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2023年9月22日 (金)

自律と他律

「ブラームスの辞書」はブログも書籍も、管理人であり著者である私の、精神作業の果実である。形にするために少々の単純作業が付随している。コンセプトを先に定め、自らそれに従った結果である。生かすも殺すも生みの親である私の匙加減次第だ。

ところが、どうも最近その枠組みが変だ。

特にブログだ。管理人の私自身が制定した決まりなのに、私自身の生活がその決まりを中心に回り始めている。

  1. 毎日1本記事を公開する。
  2. ブラームスネタに絞る。
  3. 2033年5月7日まで継続する。

これを実現するために毎日頭をひねっている。根が好きなので苦労とは感じないが、自分の作った決まりに、操られている感じがし始めている。

2023年9月21日 (木)

お騒がせベルリオーズ

「基本はバッハ」という本の18ページに悩ましい記述がある。バッハの3台のチェンバロのための協奏曲」を聴いたベルリオーズの感想が載っている。原文のまま引用する。

「この滑稽で愚にもつかない讃美歌を再生するために、情熱に燃え、若さにみちあふれる3人の賞賛すべき才人が結束する姿をみるのは、まさに胸痛む思いだった」

まずは若干の補足をする。「この滑稽で愚にもつかない讃美歌」とは「3台のチェンバロのための協奏曲」を指しているとみて間違いあるまい。ベルリオーズは明らかにこの作品を評価していない。「大した曲じゃないのに、このメンバーに苦労させるのはもったいない」というスタンスと見受ける。ベルリオーズの感想を深読みすると、「3人の結束」そのものは褒めていると感じる。何が悩ましいかを以下に列挙する。

  1. 3台のチェンバロのための協奏曲はニ短調とハ長調の2曲あるが、そのどちらなのかわからない。
  2. いつの演奏なのか不明。
  3. どこで演奏されたのかも不明。
  4. 指揮者もいたのかいないのかも不明。

素晴らしいこともひとつある。「才人」と言われた3名がわかっている。なんとなんとショパン、リスト、ヒラーという3名だ。あのショパンとあのリストだ。すごいメンツである。あろうことか指揮がメンデルスゾーンだった可能性も排除しきれない。ヒラーの代わりにクララシューマンだったらと妄想が膨らむが、聴衆の側にシューマン夫妻がいたかもしれないと考える。書かれていないがチェンバロではなくピアノで演奏されたことは確実である。

独奏チェンバロが何台なのかは別として、楽器が別の独奏楽器による協奏曲をチェンバロ用に編曲したということは明確で、研究者の手によってほぼ元の独奏楽器が特定されていることが多いのだが、この3台のチェンバロのための協奏曲だけは定説がない。とくにニ短調の方が難解で、演奏するさいのバランスが難しいという。ベルリオーズのダメ出しからニ短調の方でなかったかと想像する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年9月20日 (水)

どこがやねん

学生時代最後の演奏会で、マーラーの第五交響曲を演奏した。演目決定の時から波乱ぶくみだったが、やってみてからも大変だった。フィナーレでチェロが一人走り出す主題のところが、マーラーのバッハ研究の云々という話が付いて回る。当時はふむふむという感じだったが今では「どこがやねん」という感覚だ。

19世紀末に音楽的教育を受けたドイツ語圏の作曲家として、一定の影響はあるに決まっているが、特定の作品の一部を表面的に取り上げて作風の反映と短絡させるべきではなかろう。

良しあし抜きの作品への反映という意味ならブラームスの足元にも及ぶまい。

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セバスチャン閣下もお怒りだ。

 

2023年9月19日 (火)

敬老の日に

昨日は敬老の日だった。満88歳で迎える敬老の日とあって、市や町内会からお祝いも届いた。我が家は毎年ケーキなのだが、やはり88歳という区切りとあって、記念の品を贈った。

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赤いコーヒーカップ。毎朝必ずコーヒーを飲む母にと選んだ。こう見えて笠間焼である。100歳まで使ってもらう。

2023年9月18日 (月)

コラールの淵源

1523年ルターは友人への手紙で「信仰を助けるための歌の重要性」を説いて、賛美歌集の出版に協力を求めた。今から500年前のことだ。これが実を結ぶのが1524年である。

1524年とはマルティン・ルターによる賛美歌集が刊行を指す。1517年の宗教改革から7年後だ。従来賛美歌は美しいけれど複雑で訓練された聖歌隊が歌うものだった。これを平易なドイツ語に転写するとともにシンプルに編曲して大衆に開放した。7年後その集大成として刊行したということだ。現在もなお通用する多くの賛美歌群で、ルター自身の作品も多く含む。刊行の時点ですでに知られていた旋律もあるから、旋律の起源としてはもっとさかのぼるものもあるがドイツ初の賛美歌集の出版はルターの功績とみていい。

コラールの音取りとしてのオルガンの関与がここから始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年9月17日 (日)

変奏曲の伝統

新しいCDプレイヤーがきっかけで、オルガン作品に親しんでいる。オルガン作品のうちキリスト教と関係がないものがオルガン自由曲と呼ばれる一方で、プロテスタントの讃美歌が題材に取られるケースにもおびただしい実例がある。

庶民の信仰を助けるために音楽の力、とりわけ歌を重用したルター。彼に起因するかなりな数のコラール。カトリックにおいては専門家による歌唱が常識だった賛美歌を庶民に開放する過程でおきた「簡素化」「一般化」がコラールの起源であること周知の通りだ。一旦「簡素化」「一般化」が行われたコラールを素材に。オルガンによる音取り装飾を目的としたコラール前奏曲という段階。賛美歌をコラールにする手続きを第一段階とするなら、こちらは第二段階だ。さらにはそのコラールを元に華麗な変奏を紡ぎ出すというコラール変奏曲まで続く。

それらどれもが変奏と感じる。古典派、ロマン派と時代が下るにしたがって、変奏作品は全欧州に拡大するが、元はコラールのいじくりまわしに端を発しているのではないかと感じる。

ブラームスを変奏の大家と評価することはすなわち、プロテスタント伝統のコラール変奏の継承者という位置づけの再確認に等しい・・・のではないか。

 

 

2023年9月16日 (土)

風の送り手

オルガンのパイプに風を送る職人のことをカルカントといった。ドイツ語で「Kalkant」と綴る。さしずめ「ふいご職人」といったところか。踏みっぱが壮麗であるといってもカルカントたちがきっちりと風を送っていればこその話だ。シュニットガーなどの歴史的なオルガンも現在では電動で風を送る。

風の送り方が下手だとオルガンの鳴りに影響するらしい。弦楽器でいうならボウイングにも相当する重要な位置づけが、演奏家とは別人格だということである。バッハには専属のカルカントがいたと言われている。ストップの操作はアシスタントだということを思うと、両手と足を総動員して直足らずにカルカントとアシスタントが要るという豪勢な楽器である。

オーケストラの次に人手がかかると言っていい。

 

 

 

 

2023年9月15日 (金)

2個イチは南方系か

バッハ風の「2個イチ」型がブクステフーデに出現しない現象について、議論を深めるためにパッヘルベルで調べてみた。我が家所有のCDのブックレットを頼りにあたる。下記の通り「2個イチ」型が発見できた。

  1. 前奏曲とフーガ ハ短調
  2. 前奏曲とフーガ ホ短調
  3. 前奏曲とフーガ ト長調
  4. 幻想曲とフーガ イ短調
  5. トッカータとフーガ 変ロ長調
  6. トッカータとフーガ ハ長調
  7. トッカータとフーガ ヘ長調

パッヘルベルはブクステフーデより14歳年下だが、没年は1年違いで、活躍した時代は重なっている。バッハよりざっと半世紀遡る。2個イチ型の不存在は時代の違いとは言えない。

2個イチ不存在は地域の特色だという可能性もある。もっとサンプルが欲しい。

2023年9月14日 (木)

フーガ包含型

ブクステフーデのオルガン作品にバッハ風の「2個イチ」型が見つからないと書いた。ところが、ブクステフーデの「前奏曲」の内部を調べると「フーガ」が出て来る。

前奏曲やトッカータの内部に「フーガ」に相当する箇所が混入しているということだ。異なるエピソードを挟んで「フーガ」が2回出て来ることもある。バッハの「2個イチ」型の後半が必ず「フーガ」であることから「フーガ」を聴かせることが目的と推測したが、「フーガ」を必ず聴かせるという意味ではブクステフーデも同じだった。

2023年9月13日 (水)

2個イチの起源

バッハのオルガン自由曲には2曲一組を標榜するものが多い。「前奏曲とフーガ」「トッカータとフーガ」「幻想曲とフーガ」などなど。どれにも「フーガ」が入っている。「フーガ」を聴かせることが目的で、その前に「前奏曲」「トッカータ」「幻想曲」が置かれると申していい。

ところがだ。ブクステフーデのオルガン自由曲41曲には、このパターンが1曲もない。

  1. Prelude 21曲
  2. Toccata 5曲
  3. Ciaccona 2曲
  4. Passacaglia 1曲
  5. Canzona  4曲
  6. Canzonetta 5曲
  7. Fuge 3曲

以上だ。

ブクステフーデの作品は自筆譜が残されておらず、すべて他人の筆写譜による伝承だ。我々の眼前に残された作品は幸運の賜物だ。散逸した作品の中に、「前奏曲とフーガ」があったこもしれないから断言にはなお慎重を要する。偶然の産物であるなら、なぜ、バッハ型2個イチが偶然1つくらいは残ってもよさそうなものだ。筆写するに足る優秀な作品が「2個イチ型」にはなかったということか。

2023年9月12日 (火)

バスケットボール大国

一昨日、バスケットボールのワールドカップでドイツ代表が初優勝した。準決勝でアメリカ、決勝でセルビアを破っての堂々たる戴冠だ。サッカーとバスケット両方に優勝経験があるのは過去3か国。アルゼンチン、ブラジル、スペインそして今回ドイツだ。野球のWBCも加えた3種目となると、全部制覇を経験した国はない。アルゼンチン、ブラジル、スペインそしてドイツも野球が優勝できていない。アメリカはサッカーで優勝できていない。日本はサッカーとバスケで優勝がない。このトリプルクラウンはかなり難しい。

バスケ戴冠の同じ日、サッカーのドイツ代表はテストマッチながら日本代表にホームで敗れて、監督が更迭された。4度のワールドカップ優勝も過去の話。ここ2大会グループリーグを突破出来ていないことも逆風だ。

バスケ準決勝でドイツに敗れたアメリカの監督が「1992年とは違う」と言っていた。バルセロナオリンピックでのマイケルジョーダン率いるドリームチームの圧勝を指しているコメントだ。意訳すると「栄枯盛衰」と言いたいのだ。

 

 

 

 

 

2023年9月11日 (月)

BuxWV158

ブクステフーデのオルガン自由曲「Prelude Amoll」を指す。

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似ている。

バッハのオルガン作品の代表作「トッカータとフーガニ短調BWV565」に出だしの雰囲気が似ている。

実演では冒頭の「E」音に、トリルがかかっているせいもある。

 

 

 

 

2023年9月10日 (日)

収載の選択基準

音楽系書物の代表格が、名曲解説である。大作曲家たるもの自作の解説だけで、分厚い1冊になる。これをもって大作曲家と定義したいくらいだ。残した曲数が多くても、それらが名曲認定されていないとお話にならない。

悩ましいのは、バッハの作品であっても、名曲解説全集に収載されないものもあるということだ。アランさんの「バッハオルガン作品全集」のブックレットがありがたいのは、バッハのオルガン作品すべてについて言及があることだ。音楽系出版最大手の「作曲家別名曲解説ライブラリー」のバッハに収載されているオルガン作品は限られている。オルガン自由曲のうち同書に収載されている作品を以下に列挙する。

  1. BWV532 前奏曲とフーガニ長調
  2. BWV538 いわゆる「ドリアントッカータ」
  3. BWV540 いわゆる「踏みっぱ大王」
  4. BWV542 いわゆる「大フーガ」
  5. BWV543 いわゆる「シシリアン」
  6. BWV547 いわゆる「ブラ2」
  7. BWV548 いわゆる「くさび」
  8. BWV552 いわゆる「聖アン」
  9. BWV564 いわゆる「全三音」 
  10. BWV565 トッカータとフーガニ短調
  11. BWV578 小フート短調
  12. BWV582 パッサカリアハ短調
  13. BWV588 カンツォナ
  14. BWV589 アラブレヴェ
  15. BWV590 パストラーレヘ長調

以上15種類が名曲認定されている。どういう基準なのか大変興味深い。

 

 

 

 

 

 

 

2023年9月 9日 (土)

残響実感

念願かなって取り揃えたCDプレーヤーの話。オルガン作品の再生で目から鱗、いや耳から鱗が数枚落ちた。言葉で表すのは難しいと申してきたが、ヒントとなる現象に気付いた。

オルガン作品のエンディングで、和音が全力で鳴らされる。まさに音圧というにふさわしいのだが、その直後も聞き逃すまい。オルガニストが鍵盤から手を放した瞬間からしばらく、空間に音が残る。この度買い求めたプレイヤーで再生すると、空間を満たすこの音がやけに鮮明なのだ。

文字通り「残響」だ。残響が途切れるまでが音楽なのだと心から実感する。

オルガン以外のジャンルではあまり実感できない感覚。

幸せだ。

2023年9月 8日 (金)

5度犠牲

16世紀初頭に考案されたオルガンの調律法にミーントーンがある。この調律法の特色を一言で申すなら「5度犠牲」とでもしておきたい。Gis音とEs音で生じる耐えがたい不協和音が「ヴォルフ」と呼ばれて恐れられていること周知の通りである。「ヴォルフ」を筆頭に、さまざまな制約もありながらも、シャープ、フラットとも2個以内なら長短どちらも美しいというメリットもあり重宝されてきたという。
ミーントーン調律法が5度の響きを犠牲にしてまで守ろうとしたものは何か。
それは「3度」である。

2023年9月 7日 (木)

全三音跳躍

「全三音」とは、増4度または減5度のこと。かなりインパクトのある不協和で、古来「悪魔の音程」と言われてきた。バーンスタインのウエストサイドストーリーにちょくちょく出てきた。ジャズっぽい感じを手軽に付与できる面もある。
BWV564のトッカータ、アダージョとフーガはお気に入りだ。名高い「トッカータとフーガのニ短調」BWV565の一つ前にひっそりと言うには、あまりに華麗だ。「トッカータ」「アダージョ」「フーガ」といういわば3楽章構成。その冒頭に全三音の跳躍がある。20190321_161151
赤枠で囲んだ部分。HからFへのジャンプだ。同型が反復される2回目は、GからEの6度になっているからとりわけ目立つ。はっとさせられる。そーとーおしゃれに聞こえる。

2023年9月 6日 (水)

本人不在の誕生日

次女が巣立って初めての誕生日。

いつもならケーキやプレゼントをそろえて待つのだが、勝手が違う。口には出さぬがみんなさびしく思っている。これが嫁に出すということだ。

2023年9月 5日 (火)

ドラドラ

麻雀の話ではない。BWV575ハ短調フーガにささげた私的ニックネーム。

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これが作品の冒頭だ。ニックネームの由来は赤枠で囲っておいた。そりゃあ調号としてフラット3個が奉られて、結尾ではハ長調の主和音が鳴る。だからハ短調と解されて疑われないのだとは思う。でもこの出だしはスリリングだ。フーガの主題として異例。響きが独特。BWV番号的に名高い「小フーガト短調」の3つ前にひっそり置かれているが、魅力的だ。

 

2023年9月 4日 (月)

嫁にやるということ

一昨日、甥っこの結婚式に行ってきた。結婚のため我が家を巣立った娘2人と久々の再会となった。都心ながら絶好のロケーションを楽しんだ。最大の衝撃は、挙式披露宴に先立つ親族紹介の場面でやってきた。

新郎が身内を次々に紹介してゆく。血縁の濃い順に紹介がすすみ、新郎の伯父にあたる私の後、従姉妹にあたる我が家の娘たち番になった。我が家の苗字で呼ばれなかった。

ああ。

嫁にやるとはこういうことか。当の娘らは、そう紹介されても微動だにせず笑顔で会釈している。

 

2023年9月 3日 (日)

テンポ表示としての拍子

BWV540ヘ長調のお話。大好きな作品だけに、基本的な疑問がある。
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なぜ8分の3拍子なのだろう。音価が2倍に延ばされた4分の3拍子でもよさそうなものだ。あるいは2小節一組として8分の6拍子でもいいのではないか。オルガン作品においては珍しい拍子だ。
この音楽に8分の3拍子を採用したバッハの脳内基準は何だろう。作品冒頭に発想記号も、ダイナミクス表示もない。この作品に向き合うオルガニストの注意は、フラット1個の調号と、8分の3拍子、そして楽譜1ページ目に横たわるペダル踏みっぱに向けられるに違いない。繰り広げられる楽想は左右の手による精密なカノンだ。16分音符の織り成す刺繍のよう。譜面づらによるテンポ指定ではないのか。16分音符の連続により譜面が黒っぽくなるという視覚効果とともに遅く弾かれることを戒める意味が、この8分の3拍子にありはしないか。

2023年9月 2日 (土)

両足踏みっぱ

記事「踏みっぱ大王」で、BWV540の特異なペダル使用について嬉々として言及した。その周辺を調べていたらお宝に遭遇した。プレリュードト長調BWV568だ。

 

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赤枠で囲んだ3小節間、ペダルのパートがオクターブの「C」音の伸ばしだ。赤枠の始まるのが23小節目である。これまさか片足ではあるまいな。つま先とかかとを用いてとか、特殊なシューズでとか。見ると24小節目からト音記号のところを両手で弾くように見える。音域が離れていて、左手がオクターブ伸ばしの上と旋律の下を弾くにも無理がありそう。

おおっとうなっているとさらに36小節目からは以下の通りの「H音」のオクターブ。

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足鍵盤と左手だ。よくよく見ると左手はト音記号部分の下の旋律を弾いているに違いない。今度は音域が近くて何とかなる。

バッハはこの両者を書き分けている。CDを聴くと両足オクターブの部分の響きが深い。

さしてメジャーではない作品だがとても丁寧で可憐だ。

 

 

 

 

 

 

2023年9月 1日 (金)

踏みっぱ大王

オルゲルプンクトの最長不倒はどの作品だろうと探してみた。おそらくトッカータとフーガヘ長調BWV540に違いあるまい。

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冒頭から54節間F音の踏みっ放しを赤線で示した。それだけではない。青線はその後26小節間のペダルソロ。じつはページをめくると今度は属音Cを54小節間踏みっぱである。

すさまじいまでの効果だ。

念願のCDプレイヤーで聴くとこれがまたすごいのだ。

 

2023年8月31日 (木)

8月終わる

5日に次女が我が家を巣立ってから25日たった。その間次女の部屋跡地マイルーム化周辺の話題に終始した。台風やら線状降水帯やらで大変な報道が相次ぐ中ではあったが我が家はほぼ平常通りの暑い夏を過ごした。

なんといってもCDプレイヤーの購入のおかげだ。所有CDすべてをもう一度聴き直したくなる衝動に駆られている。

残りの人生に音楽とブログは欠かせぬと再確認ができた8月であった。

 

2023年8月30日 (水)

まさかのオルガン

マイルーム取得計画の根幹として念願のCDプレイヤーを買い求めて、所有するCDを片っ端から聴き直している中、思わぬ収穫に打ち震えている。

それがオルガンだ。オルガン作品のCDを再生して唖然とした。よく鳴るのだ。期待以上。

こりゃたまらんとばかりにあれこれ聴き直している。言葉でうまく説明できないのがもどかしい。オルガン特有の音圧が克明に再現されるとでも申すのが関の山だ。

ほぼバッハを聴くことに等しい。やはりバッハだ。

2023年8月29日 (火)

ブログ開設6666日

本日この記事をもって、ブログ開設から連続記事更新が6666日となった。毎度毎度の区切り記事で恐縮だが、やはり節目は祝っておきたい性格だ。ブラームス生誕200年のゴールまであと3586日。今やたったそれだけかという感覚だ。備蓄記事が200本少々あるので、記事をひねり出すのもあと3000本少々でいいことになる。今まで公開した記事の半数でいいのだ。

 

2023年8月28日 (月)

次女の里帰り

結婚のため我が家を巣立って3週間。一昨日次女が戻ってきた。引っ越しの積み忘れを取りに来るという名目だが、そんなことはどうでもよろしい。さびしくて青息吐息だった母は数日前からいきいきと準備をして待った。

土産話が尽きない。ほぼ主婦同士の会話になっている。

話だけで腹いっぱいの1泊2日だった。

2023年8月27日 (日)

香十徳

北宋の詩人・黄庭堅がお香の功徳を詩にしている。

  1. 感覚鬼神 感覚が研ぎ澄まされる。
  2. 清浄心身 心身を清浄にする。
  3. 能除汚穢 穢れを除く。
  4. 能覚睡眠 眠気を覚ます。
  5. 静中成友 心をいやす。
  6. 塵裡愉閑 忙しいときに寛ぐ。
  7. 多而不厭 多くても邪魔にならない。
  8. 寡而為足 少なくても香る。
  9. 久蔵不朽 保存が利く。
  10. 常用無障 続けて用いても無害。

お香の効能を漢字40文字で言い表している。四文字熟語10個という見た目の美しさが際立つ。お香の功徳はもちろんだが、漢字の機能性まで明らかとなる。

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昔の人の知恵の結晶たる10箇条ではあるのだが、今あえて私が1つだけ加えたい。それは「お香が音楽鑑賞を邪魔しない」ことだ。

2023年8月26日 (土)

香を焚く生活

次女の部屋跡地マイルーム計画の根幹が音楽鑑賞環境の充実にあることは既に述べてきた。「部屋に物が少ない」をコンセプトに徐々に進行中だ。このうち無視できぬ要素が「お香」だ。子供たちは「煙たい」などとネガティブだったが、マイルームになれば遠慮はいらぬとばかりに、工夫にも熱が入る。

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まずは掛け香。ドアノブに掛けるだけ。畳のヘリの生地を袋状に縫った中にお香が入っている。場所を取らぬ工夫ということだ。

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こちらはにおい袋。

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こちらはオーソドックスな線香。気分でさまざまなヴァリエーションがある。

もっとも大事なこと。お気づきだろうか。お香はリモートにはなじまない。音声や画像は「Zoom」など昨今のリモート系ソフトで遠隔でも共有が可能だが、香りはどうにもならぬ、言葉で説明も出来ぬ。

同じお香を焚いても、その日の気候やこちらのコンディションで微妙に味わいが変わる。合成香料を慎重に回避して天然ものに特化すれば、楽しみは無限だ。

2023年8月25日 (金)

サポーター語尾

サッカーチームを応援する人たちをサポーターと呼ぶ。応援するチームによってサポーターに名前が付けられているケースがある。

イタリア一部リーグのACミランのサポーターは「ミラニスタ」と呼ばれている。都市の名前である「Milan」に「-ista」が加えられたのだ。つまり「-ista」がサポーター語尾である。同じミラノを本拠とする有力チームインターミランのサポーターは「インテリスタ」と呼ばれる。「Inter」を語幹に据えて「-ista」を加えたことは明らかだ。これがユベントスになると「Juventino」になるというから、その場合のサポーター語尾は「-ino」だ。アンダンティーノでおなじみだ。どんなサポーター語尾が付くかは、語幹によって決まるのだと思う。

  1. -ista
  2. -ino
  3. -ist
  4. -ian
  5. -er
  6. -っ子

作曲家の熱烈なサポーターも同様の手法で表される時がある。ワグネリアン、シューベルティアン、モーツアルティアンの類だ。さて当然の疑問。語幹がブラームスだったらどうなるのだろうか。

  1. ブラームシスタ
  2. ブラムジーノ
  3. ブラームシスト
  4. ブラームジアン
  5. ブラームサー
  6. ブラームスッ子

ドイツ語でこの手の言い回しはあるのか知らないが、この中のどれかで違和感が無い。素朴な疑問。ドヴォルザークやバッハ、果ては源実朝はどうするのだろう。

2023年8月24日 (木)

もっと知りたい

記事のネタ探しはしばらくは続く。けれども悲観はしていない。私自身の心の中に「もっとブラームスを知りたい」という気持ちがある限り大丈夫だ。

ブログの方針として「ブラームスネタ限定」を標榜しているが、このところ風向きが変わってきている。「ブラームス限定」を無闇に厳格に考えるより、視野が広がる。それが結果としてブラームスへの理解を深めることに通じると感じる。ベートーヴェンはもちろんそれが源実朝であってもだ。

知識の裾野を拡大することで一層ブラームスが浮かび上がる。私はもっともっとブラームスを知りたい。

 

 

 

«偶然の導き

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ブラームスの辞書写真集

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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