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2024年7月18日 (木)

起源接頭辞「Ur」

ドイツ語の話だ。

その気で探すとかなりある。「Ursprung」は起源だし、「Urquel」は元祖だ。「Ur~」で起源や大元を指し示す機能があるから「起源接頭辞」としゃれ込んでみた。

音楽に目を転じるならなんと言っても「Urtext」だ。クラシック音楽の世界は何かと作曲家の意向が尊重され、原典主義などと呼ばれる。裏を返せば広く流布する楽譜には怪しいものも混入しているということだ。

原典版の定義となるとかなり難しい。作曲家自筆譜が候補には違いないが、乱筆で読めないなど課題も多い。ブラームスは出版に際して作曲者自身が印刷屋さんに手渡した楽譜が一番だと持論を述べる。あるいはできあがったゲラ刷りに対する修正稿かとも。

バッハの場合、かなり複雑だ。自筆譜が残っていない場合もある。写譜に写譜が重ねられて始原の姿が分からぬ作品も多い。バッハ作品で原典を名乗るのはよほどの学術的根拠がいる。

素人の私だと出版社の氏素性もポイントだ。ヘンレ、ブライトコップフ、ベーレンライターあたりだとかなり安心。もはや信仰の自由という領域。

2024年7月17日 (水)

お披露目コンサート

職場のオケが演奏会をすることになった。

12月20日夕刻。場所は本社。曲目は検討中。身内にのみ公開らしい。

嘱託生活満了の40日前。間に合うのもまた運命かも。

2024年7月16日 (火)

お盆のファンタジー56

ところでと、話を切り替えてきたのはリヒター先生だった。「貴殿の職場にオーケストラができたのかね?」と。

「はい」と私。「まだまだメンバーが集まりませんが」と付け加えた。「ほほう」とブラームス先生も乗り出し気味だ。「木管楽器はほぼそろいましたが、金管楽器は各1名程度で打楽器はゼロですわ」「で肝心の弦楽器はヴァイオリンは第一第二各4名程度、ヴィオラは私を入れて3、チェロ4にコントラバス2です。

「昨今のピリオド様式のバッハさんなら十分の構成じゃの」とリヒター先生。「ですがバッハさんの作品を取り上げる予定はまだありません」と私。「もっというとブラームス先生の作品も無理なんです」「なんたってホルンが足りません」「それでも名簿上のメンバーが増えてきて弦楽器の一体感はうれしい限りですわ」

「で、メンバーにはご婦人もおられるのかね?」とはブラームス先生の真顔の質問だ。「はい。もちろん」「それどころか弦楽器はほぼご婦人です」「しかもしかも私の娘らの年頃のご婦人まで少なくありません」

「それに練習の後の飲み会が必ずセットになっているのが楽しみです」と申しあげるとリヒター先生とブラームス先生が「ブラボー」と声を上げた。9割のメンバーが練習後飲み会に流れます。「てことは、つまり、あんたは毎回ご婦人に囲まれて飲んでいるんじゃな」とは察しのいいブラームス先生だ。「ばれたか」と頭をかく私。「恥ずかしながら私が最年長なんですわ」と付け加えた。

いつか演奏会をと決めています。

身内にだけ公開かもしれません。仲間にこの一体感が伝えられればと考えています。とマシンガントークが止まらぬ私を制しながら、「ほほう、それでは一度練習にお邪魔してもいいかな。アマチュアの指導には興味があるもんで」とリヒター先生が割り込んできた。

「コンサートマスターに伝えておきます」とお茶を濁しておいた。

ユーロで早々にドイツがやられたのですっかり長居になったとさっき帰っていった。

 

 

2024年7月15日 (月)

お盆のファンタジー55

「その研究とやらの成果を盛り込む主旨で、バッハ先生存命時の演奏の再現を意図する演奏が多くてげんなりしているのですが」と私。「バッハの時代はこうだったはずだ」という演奏のことです。

「ほうほう」とはブラームス先生の相づち。

「ここ最近バッハ先生の作品はそういう演奏ばかりですわ」「きれいだと思えないのはリヒター先生の演奏になれすぎているからではないのかね」とは、珍しく取りなし調のブラームス先生。時代劇の校証ではあるまいしと私のふくれっ面を見てブラームス先生は「音楽だから聴いて美しくないとな」とまたまた仲裁系。

「隙間なく成熟した市場に割って入る後発マーケティングによくあるロジックじゃな」とブラームス。「当時はこうでした」は典型的なフレーズじゃよ。優れた演奏によって飽和した中に、必ずしも腕の立たぬ人が入るにはそこそこの理屈はこねんとな。とはまた手厳しい。

そんなにバッハ時代を再現したいならCDやDVDにしてはいかんじゃろ。バッハ回帰を歌いながら録音だけは例外ですとはいいとこどりにも見えますな。

「バッハは進取の気性に富んだ人で、よい楽器あるいは新しい機能があれば進んで取り入れていました」とやっと口を開くリヒター先生だ。「当時の楽器に限界も不満もあったはずですが、黙々とその制約の内側で使命を全うしていました」「昨今のピリオド全盛の風潮はそうしたバッハが感じていた限界や不満も再現していることになるのではありませんか。

晩年、ピリオド楽器の台頭を肌に感じたリヒター先生だというのにあくまで淡々と冷静だ。

ブラームス先生に言わせると「ご自分の仕事に自信があるんじゃと」とのことだった。

 

2024年7月14日 (日)

彼らみな汝を待ち望む

三位一体節後第7日曜日用「Es wartet alles auf dich」BWV187だ。この日の説教は4千人の空腹を7切れのパンで満たした奇跡のお話。

管楽器の参加はオーボエ1本だけだが、無論マンフレート・クレメント先生。第1曲合唱に先立つソロが気分を決定付ける。この手の決定的なソロはまさに独壇場だ。本カンタータは先の説教の内容を音楽が忠実にトレースしてゆき、冒頭テキストでそれを歌い出すのは合唱だが、オーボエのソロはそれを事前に掃き清めるかのよう。

登場する全てのアリアや合唱がストーリー上の意味を持っている。がしかし、そこにどの声種を充てるかまでは聖書には書いていない。そのチョイスがバッハの判断かと思うと背筋が伸びる。全7曲のうち1,3,5,7の各曲にオーボエの出番がある。全体の中央の第4曲バスのアリアにオーボエをかぶせぬバッハ先生の選択にひれ伏すばかりだ。

フィナーレで合唱が「大地は神によって整えられた」「私たちの命のためにパンやワインを作らせた」と歌って閉じる。

2024年7月13日 (土)

お盆のファンタジー54

「いきなり核心ですみません」と恐る恐る私。「やはり楽譜は旧バッハ全集ですか?」と。きょとんとするのはブラームス先生だ。無理もない。ブラームス先生は1950年刊行の新バッハ全集を知らないからだ。「バッハの楽譜に新旧があるのか」とは「もっともな質問」だ。

「はい。ブラームス先生」と元気よくリヒター先生が応じる。「ブラームス先生18歳の1851年からライプチヒバッハ協会より刊行が始まって1897年まで延々46年かかって完成したのですが、その第1巻をシューマン夫人から贈呈されていますね」とすらすらだ。「そうとも」とブラームス。「その後は刊行の都度予約購読で全巻そろえたわ」とこちらもすらすらだ。

1950年になってバッハ没後200年を記念して新版が計画され、そこまでの最新研究の成果を盛り込んだバージョンが刊行されたために、最初のものが「旧バッハ全集」と呼ばれることになった経緯は、またまたリヒター先生の独壇場だ。

「このときにBWV番号も考案されたという訳ですね」と申しあげると「BWV?」とブラームス先生がはてな顔だ。「おおそれは、バッハ先生の全作品を網羅する作品番号とでもお考えください」とまたまたリヒター先生。「バッハ先生の場合作曲年代がわからないものが多いので、作曲順にはならんのですわ」と私。いろいろ異論も聞きますが、個体識別の機能という意味では役に立ちますわとリヒター先生。

「で、それでもやはり旧全集ですか」と大真顔のブラームス先生が割って入る。

「はい。」と即答したリヒター先生がジョッキを空けた。

お代わりを注いで戻ってみるとブラームス先生とリヒター先生の議論が白熱している。

「旧版の方が音符の印刷がきれい」「銅版印刷の痕跡まで美しい」など音楽の本質とまでは言えないような論点をあげている。「楽譜のみてくれがきれいというのは、それはそれで重要だからの」とブラームスも同意らしい。「研究とやらはあくまでも実用の妨げになってはいかんがの」と付け加えた。

 

2024年7月12日 (金)

お盆のファンタジー53

「そりゃあんた、今年はこの人しかおらんやろ」とドヤ顔のブラームスさんだ。後ろにいる紳士を「マエストロ・リヒターだ」と言って紹介してくれた。おおおおお。昨年末から「カンタータでたどる教会暦」という企画が進行中で、リヒター盤をその主役に据えているのもすっかりお見通しという風情だ。

「よろしく」と手を差し出すリヒター先生。「実は」ともったいを付けながら「私の本名はカール・フェリクス・ヨハネス・リヒターなんです」と名乗りだした。おおおってなもんだ。「それはメンデルスゾーンとブラームス先生にあやかっているのですか?」と真顔の私に、「もちろんです」と即答のリヒター先生だが、「本当は偶然かも」と小声でしゃしゃり出るブラームスさんだ。

「バッハの伝道師とも賞賛されるリヒター先生のミドルネームにメンデルスゾーンとブラームスが関わっているのはド納得ですね」と私が切り出すと「わしならヨハネスをはずしてセバスチャンをからめるがな」とブラームス先生も譲らない。リヒター先生はこのやりとりをにこにこと聞いている。

「そりゃ私だって今年はリヒター先生がおいでになるかもと予想してましたわ」と私がドヤ顔の番。

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ミュンヘンのリヒター先生をもてなすならシュパーテンですわいと付け加えた。

ブラームス先生とリヒター先生が顔を見合わせていたが、不意にブラームス先生が「バッハに乾杯」と言ってジョッキを高々とさしあげた。

「ビールはミュンヘン、音楽はバッハですな」と上機嫌のブラームス先生だ。「僕の好みをよくご存じで」とはリヒター先生。ミュンヘンのビールの中でもシュパーテンがお気に入りらしく「アウクスティーナーかシュパーテンばかり飲んでました」と地元っぽく笑う。

何からお話しましょうかと学者っぽい仕草のリヒター先生だ。

2024年7月11日 (木)

新築祝い

次女夫婦が自宅を新築した。

先日母を連れてそのお披露目に行ってきた。3階建ての堂々たる二世帯住宅。彼のご両親と住む。ご両親と次女夫婦それぞれの玄関が別の道路に面しているという凝った構造。両家のプライバシーにも配慮しているようで、柔軟に往来もできるという考えた作りに感心した。

次女たちが背負う軽くないローン返済を思いやりはするものの、やはり新築はいい。「ぴかぴか広々今時」のスイートホームを堪能してきた。

しかし、私の感慨は別な点にある。

母と私をもてなす準備の厚みだ。全て手作りのお料理。少なくない母の苦手食材を巧妙に回避してある。耳が少し遠くなった母へのさりげなく配慮した語りかけなど、あげればきりがない。

そうした一家総出の準備に、嫁である次女が継ぎ目なく溶け込んでいた。親冥利。よい家族に温かく受け入れられた次女は幸せだ。

ぴかぴかの新居はやがて経年とともに劣化するが、次女を囲む温かな団らんが、衰えることはあるまい。

帰路、車の中で母も同じ事をいっていた。

次女夫婦とご両親にブラームスとバッハのご加護を。

 

2024年7月10日 (水)

コロナ前の水準

5月の飲みの席が6回だったことはすでに書いた。6月はなんと7回だった。

昨今何に付け「コロナ前の水準に戻った」と言われる。この飲みの席の頻度は、コロナ前に戻ったどころではなくて、ここ10数年で最高の水準だ。7月はすでに5回設定されている。来年1月末の嘱託満了を前にお世話になった人たちと、というコンセプトも混入している。ギリギリのタイミングでは年末の忙しさもあって無理があるからだ。

 

2024年7月 9日 (火)

アルトをどうする

話せば長い。カール・リヒター先生のバッハ・カンタータ選集全75曲を聴いていると、起用する独唱歌手の序列が鮮明に浮かび上がる。バスのディースカウ先生を筆頭に、テノールはペーター・シュライヤー先生だし、ソプラノはエディット・マティス先生だ。これら3名は出番の数で同声種の他の歌手たちを圧倒する数になっているし、有名作品には必ずありつけている。

ところがアルトは事情が違う。

  1. ヘルタ・テッパー
  2. アンナ・レイノルズ
  3. トゥルネリーゼ・シュミット
  4. ユリア・ハマリ

上記4名だ。出番の数でいうならアンナ・レイノルズが最多ではあるのだが、私の好みはユリア・ハマリだったりする。どうしたものかと思案するうちにこまったのが昨日話題にしたBWV170だ。大好きな作品なのだが三位一体節後第6日曜日用にリヒター先生が採用したのはBWV9であって、このBWV170は落選している。実はこれがアルト独唱カンタータとして脳内最高位にある。リヒター先生がこの曲の独唱に誰を起用するかで、序列がわかるのだが、選集から落選しているために煙に巻かれている。

代わりに愛聴するのがグッドマン盤。ハノーヴァーバンドの演奏でアルト独唱はナタリー・シュトゥッツマンだ。さすがの一言。

まさかとは思うがリヒター先生、適役がいなかったからBWV170の収録を見送ったなどいうことはあるまいな。もし収録されていれば、冒頭のオーボエダモーレはマンフレート・クレメント先生が吹いていたに決まっている。

もはや拷問。

2024年7月 8日 (月)

満ち足りた安らぎ

「Vergnugte Ruh,beliebte Seelenlust」BWV170も三位一体節後第6日曜日用だ。リヒター先生がこの日用に収録したのはBWV9だけで、本曲はスルーされている。

異議ありだ。

私ならこちらだ。

珍しく、合唱の出番がない可憐なアリア。とりわけ第1曲は本当に素晴らしい。揺れる8分の12拍子は、アルトが歌い出すまで、オーボエダモーレが雰囲気を決定付ける。「満ち足りた安らぎ」にピタリだ。

 

2024年7月 7日 (日)

我らに救いの来たれるは

三位一体節後第6日曜日には「Es ist das Hell uns kommen Her」BWV9だ。ガラリア湖で4人の漁師を弟子にした後のエピソード。和解の重要性を訴える。

バスに出番があるがものの全てレチタティーボという珍しいケース。全部合わせても6分程度。むしろ興味はペーター・ルーカス・グラーフ先生のフルートとマンフレート・クレメント先生のオーボエだモーレというのり。

2024年7月 6日 (土)

マタイで競演

昨日、オーボエのマンフレート・クレメント先生の画像を探した話をした。

リヒター先生指揮のマタイ受難曲のDVDにも出演なさっているということで盛り上がったが、さらにうれしい落ちがついてきた。

そのマタイの演奏、コールアングレを吹いているのは、シェレンベルガー先生だった。バッハのカンタータ選集のDISC18で師弟競演が聴けると喜んだが、こちらは画像付きである。

 

2024年7月 5日 (金)

クレメント先生のお顔

リヒター先生のカンタータ選集で、ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ先生に匹敵する位置付けにあるオーボエのマンフレート・クレメント先生だというのに、お顔がわからない。どこかに画像でもないものかと探していたらあっさり見つかった。

我が家にあるリヒター先生指揮のバッハ・ブランデンブルグ協奏曲のDVDにお姿が写っていた。出番があるのが1番と2番。特に2番ではオケの前面に立っての独奏とあって何かと目立つ。

その気になって探すと、リヒター盤のマタイ受難曲やロ短調ミサのDVDにも出演しておられる。

その出で立ちは「品のいい紳士」という表現でピタリだ。

その上オーボエの音がきれいということだ。もう惚れ惚れだ。

2024年7月 4日 (木)

バッハの6曲

「シュープラーコラール」と通称される一連のオルガン作品がある。BWVで申せば645から650までの6曲を指す。出版譜には次のように書かれている。

「2つの手鍵盤と足鍵盤を持つオルガンで前奏するためのいろいろな種類の6つのコラール」

出版人は「テューリンゲンの森の近くのツェラのヨハン・ゲオルグ・シュプラー」とある。だからこれらが「シュプラーコラール」といわれているということだ。1746年以降という事以外出版年はわかっていない。作曲年は不明だが、6つのうち5曲までが、カンタータの単一楽曲からの編曲になっている。残る1曲BWV646も実は現存しないカンタータからの編曲とする説もある。バッハ在世時にすでに人気が出てきた楽曲を作曲者自身が手際よくオルガン独奏曲に仕上げたとも受け取れる。楽譜の売れ行きを考慮したマーケティングのたまものとするなら、出版人シュープラーはなかなかのやり手ということになる。

さてその6曲は以下の通り。

  • BWV645 「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」BWV140の第4曲
  • BWV646 「我いずこにのがれゆくべき」原曲不詳
  • BWV647 「尊き御神の統べしらすままにまつろい」BWV93の第4曲
  • BWV648 「わが心主をあがめ」BWV10の第5曲
  • BWV649 「我らとともに留まりたまえ」BWV60の第3曲。
  • BWV650 「イエスよ、今ぞ汝御空より降り来たりて」BWV132の第2曲

BWV10は昨日話題にしたばかりだ。原曲の出所が確かな5曲はリヒター先生のカンタータ選集にも全て入っている。バッハ在世当時の「人気楽曲」だとしても不思議ではない。

 

2024年7月 3日 (水)

我が心は主を崇め

こちらもまたマリアのエリザベート訪問の祝日用だ。「Mine Seel erhebt den Herren」BWV10。リヒター先生はBWV147と同じ祝日用だが重複して採用している。

カトリックでマニフィカトと呼ばれるマリアの賛歌がここに反映している云々。マニフィカトの独訳がそのまま。バッハはこのフィナーレをオルガン独奏用に仕立てている。いわゆる「シュプラーコラール」の4番目に収まるBWV648である。

第2曲アリアはソプラノ屈指の出番。バスがディースカウ先生の出番になってないこともあって、リヒター先生には内緒でアメリンク盤を愛聴している。

2024年7月 2日 (火)

心と口と行いと生き様は

マリアのエリザベート訪問の祝日用「Herz und Mund und tat und lieben」BWV147ではあるのだが、「主よ人の望みの喜びよ」と題されたピアノ編曲があまりに有名で、バッハの預かり知らぬところながら、ややもすると鑑賞を妨げる。

大天使ガブリエルから受胎告知を受けたマリアが親戚のエリザベートを訪ねたということに由来する固定祝日。

その上、バスの独唱がディースカウ先生の出番になっていない。

 

2024年7月 1日 (月)

師弟競演

オーボエのマンフレートクレメント先生の出番集をUSB上に作った。

それを作る過程で、あっと驚くネタにたどり着いた。

リヒター先生のバッハカンタータ選集は全75曲が24のディスクに収められている。その中のディスク18を聴いていたときのことだ。オーボエの演奏家にハンスイェルクシェレンベルガーと書いてあるではないか。

この人ベルリンフィルの主席を務めた人で憧れのオーボエ奏者だった。たしかミュンヘンの生まれだった。シェレンベルガー先生はマンフレート・クレメント先生に師事していたのだ。どこかで聞いたことがあると感じたのはこれだった。

そう。カンタータ137番地と33番では、クレメント先生とシェレンベルガー先生の競演が聴ける。

もはやバッハそっちのけ。

 

2024年6月30日 (日)

尊き御神の統べしらすままに

三位一体節後第5日曜日用「Wer nur den lieben Gott lasst walten」BWV93。コラール「ただ愛する神に委ねる者は」に基づく変奏曲の花束という風情。付き従うのはオーボエ2本だけが加わる管弦楽。

ディースカウ先生の出番は第2曲に少々。だがクレメント先生のオーボエが寄り添うソプラノのアリアが秀逸。規模は小さいながらどうしてどうして捨てがたい。

2024年6月29日 (土)

クレメントの出番集

マンフレート・クレメント先生の出番がカール・リヒター先生カンタータ選集全75曲の中でどれほど出てくるのか調べた。

結論から申すなら圧倒的だ。84カ所に及ぶ。これはディースカウ先生の出番87カ所に次ぐ。リヒター先生の選集にはクレメント先生以外の人がオーボエを担当している作品もあるが、この数値はクレメント先生の出番だけに絞っての値だ。

様々な出番がある。声楽の混じらぬシンフォニア、アリアの伴奏、二重唱の伴奏、合唱の伴奏あるいはわずかながらレチタティーボに付き従うケースもある。総奏で鳴る中にオーボエがあっても私が聞き逃しているということもあるだろう。ここにあげた84カ所は私が聞き取れた場所だ。全て再生すると6時間49分。演奏時間ならディースカウ先生の出番4時間49分を大きく上回る。

クレメント先生の出番だけをBWV番号順に抜き出した特製USBを作った。時々ディースカウ先生やシュライヤー先生との共演も混じる。

いやはや圧倒的な面白さだ。

2024年6月28日 (金)

マンフレート・クレメント

オーボエに軸足を移してカンタータを聴き始めてすぐのことだ。

きれいな音。華麗な出番がキレッキレであるというよりも、単なる伸ばしの音がきれいな人だなと思った。リヒター先生のカンタータ選集のブックレットを見るとマンフレート・クレメントとある。そのつもりで聴き進めるとなんだかすごい人だと感じ始めた。同時にどこかで聞いた名前とも感じたが思い出せぬ。

旧東独生まれで、ドレスデンで研鑽を積み、ライプチヒゲヴァントハウスで主席奏者になったのが二十歳の頃とかいう強者だ。さる演奏会を機に西側に亡命してミュンヘンに居を構え、バイエルン国立歌劇場の主席奏者に就任。バルセロナからレアルマドリーに移籍したようなものかと。我が家にあるCDでいえば、クーベリックやコリン・デーヴィスのブラームスで出番があったはずだ。

こうしたミュンヘンでの経歴からかリヒター先生のバッハ管弦楽団にも参加したに違いない。三顧の礼で迎えられたかどうかは不明ながら、重要なソロが吹かせてもらえている。バスのディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ先生に匹敵する位置付けかと納得している。

2024年6月27日 (木)

軸足オーボエ

カンタータの聴き方の変化の話。

歌手たちとりわけディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ先生の出番を起点に楽しんで想定外の収穫にありついたばかりだ。ここに新たな視点を加える。それがオーボエだ。

元々カンタータ82や30でオーボエがディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ先生の出番で拮抗していた。事実上の「二重協奏曲」だ。

リヒター先生のカンタータ選集を75曲をそういう視点から聞き直してみる。

本当に本当に楽しいトライだった。歌手たちの出番はブックレットの記載を見ればわかる。「アリア」「レチタティーボ」という記載には必ず声種が併記されているからだ。ところがオーボエの出番は、どの楽曲にあるのかはわからない。BWV82で申せば「BWV82にオーボエの出番があること」はわかるが、第1曲から第5曲のどこにあるのかは書いていない。「レチタティーボにはないはず」程度の見当は付けられるが、単なる伸ばし程度の出番なのか華麗なソロなのかもわからない。

「オーボエ聴くぞ」と思って聴くカンタータ体験だ。

新しい。

 

2024年6月26日 (水)

オーボエという楽器

ヨハネの祝日用のカンタータ第30番にはオーボエやオーボエダモーレの出番が充実している。バッハのカンタータの聞き所は独唱歌手によるアリアだと思ってはいるのだが、実はオーボエにも華麗な出番が多いと感じてはいた。

ブラームスに目を移せば室内楽に出番はないもののコンチェルトを含む管弦楽には納得の出番がところ狭しと並ぶ。オーボエの友人曰く「オケでは2番オーボエも面白い」らしい。そりゃあ室内楽に出番のあるクラリネットやホルンには一歩譲るが、充実度は負けていない。

第一交響曲の序奏、同じく第一交響曲の第二楽章、第二交響曲の第三楽章などおいしい見せ場が多い。ヴァイオリン協奏曲の第二楽章では延々と独奏ヴァイオリンを黙らせるというブラームス節の根幹をも背負っている。

昔からヴァイオリンとオーボエのための協奏曲は大好きだった。ブランデンブルク協奏曲にも出番がある。しかしその程度にとどまっていたのもまた事実だ。バッハへのアプローチが器楽限定になっていたから仕方がない。カンタータにどっぷりつかってみて、まず独唱アリアに目覚め、ほどなくオーボエにもと視界が広がった。

2024年6月25日 (火)

愛のオーボエ

「混じりけなき心」BWV24にテノールの見せ場があって、2本のオーボエダモーレが印象的と書いた。オーボエダモーレは「愛のオーボエ」という意味だ。バッハのカンタータにはよく出てくる。リヒター先生のカンタータ選集に出てくる75曲を調べるとざっと下記の通りとなっている。見落としもあるかもしれぬ。

  1. BWV64
  2. BWV81
  3. BWV92
  4. BWV100
  5. BWV104
  6. BWV108
  7. BWV115
  8. BWV121
  9. BWV124
  10. BWV139

脳内に浮上した楽想を音楽に転写するにあたって、どのような楽器を充てるのかは凡人には計りかねる。これらにオーボエダモーレを充てねばと思いつくバッハ脳みそを思いやる。

 

2024年6月24日 (月)

喜べ贖われし群れよ

本日は洗礼者ヨハネの誕生日。イエスに洗礼を施したヨハネの誕生日はキリスト教の祝日になっている。それようのカンタータが「Freue dich,erloste Schar」BWV30ということだ。

父ザカリア、母エリザベトは子宝に恵まれず悩んでいたが、ザカリアがお香を焚いていたときに天使ガブリエルが現れて、エリザベトの懐妊を告げたという。

全12曲が前後2部に分かれた大規模なカンタータ。元々は世俗カンタータだったものがバッハ本人により転用された。いわゆるパロディだ。オケにはフルート、オーボエ,オーボエダモーレに加え、トランペットやティンパニも加わる。

ディースカウ先生の出番は前半後半それぞれにレチタティーボとアリアがある。第3曲の方には華麗なコロラトゥーラ状の出番が聞き所になっている。第6曲は例によって「バスとオーボエのための協奏曲」といった趣き。BWV82のフィナーレと同じだ。

 

2024年6月23日 (日)

混じりけなき心

三位一体節後第4日曜日用。「Ein ungegfarbt Gemute」BWV24。合唱が中央の第3曲に置かれマタイ福音書から「人にしてもらいたいと思うことは、あなた方も人にしなさい」と歌う。この前後をアリアやレチタティーボが取り囲んでいるというわけだ。

直後の第4曲のレチタティーボでディースカウ先生が悪魔の仕業を列挙して神の加護を祈るかのよう。

第5曲のアリアはテノール・ペーターシュライヤー先生の見せ場。2本のオーボエダモーレが印象的。

2024年6月22日 (土)

つくづくグッドジョブ

ドーヴァー社のバッハの楽譜が「旧バッハ全集」準拠だという話。これを昨日グッドジョブと評した。

よくよく考えると、カールリヒター先生は「旧バッハ全集支持」だった。いわく「新全集は研究成果の反映はあるにしても誤植も多い。しかも旧全集の方が印刷の具合がよろしい」とその根拠を述べていた。ドーヴァー社の楽譜がその字体まで含めたコピペで、刊行時に付与されたのは目次だけにとどまると考えると、ドーヴァー社のフルスコアを見ることは、リヒター先生の見た楽譜を見ることに等しくはないか。

もっとある。

旧バッハ全集は1851年に第1巻が刊行され、これをクララ・シューマンが「友情の印」としてブラームスに贈っている。それ以降ブラームスは没するまで旧バッハ全集の新刊を手元に取り寄せて、自らの蔵書とした話は既に述べておいた。

ドーヴァーの楽譜はブラームスの見たままということになる。

2024年6月21日 (金)

棚からドーヴァー

家中のドーヴァー社の楽譜を慌てて見直した。

ブランデンブルク協奏曲や管弦楽組曲、オルガン自由曲も全て旧バッハ全集だった。

旧バッハ全集はもっとも新しいもので1897年の刊行だから、著作権があったにしても切れている。ドーヴァー社が廉価版を供給できるのは、そうした背景もあるに違いない。

ドーヴァー社グッドジョブだ。

2024年6月20日 (木)

納得の辻褄

昨日の記事「BWV番号脱落」でドーヴァー社のカンタータの楽譜本編タイトルにBWV番号の記載がないと書いた。

この現象の理由を調べていて目から鱗が数枚落ちた。

同カンタータ集の冒頭に参照元が記載されている。

「ドーヴァー社の刊行は1976年だが、その参照元はライプチヒバッハ協会が1851年から1881年にかけて刊行したバッハ作品全集である」と書かれている。旧バッハ全集のことだ。ウイルヘルム・ルストという校訂者名も付記されていた。

ドーヴァー社の種本が旧バッハ全集なら、1950年に考案されたBWV番号が反映しないのは当然だ。しかし利用者の利便を考えて目次にだけBWV番号を挿入したということでつじつまが合う。

目次に続く楽譜本文はタイトルまで含めて旧バッハ全集のコピペだということになる。

2024年6月19日 (水)

BWV番号脱落

さて、昨日ドリアン状態の説明にと掲載した写真を今一度ご覧いただく。

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タイトルの部分を見る。「マリア清めの祝日」に続いて荘重な装飾文字で「Ich habe Genug」とある。ところがところが、「BWV82」という記載が漏れている。ドーヴァー社のカンタータの楽譜2種は全てこの状態、つまり「BWV番号不添付」となっている。

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わずかに目次にだけはタイトル左端にBWV番号が付与されているが、ここを頼りに各ページにたどりついても、そのページにある作品タイトルにはBWV番号が脱落しているということだ。

«ドリアン状態

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