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2020年4月 6日 (月)

令和百人一首48

【095】西郷隆盛

 二つ無き道の好みを捨て小舟波立たばとて風吹かばとて

【096】勝海舟

 濡れ衣を干そうともせず子供らがなすがまにまに果てし君かな

【コメント】西郷隆盛は薩摩の下級士族の出。島津斉彬に抜擢された。江戸無血開城の片方の当事者。征韓論争に破れて下野し、西南戦争を主導したが破れて自刃。本作は辞世と伝えられる。意味上の切れ目と五七五七七の切れ目がずれるシンコペーション「2.5句切れ」かと。そして相棒は無血開城のもう片方の当事者・勝海舟だ。江戸に生まれるも海軍伝習所に入り長崎で5年過ごす。1860年日米修好通商条約締結の批准書交付のため渡米。本作は交渉相手隆盛への挽歌。鹿児島の西郷隆盛の墓の傍らに歌碑がある。

無血開城歌合せ。

2020年4月 5日 (日)

令和百人一首47

【093】和宮親子内親王

 着るとても甲斐無かりける唐衣綾も錦も君ありてこそ

【094】上田秋成

 宮の内は男をみなも白妙の衣ゆゆしみ夏立ちにけり

【コメント】和宮親子内親王は「かずのみやちかこないしんのう」とお読みする。日本史的にはもっぱら「皇女和宮」と呼び習わされている。仁孝天皇の第八皇女として生まれ、井伊直弼の公武合体政策により14歳で将軍家茂に嫁す。さまざまな困難にあったが夫婦仲だけは円満だったとされる。夫家茂は長州征伐のための大阪在陣中に急死。本作は上方土産にと約束した西陣の晴れ着が届いた折に詠んだもの。「晴れやかな衣装もあなた様あってこそです」と嘆く。以降落飾して静寛院と号した彼女の功績はまことに大きい。15代将軍慶喜の謝罪を皇室に取り次ぐという出色の役割をこなした。

上田秋成は大阪の遊郭で私生児として生まれ、豪商の養子となった。以降、医者、文筆家として経歴を重ねる才人。本作は宮中の衣替えの歌だ。男も女もホワイト系の服になったことで夏の到来を実感するというもの。原因の「み」ですなんぞ、こざかしい理屈を振り回すのもはばかられる。「衣ゆゆしみ」の語感で勝負ありな気がする。ゆったりと飄々と、あくせくせずにするりと心に入りこむ。意外なことに小倉百人一首の持統天皇御製「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山」の本歌取りとされる。

だから「衣歌合わせ」だ。

 

 

2020年4月 4日 (土)

令和百人一首46

【091】井伊直弼

 近江の海磯打つ波の幾たびか御世に心を砕きぬるかも

【092】宗良親王

 諏訪の海や氷の上は霞めどもなほ打ち出でぬ春の白波

【コメント】井伊直弼は彦根藩15代藩主。幕末争乱期に大老に就任。日本を開国に導く一方、安政の大獄など攘夷派を弾圧。桜田門外の変で水戸藩士に暗殺された。だから090水戸斉昭とは桜田門外裏合わせという物騒な設定。本作はお抱えの絵師狩野永岳に描かせた自身の肖像画に添えられた歌。暗殺の二か月前の話であるから辞世とも映る。「近江の海」とはもちろん琵琶湖だ。「世のために心を砕いてきた」という自負を、琵琶湖の波から語り起こす着想を味わうべき堂々たる詠みっぷりだ。宗良親王は「むねながしんのう」と読む。後醍醐天皇の皇子だから時代が違うというお叱りも覚悟の設定。南朝専用和歌集で、勅撰和歌集に準ずる扱いを受ける「新葉和歌集」の撰者だ。二十歳で天台座主に就任。建武の親政瓦解で環俗し、南朝の貴重な人材として各地を転戦。信濃と遠江を主戦場としたが、遠江井伊城にて薨去。井伊谷に埋葬された。一帯は井伊家ゆかりの地だ。それこそが井伊直弼とペアにする根拠。本作は諏訪湖名物、御神渡りの描写で井伊直弼のお歌とは「琵琶湖vs諏訪湖」の構図となる。「湖歌合せ」である。

 

2020年4月 3日 (金)

父に捧ぐ

本日は亡き父の誕生日だ。ブラームスの命日と重なるという話はすでに何度もしている。今年は私の定年還暦の年。記念に「令和百人一首」を墓前に供えた。私の文学好き。歴史好きのDNAは父から受け継いだものだ。だからこのお供えは必然だ。100首全部興味深く読むだろう。100人の選定ぶりも味わってくれるだろう。見開き二首の取り合わせや全体の配列もあれこれ批判してくれるはずだ。存命なら最高の読者になってくれていたに決まっている。

あわせてコロナ禍からの加護を祈った。

2020年4月 2日 (木)

母の反応

定年還暦を記念した「令和百人一首」オンディマンド版を母に見せた。たいそう興味深そうに手に取ってくれた。そそくさと仏壇に供えて線香をたいた。父が好きな分野だとわかっているからだ。10歳の私に小倉百人一首をトレーニングした話に花が咲いた。今年85になるのに、初句を言うと下の句まで思い出せる。ほぼ百首全部そらんじている。10代で覚えたからと自慢げだ。昔のことほど鮮明らしい。

 

2020年4月 1日 (水)

後嵯峨天皇生誕800年

本日は後嵯峨天皇のお誕生日。1220年のお生まれなのでちょうど生誕800年のメモリアルイアーである。父は土御門院なので後鳥羽院の孫にあたる。祖父に劣らぬ歌人と見えて10番目と11番目の勅撰和歌集の撰進を命じた。名手がひしめいた新古今時代と、京極派の躍進をつなぐ位置にいる。

令和百人一首では、心からの尊敬をこめて和歌のドヴォルザークと認定した。

 

 

2020年3月31日 (火)

西行没後830年

文治6年如月16日に、辞世での予告通りにこの世を去った大歌人が西行だ。西暦なら1190年なので今年は没後830年となる。

大好きな新古今和歌集に象徴される和歌の絶頂期を、藤原俊成とともに準備したという位置づけだ。「歌」「仏」「旅」の3つを高い次元で程よくブレンドし、続く世代に決定的な影響をもたらしたと評価される。息をするように歌を吐く印象。しきたり、流派には無縁に見えながら、身勝手な自己流あるいは前衛に堕していないと感心するばかり。

「令和百人一首」では恐れ多くも和歌のシューベルトと認定した。

2020年3月30日 (月)

疫病退散奉納

世の中、ますます委縮してきた。新型コロナウイルスの話だ。オリンピックの延期も決まりいよいよ閉塞してきている。都市封鎖の現実味が重くのしかかる。ブログ「ブラームスの辞書」では注意深くコロナの話題を避けてきたが、そうも参らぬと本日初めて話題にする。

疫病退散を願ってお叱り覚悟のオリジナル和歌集を奉納することとする。そもそも昨今の騒ぎは、世が世なら国中の僧侶をかき集めて、加持祈祷をさせるレベルだ。神も仏も、いやいやイエスさまもマリアさまも総動員がいるはずだ。私も座視できぬ。

  1. し方の十年のきかなにも人にもせぬ縁あり
  2. 十の春にぞこころなき病まだ見ぬ後の世々に伝へむ
  3. きそびれまだ声聞かぬ鶯はころな憂しとて谷に籠もれる
  4. の病みを照らす心の拠りどころなりとて花の灯りをぞ待つ
  5. ふや我明日は家族か知らねども笑ふ我家をころなよくらむ
  6. 縦ならば目にもさやなるころなよけ荒き神々心して読め
  7. 花のころのみと春は添ひかねて声だに鎮む四方の営み
  8. 咲く花を神酒はころなと思し召す宴まばらなる花の下影
  9. 家々のふところなべて寒からし野辺のかまどに立つ煙無し
  10. まじないになるやならぬや試みにコロナの麦酒拝みてぞ飲む
  11. 毒消しの験と麦酒飲み干してこころなぐさむこの夕べかも
  12. 雛仕舞い遅れがちなる我家かなころな故にとむべも言ひけり
  13. 久方のころなに心砕くとも知恵の緒きらり卒業の子ら
  14. 白まゆみ家居する日の朝じめりころなよくとて香焚きにけり
  15. 夕気配こころなしにか暮れを急ぎなほ道の辺の人ぞ稀なる
  16. 秋来れば集ふ手筈の神無月ころな出雲と思いとどまれ
  17. 時は今大和島根を守るころ勿来の関を閉じて固めよ
  18. ぬ人をくに松ともき身かなかぬ藻塩にも小慣れつつ
  19. 物の名に既に籠めしか友則のしづこころなく花の散るとは
  20. 夕されば禊ぞ夏と知るこころならの小川に風そよぐとも
  21. 春の野にすみれ摘みにと歩み出てころなの峠踏みや越えまし
  22. きりぎりす鳴くさ筵は無けれどもころなころなと人ぞ鳴くなる
  23. 東風吹きて匂ひ起こせし梅の花時ぞ過ぐるところな広めそ
  24. 春過ぎて夏来るまでと祈るかなころな干すてふ神に仏に
  25. 玉鉾の道に子供の跡絶えて春まだ寒くころな討つなり
  26. 時を経て祟るころなる滝川の割れてや末も逢はで過ぐさむ
  27. 乙女をば留むばかりの天津風ころなの裳裾閉じてこそみめ
  28. 経も無く緯さへ見えぬ毛色かなころなたつとて吹く春嵐
  29. 山は裂け海は浅せなむころなるも流行り病に心閉ざすな
  30. 佐保姫の去るとも聞かぬ竜田川ころなをぞ絶て千早振る神
  31. 足引きのやまいの仕業憎むとも人のこころなさても忘れそ
  32. 切り貼りの歌にころなを閉じ込めて幣と手向けむ護れ神たち

願をかける以上、半端な数では聞き届けてもらえまいが百首に届かなかった。信心が足りてない。その代わり全てのお歌にコロナを刷り込んでおいた。「物の名」「折句」を一部含む。あるいはいくつか本歌取り割と真剣にぞありける。

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おっと、こちらはお神酒だ。

 

2020年3月29日 (日)

令和百人一首45

【089】徳川光圀

 夕立の風に気負いて鳴る神の踏み轟かす雲の架け橋

【090】徳川斉昭

 名にし負ふ春に向ケ岡ならば世に類無き花の影かな

【コメント】中納言の唐名「黄門」から「水戸黄門」として知られる。水戸藩主として大日本史編纂を命じた。万葉代匠記の契沖を保護するなど詩歌に造詣が深い。本作は雷の描写。「この紋所が目に入らぬか」と言わんばかりの威容である。対して9代目水戸藩主烈公・斉昭は、15代将軍徳川慶喜の父である。本作は「文政11年弥生10日に、水戸藩江戸中屋敷で桜を詠んだ」と詞書に明記される。上野の忍ケ岡から見て向こうの岡というのが由来らしく、「春に向かう」が地名の「向ヶ岡」と掛けられている。「春に向かうという名の岡だからさすがの咲きっぷりだ」との手の込んだ賞賛だ。その後、詞書中の「弥生」に加え、歌中の「向ヶ岡」にちなんで、あたりは弥生向ヶ岡町と改名された。やがて町内から出た土器が弥生式土器と命名されることになる。大日本史編纂の水戸家にふさわしい因縁だ。というわけで本日は「水戸家歌合せ」だ。

2020年3月28日 (土)

令和百人一首44

【087】伊能忠敬

 七十に近き春にぞ相の浦九十九の島に生きの松原

【088】佐久間象山

 陸奥の外なる蝦夷の外を漕ぐ舟より遠くものをこそ思へ

【コメント】伊能忠敬は世界に冠たる大日本沿海輿地全図の作者、平たく申すなら日本地図。家業引退後に日本全土の測量を成し遂げた。千葉県九十九里町の出身。郷土の偉人というだけではなく、源実朝と並ぶ最も好きな日本史上の人物と断言したい。百人一首に伊能忠敬を入れるそのこと自体が、私のキャラの強烈な反映である。本作は測量の途上で長崎県佐世保近郊の海辺・相の浦に差し掛かった際の歌。彼自身の年齢から説き起こす初句から「相の浦」まですらすら。「相の浦」は春に会うと実際の地名が掛けられている。これから沖合の「九十九島」(つくもしま)に出かけることにすると意気込む。「生の松原」は「いきのまつばら」で「行く」と掛けられる。複雑巧妙な掛詞の連鎖で「70歳だけど99までがんばるぞ」と決意表明する。現代語訳なんぞほぼ無意味で、雰囲気だけを味わうべき。九十九には故郷の九十九里が念頭にありはせぬかと妄想は膨らむばかりだ。どのようなお叱りがあろうと断固として撰者枠1つを捧げたい。

佐久間象山は信濃松代出身の思想家。海外事情の研究家として「海防提案書」を上程。幕府には海軍の設置を説いた。深川に砲術学校を開く。門下に吉田松陰、勝海舟などがいる。1854年、吉田松陰の密航を教唆したとして投獄された。1862年に赦免され、開国と公武合体を唱えるも翌々年京都で尊王攘夷派に暗殺された。本作は獄中での詠。「陸奥」「蝦夷」が重ねられ、その外を行く舟よりさらに遠くと念を押して最後に係結びでとどめ。もしかしてロシアが脳裏にあったか。

世界の中の日本歌合せ。

 

2020年3月27日 (金)

令和百人一首43

【085】荷田春満

 見る書は残り多くも年暮れて我がよ更け行く窓の灯

【086】本居宣長

 朝夕に物食うほども傍らに広げ置きてぞ書は読むべき

【コメント】荷田春満は「かだのあずままろ」と読む。歴史上人物難読コンクールの上位入賞は間違いあるまい。国学四天王の一人。万葉集注釈の泰斗。賀茂真淵の師匠としても知られている。本作第四句「我がよ更け行く」は、「夜が更け行く」と「自分の残り時間が尽きること」が掛けられ「読みたい本はまだまだ多いのに」と嘆く。淡々とした詠みっぷりながら身につまされるとはこのことだ。書籍ばかりかCDでも同じことが起きている。本居宣長は、契沖と賀茂真淵を継承した国学の完成者。「古事記伝」「源氏物語玉の小櫛」などに結実した。「もののあはれ」こそ日本文学の本質だと結論付けた。そのような大学者が食事の時間も惜しんで本を読みなさいと諭す。係助詞「ぞ」でさりげなく強調することも忘れていない。

「読書礼賛」歌合せである。

2020年3月26日 (木)

令和百人一首42

【083】徳川宗武

 永き代の橋を行き交ふ諸人は自ずからにや姿ゆたけき

【084】冷泉為景

 染めて聴く心木の葉よ鳴く蝉の声も色ある森の時雨に

【コメント】さあいよいよ江戸時代だ。徳川宗武は8代将軍徳川吉宗の次男だ。思うに徳川家最高の歌人。荷田春満や賀茂真淵に師事した文化人である。和歌の他、有職故実、儒学、雅楽、服飾にも造詣が深い多才の人。本作冒頭「永き代の橋」とは、隅田川にかかる永代橋を指す。橋の名前のせいか通行人みんな余裕ありげに感じると指摘する。冷泉為景は名高い儒学者藤原惺窩の長男。歌道の宗家二条や京極があっけなく途絶えたのに対して冷泉家のみが今日まで存続する。しばしば天皇に和歌を講義した。「心木の葉よ」が焦点。木々が染まることと、蝉の声に聴き入ることを同時に走らせる対位法だ。

よって「江戸の風流歌合わせ」である。

2020年3月25日 (水)

令和百人一首41

【081】細川ガラシャ

 散りぬべき時知りてこそ世の中の花は花なり人は人なり

【082】西郷千重

 なよ竹の風に任する身ながらもたわまぬ節もありとこそ知れ

【コメント】細川ガラシャは明智光秀の娘たまである。細川忠興に嫁いだから080細川幽斎とは「舅と嫁裏合わせ」になっている。本能寺の変以降謀反人の娘として幽閉された。ほどなくカトリックに帰依した。関ヶ原の戦いで夫忠興が東軍に与すると西軍に屋敷を包囲され、自殺を許さぬカトリックゆえ介錯させた。本作は辞世の句。「時を知る」とは奥深い言葉。「花は花」「人は人」という反復も趣を添えてやまない。一方の西郷千重は幕末の人。会津藩家老西郷頼母の妻。会津戦争にて籠城奮戦するも最後は自刃。初句「なよ竹」の華奢なイメージと、そこから歌いだす強靭な意思の落差を味わうべきかとも。

申すまでもあるまい。「女子辞世歌合わせ」

2020年3月24日 (火)

わたる風よりにほふマルボロ

「千人万首」「令和和歌所」に続く参照サイトが「わたる風よりにほふマルボロ 」だ。管理人様は女流歌人。私より相当お若いどころではなく、むしろ娘らに近い。サイト「令和和歌所」に入り浸っているうちにたどりついた。お歌のお好みは新古今と京極派で鉄板。歌人で申せば定家と式子内親王なのは明らか。「万葉集嫌い」「古今集嫌い」と公言してはばかることがない。痛快だ。記事のメイン「自作の紹介」の他では古典和歌の現代語訳と歌論。全体に「及ばぬ高き姿」がシンボリックにちりばめられる。

オリジナルの現代語訳というより現代訳と申すのがむしろ適切。興味深いのは訳を披露する一方で現代語訳は必要悪と断言することだ。精緻な訳の後で「いけねっ!壊しちまったぜ」とポリポリとばかりに頭を掻いてみせるが、恐らく計算ずくと見た。「だって和歌は韻律と響きでしょ」と。

歌論は基本重視。自由にはばたきたいなら基礎文法押さえろよと。実作にあたっての示唆に富んだアドバイスの数々。懇切丁寧の上に極上の説得力がソースとしててんこ盛りされる。それらを総合すると「歌はこうあるべし」という熱い哲学にたどり着くという巧妙な意図。サイト内で盛んに「辞書を引け」と熱く繰り返す。ゆめゆめ「ブラームスの辞書」が引かれることはあるまいが、親近感を覚える。

さらに全部わかりもしないで好きも嫌いもないでしょと手厳しい。「万葉集好き」も「新古今嫌い」もいいけれど、どれだけわかって言ってるのか。「好き」はともかく「嫌い」と言うには根拠が要るよねと。子守歌とハンガリア舞曲だけ聞いて「ブラームス嫌い」と言われたら引くのと同じだ。バッハだけしか知らずに「やっぱりバッハだよね」の風潮を批判するに等しい。バロック150年の統合とほめるならバロック全部一通り押さえろよというもっともな理屈。実朝しか知らずに「実朝好き」と言い張るに加え、実朝さえ知らずに言ってるなんてケースをこそ真剣に嘆いておられる。やがて単なる「見え透いた万葉上げ」「薄っぺらな古今上げ」の風潮を憂いているだけで、万葉古今にもそれ相応の敬意は払っているのかと気づき、首が捻挫するほどうなずいた。

ご本人は「過激」と謙遜しきりとも聞くが、どうしてどうしてごもっともな論説ばかり。これを「過激」と感じるのは後ろめたいところがあるからなんじゃないかと邪推しきりだ。「令和百人一首」の選定に迷っていたころたどりついて目から鱗を数枚引っ剥がされた。麻酔なしでだ。いい年こいて甘ったれてんじゃねぇよと。背中を押されたどころではなくケツを蹴り飛ばされた感じ。行く手に降り積もった雪を路面ヒーターのようにじんわり溶かすのが「令和和歌所」なら、こちらはラッセル車で吹き飛ばす感じ。お叱りまで覚悟ならブルドーザーかとも。ここまで繊細なブルドーザーは見たことがありませぬ。

言寄せて字数つくろふ筆の上にわたる風よりにほふマルボロ

ブログタイトルが「七七」の音韻になっていると気づいて、心からの感謝をこめて上の句を付けさせていただく次第。お叱り覚悟というより、清水の舞台からパラシュート無しでござる。

2020年3月23日 (月)

令和和歌所

サイト「千人万首」が「令和百人一首」選定の大きな助けになったという話に続ける。

サイト「令和和歌所 」である。古典和歌の精髄を初心者にもわかりやすく懇切丁寧に提供してくれている。歴史、文法、情緒、哲学が高い水準で取り揃い、流麗な筆致と合わせて貴重。内容は初級、中級、上級、オタクとでも分類されようが、言い回しの丁寧さだけは共通する。添えられる画像の美しさに加え図表の細かさ丁寧さは、私よりかなりお若い管理人様の性格に由来するものだろう。論理の展開は巧緻を極め、根拠明確理路整然なさまは読むに心地よい。管理人様ご自身の嗜好はおそらく紀貫之。そして新古今、玉葉、風雅つまりは京極派。万葉集、小倉百人一首の情報ばかりに偏る世の現状を考えると心強い限り。サイトの目指す地平が明文化されていることがどれほど理解の助けになっているかと思うにつけ哲学の重要さを痛感させられる。

陰暦一年365日を切り口に毎日相応しい歌を日めくる企画は圧巻である。私は全てエクセルに写し取り手本とした。歌の選択、配置、コメントに確固たる哲学を感じる。歌人や出典の顔ぶれ構成比から、先生の脳味噌を垣間見た。源重之をラフマニノフ、九条良経をヴィヴァルディに例える記事に背中を押されたと告白する。

言い回し、読後感への静かにも熱いこだわりの一方で、時としてはっとするほどの論旨を展開する。古典和歌への讃美は現代短歌への静かな批判とも映る。「俺が私が僕が」が際立つ現代短歌と、理想として目指す古典和歌を厳しく峻別する姿勢に心打たれた。「室町以降の歌壇の停滞」をさりげなくかつ明確に指摘する。「壊すべき古典を持っているか」と喝破されて大きうなずいた。ブラームスラヴと矛盾せぬ。

「令和百人一首」の選定作成の道のりに降り積もる雪を、じんわりと解かす路面ヒーターのような存在だった。もちろんご自身も馥郁たる歌を詠む上に、さらさらと書き留めるという多才っぷりにも触れておかねばなるまい。

心からの感謝をこめてお歌を一首。

玉拾ふ浦に帆高く船出して秀でし令和和歌所かな

お粗末。

2020年3月22日 (日)

選んで並べるという芸術

勅撰和歌集には部立てがある。収載するお歌のジャンル分けと思っていい。最初の勅撰和歌集「古今和歌集」で確立されて以来のしきたりだ。何といっても春夏秋冬で、それに恋を合わせた5部がその柱である。「賀」「羈旅」「哀傷」「神祇」「釈教」が必要に応じてこれに続き、さらにその他ともいうべき「雑」が加わる。ニーズが多い春や秋、そして恋は上下に分割されたりもする。

お歌自体の出来もさることながら、どの歌を選ぶかは撰者の腕の見せ所であるばかりか、選んだ歌をどう並べるかにも心が砕かれる。春夏秋冬と並ぶ季節4部の内部は、それぞれの季節の進行が正確に反映する。桜のお歌はけして梅には先行して置かれないのだ。夏以下も同様だ。恋にしても理屈は同じで、男女のやりとりの定型がかくあるべしと示される。最初から順に読んでなんぼの仕組みだ。

さまざまな歌人の歌を集めながら、その集成としての和歌集には一貫した思想が宿る。選集時の時代背景とともに勅撰和歌集撰者の歴史観、和歌観、審美眼が問われることになる。そこを信じてこその「令和百人一首」である。

 

2020年3月21日 (土)

令和百人一首40

【079】蒲生氏郷

 限りあれば吹かねど花は散るものを心短き春の山風

【080】細川幽斎

 君がため花の錦を敷島や大和島根も靡く霞に

【コメント】蒲生氏郷は信長に才能を見出だされたが、本能寺の変以降、秀吉に仕えた。会津42万石の領主にまで出世を遂げた一方で茶人としても名高く、利休七哲の筆頭格であった。本作は辞世。花を自分に見立てているのは明らかだが、山風は秀吉を暗示するとも言われている。三連符のようにたたずむ初句の字余りが心地よい。

細川幽斎は12代将軍足利義晴の子。細川忠興の父であり熊本細川氏始祖。秀吉に仕えた武勇知略もさることながら、茶の湯の世界でも利休七哲第二位であるし、和歌においては古今伝授の継承者でもある教養人。関ヶ原の戦いの折、田辺城で西軍に包囲されたが、古今伝授の断絶を恐れた後陽成天皇が助命の勅を発したというほどの人物。本作は秀吉の吉野の花見に同行した際の詠。「君がため」とは秀吉を指す。満開の桜絶賛なのだが、それは天下統一を成し遂げた秀吉に靡くかのようだと寿ぐ。「錦を敷く」が「敷島」に掛けられ、その「敷島」は「大和」を謳いだす枕詞になっているという緻密な構成だ。「大和島根」とは日本列島のことだから、「大和島根も靡く霞に」で天下統一を暗示するという仕掛け。あろうことか遠く鎌倉時代の九条良経「敷島や大和島根も神代より君がためとや固め置きけむ」の本歌取りとすることで、格調の付与にも成功している。さらにだ。源実朝の「我が国の大和島根の神たちを今日の禊に手向けつるかな」まで視野にあるなら降参するしかない。

「秀吉をキーにした利休七哲歌合せ」という手の込んだ会心のしかけだ。

2020年3月20日 (金)

令和百人一首39

【077】豊臣秀吉

 露と落ち露と消えにし我が身かな難波のことも夢のまた夢

【078】木下長嘯子

 亡き影にまた袖濡れて仕へけむ昔を今の賤の苧環

【コメント】076織田信孝からの名指しに応えて裏合わせの豊臣秀吉の登場だ。本作は聚楽第落慶の際に自ら筆記し、臨終に際して取り出させたと伝わる。異端と言えば異端なのだが、「露」「夢」の意図的反復など不思議な説得力も宿る。同語の繰り返しは禁じ手と知ってか知らずか、はたまたオフサイドぎりぎりで裏抜けを狙う狡猾なフォワードにも似た確信犯か。木下長嘯子の作品はその秀吉の一周忌に詠まれたもの。「お仕えした昔に戻りたい」と言いたいだけなのだが、「苧環」(おだまき)に事寄せた詠みっぷりに工夫を感じる。秀吉の一門衆として台頭したが関ヶ原の戦いでは不遇。京都東山に隠遁して文人として余生を送った。「秀吉ラブ」歌合せだ。

2020年3月19日 (木)

令和百人一首38

【075】織田信長

 冴え昇る月にかかるる浮雲の末吹き払へ四方の秋風

【076】織田信孝

 昔より主を内海の野間なれば報いを待てや羽柴筑前

【コメント】074武田信勝とは義理の祖父と孫で、天目山裏合わせを形成する。織田信長の作は、「鳴かぬなら殺してしまえ」を思い起こさせる命令形を含む。となると「冴え昇る月」とは自分自身かとも。まさかとは思うが、藤原家隆「眺むらむ都の境見ゆばかり雲吹き払へ西の秋風」が念頭にありはせぬか気にはなっている。

織田信孝は信長の三男。本能寺の変の父の死で運命が変転する。後継争いに破れて秀吉から追われる身となる。本作は辞世だ。「主」は「しゅう」と読む。「内海の野間」は今の愛知県知多半島にあってどちらも名鉄の駅名になっている。「内海」は「討つ身」に掛けられている。この地は平治の乱に敗れた源義朝が裏切りにあって討ち死にした故地だ。「羽柴筑前」は秀吉。これら一連の言い回しが秀吉の主君討ちを暗示する。煮えたぎる思いが名指しに凝縮されている。あまりの激情に最後まで「令和百人一首」への収載を迷った。

本能寺の変に惑わされた親子歌合せ。

 

2020年3月18日 (水)

令和百人一首37

【073】北条氏照

 吹きと吹く風な恨みそ春の花残る紅葉の秋あらばこそ

【074】武田信勝

 まだき散る花と惜しむな遅くともついに嵐の春の夕暮れ

【コメント】北条氏照は072北条氏康の次男だから「親子裏合わせ」になっている。八王子城主だったが秀吉の小田原征伐にあい降伏し自刃。本作は辞世の句。父に似てかひとかどの歌人とお見受けいたす。ただならぬ空気が横溢する「吹きと吹く」という初句。吹く風を恨むなと花を説得するその材料は秋の紅葉だという着眼。辞世だから自らは秋まで時間が無いというのに。さらにだ。本作は土御門院御製「春の花秋の紅葉の情けだに憂き世にとまる色ぞ稀なる」を踏まえているかと。「春の花」「秋の紅葉」を併記する趣向を借りることで奥行きの付与に成功している。まさか後鳥羽院を本歌取りした父にあやかって、その子土御門院を本歌取りしたなどという手の込んだオチかとも。この親子只者ではあるまい。

そして武田信勝は勝頼の長男。ということは信玄の孫。父も祖父もひとかどの歌人だった。織田軍に包囲された天目山にて父とともに自刃。御年15歳。本作は未来ある息子の死を惜しんだ父の言葉への返歌であり辞世でもある。「まだき散る」に「早すぎる」という無念が充満する。「遅くとも」に込められた「遅かれ早かれ」という達観が切ない。「春はあけぼの」という日本の常識に反して、秋の専売特許だったはずの「夕暮れ」の体言止めで念を押すという着想が痛切だ。彼の母は織田信長の養女だから信玄の孫でありかつ、信長の孫という強烈な血統。

戦国武将二人の「春の辞世歌合わせ」だ。

 

 

2020年3月17日 (火)

令和百人一首36

【071】大内政弘

 野辺よりも思へば深きあはれかな移す虫籠の夕暮の声

【072】北条氏康

 雪折の竹の下道踏み分けて直ぐなる跡を世々に知らせむ

【コメント】弟8クールいよいよ戦国時代に入る。大内政弘は周防の戦国大名だ。芸術に造詣が深く。応仁の乱で荒廃した京都から、僧侶、貴族、芸術家を山口に招いた。069宗祇との親交は特に名高い。まさかとは思うが九条良経「鳴く蝉の羽に置く露に秋かけて木陰涼しき夕暮の声」が脳裏にあったとするならものすごい着眼だ。さらに加えて自然界で鳴いている虫よりも籠にとらわれている虫の方があわれが深いと指摘して見せる新機軸がまばゆい。

片や小田原北条の総帥氏康だ。「雪折の竹の下道」とはさすがの言い回し。「直ぐなる」は「すぐなる」とよみ「直なる跡」で「正しい道」と言う意味。後鳥羽院の「奥山のおどろが下を踏み分けて道ある世ぞと人に知らせむ」が念頭にあったとしたら只者ではあるまい。後鳥羽院のいう「道ある世」とは、反鎌倉幕府の意思が反映している。いわば「承久の変宣戦布告ソング」だからだ。ならば氏康はアンチ織田または豊臣でなければならぬ。偶然のはずはない。

2020年3月16日 (月)

千人万首

「令和百人一首」選考のための情報収集でお世話になったサイトの名前だ。古今の和歌のデータベースとして最適だ。網羅性、手軽さ、信頼性が高い水準で取り揃う。対象は古代から江戸時代までで、歌人たちの経歴にも十分な配慮がされている。

現代語訳はもちろん作歌上の参考歌や、派生歌など情報のすそ野も広い。世の中凄いサイトがあるものだ。

 

2020年3月15日 (日)

班対抗かるた大会

小学校4年の3学期。1970年のことだからもう50年前の話だ。

担任だった植木先生は、国語の時間に突然「百人一首大会」をやると切り出した。明日の午後から練習してみるから、おうちに百人一首がある人は持参してくださいと。続けて黒板に一首書いた。

よをこめてとりのそらねははかるとも

よにあふさかのせきはゆるさじ

これで上の句と下の句を説明してくれた。取り札には下の句しか書いていないこと。読むのは上の句から読むこと。だから歌を暗記している人は、上の句が読まれるやいなや取り札に殺到できます云々。意味や歌人の説明はなし。

帰宅してさっそく両親に話すと、我が家に小倉百人一首があった。「おおっ」ってなもんだ。上記の清少納言の歌を暗記してしまったと話すとたいそう喜んでくれた。

翌日、クラスをおよそ7人ずつの6班に分けて100枚をばらまいての乱取り。私は20枚とって班で一位になった。ろくに歌を覚えていないのに要領よく立ち回って優勝した。先生は各班の優勝者を集めて決勝大会をやるとおっしゃった。1位だけを集めた班、2位だけを集めた班、3位だけを集めた班、4位以下はランダムで班を作って来週は一日がかりにしましょうと。私は思いがけず20枚とれて一気に気合に点火された感じ。

帰宅して父に話すと、暗記を手伝ってくれることになった。父も母もほぼ100首暗記していた。父が読んで母と対戦する。あるいは母が読んで父と対戦する。そのうち私が読んで両親が真剣勝負を始めた。こうして一週間後に全部覚えていた。最後に暗記したのは「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににおひける」紀貫之だった。初句を言われれば、下の句まで全部言えるようになった。歌人との紐付けはまだできていないし、歌人の氏素性もわかっていないまま、歌だけ丸暗記に成功したということだ。1文字目決まりの「むすめふさほせ」や、初句で決まらないお歌など、両親のウンチクも吸収した。

決勝戦は、他の対戦を全部終えたあと、クラス全員が注目するなか先生が読み人になって行われた。各班の1位だけ集めた6人で乱取りした結果、私一人で51枚とって優勝。残り30枚くらいからは全部私がとった感じ。竹製の小さな花瓶をトロフィー代わりにと先生が用意してくれた。

当時の得意札は阿倍仲麻呂だった気がする。

クラシック音楽にのめりこむのはこの3年後であった。

2020年3月14日 (土)

恩師両木

小学校3年と4年の担任だったのが植木照代先生。転校生だった私を盛り立ててくれた恩人。もうすぐ10歳になろうかという1970年の正月。4年の3学期の国語の時間に百人一首大会をクラスで企画してくれた。勉強も運動もどちらも苦手の私だったが、その大会で優勝したことで、一気にクラスの人気者になった。

高校1年と2年の担任だったのが菱木道人先生。現代国語を受け持って、和歌と言えば百人一首しか知らなかった私に、現代短歌までの和歌の素晴らしさを教えてくれた。

植木と菱木で「両木」だ。

時を経て、その種が開花した。この度「令和百人一首」を選定しながらお二人の恩をひしひしと感じた次第。

2020年3月13日 (金)

令和百人一首35

【069】宗祇

 清見潟まだ明けやらぬ関の戸を誰許せばか月の越ゆらむ

【070】肖柏

 写しみよ山は嵐も柔らかき楢の若葉の言の葉の道

【コメント】宗祇は連歌の創設者。やはりひとかどの歌人。古今伝授を受けた068東常縁とは裏合わせになっている。歌枕としての清見潟は静岡県清水市興津付近の景勝地で月の名所、関所もあった。夜間の通行は関所によって禁じられている。まだ夜明け前、月の光は誰の許しを得て関所を越えているのだろうという感慨。透き通るような描写のせいか人間社会の制約を超えた自然の賛歌にも映る。宗祇から古今伝授を受けたのが肖柏だ。京都建仁寺の僧。「山は嵐も」は応仁の乱以降の世の中を指す比喩だ。戦乱の世にあっても、柔らかく言葉を紡いで見せるのが和歌の道だと説く。「楢の若葉」は柔らかいものの代表と捉えている。第四句以降「の」を畳みかけて急き立てるリズムが決意の表明を盛り立てている。「の」だけに許された畳みかけの特権だ。

1488年1月水無瀬神宮に奉納された名高い連歌「水無瀬三吟百韻」は後鳥羽院にささげる趣向だった。主催は宗祇で、発句を受け持って「雪ながら山もと霞む夕べかな」と詠じた。言わずもがな後鳥羽院御製「見渡せば山もと霞む水無瀬川夕べは秋と何思ひけむ」の本歌取りだ。宗祇もまた後鳥羽院ラヴに決まっている。それに「行く水遠く梅匂ふ里」と続けたのが肖柏だった。かくして

 雪ながら山もと霞む夕べかな行く水遠く梅匂ふ里

だから…。

だから「水無瀬歌合せ」である。後鳥羽院大好きの私としては絶対に譲れぬペアリングである。

 

2020年3月12日 (木)

令和百人一首34

【067】後花園院

 花に花靡き重ねて八重桜下枝をわきて匂ふ頃かな

【068】東常縁

 立ち上る煙ならずば炭竃のそこともいさや峰の白雪

【コメント】後花園院の院政中に応仁の乱が起きた。院は足利義政の室町第に10年以上避難した。だから066足利義政とは「大家と居候裏合わせ」を形成する。その義政から勅撰和歌集の執奏を受け、撰進を下命したものの応仁の乱でとん挫する。それ以降今日まで勅撰和歌集が作られていない。本作は満開の八重桜の描写。「靡き重ねて」という優雅な説明に始まり、下枝(しずえ)をわきてで、たわわな花の房は枝の下程美しいと指摘する。悲しいかなこの先、「勅撰入集」という尺度は使えない。

東常縁は「とうのつねより」と読む。下総千葉氏の庶流の出。古今和歌集解釈の秘伝「古今伝授」は常縁から宗祇への伝授をもって初例とされている。勅撰和歌集の編纂が途絶えた後の和歌の伝統はこうしてつながっていく。本作は墨絵のような枯淡の味わいがある。色は白と灰色、そして黒が想起される程度。「立ち上る煙さえなかったらそこに炭竃があることさえわからない一面の雪景色だ」と説く。結句「峰」が「見ね」に掛けられていると気づくころには彼の術中に深々だ。

勅撰和歌集の途絶と、古今伝授の接点歌合せ。

2020年3月11日 (水)

令和百人一首33

【065】足利義満

 頼むかな我が源の石清水流れの末を神に任せて

【066】足利義政

 更に今和歌の浦波収まりて玉拾ふ世に立ちぞ帰らむ

【コメント】この二人祖父と孫。まずは祖父の足利義満。「足利氏が源氏の末裔である」という強い自負と、自らがその棟梁であるとの自覚で出来た歌。京都の石清水八幡が源氏の氏神であるという基礎知識をもって味わうべき。一族の未来への加護を願い出ている。三代将軍義満の時代、室町幕府は政治的頂点を迎える。その孫義政は、政治的に不遇で応仁の乱を招いたと一様の記述の一方で芸術活動に専念し云々と教科書に載っている。鵜呑みはおろかだ。建築、絵画、和歌、茶の湯、連歌、能の第一人者だ。本作は和歌の退潮を嘆く意図がある。和歌の聖地、紀州「和歌の浦」の波が収まると切り出してそこをつく。五七五七七の律動の切れ目と意味の切れ目がずれている。言わばシンコペーションだ。「1.5句切れ」とでも申すか。「玉拾ふ」は優秀な和歌を集めるの意味で、具体的には勅撰和歌集の作成を指す。新古今集の完成時に序文執筆の九条良経が詠んだ「敷島の大和言葉の海に出て拾ひし玉は磨かれにけり」の本歌取りかと。「玉拾ふ」は、たしかに「秀歌収集」の意味で使われている。実際義政は後花園天皇に勅撰和歌集の選出を執奏し、天皇の下命に至ったが、応仁の乱で幻となった。

もうひとつ絶対に義政をはずせぬ理由がある。その切り口は源実朝の歌集「金槐和歌集」だ。古くから流布した定家本の他に貞享本がある。奥書きには「柳営亜槐」と署名されている。だから別名「柳営亜槐本」ともいう。歴代の勅撰和歌集には定家本には収載がなく、柳営亜槐本にのみ存在する作品が8首見えるからバカにしたものではない。その「柳営亜槐」は「幕府にあって大納言だった人」の意味だが、それを義政にあてる説がある。15歳から23歳の間の義政の官職に一致するという。賛否あるからくれぐれも鵜呑み厳禁だけれども義政という学説が打ち出され、そこそこの賛同もあるというだけで義政のキャラがそれなりだとわかる。だから彼は和歌のシェーンベルク。

2020年3月10日 (火)

令和百人一首32

【063】光厳院

 小夜更くる窓の灯つくづくと影も静けし我も静けし

【064】夢窓疎石

 我が宿を問ふとは無しに春の来て庭に跡ある雪のむら消え

【コメント】光厳院は伏見天皇・永福門院夫妻の孫。後醍醐天皇の皇太子となる。笠置に逃れた先帝に代わって即位。後醍醐天皇の菩提を弔うために夢窓疎石を招いて天龍寺を創建。第17勅撰和歌集でしかない風雅和歌集で遅めの勅撰デビューのハンデあるも79首が入集する。さてもさても本作結句「我も静けし」に言葉を失った。正岡子規あたりの作と言われてもすんなり入ってきかねない。夜の深まりと窓から漏れる灯りを淡々と歌い、第四句「影も静けし」までは「ふむふむ」ってなもんだが、「我も静けし」と転じられて一本負けだ。京極派セカンドアルバム「風雅集」の実質的な撰者である。

夢窓疎石は臨済宗の僧。やがて禅宗に帰依し各地を遍歴。後醍醐天皇から「夢窓国師」を、続く光厳院からは「心宗国師」を下賜されて天龍寺を開山。鎌倉瑞泉寺、京都西芳寺および天龍寺、山梨恵林寺など、彼の手による庭園は多い。その夢窓疎石が自宅の庭を詠んだ作品は貴重。「問ふとは無しに」は「覚えもないのに」「いつのまにか」の意味。「雪のむら消え」は、雪解けによって生じるまだら模様。さらに「跡」まで共通するとなると…イエス!040「若草の宮内卿」の本歌取りとは。庭いじりの余技というにはもったいない勅撰入集11首を数える。

「天龍寺歌合せ」である。

2020年3月 9日 (月)

令和百人一首31

【061】後醍醐天皇

 今はよも枝に籠もれる花もあらじ木の芽春雨時を知る頃

【062】楠正行

 環らじとかねて思へば梓弓亡き数に射る名をぞとどむる

【コメント】第7クール、いよいよ南北朝時代だ。新葉和歌集に採られた後醍醐天皇御製。南朝歌人限定の新葉和歌集は勅撰和歌集に準ずる扱いを受けている。だから人によっては勅撰和歌集を22と記憶している。「木の芽が張る」と「春雨」が掛かるほか、「時を知る」には「蜂起の時は今」という意味を内包する。南朝方の同志に決起を促す意図があるという。楠正行は正成の息子。四条畷の戦いで敗れて自刃。出陣前に吉野の後醍醐天皇廟所に詣でて仲間と共に決死の決意を込めて詠んだ一首。「梓弓」は「射る」を語り起こし、「射る」は「入る」を想起する。鬼籍に入ることつまり還らぬ覚悟の表明だ。

言わずもがなの「南朝歌合せ」である。

2020年3月 8日 (日)

現代語訳

「令和百人一首」はブログ版と書籍版がある。収載歌は同じだけれど、ブログ版には現代語訳を載せていない。書籍版に比べてスペースの制約が無いにも関わらず、熟考の末、現代語訳掲載を見送った。文章の流れ優先とした。気になる読者は簡単にネット検索出来るに決まっている。誰のどんな歌を選び、どう並べたかこそが焦点で、現代語訳は優先順位が落ちる。歌の響き、収載の順序こそが大切だ。

などど、もっともらしいことを言ってはいるものの、本当は私の筆力がついていかないせいだ。「枕詞」「掛詞」「歌枕」「縁語」「係結び」「本歌取り」に加え、中には先行する詞書がないと解釈が難しい歌もある。こんなものを盛り込みきって、手短に手際よく流れる文章が書けない。

歌人名、作品、コメントだけにとどめ、人物像、歴史的背景、歌合せのや裏合わせの種明かしに主眼を置いた。

 

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