タールベルク、ヘンゼルトの順
  • 音楽的学識の豊かさ タールベルク、ヘンゼルト、クララ、リストの順
  • 音楽的な判断力 リスト、タールベルク
  • 打鍵の美しさ タールベルク、ヘンゼルト、クララ、リストの順
  • 大胆さ リスト、クララ
  • 利己主義 リスト、ヘンゼルト
  • 他人の功績の承認 タールベルク、クララ
  • 練習 しないリスト、自由なタールベルクとクララ、屈従的ヘンゼルト
  • 模範としてのお勧め タールベルク、クララ
  • 演奏の姿勢 タールベルク、クララ、ヘンゼルト
  • 暗譜の正確さ リスト、タールベルク、クララ
  • 演奏中の表情(しかめっ面をしない) タールベルク、クララ

面白すぎて言葉を失う。おそらくブラームスのピアノの腕前はこの4人の前では霞むのだろう。

この記事の執筆者がロベルト・シューマンである可能性は低くない。

 

 

 

 

2019年9月24日 (火)

凄い本

とある古書店をうろついていて、凄い本を見つけた。

ウリ・モルゼン著芹沢尚子訳「文献に見るピアノ演奏の歴史」原題は「Die Geschichte des Klavierspieles in histrischen Zitaten」という。副題が「初期ハンマークラヴィーアからブラームスまで」となっている。1986年12月刊行だからもう30年近く前の本だ。

古今の資料の中から、ピアノの演奏にまつわる部分だけを抜き出した代物だ。記事の数は479本に及ぶ。その源泉はC.P.Eバッハや、レオポルド・モーツアルト、チェルニーなどの理論書から、シューマンなどの評論、さらには個人の日記書簡という広範囲にまたがる。

目から鱗だ。バッハ、ハイドン、モーツアルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、リスト、メンデルスゾーン、ショパン、ブラームスという定番に加え、ビューロー、クララ、ハンスリックなど演奏家評論家の手記もあり、ピアノがどう弾かれどう聴かれてきたかを偲ぶことが出来る。譜例などほとんど無いに等しいというのに、半端ではない説得力だ。話題になっている曲についての知識があればもっと楽しめる。

収集の範囲の広さと、着眼の鋭さが並ではない。

きっと一生の宝だと思う。

2019年9月23日 (月)

ピアノ協奏曲ヘ短調

クララ・シューマンに未完成のピアノ協奏曲があったことは割と知られている。本日のお題の通りヘ短調だ。第一楽章の断片だと考えていい。1847年だから28歳のクララの作品である。完成に至らなかったのは、長男の死去と時期が重なっている点を指摘する向きもある。この作品の冒頭には古式通りの管弦楽だけによる提示部がある。これが古来ブラームスの第一交響曲冒頭との類似を指摘されてきた。ブラームスが14歳の頃の作品だから、伝播の向きは「クララ発ブラームス」だ。

実際に聴いてみる。骨太の旋律が弦楽器で奏でられる。ショパンのコンチェルトみたいな印象。この時にティンパニがどっしりと刻み続ける。このティンパニ連打が、ブラ1と似た印象を与えるのだと推測する。我が家には楽譜がない。CDを聴いた感じだけで申せば、これを似ているに加えるのはいささか心許ない感じがする。

どこかに楽譜がないものか。

2019年9月22日 (日)

組織委員会

オリンピックやワールドカップなどの大きなイベントになると、その準備や運営は個人の力では難しくなる。しからばとばかりに組織委員会が編成される。

 

1880年5月3日ボンにおいてロベルト・シューマン記念碑の除幕式が行われた。式典の前日を含めた2日間の進行を司る組織委員会が発足した。この委員会は2人の人物の共同指導体制だった。2人とはヨーゼフ・ヨアヒムとヨハネス・ブラームスだった。そして主役はロベルト・シューマン未亡人のクララである。

 

故ロベルトの信頼厚き2人の大音楽家をいただく組織委員会によって周到に計画されたイベントだったらしい。前日2日には記念の演奏会が催されロベルトの作品がいくつも演奏されたという。

 

演奏曲目を調べていて驚喜した。ブラームスのヴァイオリン協奏曲があったのだ。おそらく2日の夜だったと思われる。指揮は作曲者ブラームス本人で、ヴァイオリン独奏はヨアヒム。初演と同じ組み合わせだ。組織委員会トップの2人による渾身の演奏だ。

 

そしてもちろん60歳のクララがこれを聴いていたのだ。

2019年9月21日 (土)

橋渡し役

バッハ特集の結尾は、一連の「シャコンヌ話」だった。ブラームスがバッハのシャコンヌをピアノ左手用に編曲したことがキーになっている。これがクララ・シューマンへの贈り物だったことを深く掘り下げることもってエンディングとした。バロック特集の「コーダ」である。

 

バロック特集の次に開始する企画「クララ特集」との間を取り持つピポットフットにもなっている。直前の特集におけるコーダが、直後の特集に深い関係がある状態を意図的に作り出した。

 

バロック特集を終えたリバウンド対策でもある。

 

 

2019年9月20日 (金)

1%クラブ

完全に私の造語。ブログ運営上の目安。ブログ「ブラームスの辞書」は2033年5月7日までの毎日更新を目標としているので、全部で最低10252本の記事が必要だ。その1%となると103本ということになる。103本以上の記事が堆積したカテゴリーを「1%クラブ」と名づけている。本日の段階で103本以上の記事を持つ人物カテゴリーは以下の通り。

  1. バッハ
  2. ドヴォルザーク
  3. 次女
  4. ビスマルク
  5. 長女
  6. (セバスチャン)
  7. クララ ←NEW

昨日の記事をもって「351 クララ」が新たに入会したということだ。次の候補は意外と長男だったりする。

2019年9月19日 (木)

壮行会

少し出所の怪しい話だから、鵜呑み厳禁で。

1854年2月27日ロベルト・シューマンは自らライン川に身を投じた。その後エンデニヒの病院に収容される。そしてクララは6月11日にフェリクスを出産する。夫が入院し7人の子供を抱えたクララは、その秋の演奏会シーズンから演奏旅行を企てる。1854年9月13日つまりクララ35歳の誕生日はその準備の最中にやってきた。ヨアヒム、レーザー夫人、アルバート・ディートリッヒ、ユリウス・オットー・グリムそしてブラームスが集まってクララの誕生日を祝った。これは2月27日にロベルトの投身を知って駆けつけたメンバーである。

仕切ったのは相変わらずデュッセルドルフ住まいのブラームスだ。クララを驚かせるために、長女マリーと次女エリーゼにピアノを指導した。彼女らの演奏がその日のパーティーの目玉になった。このときマリー13歳で指導したブラームスは21歳だ。中学生と家庭教師のお兄さんくらいな感じである。

クララはこの1ヶ月後、10月14日から長い演奏旅行に出る。子供たちの養育費、ロベルトの療養費など自らの手で稼がねばならない。この時の誕生パーティーは旅立つクララへの壮行会と位置づけて良い。幹事はブラームスである。

 

 

2019年9月18日 (水)

とんとご無沙汰

準備期間を含めておよそ3年バロック音楽にどっぷりとつかってきた。だからだと思う。このところピアノ音楽から遠ざかっている。ことバロック音楽に的を絞る限りいたしかたない。

ロマン派作曲家たちによるバロック作品のピアノ編曲くらいしか接点がない。

クララ特集はピアノてんこもりなので、気持ちの切り替えが必要だ。

 

 

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