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    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

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    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

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2018年5月24日 (木)

バロックデュンケル

まずは以下の写真をご覧いただく。

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Weltenburgerの「バロックデュンケル」という品種の説明書きである。なぜ「バロック」なのかは書いていないが、古い製法で作られていることは確か。「6週間岩山の穴倉で」と読める。なるほどなるほど。19世紀にアンモニア冷凍機が発明されるまで、ビール製造は雑菌との戦いだったという。岩山の穴の中で冬に取っておいた氷と共にじっくり貯蔵するという説明をきいたことがある。それがラガーであるという蘊蓄がいつもついて回った。

ヴェルテンブルガー社がビールの醸造所として、ミュンヘンのアンデクスやヴァイヘンシュファンと、ドイツ最古の座を競っていることもあってこのネーミングには説得力を感じてしまう。ここでいうバロックが音楽史的な意味のバロックと整合するかはともかく、少なくともバロック特集のネタとしてなじむ。

2018年5月23日 (水)

ケストリッツァーの住所

先に紹介したアプリでドイツ随一の黒ビールの老舗ケストリッツァーの所在地を調べていて、興味深いことに気付いた。

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ご覧の通りだ。「Heinrich Schuetz Str16」となっている。「ハインリッヒシュッツ通り16番地」くらいの意味だ。記事「シュッツと黒ビール」でも言及した通り、この街は黒ビールと初期バロックの巨匠シュッツが混在する街だ。

発酵中の酵母に「シュッツの合唱曲を聞かせている」くらいの小技は十分期待できる。

2018年5月22日 (火)

ミュンヘナー地獄

昨日紹介したアプリ「All German Beers」で、さっそくお気に入りのシュパーテンを引いてみた。最も好きな品種を検索して日本語表示したらご覧の通り。

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「ミュンヘナー地獄」と出た。「Munchener Hell」の大誤訳だ。19世紀に世界中を席巻し、ドイツビール界に衝撃をもたらしたチェコ・ピルゼンに技術供与をしたとされているシュパーテンは、世界中がピルゼン風を示す「ピルス」の呼称を使っていることに、断固として背を向けて、かたくなに「Hell」で押し通す。「明るい」という意味のドイツ語だ。

先のアプリの日本語表示はこの「Hell」を英語として機械的に訳しているから「地獄」となる。英語は世界に冠たる国際言語なので文句も言えないが人騒がせである。

そういえばアプリのタイトルも英語だ。なんとかならんものか。

2018年5月21日 (月)

All German Beers

ドイツビール好き垂涎のアプリの名前。

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発売中のドイツビール情報が検索できる。アルファベット順のリストにおよそ7000種類収録されている中から検索自在だ。1社が複数アイテムを発売していてもそれぞれにヒットする。ヴァイツェン、ラガーなどなどだ。細かいことだが、それぞれの品種が「上面発酵」なのか「下面発酵」なのかもきちんと書かれている。

醸造所のHPにリンクも貼られているのでそこから醸造所直営レストランやショップ情報に簡単にアクセスできるほか、グーグルマップ上に位置を表示させることもできる。

ご丁寧にタッチ一つで表示を日本語に切り替えることもできる。

2018年5月20日 (日)

プレトリウスのオルガン

Mプレトリウスはバッハの生地アイゼナハと指呼の間にあるクロイツブルクに生まれた。1572年生まれだからバッハに先立つこと113年だ。没したのが1621年。バロック時代は1600年からの150年間とひとまず定義されているから、バロックに先立つルネサンス音楽と初期バロックの継ぎ目付近にいる。バッハ家ほどではないものの、プレトリウス家は多くの音楽家を出した。

彼のオルガン作品を収めたCDを店頭で手に取って、吸い込まれるように入手した。

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思いのほか日本語解説が充実しているのがうれしい。最初からオルガン用として作曲されたわけではなく「場合によってはオルガンも可能」という位置づけの作品を、やっぱりオルガンでという意欲が素晴らしい。

  1. O Lux beata Trinitas おお聖なる三位一体の光
  2. A Solis ortus caine 日出る地平から
  3. Summo Parenti gloria 至上なる父に栄光あれ
  4. Wir Glaeuben all an einen Gott 我ら唯一の神を信じます
  5. Alvus tumesit virginis 乙女マリアの胎に宿れり
  6. Nun lob mein Seel den Herren 今ぞ我が魂、主を讃えん
  7. Christ unser Herr zum Jordan kam 我らが主キリストはヨルダン川に来たり
  8. Te mane laudum carmine 朝には歌をもってあなたを讃え
  9. Vita sancotum 聖なる命が
  10. Ein feste Burg ist unser Gott 神は堅き砦

見ての通りラテン語タイトルが優勢だ。のちのバロック時代にあって隆盛を誇ることになるオルガンコラールの原型がここにある気がする。

2018年5月19日 (土)

シュッツと黒ビール

ハインリッヒ・シュッツはバッハよりちょうど100年前に生まれた初期バロックの作曲家だ。作品は合唱が中心である。

生まれたのはバートケストリッツという街で、大雑把な位置としてはライプチヒの南である。これだけでハハーンとなる人がどれほどいるのか。実はケストリッツァーという黒ビールで名高い醸造所が同地にある。ここは1543年の操業だ。つまりシュッツの生まれる42年前である。

シュッツの父は同地で宿屋を経営していた。今ではシュッツハウスと言われる生家跡は、ケストリッツァーから西に150mくらいの位置。同社が創業の場所から移っていないとするなら、ご近所さんだ。宿屋と醸造所だから取引があったかもしれない。

さらに同醸造所から南に100mのところに聖レオンハルト教会がある。そこでシュッツが洗礼を受けた。

シュッツは、14歳でカッセルの教会の歌手になるまで、同地に住んでいた。才能を見込んでイタリア留学を後援した領主モーリッツ伯の城館も近い。

バロック好きにもビール好きにも大切な街である。

2018年5月18日 (金)

作曲家リューベック

Vincent Luebeck(1654-1740)の姓は、世界遺産都市リューベックとスペリングが一致する。紛らわしいことに、彼の父も息子も「Vincent」を名乗った。パッヘルベルより1年後の生まれで、バッハより31歳年長だ。それなのに没年はバッハより10年早いだけである。つまり長生きだということだ。

ブレーメン近郊に生まれ、少年時代をデンマーク国境に近いフレンスブルクで過ごし、1675年21歳でシュターデのオルガニストに就任したのがキャリアのスタートだ。1702年にはハンブルク聖ニコライ教会のオルガニストになり、生涯その地位にあった。キャリアを見ても、世界遺産都市リューベックとの関係は浮上しないというのがまたややこしい。

バッハが1720年にハンブルクを訪問した際、ラインケンの他、リューベックの演奏も聴いている。

2018年5月17日 (木)

忠敬没後200年

私が日本史上の人物で最も尊敬する人物が伊能忠敬である。実測に基づく最初の日本地図の作成を主導したが、文政元年4月13日74歳でなくなった。これを新暦に直すと1818年5月17日になる。だから今日は没後200年の記念日だ。

ブログ「ブラームスの辞書」カレンダリング上の大問題だった。バッハ没後333年の今年、バロック特集を展開すると、忠敬の没後200年の記念日がその会期内に来てしまう。

やむなく、バロック特集を中断しての言及となる。

2018年5月16日 (水)

ラインケン

ヨハン・アダム・ラインケンは1643年12月10日オランダ生まれの作曲家オルガニストだ。ブクステフーデより6つ年下である。

1663年にハンブルク聖カタリーネン教会のオルガニストに就任し。1718年に退任するまで同職にとどまった。

1722年ハンブルクにて没したのち、リューベックの聖カタリーネン教会に埋葬された。

残された作品は多いとはいえないが、バッハは、ラインケンの作品をいくつか編曲している。何よりもラインケンのオルガンコラール「バビロンの川のほとりで」を若いころに筆写したほか、1720年ハンブルクで、ラインケンの前で「バビロンの川のほとりで」を題材に即興演奏をした。

2018年5月15日 (火)

初降格

先週末のブンデスリーガ1部最終節の結果、HSVのクラブ創設以来初の2部降格が決まった。HSVはHamburgerSportVereinの略号だ。1887年創設の名門ながら、ここ数年はギリギリの残留を繰り返してきたから、降格は時間の問題かとも思っていたが、実際に突き付けられるとさみしい。

これで創設以来一度も2部降格がないのはバイエルンミュンヘンだけということになった。

ザンクトパウリとのハンブルクダービーが2部で実現することになる。

2018年5月14日 (月)

オルガン鑑定

新設または修理したオルガンの性能を検査判定することと「バッハ辞典」に書いてある。同書の内容を要約するとバッハのオルガン鑑定は下記のような特色がある。まずはその手法。

  1. 全ストップを引き出す 引き出すということはパイプに風が流れるということだ。つまり、すべてのパイプの音を出してみるということである。
  2. 出来るだけ多声部で弾いてオルガンの全能力を引き出す。
  3. 「オルガンが丈夫な肺をもっているか確認する」と表現している。

バッハは当代一のオルガニストとして各地のオルガン鑑定に招かれた。自筆鑑定書が残っているのは下記の通りである。鑑定年、場所、オルガン製作者の順で列挙する。

  1. 1711 タウバッハ/N.H.トレープス
  2. 1716 ハレ聖母教会/C.クンチウス
  3. 1716 エアフルト・アウグウティヌス教会/J.Gシュレーダー
  4. 1717 ライプチヒ・パウロ教会/J.シャイベ
  5. 1746 チョルダウ/J.シャイベ
  6. 1746 ナウムブルク・ベンチェラウス教会/Z.ヒルデブランド

バッハ26歳から61歳である。

鑑定自体は20箇所で行われたとされている。その報告の内容を以下に要約する。

  1. 検査内容
  2. 制作契約書と出来映えの比較評価
  3. 簡単に是正可能な欠陥
  4. 是正不可能な大きな欠陥
  5. 制作者への賛辞

整然としていて気持ちがいい。

2018年5月13日 (日)

バッハゆかりのオルガン

バッハが生涯でかかわったか、かかわったと思われるオルガンを整理しておく。

  1. Arnstadt 1703年新教会(現在のバッハ教会)オルガニストに就任。F.ヴェンダー製。
  2. Eisenach 1885年に生まれてから10歳で去るまでSt.Georgkircheのオルガンの音を聴いていたに決まっている。G.C.シュテルツィンク製。
  3. Erfurt 1716年7月31日にアウグスティン教会にてオルガン鑑定。ヨハン・ゲオルク・シュレーター製作。
  4. Gera 1724年6月25日ヨハン・ゲオルク・フィンケ製作のオルガン2基を鑑定。
  5. Halle 1624年4月聖母教会オルガン鑑定。ヨハン・クリストフ・クンツィフ製作。
  6. Hamburg 1720年聖カタリーネン教会にてオルガン演奏。聖ヤコビ教会のオルガニストの地位に興味を示した。
  7. Kassel 1731年9月28日。マルティン教会にてオルガン鑑定と演奏。ドリアントッカータBWV538を演奏したと伝えられる。
  8. Langewiesen 1706年11月28日聖母教会においてヨハン・ゼバスチャン・エアハルト製作のオルガンを鑑定。
  9. Leipzig トマス教会のオルガンは14世紀にすでに存在したことがわかっている。大オルガンは現在88ストップだが、バッハのころは42ストップだったと推定される。小オルガンは1740年に取り壊されるまでに、バッハ本人が演奏した記録がある。1744年には聖ヨハネ教会に建造されたヨハン・シャイペ製のオルガンに転用され、バッハも鑑定に関与したほか、実際に演奏したとされている。聖ニコライ教会のオルガンもバッハがたびたび演奏したことが分かっている。
  10. Luebeck 1705年11月アルンシュタット新教会のオルガニストだったバッハは、リューベックまで430kmをいとわず、当地聖マリア教会のオルガニストだったブクステフーデの演奏を聴くために駆け付けた。大小2つのオルガンがある。
  11. Lueneburg 15歳で当地の聖ミカエル教会の聖歌隊員となったバッハだから32ストップのオルガンを弾いた可能性がある。
  12. Muehlhausen 聖ブラジウス教会のパーペ製オルガン。1709年10月31日にオルガンコラール「神は堅き砦」BWV720を弾いたことが有力視されている。
  13. Naumburg 1746年当地の市教会にヒルデブラントが新造したオルガンを鑑定。
  14. Ohrdruf 両親の死没後、長兄に引き取られた土地。同地の聖ミヒャエル教会のオルガンはパッヘルベルの関与も有力視される由緒正しいもの。
  15. Sangerhauen バッハ関与の確実な証拠はないものの、同地のヤコブ教会のオルガンもまたヒルデブラント製作の名器である。カッセル訪問のついでに立ち寄ったかもしれない。
  16. Stoermtal 1723年トマスカントル就任間もないバッハはライプチヒ近郊の同地の村教会の新造オルガンを鑑定した。
  17. Stoentzsch 1733年当地市教会の鑑定。
  18. Taubach 1710年当地のオルガンを鑑定。
  19. Weimar コンペニウス製作の城館教会のオルガン。

2018年5月12日 (土)

パッヘルベルの職歴

となるとパッヘルベルの職歴も放置できない。

  1. ニュルンベルク 1653年出生。
  2. アルトドルフ 1669年同地の大学在学中に聖ロレンツ教会のオルガニストに就任。
  3. ウィーン 1673年聖シュテファン大聖堂次席オルガン奏者。
  4. アイゼナハ 1677年宮廷オルガン奏者。バッハの父と知り合う。
  5. エアフルト 1678年プレディガー教会オルガン奏者。
  6. シュトゥットガルト 1690年ヴュルテンブルク公国宮廷音楽家宮廷オルガニスト。
  7. ゴータ 1692年マルガレーテ教会オルガン奏者。
  8. オールドルフ 1694年バッハの長兄ヨハン・クリストフの結婚式に参列した。9歳のバッハと会った可能性がある。
  9. ニュルンベルク 1695年聖ゼーバルドゥス教会オルガン奏者。
  10. 1706年ニュルンベルクにて没。

テレマンと同じくバッハの生地アイゼナハに関係があった。バッハ家との親交が深かった。宮廷とも教会とも同じくらい現れる。勤務年数でいうなら教会か。

2018年5月11日 (金)

テレマンの職歴

昨日言及した「聖マリア縛り」で、ブクステフーデの勤務先が「聖マリア教会」ばかりだったと述べた。それがよくある話なのか検証するためにテレマンについてまとめておく。

  1. マクデブルク 1681年出生 バッハより4つ年長だ。
  2. ツェラーフェルト 1694年頃つまり13歳で病気の教師代役で指揮と作曲をしたが、職業とはカウントしにくい。
  3. ライプチヒ 1701年ライプチヒ大学進学。当地のコレギウムムジクムを統率したが、これも職業と言えるか微妙。
  4. ソーラウ(ポーランド) 1704年宮廷楽長。これは職業。
  5. アイゼナハ 1708年宮廷秘書。宮廷礼拝場楽団を統率。ワイマール在勤のバッハと知り合う。同地で結婚したが第一子を授かってまもなく妻と死別。
  6. フランクフルトアムマイン 1712年市音楽監督。パウロ、カタリーナ両教会の教会楽長。
  7. ハンブルク 1721年、ハンブルク市音楽監督兼ヨハネウムカントル。
  8. ハンブルク 1722年、ハンブルク市歌劇場音楽監督。この年ライプチヒトマスカントル就任のオファーを断る。これにより同職位はバッハに。
  9. バイロイト 1726年、宮廷楽長。在ハンブルクのまま勤務。
  10. 1767年ハンブルクにて没。

バッハも縁の深い、アイゼナハやライプチヒと濃いつながりがある。教会とつながりがあるにはあるが、どちらかというと市か宮廷勤務が多い。職務の中に教会の監督が入っている時だけは教会にも関与する形。フランクフルトもハンブルクもだ。「聖マリア縛り」というより「公務員縛り」な感じがする。

2018年5月10日 (木)

聖マリア縛り

昨日の記事「ブクステフーデの職歴」を思い出していただく。

  1. ヘルシンボリ(デンマーク) 1637年出生。
  2. ヘルシンボリ(デンマーク) 1658年聖マリア教会オルガン奏者
  3. ヘルセンゲア(デンマーク) 1660年聖マリア教会オルガン奏者。
  4. リューベック 1667年聖マリア教会オルガン奏者兼ヴェルクマイスター 音楽的な地位としては北ドイツ最高の地位だったとされているが前任者トゥンダーの娘と結婚が条件だったという。ヴェルクマイスターとは書記と財産管理人を合わせたような職務。
  5. リューベック 1707年5月9日同地にて没す。

彼の3つしかない勤務先は全て「聖マリア教会」だ。これだけでも相当な偶然だ。バッハはバラエティに富んでいた。そもそもプロテスタントの地域になぜ「聖マリア教会」があるのか、呑み込めていない。マリアへの崇拝は忌避していたと習った記憶があるからだ。

2018年5月 9日 (水)

ブクステフーデの職歴

先に紹介したバッハの職歴と同じ要領でブクステフーデの職歴を確認しておく。

  1. ヘルシンボリ(デンマーク) 1637年出生。
  2. ヘルシンボリ(デンマーク) 1658年聖マリア教会オルガン奏者
  3. ヘルセンゲア(デンマーク) 1660年聖マリア教会オルガン奏者。
  4. リューベック 1667年聖マリア教会オルガン奏者兼ヴェルクマイスター 前任者トゥンダーの娘と結婚。北ドイツ最高の地位。ヴェルクマイスターとは書記と財産管理人を合わせたような職務。
  5. リューベック 1707年5月9日同地にて没す。今日は命日だ。

マッテゾン、ヘンデル、バッハもリューベックを訪れてブクステフーデの演奏を聴いた。

2018年5月 8日 (火)

音楽の捧げ物

ドイツ語で「Musikalisches Opfer」と綴られる。バッハ晩年に屹立する傑作のひとつだ。1747年バッハはプロイセン国王フリードリヒ2世の前で演奏を披露した。単に演奏を披露しただけではなく、王自ら示した主題を即興で展開して絶賛される。「さらに即興で6声のフーガを」との求めに応じることが出来なかった穴埋めに、後日バッハは王の求め通りの「6声のフーガ」を含む作品群を献呈した。これが「音楽の捧げ物」BWV1079である。

驚くべきことがある。「音楽の捧げ物」BWV1079献呈のキッカケとなった御前演奏の日付だ。1747年5月7日と伝えられている。

5月7日はベートーヴェンにとっても、記念すべき日だ。記事「第九初演」で言及した通り、交響曲第9番がウイーンで初演された日である。

「音楽の父」たるヨハン・セバスチャン・バッハにとっても無視し得ぬ記念日、フリードリヒ2世への拝謁・御前演奏が実現した日なのだ。その2人と並んでドイツ3大Bと称されるブラームスの誕生日は、申すまでも無く5月7日だ。

2018年5月 7日 (月)

あと15年

本ブログ「ブラームスの辞書」は、2033年5月7日のブラームス生誕200年までの毎日継続を目標にしている。あとちょうど15年である。

記事の備蓄は今、2021年1月を埋め終えたところだ。記事の備蓄から見ればあと12年少々だ。

2018年5月 6日 (日)

ぬるい記事を後ろへ

終わったばかりの4月をもって、「バロック特集」会期末2019年8月31日までの記事の備蓄が終わった。毎日更新に必要な本数を確保できたという意味だ。

ところが、この先も記事の探索は続く。ぬるい記事や緩い記事を後に回したり、加筆修正したり、記事の緻密度を上げていくことに費やされる。よりよい記事が後から書ければ、それ以前の記事の中から会期内公開をあきらめる記事が出てくる。

その際の合言葉が「ぬるい記事は後ろに」だ。うれしい悲鳴とセットである。

2018年5月 5日 (土)

GWマルクス

「GW」はゴールデンウィークではない。

1849年16歳のブラームスが「ロシアの思い出」と題するピアノ連弾作品を出版にこぎつけた。このときは本名を名乗らず、「GWマルクス」というペンネームを用いた。なぜこの名前を選んだのだろう。「マルクス」は恩師「マルクセン」に関係があるのだろうか?

今試しに「GWマルクス」でグーグル検索してみるといい。若きブラームスのペンネームなどヒットしたりはしない。資本論で名高いマルクスの「GWの公式」が大量にヒットする。「GWのGはお金、Wは商品云々」だ。「GWマルクス」は「Marks」であり、資本論のマルクスは「Marx」だが、デューデンの苗字辞典には「Marks=Marx」と書いてある。偶然なら相当怖い。

カールマルクスは1818年5月5日生まれだから、生誕200年のメモリアルデー。

迷った末バッハのトマスカントル就任の記事を前日に押しやっての言及だ。

2018年5月 4日 (金)

トマスカントル

1723年5月5日バッハはライプチヒのトマス教会のカントル兼音楽監督に就任した。今から295年前の明日ということになる。この日から1750年7月28日に没するまでその地位にあった。

教会の職務であるから、定期的にカンタータを作曲する義務があったおかげで300を超す作品を書いたとされている反面、純粋な器楽曲は書かれにくくなる。

一方、コレギウムムジクムなど若い音楽家の教育という義務も背負っていたことになり、ツィマーマンのコーヒーハウスを舞台とした演奏活動にもつながっていく。

2018年5月 3日 (木)

バッハ伝とブラームス伝

断りなく「バッハ伝」と言えば、ブラームスの友人フィリップ・シュピッタの著作を指す。19世紀を通じて高揚した音楽学を象徴する功績である。後に続く作曲家研究の学問的手法着眼を確立した功績はまことに大きい。

ベートーヴェンのノッテボーム、ハイドンのポール、モーツアルトのヤーン、ヘンデルのクリュザンダーなどがシュピッタに続くことになる。ブラームスはこうした研究者と親しく交流することで、最先端の研究に深く触れることができた。

一方「ブラームス伝」といえば、20世紀に入って刊行されたカルベックの著作を指すのが一般的だ。

ところが、カルベックは、シュピッタを筆頭とする綺羅星のごとき研究者の一群に算入されていない。これはカルベックの「ブラームス伝」の執筆方針、資料解釈に疑義があることに起因する。全8巻の膨大な著述が、研究書としての位置づけを獲得していないことに他ならない。

思い込みを含めたカルベックの考えに沿うよう、資料の意図的な取捨が行われている。著述には小説然とした大仰な装飾も一部散見される。哲学書を思わせる難解な記述もある。事実の羅列になっていない。かといって正当な仮説の提示というわけでもない。「ブラームス初の伝記」の域を出るものではないという厳しい意見もある。

2018年5月 2日 (水)

バッハの職歴

バッハの職歴を伝記を頼りに整理する。

  1. リューネブルク聖ミカエル教会学校 聖歌隊員 1700-1702 有給のお仕事として最初のもの。15歳だ。
  2. ワイマール公ヨハンエルンストの宮廷楽団ヴァイオリン奏者 1703
  3. アルンシュタット新教会 オルガン奏者 1703-07
  4. ミュールハウゼン 聖ブラジウス教会 オルガン奏者 1707-1708
  5. ワイマール公ヨハンエルンストの宮廷楽団音楽家兼宮廷オルガン奏者 1708-1717
  6. ケーテンの宮廷楽長 1718-1723
  7. ライプチヒトマス教会カントル 1723-1750
  8. ザクセン選帝侯国宮廷作曲家 1733-1750
おそらく以上だ。応募して落選した場合はもちろん合格しながら辞退したケースも含まれていない。中部ドイツの狭いエリアを離れていない。

2018年5月 1日 (火)

支持基盤

1863年5月1日、故郷で休暇を過ごすブラームスの元に、ウィーンから便りが届いた。ウィーンジンクアカデミーの音楽監督就任のオファーだ。前年秋にウィーン進出を果たしたとは言え、定住までは考えていないという微妙な時期だったが、熟考の末これを受諾した。

ジンクアカデミー側にも微妙な空気が充満していた。ブラームスの招聘は39対38で際どく可決された案件だった。ブラームスの支持基盤は万全ではなかったということだ。

11月15日の初コンサートはバッハのカンタータ21番を取り上げ歴史的名演としたほか、クラリスマスオラトリオのウィーン初演も成し遂げたが、バッハ偏重のプログラミングには、水面下でブーイングもあったという。

翌1864年4月までのシーズンを終え、契約の延長の段になると、前年の1票差とは打って変わって、満場一致でブラームスの再任が可決されたが、今度はブラームスの側が契約の延長に同意しなかった。音楽以外のもろもろに嫌気が差したと解されている。

支持基盤の弱い指導者の座は、居心地が悪いということだ。丸3年は続いたハンブルク女声合唱団とは対照的だ。

2018年4月30日 (月)

バロック特集総集編②

第2ピリオド3月4月分の総集編をお送りする。
  1. 03月02日 華麗なる脱線
  2. 03月03日 ヴィヴァルディボックス
  3. 03月04日 生誕340年
  4. 03月05日 ヴィヴァルディ伝
  5. 03月06日 ビバルディ伝
  6. 03月07日 研究対象
  7. 03月08日 次男の誕生日
  8. 03月09日 利き手
  9. 03月10日 父として
  10. 03月11日 3大宗教作品
  11. 03月12日 バッハのエコバッグ
  12. 03月13日 カロリーナアウグスタ
  13. 03月14日 出産予定日
  14. 03月15日 ビオンディ
  15. 03月16日 アレサンンドリーニ
  16. 03月18日 バッハマニア
  17. 03月19日 レーガー
  18. 03月20日 グルミアウクス
  19. 03月21日 生誕333年
  20. 03月22日 春分の日
  21. 03月23日 バロックの紀元前
  22. 03月24日 会期確定
  23. 03月25日 企画のアレンジ
  24. 03月26日 会期20ヶ月の効能
  25. 03月27日 会期延長の真の狙い
  26. 03月28日 閉店バーゲン 
  27. 03月29日 春の野に出でて若菜摘む
  28. 03月30日 マタイ受難曲
  29. 03月31日 コンプトゥス
  30. 04月02日 備蓄1000本の回復
  31. 04月03日 ルターと賛美歌
  32. 04月04日  二次会の会場
  33. 04月06日 モテット
  34. 04月07日 コラールカンタータ
  35. 04月08日 宗教改革500年記念CD
  36. 04月09日 ドイツレクイエムの源流
  37. 04月19日 テキストの出所
  38. 04月20日 テキストとしての聖書
  39. 04月21日 復活の回避
  40. 04月22日 数合わせとしての「45」
  41. 04月23日 テキストの一致
  42. 04月24日 個体識別のツール
  43. 04月25日 はたして逸脱か
  44. 04月26日 本質への手順
  45. 04月27日 ルター由来のテキスト
  46. 04月28日 Mプレトリウス
  47. 04月29日  平成を送る企画
  48. 04月30日 本日のこの記事。

全61日中48本にとどまった。

2018年4月29日 (日)

平成を送る企画

私自身の結婚は平成2年だった。子供たちはみな平成生まれだ。我が家の歩みは平成とともにあった。ブログ「ブラームスの辞書」立ち上げは平成17年だった。我が家の歩みを振り返ることはそのまま平成を振り返ることに等しい。

ブログ「ブラームスの辞書」、史上最大の企画「バロック特集」を決意したのは2016年の秋だった。意図的な記事の備蓄がこのときに始まった一方で、陛下の生前退位の日程はまだ、決まっていなかった。

「バロック特集」を2018年元日開幕の会期1年と定めていたのだが、記事の膨張で1年という区切りのいい会期で収まらなくなった時から、企画の落としどころをあれこれ考えていた昨年12月1日、生前退位日が決まった。このとき少なくとも平成最後の日までは、バロック特集を敷き詰めることと決めた。

平成最後の日々をカウントダウンしながら、バロック特集の記事を積み上げることとする。

2018年4月28日 (土)

Mプレトリウス

Mプレトリウスは、1571年生まれだから、バッハより114年前のお生まれ。カンタータに作曲の重心がある。このほどすごいCDを入手した。

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ルター作の賛美歌が、バッハとプレトリウスで比較できるというコンセプトだ。対象の賛美歌は以下の通りだ。

  1. Ach,Gott vom Himmel sie'darein
  2. Mitten wir im Leben sind
  3. Allein zu dir Herr Jesu Christ
  4. Criste der du bist Tag und Licht
  5. O wir armes Suender unser Missetat
  6. Kompt her zu mir spricht Gottes Sohn
  7. Aus tiefer Not Schrey ich zu dir
  8. Mit Fried und Freud ich fahr dahin

うれしいのは上記8番だ。ブラームスのモテットop74-1のフィナーレと一致する。バッハのBWV123と合わせて、同一賛美歌をバッハ、プレトリウス、ブラームスの三者で比較できる。

2018年4月27日 (金)

ルター由来のテキスト

ブラームスの声楽作品の中で、テキストがルター由来であるものはモテットop74-1の第4曲「Mit friet und freud ich fahr dahin」たった一つだ。ルター訳の聖書からはたくさん採用しているのだが、ルター作品の引用は希少だ。

同コラールは、バッハとパッヘルベルのオルガンコラールがある。BWV616とP396だ。

さらにカンタータ125BWV125が、同コラールを基盤に据えたコラールカンタータになっている。ブラームスのモテットop74-1と直接比較が可能だ。

パッヘルベルに声楽作品はないが、ブクステフーデのBuxWV76が、同コラールに準拠する。

2018年4月26日 (木)

本質への手順

ブログ「ブラームスの辞書」では、「バロック特集」が、ブラームスに直接関係のない記事を連発することを「脱線」あるいは「逸脱」と称して、ささやかな言い訳を発信してきた。

4月に入って「ドイツレクイエム初演150周年」記念の記事を発するにも、これを「バロックネタの空白」と位置付けた。ところが、ドイツレクイエムがルターの独訳聖書からテキストを採用していたり、前期バロックの作曲家たちの作品中に、共通のテキストを見出すに至って、少し考えが変わってきている。

ブラームスの視線は、バッハからゆうに100年は遡る前期バロックはもちろん、さらに70年以上さかのぼるルターを見据えているという確かな手ごたえを感じているからだ。

「逸脱」「脱線」どころか、むしろ「本質に迫るための正当な手順」とさえ思える。こちらの予備知識を、バロックあるいはルネサンス音楽への拡大することで、ブラームスを聴くために必要な広大な裾野が眼前に現れ始めている。

2018年4月25日 (水)

はたして逸脱か

ドイツレクイエム初演150周年記念の記事を発信するにあたって、「バロック特集を中断して」と表現した。ところが、ドイツレクイエムの周辺情報を収集するうちに、風向きが変わってきた。

ブラームスの脳裏にバッハよりもさらにさかのぼるドイツ教会音楽の下地があり、その上にドイツレクイエムが構築されたと考えざるを得ない。

むしろバロック特集の期間中に「ドイツレクイエム初演150年」が来て、そこで関連記事を発信できることは、この上ない僥倖と感じる。これがハンガリア舞曲や交響曲だったらそうは感じない。この偶然を喜々として受け入れるべきだ。

信仰篤い人なら、「神のお導き」と受けとめるだろう。

«個体識別のツール

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ブラームスの辞書写真集

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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