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2023年6月 9日 (金)

フリッチャイ

パズル交響曲の13人 」の選定を決めた瞬間に、「第九」はフリッチャイと決めていた。申し訳ないがそれは、フィナーレのバリトン独唱がディートリヒ・フィッシャーーディースカウだからである。しかしだフリチャイがベルリンフィルを振ったその演奏はただ者ではない。

莫大な量の録音を残したフィッシャー-ディースカウ先生ではあるのだが、第九はフリッチャイ盤だけだ。世に出るアシストをしてもらった恩義かもしれぬ。彼の膨大なレパートリーからしたら間違えても本流とは言えないながら、他のバリトンたちを圧倒する歌唱。何度聴いてもすぐ彼とわかる。

それにしてもフリチャイだ。セル、ショルティに続きまたハンガリーだ。多くは米国のオケを振って名を成したが、この人が振っているのは、ベルリンフィルだ。若くしてこの世を去ったせいか、ベートーヴェンは3,5,6,7,9番だけしか残っていない。彼がベルリンフィルを振っているために、パズル的にカラヤンも、ラトルも、クリュイタンスもフルトヴェングラーも圏外に追いやることになる。

フリッチャイとディースカウ先生のコラボなら致し方あるまいと自分に言い聞かせている。

2023年6月 8日 (木)

ケンペ

そもそもベートーヴェンの8番にはよい記憶がない。ひよっこのヴィオラ弾きには取っ付きにくい。相当難しい。フィナーレがさっぱり形にならん。ベートーヴェンの落ち度ではないが、実は聴くのも避けていた。今回の「パズル交響曲の13人 」のために聴きまくった。

最後に残った椅子で、まだ取り上げていない指揮者とオケの中からという消去法でたどりついたのがルドルフ・ケンペだ。恥ずかしながら、昔はピアニストのウィルヘルム・ケンプと区別がついていなかった。指揮者でピアニストは珍しくないせいもある。

無理やり選んだ割にはよい。なだらか、すこやか、しなやか。8番たるものこのくらいがちょうどいいなどと自己満足している。

2023年6月 7日 (水)

父子鷹

/パズル交響曲の13人 」で7番はカルロス・クライバー。現在脳内首席指揮者の座に君臨中だ。

初めて聞いたのは社会人になってからかと。ブラームスの4番、ベートーヴェンの5番7番がウィーンフィルだ。遅れて画像を見た。ベートーヴェンの4番と7番をアムステルダムコンセルトヘボウを振った。やがてニューイヤーコンサートで決定的となり、それからあれこれ集めた。

きっかけは勘違いだった。「フィガロ」もあるんかいとばかりに買い求めたが、これはカルロスの父エーリヒの演奏だった。そう彼らは二代にわたる大指揮者だということであると遅ればせに気付いた。ご尊父の演奏は録音こそ古いものの、聴きごたえというか説得力はかなりな感じ。

オケはウイーンフィルではなく、バイエルン国立だ。バルビローリのブラームスがウイーンフィルなせいだ。とはいえカルロスクライバーの演奏が全13曲の中央、扇のかなめに鎮座する端正な結果に満足している。

2023年6月 6日 (火)

ワルター

企画「パズル交響曲の13人 」で選出した指揮者の中では1876年生まれのブルーノ・ワルターは最年長。この人のステレオ録音が残っていることは、すごいことだと思う。大学時代に仲間と多くを語らったころ、ワルター好きがいて、何度も聴かされて刷り込まれた。「なんか落ち着く」とでもいうのだろうか。

13番ブラームスの4番にウィーンフィルのバルビローリを採用したとばっちりでベームが圏外に去り、田園交響曲の選定がとん挫するところだが、ワルターがいた。フィナーレのほのぼのっぷりがツボを押さえきっている。

 

2023年6月 5日 (月)

ヴァント

クラシック音楽とりわけベートーヴェンに目覚めた。第5番「運命」は最初のレコードではあったが、今となっては演奏家を思い出せない。今回「パズル交響曲の13人 」選定にあたって、改めてじっくり聴き比べた。「オケ重複なし」「指揮者重複なし」という制約の範囲でお気に入りをそろえるというチャレンジは悩ましくも楽しい作業だった。

5番に選出したのはギュンター・ヴァント。大満足。楽章毎の演奏時間のバランスがクライバーに近い。13曲中唯一ハンブルクのオケだというのも地味に貴重。

2023年6月 4日 (日)

クーベリック

チェコの指揮者。いやはやすごいのは彼のベートーヴェンの交響曲全集だ。下記の通り9曲すべてオケが違う。

  • 1番 ロンドン交響楽団
  • 2番 アムステルダムコンセルトヘボウ管弦楽団
  • 3番 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
  • 4番 イスラエルフィルハーモニー管弦楽団
  • 5番 ボストン交響楽団
  • 6番 パリ管弦楽団
  • 7番 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
  • 8番 クリーヴランド管弦楽団
  • 9番 バイエルン放送交響楽団

彼はチェコ出身なのにチェコのオケがない。共産主義化を嫌って西側に亡命するなど多難な事情によるものと思われる。ブラームスの交響曲では4種類のオケを率いてはいないのが残念。

「パズル交響曲の13人」では4番で選出。イスラエルフィルの弦楽器が美しい気がするという理由だ。

2023年6月 3日 (土)

ショルティ

20歳成人に達した私に、父はベートーヴェンの交響曲全集のレコードを買ってくれた。ショルティ指揮シカゴ交響楽団だ。英雄交響曲の最初のレコードではなかったが、もっともたくさん聴いた演奏だ。だから「パズル交響曲の13人 」ではかなり順当に「3番はショルティ」と決まった。

彼がシカゴ交響楽団とセットなおかげで、フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団の第九は、人生初の第九ながら落選となった。

ショルティをはずせない理由はもう一つ。ハネムーンで訪れたウィーンで彼らのマーラーの5番を生で聴いたからだ。そのライブ録音がCDで出ている。エンディングの拍手には私も参加していることになる。

 

2023年6月 2日 (金)

ジョージセル

セルは「Szell」と綴る。音楽に親しみ始めたころ、不思議に思った。英米独伊の名前だとなんとくスぺリングが想像できるのだが、ハンガリーやチェコは慣れも必要だ。ハンガリー出身の指揮者が活躍の場を米国に求めるというのはよくある。セルもその一人。「セル」「クリーヴランド管弦楽団」は半ばセットだ。その組み合わせでベートーヴェン9曲ブラームス4曲がしっかりコレクションになっている。

先の「パズル交響曲の13人 」ではベートーヴェンの2番での選出。決定打となったのは第1楽章主部が流れること。序奏が終わって第一主題が走り出す際の解放感がポイント。

2023年6月 1日 (木)

リカルド・シャイー

昨日の記事「パズル交響曲の13人 」で、ベートーヴェンとブラームスの交響曲全13曲について、「我が家所有のCD」「指揮者重複なし」「オケ重複無し」をルールに13曲を13の指揮者、オケで選定した。

リカルド・シャイーはライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を率いてベートーヴェンの1番での選定。私のコレクションでは最年少。1953年生まれだから私より7歳年長で最年少。職場では若い人に囲まれながらの仕事は大好きなのだが、演奏家はそうはいかない。困ったものだ。

ベートーヴェンとはいえ初期なんで、重たいテンポは合わない。シャイーはすっきりと流れる。

一方彼のブラームス交響曲全集は芸が細かい。全3枚組で4つの交響曲は2枚目までに収まってしまっているのに、わざわざ3枚目が追加された形だ。「ハイドンヴァリエーション」「大学祝典序曲」「悲劇的序曲」が加わるのはメジャーな話なのでさしたる驚きはないものの、さらに以下が添えられる。

  1. 第4交響曲第一楽章の別バージョン
  2. インテルメッツォop116-4の管弦楽版
  3. インテルメッツォop117-1の管弦楽版
  4. 愛の歌op52管弦楽版
  5. 第1交響曲第二楽章の初稿
  6. ハンガリア舞曲1番
  7. ハンガリア舞曲3番
  8. ハンガリア舞曲10番

以上。2,3はブラームス自身の編曲ではない。4は「木管五重奏+弦楽合奏版」だ。この3曲の音源は我が家でこれだけだ。

ハンガリア舞曲からこの3曲を選んでいるのは、これらだけがブラームス自身の編曲だからに違いない。

ブラームスやベートーヴェンの研究成果が盛り込まれているとでも申すべきか。

2023年5月31日 (水)

パズル「交響曲の13人」

昨年の大河ドラマ以降、どうも「13人」にはまっている。本日もその系統。思いついたきっかけは、交響曲の数だ。ベートーヴェン9曲にブラームス4曲を足すと13になるという素晴らしい偶然。しかも大指揮者ハンス・フォン・ビューローはブラームスの1番を指して「ベートーヴェンの第10」と呼んだ。つまり両者は足し算したいほど密接なのだ。

パズルのルールは下記。

  • ベートーヴェンとブラームスの交響曲全13曲について我が家所有のCDから1曲ずつ選ぶ。
  • その際、同じ指揮者を2度以上チョイスできない。
  • 加えて、同じオケを2度以上選べない。
  • 上記制約の内側で出来るだけ大好きな演奏を取りそろえる。

これが意外と複雑でやりがいがあった。結果は下記の通り。

  • 1番 リカルド・シャイー ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
  • 2番 ジョージ・セル クリーヴランド管弦楽団
  • 3番 ゲオルグ・ショルティ シカゴ交響楽団
  • 4番 ラファエル・クーベリック イスラエルフィル
  • 5番 ギュンター・ヴァント 北ドイツ放送交響楽団
  • 6番 ブルーノ・ワルター コロンビア管弦楽団
  • 7番 カルロス・クライバー バイエルン国立管弦楽団
  • 8番 ルドルフ・ケンペ ミュンヘンフィル
  • 9番 フェレンツ・フリッチャイ ベルリンフィル
  • 10番 シャルル・ミュンシュ パリ管
  • 11番 セルジュ・チェリビダッケ シュトゥットガルト放送交響楽団
  • 12番 クルト・ザンデルリンク ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
  • 13番 ジョン・バリビローリ ウィーンフィル

ほれぼれ。

ビューロー先生がおっしゃる通り、10番はブラ1。よって自動的に11番はブラ2、12番はブラ3そして13番がブラ4.念のためである。改めてつくづく思うのは昔の演奏ばかりということだ。最年長はワルター1876年生まれで、ブラームス第一交響曲初演の年だ。最年少のシャイーでさえ私より7つも年長だ。私の母より年下はそのシャイーだけ。寄る年波なコレクションだ。

 

 

 

2023年5月30日 (火)

ブログ創立18年

本日ブログ「ブラームスの辞書」は2005年5月30日の創立から満18年の節目を迎えた。満18歳だ。成人年齢の引き下げで18歳から成人ということになる。地味に大切なことは、18未満の人々、つまり未成年の全員の誕生日に記事が1本は必ず存在するということだ。これも毎日更新の賜物である。

成人に達したからと言って、明日から世話を怠るとたちまち息絶えてしまうというはかなさもまた、醍醐味の一つである。

2023年5月29日 (月)

首席ヴァイオリン協奏曲

中学生でクラシック音楽に目覚めた。作曲家をキーに申せばさっそくはまり込んだのがベートーヴェンだ。ジャンル切り口というとベートーヴェンの主戦場である、交響曲、弦楽四重奏曲、ピアノソナタは自然だが、実はヴァイオリン協奏曲にも興味を持った。バッハやヴィヴァルディあたりの協奏曲までも余裕で視界に入ったものだ。当時は第一楽章にリトルネロが来るバロック協奏曲と古典派以降の協奏曲の違いなんぞ意識していなかった。

ベートーヴェンにはたった1曲しかないので、他の作曲家に範囲を広げてはみたものの、やはり脳内ヴァイオリン協奏曲ランキングの首位は長くベートーヴェンだった。大学オケ同期が下宿コミュニケーションの中でしきりにブラームスを薦めてくれたが、当初聞く耳をもたなかった。

大学2年の春にブラームスへの宗旨替えが起きて初めて、ブラームスのヴァイオリン協奏曲に入れ替わった。あれから44年経過した今も、ブラームスが首位の座に君臨している。

 

2023年5月28日 (日)

笠間詣で

一昨日、母を連れ出して茨城県の笠間に行ってきた。

秋には栗がメインターゲットになるが、かなり混雑するので今の時期は気楽だ。

笠間稲荷参詣をメインに据えて、門前の土産物店を散策。行きつけの古物商、カフェ、焼き物ショップと徘徊し、ランチはお蕎麦。

おやつにはモンブランケーキ。

お土産は稲荷寿司、水戸納豆。

好天を味方につけての日帰りドライブであった。

2023年5月27日 (土)

聴き方の癖

中学時代に始まったクラシック音楽への傾倒は、当然のごとくレコード中心だった。生演奏のよさをわかっていても、全体の鑑賞量に対するレコード鑑賞の割合は相当高かった。FMラジオのシェアも無視しうる範囲。レコードをCDに置き換えれば今も変わらない。

さてそうした環境で身に着いた聴き方の癖がある。だいたい高校時代に始まって大学入学後に固まったと記憶している。

<鳴っている作品名を知っておきたい> ただ鳴っているというのが嫌いだった。「誰それ作曲の、交響曲〇番」くらいは最低押さえておきたかった。調性と作品番号もあればなおよろしい。

<楽譜を見ながら聴きたい> 感動する瞬間の楽譜がどうなっているのかに興味があった。

これらはつい最近まで踏襲されていたのだが、バロックへの傾斜が本格化すると少し怪しくなった。覚えきれないということだ。ただBGMとして流しておいて、気に入った部分が来たら作品名を調べるという手順も出てきた。

 

 

2023年5月26日 (金)

作曲家ファイル

先日演奏会に出かけたときに興味深い買い物をした。

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作曲家ファイルだ。もちろん私はブラームスを即買いだったが、他の作曲家もかなりな品揃えがあった。A4の普通のクリアファイルだが、やはりまんまとはまる。

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裏面にはブラームスの作品番号表だ。op1からop122までずらりと列挙される。難を言うとこれらがみな英語表記ということくらい。ハードルの高さ覚悟でドイツ語にしてほしかった。

ほくほく。

 

2023年5月25日 (木)

オーケストレーション

「管弦楽法」と訳されるか。管弦楽作品を書くための技法のこと。管弦楽作曲家は是非持っていたほうがいい技能だ。あらゆる音楽系の知識の総動員が求められる上に、そこそこの経験もはずせない要素だ。

元来上記の通り概念なのだが、しばしば半ば意図的、半ば無意識な使い分けがされてきた。

<オーケストレーションを誉められる側の人々>

  1. ベルリオーズ
  2. リムスキー・コルサコフ
  3. ラベル
  4. ドビュッシー
  5. ワーグナー 多分こちらなのだと思う。

<オーケストレーションを誉められない人々>

  1. バッハ 二管編成の確立以前に活躍したから誉められなくて当然。
  2. モーツアルト とりたててオーケストレーションだけが誉められる訳ではない。
  3. ハイドン モーツアルトに同じ。
  4. シューベルト 旋律は誉められる。
  5. ドヴォルザーク 旋律は誉められる。
  6. ショパン そりゃあそうだろう。
  7. リスト 誉める人もいるか。
  8. シューマン 希に「下手」と言われてしまう。
  9. ブルックナー 「独特な」と形容されることはある。
  10. ブラームス 残念ながらブルックナーと同じでしばしば「独特な」と言われる。
  11. マーラー 長いとは言われる。

つまり、色彩感溢れる管弦楽曲を書く人、あるいは管弦楽から様々な音色を導き出す人が誉められる傾向がある。パレットに絵の具が色数多く用意されている人だけが誉められているような気がする。水墨画の大家は「独特な」と評されることはあっても「オーケストレーションの達人」とは言われない。この用法によればブラームスは誉められない側なのに、古来から演奏家たちの帰依を勝ち取ってきた。現代のCDショップやコンサートホールでの人気ぶりも周知の通りだ。「オーケストレーション」という言葉がこのような使われ方をする限り、ブラームスは誉められたいとは思っていないだろう。

さてベートーヴェンはどちらだ。

2023年5月24日 (水)

二管編成

これでオーケストラの編成が言い表されている。

演奏に参加する弦楽器の本数は、管楽器の本数から半ば自動的に決まるとされているので、管楽器の本数だけを言えばオーケストラの規模が決まるのだという。何かと例外も多いが、大雑把にイメージを把握するには便利な言い方だ。

「二管編成」とは文字通り管楽器2本を意味する。各種管楽器が2本づつという訳である。これを基本にしてさえいれば少々入れ替わりがあっても「二管編成」と呼び得る。たとえばフルートがピッコロ持ち替えだとかオーボエがコールアングレ持ち替えでも可だ。ホルンだけ3ないしは4でも大目に見ることもある。弦楽器はヴァイオリンは各々5プルト、ヴィオラ、チェロ3プルトのコントラバス2プルトといった感じだ。

何を隠そうこれがブラームスの管弦楽の基本編成だ。ホルンはしばしば4本使われるし、トロンボーンが3本のこともあるが断じて「三管編成」までは行かない。強いて言うなら「2.5管編成だろう。ブラームスの晩年には四管だって珍しくはなくなっていたが、断固二管編成にとどまった。昨今、「倍管」と称して管楽器にアシを付けての演奏も見かけるが、これは四管編成とは当然区別されている。

時代が新しくなるにつれてこれが三管、四管・・・・・という具合に増強が進んで行く。五管はおろか八管まであるという。実際に見たことはないが、ブラスバンドと弦楽器のジョイントコンサートみたいな感じなのだろうか。小学生が考えると二管編成でヴァイオリンが5プルトなのだから八管編成だと20プルトということになる。

何だか戦艦の主砲みたいだ。ブラームスは平和主義者だ。三管、四管、五管と続く軍備増強には背を向けていた。管楽器増やせばいいってモンでもなかろうと思っていたことは確実と思われる。ドヴォルザークはやや大きめの二管編成と考えられている。

そうそう、ベートーヴェンだって二管編成だ。

2023年5月23日 (火)

フィデリオ

ベートーヴェンが遺した唯一のオペラのタイトルだ。無実の罪で監禁される夫の救出に奮闘する妻の物語だ。救出のチャンスを伺うために妻は「フィデリオ」と名乗って男になりすます。夫婦の愛が主題だ。

周知の通りブラームスはベートーヴェンを尊敬していたが、「フィデリオ」については手放しの称賛ではなかったらしい。相手や言葉を慎重に選びながら苦言を呈することも忘れない。

ハンブルクフィルハーモニーのポストにありつけなかった失意のブラームスにウィーン進出を促した人々がいた。その一人がルイーゼ・ドゥストマンという女性だ。ウィーン宮廷歌劇場の歌手だ。しかも下っ端ではない。「フィデリオ」のタイトルロールを努めたとされている。つまり主役レオノーレを歌ったということだ。

ブラームスはウィーン進出前に既に少々のコネを持っていたということだ。無闇に故郷を飛び出した訳ではなかった。

1814年5月23日、ウィーンにて歌劇「フィデリオ」初演。つまり今日初演209周年だ。

2023年5月22日 (月)

下宿コミュニケーション

大学オケの門をたたくとすぐ、仲間との交友が始まった。自宅から通っていた私だが、先輩や仲間の下宿での飲み会に明け暮れた。安酒につまみ持ち寄りの会。

話題は意外とまっとうで、音楽中心。演奏家論、作曲家論とまでは突き詰めない音楽ネタだ。演奏会の曲目決定時期にはかなり盛り上がる。決まった後、練習に取り組む間、特定の作曲家や作品が話題の中心になる。

当時はCDではなく、レコードやカセットテープで、さまざまな演奏を聴きながら他愛なくもりあがったようで、実は強烈な刷り込みになっている。

2023年5月21日 (日)

スマホ更新

電池の消耗がやけに早くなってはいた。それでいて充電を始めるとすぐに満タンになる。けれどもまたすぐになくなる。その繰り返しがここ数か月続いていた。在宅勤務が増えたから、外出が減っているせいで、我慢の範囲を広げていたが、やはり買い替えた。3年半での交換だ。それにしても高価だ。運転免許と違って返納はもはや非現実的だ。死ぬまで使うと考えると、3年から4年で更新していたら、あと何回更新があるのやら。

この際とばかりにホームWiFiやタブレットを解約して月額数千円節約に踏み切った。スマホを持ち続けるため節約に舵をきった。ホームWiFiはケーブルTV会社のセットを利用することで事足りる。

生活の仕様を在宅モードから徐々に年金モードに転換してゆかねばなるまい。

 

2023年5月20日 (土)

聞き倣し

「聞き倣し」と書いて「ききなし」と読む。鳥を含む動物の鳴き声に人間の言葉の音を当てることだ。犬の鳴き声を「ワンワン」とするのがその代表だ。Dogは「ワンワン」とは鳴かずに「Bow Bow」と鳴く。言語が違えば当然聞き倣しの結果も変わる。寝ている間は、人間も動物の仲間だと実感する。日本では「グーグー」だが、英語圏では「zzzzzzz」だ。いびきの音は聞き倣しの対象になっている。つまりその間は動物だということだ。

さて学生のオーケストラは定期演奏会を中心に回っている。メインプログラムともなると3ヶ月程度は練習するものだ。作品に登場する印象的な旋律に歌詞を付けて歌う輩が出て来る。傑作を毎度生み出す「聞き倣しメーカー」も一人や二人は必ずいるものだ。私が聞いた範囲でも以下の通り多彩である。

  1. 「こ~んなたっかい音出る訳ないのに」 ベートーヴェンの交響曲第7番第4楽章のホルンの難所。
  2. 「ク~ラリネットちょんぼちょんぼ」 ベートーヴェンの交響曲第9番第2楽章中間部
  3. 「金ね~よ~、ひもじ~よ~」チャイコフスキー悲愴交響曲第1楽章冒頭
  4. 「めーしー早く喰いてえよー、さーけー早く飲みてえよー」チャイコフスキー悲愴交響曲第2楽章冒頭
  5. 「コンパでビールを飲もー」チャイコフスキー悲愴交響曲第3楽章冒頭
  6. 「うら~のにーわで、ポチが鳴く、こーこ掘れこーこ掘れ」ドヴォルザーク「アメリカ」四重奏曲冒頭。
  7. 「ダブトン、ドラ3」マーラー第5交響曲第3楽章エンディング。

学生たちはこの手の替え歌が好きだ。さりげなくセンスも問われる。アルコールが入った席でよく歌われる。学生歌にも、同じ旋律が別テキストで歌われる異稿が数多く派生している。替え歌あるいは聞き倣しのノリは学生歌の神髄という気がする。上記の7番は私が発案者だ。大学4年の秋、マーラーに挑む中、マージャン卓を囲んでいて思いついた。

さて前置きが長くなった。ブラームスにも聞き倣しがあった。

  • 「お~れはど~にももてない男だ」交響曲第3番第4楽章
  • 「あじ、さば、うに、いか、たい、かに、とろ、えび」交響曲第4番第1楽章冒頭。

あまりに出来が良い場合、そうとしか聞こえなくなるという副作用も報告されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年5月19日 (金)

トリセツ

この度のリベートヴェン運動にあたり、手ごろな参考文献はないかと書店をうろついていて発見した。

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そのものズバリのトリセツだ。ベートーヴェンより「トリセツ」が大書されているのがすごい。楽聖ベートーヴェンの入門手引書にはかなりなニーズがあるのだろう。

ベートーヴェンの楽譜上の用語使いが少しだけクローズアップされている。その調子で深堀りしてくれていたら「ブラームスの辞書」の比較参照で記事が数十本かけていたにちがいない。

2023年5月18日 (木)

ネイティブの歌手たち

クラシック音楽の世界で歌手と呼ばれる人たちは、お生まれの国に関係なく、イタリア語とドイツ語は必須だと思われる。英語、中国語、スペイン語など、使用人口の多い言語はあるにはあるけれど、クラシックのレパーリーからは断じてイタリア語とドイツ語だろう。ましてやCDが発売されているような歌手は、この両言語について課題を抱えているなどということはあり得まい。

がしかし、先の第九のリストで、バリトンの歌いっぷりを比較するに及んで、やはりネイティブのドイツ語スピーカーの歌唱の方がいいかなと感じ始めている。発音のなじみっぷりとか、間合いとかの話である。中学時代にカタカナで第九のフィナーレを丸暗記した経験から、どうも非ドイツ語圏の歌手たちの歌い方にカタカナ感が見え隠れする気がしている。なんだか堅苦しい感じがぬぐえない。これは演奏を聞き分けるよい材料でもある。とはいえ、ドイツレクイエムやリートを聴いている限りはあまり感じなかった。

イタリア語のオペラはイタリア人歌手の方がいいのかという突っ込みは覚悟で申している。

2023年5月17日 (水)

一筋の光明

昨日、第九をバリトンをキーに列挙した。なぜそのようなことするかというと、歌は聴いていて誰なんだかわかるからだ。オケだけでわかる人にはわかるのだと思うけれど、まだまだ私にはハードルが高い。バリトン独唱はそれにくらべると数段楽だ。

フィッシャーディースカウ、プライ、リッダーブッシュ、モル、ハンプトンはほぼ百発百中だ。嫌いという意味で分かる人もいるにはいるが、聴き分けられるという意味では収穫のうちである。

これ、テノールは名高い独唱があるから、まだいい。ソプラノやアルトはつらいところだ。歌う方はもっとつまらんのではないかと危惧する。

2023年5月16日 (火)

バリトンの饗宴

中学時代、第九のフィナーレが唯一の声楽へのコンタクトだった。歌手たちとりわけバリトンをかっこいいと思った。がしかし、興味の対象が拡大するにつれて事情がわかってきた。ほとんどの歌手にとって第九の独唱はレパートリーの中核とは言えないということだ。極端な話「1にオペラ、2にオペラ、3,4がなくて5にリート」というのが実態だと感じた。非ドイツ系の歌手にいたっては「5もオペラ」かもしれぬ。日本でCDが売れるというだけでは、小遣い稼ぎ程度の位置づけかと。

嘆いてばかりいてもブログにならぬから、本日は我が家所有の第九のCDをバリトン独唱をキーに録音順に列挙する。

  1. 1951 オットー・エデルマン フルトヴェングラー/ウィーンフィル
  2. 1952 ルードヴィッヒ・ウェーバー E・クライバー/ウィーンフィル
  3. 1957 ハンス・ホッター クレンペラー/フィルハーモニア管
  4. 1957 フレデリク・ガスリー 米 クリュイタンス/ベルリンフィル
  5. 1958 ディートリヒ・フィッシャーディースカウ フリッチャイ/ベルリンフィル
  6. 1959 ウイリアム・ヴィルダーマン  ワルター/コロンビア管
  7. 1961 ドナルド・ベル セル/クリーヴランド管
  8. 1961 ドナルド・グラム ライナー/シカゴ響
  9. 1971 カール・リッダーブッシュ ベーム/ウイーンフィル
  10. 1972 マルッティ・タルヴェラ ショルティ/シカゴ響
  11. 1974 ドナルド・マッキンタイヤー ケンペ/ミュンヘンフィル
  12. 1975 トマス・スチュアート クーベリック/バイエルン放送響
  13. 1977 ジョセ・ファンダム カラヤン/ベルリンフィル
  14. 1979 クルト・モル バーンスタイン/ウイーンフィル
  15. 1980 テオ・アダム ブロムシュテット・ドレスデン国立歌劇場管
  16. 1981 ジョン・トムリンソン ザンデルリンク/フィルハーモニア管
  17. 1986 ヘルマン・プライ アバド/ウィーンフィル
  18. 1986 ハンス・ゾーティン ショルティ/シカゴ響
  19. 1986 ロナルド・ヘルマン ヴァント/北ドイツ放響
  20. 1987 ペテリ・ザルマア ノリントン/ロンドンクラシカルプレーヤーズ
  21. 1989   ペーター・リカ チェリビダッケ/ミュンヘンフィル
  22. 1990 サイモン・エステス ジュリーニ/ベルリンフィル
  23. 1999 ハンノ・ミュラー・ブラッハマン ギーレン/南西ドイツ放響
  24. 2002 トマス・ハンプトン ラトルウィーンフィル
  25. 2008 ハンノ・ミュラー・ブラッハマン シャイー/ゲヴァントハウス管

ハンノ・ミュラー・ブラッハマンが重複するので24名となる。我が家のブラームスリートのCDとかぶる人を青文字にしてある。バリトンのうたいっぷりだけで申すと、フリッチャイと組んだフィッシャーディースカウ。録音はこれだけなので猶更である。リッダーブッシュ/ベームとヘルマン/ヴァント、あるいはモル/バーンスタインもいい線である。

2023年5月15日 (月)

64回目の母の日

娘に言われてはっとした。「我が家で母がいるのはパパだけだからね」だと。言われてみればおっしゃる通りだ。63歳の私は昨日通算64回目の母の日を迎えた。同じ屋根の下に住んで、健康にこの日が来たことをお祝いする意味でささやかなプレゼントを贈った。

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手編みの手提げ。素材はくるみ。山葡萄は高価で手に負えないのでくるみでお茶を濁す。素朴でシンプルに加え大きさも手ごろ。日々のお買い物お供にいかがかと選んでみた。

2023年5月14日 (日)

初レチタティーヴォ

レチタティーヴォとは歌唱法の一つか。オペラ、オラトリオ、カンタータの中で、語り調で歌われる個所またはその唱方法のこと。ベートーヴェンの第九交響曲に目覚めた私のレチタティーヴォ初体験が、同曲のフィナーレで、初めてバリトンが歌い出す場所に置かれていた。当時は何のことやらさっぱりわからぬまま聴いていた。

鑑賞の中心がベートーヴェンで、ジャンルが器楽に極端に偏っていたせいで、オペラ系の知識が抜け落ちていたせいである。レチタティーヴォは、旋律を聴かせるアリアの反対概念にも見える。おいしい聞かせどころとなるアリアは、得てして歌手の見せ場であるのに対し、レチタティーヴェはストーリーや情景の説明機能の方に重心が寄っている。単純な伴奏が付与されるのが通例で、チェンバロの和音だけのこともある。

第九の見せ場のバリトンの登場のところに置かれていても、なんぞなんぞ考えもしなかった。シラーのテキストに入れ替わると同時に始まる歓喜の歌の導入でしかないとわかっていてもかっこいいレチタティーヴォであった。

2023年5月13日 (土)

歓喜と友

日本語で表記しては通じまいとばかりにドイツ語にしてみる。

  • Freude  歓喜
  • Freunde 友

似ている。「歓喜Freude」に「n」が挟まるだけで友になる。中学時代にはまった第九の終末合唱のテキストの話だ。カタカナで丸暗記を試みる中で、まず感じたのは「Freunde」が英語「Friend」に似ているということだ。ドイツ語と英語は言語学的には近いということを実感した最初の経験であった。次に感じたのは「フロインデ」と「フロイデ」の類似だ。第九で初めて声楽が現れるバリトン独唱は「オーフロインデ」とうたって始まる。ここはまだシラーのテキストではない。ほどなく始まる歓喜のメロディーからがシラーのテキストで「フロイデ シュネル ゲッターフンケン」と走り出す。「フロインデ」と「フロイデ」がいやでも対比される構造。

「歓喜」と「友」が似ているなんてかっこいいなと夢想する中学生だった。

2023年5月12日 (金)

唯一の声楽

13歳、中学1年生で第九に目覚めて、お決まりのごとく合唱付きのフィナーレにはまった。鑑賞の中心が極端に器楽に偏っていたせいで、オペラ全滅は申すまでもなく、バッハのカンタータも、シューベルトのリートも、シューマンの合唱曲もみな視界に入っていなかった。細々とした例外が、音楽の授業で習う「魔王」と「流浪の民」だった。ましてやブラームスは蚊帳の外も外の、論外であった。大学4年になるころ、ブラームスのドイツレクイエムが台頭するまで、私にとって第九が唯一の声楽であり続けた。

これがどれほど偏った嗜好なのかわかったのはつい最近だと申していい。ベートーヴェンに傾倒はしたのだが、フィデリオには目が届いていなかったし、ましてや歌曲も視界になかった。それがベートーヴェンだとまっすぐに信じていた。最初にはまったのがモーツアルトだったら、オペラはすぐに視野にはいってきたはずだ。

今ではもったいないことをしたとは思わない。声楽作品を温存できたと思うことにしている。未盗掘古墳みたいなものだ。

2023年5月11日 (木)

ドイツ語初体験

話は前後する。中学生で第九に目覚めた当時、やはり断然フィナーレだった。シラーのテキストによる歓喜の歌の大合唱という、大上段へのふりかぶりっぷりが中学生の脳味噌には刺激的だった。早々に買い求めたスコアを片手に聞きまくった。

そのテキスト、意味も分からぬまま覚えてしまった。「おお友よ、こんな調べにあらず」で始まるベートーヴェン自作の部分も合わせて丸暗記。「オーフロ~インデ、ニッヒトディ~ゼテーネ」という具合だ。まだ中学生だ。義務教育上の英語の学習が始まったばかりの脳味噌に、初めてドイツ語がしみ込んでいった。偏差値の足しにならぬドイツ語なのに、なんだか楽しかった。

これが今も大好きなドイツ語初体験であった。

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