2010年2月10日 (水)

ハンスリックの懸念

米国から帰国後、1895年に発表された2曲の弦楽四重奏曲を最後に、ドヴォルザークが絶対音楽から遠ざかったことは昨日書いた。

オペラや交響詩に関心が移ったのだ。1896年に発表されたのが3曲の交響詩だ。「水の精」「真昼の魔女」「金の紡ぎ車」だ。このうち前2曲がハンス・リヒターの指揮で、ウィーンでも演奏された。

これを聴いたハンスリックは、ドヴォルザークの作風の変化を敏感に感じ取り、リヒャルト・シュトラウスのようになりはせぬかと心配した。「絶対音楽」の旗手一人が、陣営から出て行くという危機感を持ったと解されている。

思い詰めたハンスリックは、もう一人の旗手ブラームスに相談を持ちかけた。「友人として警告をすべきかどうか」である。その警告が実際に発せられたのかどうかホノルカ博士の伝記では曖昧に書かれているが、結果としてドヴォルザークは「英雄の歌」を書く。交響詩の路線をひた走るのだ。

このときのブラームスの反応は伝えられていないが、残された作品群を見ればハンスリックの懸念は、あながち的はずれとは言えない。

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2010年2月 9日 (火)

多分偶然

ドヴォルザークは交響曲9曲を残した。弦楽四重奏曲は14曲だ。楽聖ベートーヴェンの土俵でも臆することはないようだ。ピアノソナタこそ無いものの、このほかの編成の室内楽も多いし、協奏曲も3曲ある。つまりこれはいわゆる「絶対音楽」の路線だ。

「絶対音楽」なんぞ私ごときに定義は出来ないが、器楽で物を言う際にソナタ形式を頻繁に用いる人々の音楽だと仮に考える。無論ブラームスもここに属する。器楽で物が言いたい作曲家にとってソナタ形式はとても便利なのだ。小品の三部形式がソナタ形式の輪郭をなぞっていることも少なくない。

オペラを11曲書いたり、交響詩にも複数の作品を残したとは言え、作品の出来映えをみるとドヴォルザークもここに帰属すると考えていい。美しい旋律が次々湧いて出るドヴォルザークは、ソナタの枠組みの中にそれらを収めるが故に客観性と普遍性を獲得したのではないか感じる。枠組みがないと単なるきれいな旋律の羅列に陥りかねない危うさがある。旋律的な魅力の大きさと表裏一体の関係だ。ブラームスは、そのバランスが少し旋律よりも構成感に寄っていることで均衡を保った。ドヴォルザーク自身それに気付いていたと思う。だからオペラ、交響詩に走ったスメタナとは別の道を行ったのだ。

そのドヴォルザークの作品一覧眺めていて驚いた。1895年に発表されたチェロ協奏曲、弦楽四重奏曲第13番、同14番を最後に、いわゆる「絶対音楽」を書いていないのだ。このあと9年の人生が残されていたが、オペラと交響詩中心の創作になる。

直感で申し訳ないが、ブラームスの死を境に絶対音楽から離れたように見えて仕方がない。残念なことにその後に生み出された作品はドヴォルザークの名声のさらなる向上には貢献していないようにも感じる。

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2010年2月 8日 (月)

仮設ドボダス

2月4日の記事「ピアノ限定版ドボダス」でピアノ独奏曲に限ってトップ系音楽用語の集計をしたと書いた。その後いろいろ興味深い発見があったものの、それらを深追いするのは「ブラームスの辞書」の手に余るとも感じている。

しかしそれでも、脳味噌の奥がムズムズして落ち着かない。楽譜はあまり持っていないからブラームスでやったような本格的なものにはならないが、出来る範囲でドボダスをブラッシュアップしたい。

我が家にある楽譜と解説書を総動員して出来る限りの音楽用語を集めようと思う。トップ系の音楽用語は楽譜を持っていなくても解説書の譜例で判明することが多い。せめてそれだけでもドボダスに取り込むことにした。つまり仮設ドボダスだ。

チョコを贈るだけが愛情の表現とは限るまい。

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2010年2月 7日 (日)

Quasi Tempo I

先般作成したドヴォルザークのピアノ独奏曲で使われた発想記号リストの話だ。

「Quasi Tempo I」という言葉が8箇所も使われている。「ほとんど冒頭のテンポで」と解するより道は無い。ブラームスには一度も出現しない言い回しだ。使われているのは三部形式における再現部または、変奏曲中である。難解なことに「Tempo I」も10箇所出現する。あろうことか、一つの作品中に両者が混在するケースさえ観察出来る。

再現部において冒頭と同じテンポが回復するのは自然だ。問題は何故「Quasi Tempo I」と「Tempo I」が使い分けられているかだ。何故「冒頭のテンポで」という断言を避けているのだろう。

実に興味深いが、同時に悩ましい。深入りすると最早「ブラームスの辞書」ではなくなってしまう。

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2010年2月 6日 (土)

アダージョ不在

一昨日の記事「ピアノ限定版ドボダス」でドヴォルザークのピアノ独奏曲に出現する音楽用語を列挙した。ブラームスとの比較は本当に興味深い。

お気づきの方も多いと思う。アルファベット順の羅列でありながら先頭が「Allegro」になっている。つまり「Adagioの不在」だ。ドヴォルザークはピアノ独奏曲で「アダージョ」(Adagio)を用いていない。それどころか「Adagio」含みの語句も無い。

新世界交響曲の冒頭や交響曲第8番の第2楽章にはちゃんと「アダージョ」が鎮座しているから「アダージョ」の完全忌避ではない。ピアノ独奏曲にだけアダージョが無いのは異様でさえある。遅いテンポのピアノ曲は存在するけれどもドヴォルザークは注意深く「アダージョ」を避けているように見える。

解釈はお手上げだが、ありがたみは極上だ。

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2010年2月 5日 (金)

多様性に驚く

昨日の記事「ピアノ限定版ドボダス」の話をする。昨日は列挙だけで手一杯だった。ドボルザークのピアノ独奏作品に登場するトップ系用語を全て抜き出してアルファベット順に並べた。ブラームス作品にも登場する語句は赤文字、ブラームス作品には登場しない語句は青文字にした。つまり赤文字の語句は書籍「ブラームスの辞書」に掲載されているということだ。

全部で58種類の語句のうち、「ブラームスの辞書」に載っているのは26種類しかなかった。

ある意味で衝撃。ドヴォルザークの独奏ピアノ作品に挑もうとする場合、手許に「ブラームスの辞書」があっても、発想用語・語句の半分以上は載っていないということだ。つまりドヴォルザークの発想用語起用のセンスがブラームスとは違うということだ。全作品をあたったわけではない。たかだかピアノ作品だけで、この多様さである。

作品が作曲家の個性の反映であることと同様に、発想用語使用にも個性が色濃く宿る。基幹となる単語「Allegro」「Andante」などは共通することが多いが、その組み合わせたる語句になると、作曲家の使い回しの癖がにじみ出る。

ということはつまり、「作曲家専用音楽用語事典」は着想として見所があるということだ。「ブラームスの辞書」一冊を持っているだけで、他の作曲家の使用した用語がほとんどカバー出来てしまっては、面白くない。用語使用の癖が作曲家毎に極端に違ってこそ「作曲家別音楽用語事典」の意味がある。

繰り返す。ドヴォルザークの独奏ピアノ曲を調べただけで、この多様さだ。完全版ドボダスが出来たら大変なことになる。あるいはショパンの辞書、シューマンの辞書、ベートーヴェンの辞書、リストの辞書、シューベルトの辞書、メンデルスゾーンの辞書があったらどれほど面白いだろう。

今、底知れぬ深い淵の畔に立っているような気がする。

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2010年2月 4日 (木)

ピアノ限定版ドボダス

1月9日の記事「困った性格」でドヴォルザークのピアノ独奏曲の楽譜が入手出来たからせめて作品冒頭の発想記号を集計したいと書いた。ブラームスについてはこうしたデータベースが完成していてブラダスと名付けている。ドヴォルザークについて同じ事を実施するということになれば「ドボダス」とでも命名せねばならない。私が持っているドヴォルザークの楽譜は抜けが多くてお話にならないが、ピアノ独奏曲については完璧だ。このほどそれが完成した。対象範囲はピアノ独奏曲のトップ系音楽用語のみの限定版ドボダスだ。本日はその成果を公開する。

ドヴォルザークの独奏ピアノ曲に出現するトップ系の音楽用語全てをアルファベット順に列挙する。

  1. Allegretto 9箇所。
  2. Allegretto grazioso 3箇所
  3. Allegretto leggiero 詩的音画より「戯れ」B161-2冒頭にただ1箇所。
  4. Allegretto moderato 「ドゥムカ」ハ短調B136-1冒頭にただ1箇所。
  5. Allegretto scherzando 3箇所。
  6. Allegro 8箇所。
  7. Allegro con fuoco 3箇所。
  8. Allegro feroce 4箇所。
  9. Allegro giusto 詩的音画より「農夫のバラード」B161-5冒頭にただ1箇所。
  10. Allegro moderato 2箇所。
  11. Allegro moderato(Tempo I) 詩的音画より「夜の道」B161-1の124小節目に1箇所。
  12. Allegro molto アルバムブラットB109-3冒頭にただ1箇所。
  13. Allegro non tanto 2箇所
  14. Allegro non troppo 「マズルカ」B111-5冒頭にただ1箇所。
  15. Allegro scherzando 即興曲ニ短調B129冒頭にただ1箇所。
  16. Allegro vivace 2箇所
  17. (Ancora) piu mosso ワルツイ長調B110-1の95小節目にただ1箇所。 
  18. Andante 2箇所
  19. Andante con moto 2箇所
  20. Andante e molto tranquillo 即興曲ハ短調B110-1の95小節目にただ1箇所。
  21. Andantino 影絵B98-2冒頭にただ1箇所。 
  22. Grave, tempo di marcia 詩的音画より「英雄の墓」B161-12冒頭にただ1箇所。
  23. Larghetto インテルメッツォB110-2冒頭にただ1箇所。
  24. Lento 詩的音画より「古城にて」B161-3冒頭にただ1箇所。
  25. Lento ma non troppo マズルカニ短調B111-4冒頭にただ1箇所。
  26. L'istesso tempo 3箇所
  27. Meno 組曲イ長調第1曲B184-1 27小節目にただ1箇所実在。目を疑う。
  28. Meno mosso 3箇所
  29. Meno mosso, quasi Tempo I 5箇所
  30. Moderato 8箇所
  31. Moderato e molto cantabile 詩的音画より「セレナーデ」B161-9冒頭にただ1箇所。
  32. Molto moderato 子守唄B188-1冒頭にただ1箇所。 
  33. Molto vivace 組曲イ長調第2曲B184-2冒頭にただ1箇所。 
  34. Piu mosso 3箇所。
  35. Poco  allegretto 「フモレスケ」ロ長調B187-6冒頭にただ1箇所。
  36. Poco allegro 3箇所
  37. Poco andante 3箇所
  38. Poco andante e molto cantabile 「フモレスケ」変イ長調B187-3冒頭にただ1箇所。
  39. Poco andante e molto tranquillo 主題と変奏B65-1第6変奏冒頭にただ1箇所。
  40. Poco lento 詩的音画より「スヴァタホラ」B161-13冒頭にただ1箇所。 
  41. Poco lento e grazioso 「フモレスケ」変ト長調B187-7冒頭にただ1箇所。
  42. Poco meno mosso 2箇所。
  43. Poco meno mosso-quasi andantino 詩的音画より「夜の道」B161-1の87小節目。
  44. Poco piu mosso 「マズルカ」ロ短調B111-6の26小節目にただ1箇所。
  45. Poco sostenuto 影絵B98-6冒頭にただ1箇所。
  46. Poco tranquillo e molto espressivo エクローグB110-4に2箇所。 
  47. Presto 3箇所。
  48. Quasi allegretto エクローグB103-2冒頭にただ1箇所。
  49. Quasi andante 3箇所。
  50. Quasi Tempo I 3箇所。
  51. Tempo di menuetto 主題と変奏B65冒頭にただ1箇所。
  52. Tempo di polka B3冒頭にただ1箇所。
  53. Tempo I 10箇所。
  54. Un poco meno mosso e molto tranquillo 「フリアント」ト短調B137冒頭にただ1箇所。
  55. Un poco piu mosso 2箇所。
  56. Vivace 8箇所。
  57. Vivaccissimo 詩的音画より「バッカナール」B161-10冒頭にただ1箇所。
  58. Vivo e risoluto マズルカハ長調B111-2冒頭にただ1箇所。

本日は列挙だけで手一杯だ。赤文字と青文字の塗り分けは何が基準かおわかりだろうか。

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2010年2月 3日 (水)

携帯電話の躍進

何を今更と言われるかもしれない。ブログ「ブラームスの辞書」へのアクセスの話だ。ブログ右サイドバナー最上段に位置するカウンターには、携帯電話からのアクセスはカウントされない。このことには2008年4月6日の記事「携帯不算入」で言及した。その記事の中に、当時の携帯電話からアクセスについて、PCからのアクセスの2%だと書いてある。数も少ないからカウンターへの非反映もやむなしと思っていた。

時は流れて2009年3月26日の記事「携帯URL」では、携帯電話からブログ「ブラームスの辞書」が手軽に楽しめるようになったと喜んだ。

その後携帯電話からのアクセスが順調に伸びているのと平行して、PCからのアクセスが頭打ちに転じていた。携帯電話から手軽にアクセス出来るようになったことの裏返しにも見えるが、PCからの訪問者が携帯に流れているのか本当のところは判らない。

ここ1ヶ月携帯電話からの1日平均アクセスが弾けている。PCからのアクセス217に対して、携帯電話からのアクセスは179にも達している。1月第3週においては携帯電話発が297に対してPCは241にとどまった。1月月間のPCからのアクセスは6613であるのに対して、携帯からは5439である。最早遜色がない。

携帯電話経由のアクセスが当初PCの2%だったことを考えるとその躍進には驚かされる。カウンターの表示がPC経由限定であることが、申し訳ない感じ。

福は内、福は内。

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2010年2月 2日 (火)

ピアノ連弾版セレナーデ

新世界交響曲のピアノ連弾版のCDに驚いた。ついでに8番の連弾版CDは出ていないかと探していたが、思わぬ外道がヒットした。

ドヴォルザークのセレナーデ2曲のピアノ連弾版である。演奏は新世界交響曲のときと同じメンバーでレーベルも同じだった。

2曲とはホ長調の弦楽セレナーデと、ニ短調の管楽器のためのセレナーデだ。これらの原曲がまた個性的で素晴らしい出来映えだけに、ほとんど我慢が利かずに即買いだった。最近ドヴォルザークというだけで鼻の下が伸びてしまう。

聴いてみる。

素晴らしい。みずみずしい。こりゃたまらんという感じだ。ブラームスにない甘さだ。でももたれない。弦楽セレナーデについて言えば、楽譜の出版はピアノ連弾版の方が先行したようだ。判るような気がする。

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2010年2月 1日 (月)

ブラダスの威力

昨日の記事「行きがかり上」で述べた通り、現在進行中のドヴォルザーク特集のせいで、通常なら絶対に記事にしないようなネタまでもが、公開されている。実はそれこそが記事のヒントになっている。

ブログ「ブラームスの辞書」がブラームスのために記事にしてきたことを、ドヴォルザークにもしてあげたいと考えるのだ。親心に通じるものがある。兄にしてあげたことを弟にもしてあげるということだ。

そう考えることで、この先9月のゴールまでの記事をいくつか思いついた。その一方で、絶対にドヴォルザークにはしてあげられないことがあることも判った。

ドヴォルザークとブラームスの違いで最大の要素は、楽譜とCDの所有だ。ほぼ全ての楽譜CDを持っているブラームスに対してドヴォルザークは持っていない作品の方が多い。そしてつまるところそれはブラダスの有無に繋がってしまう。

楽譜上の出来事や景色に立脚した記事が、ドヴォルザークではブラームスほどの厚みに達しないということだ。

子供たちの記録と似ている。最初の子供についての記録が何かと一番手厚いということは、しばしばありがちである。ブラームスにしか存在しないブラダスは、長男にだけ残っている祖父の句集みたいなものだ。

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2010年1月31日 (日)

行きがかり上

「一連の流れからしてやむなく」という程度の意味か。「乗りかかった舟」にも近いニュアンスだ。

現在ブログ「ブラームスの辞書」ではドヴォルザークに的を絞った年間企画を展開中だ。普通のブラームス系ブログだったら絶対にあり得ないような記事もしばしば公開しているところだ。ドヴォルザーク特集に免じて悪乗り気味に放つ記事も多い。

  1. 2009年11月27日「のだめの中のドヴォルザーク
  2. 2009年12月25日「平均律ドボヴィーア曲集
  3. 2010年1月1日「ドヴォルザークいろはカルタ

この3つは特に悪乗りが激しい。ドヴォルザーク特集の期間中でこそ許されるが、そうでもなければ絶対にあり得ぬ記事である。

行きがかり上、走らざるを得ないという感じだ。

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2010年1月30日 (土)

ベルリン高等音楽院

ブラームスの親友ヨアヒムは1868年ベルリン高等音楽院の校長に就任し、終生その地位にあった。どうやら彼が初代校長だったらしい。クララやブラームスにも教授陣に加わるよう要請したが断られている。そうは言うものの、学校の経営は順調だったと言われている。ブラームスが幼馴染の娘のために奨学金獲得に一役買った話には既に言及しておいた。

そしてそして、どうやらヨアヒムはドヴォルザークにも声をかけていた。

ベルリン芸術アカデミー作曲科教授への就任をドヴォルザークに打診して断られている。「ベルリン芸術アカデミー」の正体が今一把握出来かねているが、ヨアヒムがドヴォルザーク白羽の矢を立てたことだけは確実だ。

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2010年1月29日 (金)

ウィーン高等音楽院

ウィーンでもっとも名高い音楽教育機関。発足は19世紀初頭1812年。現在は国立だが当時は楽友協会の所轄だったという。楽友協会の元芸術監督のブラームスが、ホールの校長席にしばしば姿を現したのはそのせいだろう。

1875年を最後にブラームスは楽友協会芸術監督の座を退く。その後も楽壇における存在感と比例して、楽友協会内部での発言力は増大していったと思われるが、ブラームス自身が教鞭を取ることはなかった。

1896年に至っても尚、ウィーン高等音楽院の教授人事に影響力があったのではと思われるエピソードがあった。3月ブラームスはドヴォルザークにウィーン高等音楽院で作曲を教えるよう説得を試みた。既に前年に楽友協会の名誉会員に推挙されていたドヴォルザークではあったが、結果としてこの招聘人事は実現していない。ドヴォルザークはプラハを離れる決意がついに出来なかったということだ。断りを入れたドヴォルザークに対するブラームスの対応は暖かな思いやりに溢れたものだった。辞退したドヴォルザークが逆に恐縮したほどだ。

クララの没する2ヶ月前、ブラームス自らの旅立ちの1年1ヶ月前だ。ブラームスの信任がどこまでも厚いドヴォルザークだった。

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2010年1月28日 (木)

プラハ音楽院

1891年1月1日、ドヴォルザークは前年の拒否から一転してプラハ音楽院の教授に就任した。作曲、管弦楽、形式の教授だ。この時点では満を持した就任だったが、1892年の9月には、ニューヨークに赴任する。ナシオナル音楽院の校長になるためだ。プラハ音楽院は休職扱いとしてドヴォルザークをアシストしたという。

チェコ大好きのドヴォルザークが渡米を決心した理由の一つが経済的なメリットだったという。

プラハ音楽院の教授職の年俸は1200グルデンだ。マルクに換算して2000マルク少々である。ニューヨークのジャネット・サーバー夫人が提示したのはこの25倍つまり約50000マルクだったらしい。ブラームスの交響曲1曲が15000マルクだということを考えると、心が動くのも無理は無い。

結局渡米を決意したのだがニューヨーク勤務は3年にとどまった。1895年秋にはプラハ音楽院に復帰した。これにはドヴォルザーク自身のホームシックに加えて微妙な伏線がある。1895年春にオーストリア教育省はプラハ音楽院への補助金の増額を決定していた。この決定にはドヴォルザークの年俸の増額が含まれていたという。帰国後のドヴォルザークはますますプラハに執着するようになった。その証拠に1896年にはブラームスがウィーン音楽院への招聘に動いているが、固辞している。

1901年7月、間もなく60歳のドヴォルザークはとうとうプラハ音楽院の院長に就任した。このとき既にオーストリア貴族院名誉議員であり、オーストリア国家奨学金の審査員にもなっていた。

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2010年1月27日 (水)

禅問答

「難しくて解らぬ議論」「かみ合わぬ議論」くらいの意味か。難しい言葉を連ねて議論は白熱しているが、具体的にはサッパリという場面の描写に用いられることが多いような気がしている。議論の当事者は自覚していない場合が多く、もっぱら周囲からの評価の中に出現する言葉だ。

プラハ音楽院で教鞭をとっていたドヴォルザークはある日生徒たちにむかって問いかけた。

「モーツアルトとは何ぞや」

いやいやかなりの難問だ。この瞬間、禅問答の資格十分である。問われた生徒たちの心中は察するにあまりある。正解のある問いではあるまい。おそらく苦労してひねり出したであろう回答にドヴォルザーク先生は納得せず、生徒を窓辺に誘い出し外を指さして言った。

「モーツアルトは太陽だよ」

その寓意といい意外性といいウイットといいブラームスが泣いて喜びそうな回答だ。この機転が、禅問答という言葉の持つある種の陰湿さを迂回して、極上の喩えになっている。

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2010年1月26日 (火)

第2次カテゴリー改訂を終えて

昨年12月31日の記事「竣工式」で、第2次カテゴリー改訂がひとまず決着した。「ひとまず」と申し上げるのは意味がある。とても完了とは申し上げられない。今後も気が付く度に修正を施して行くことにする。

そうした細かい修正は棚上げとするならば、概ね当初の意図通りの成果を得ることが出来た。作業の記憶が生々しいうちに今後の課題を整理しておくことにする。

<カテゴリー「001 用語解説」>

  1. 何でも有りになっていたカテゴリーを整理出来たが、一つだけ手つかずがある。それは「001 用語解説」だ。ある意味では、納得ずくの放置である。ブログ「ブラームスの辞書」という具合に「辞書」を名乗る以上、いかにも辞書然とした記事は必須と考えている。ここには音楽用語にとどまらず一般の単語から語句まで、意味を解説する体裁をとりながら、ブラームスにこじつけているネタを収納している。このカテゴリーは4日以上の間隔が空かないよう配慮しているところだ。つまり「ブラームスの辞書」の表看板という位置づけだ。
  2. さすがにこのカテゴリーに収容された記事の本数は多い。同時にこのカテゴリーだけしか与えられていない記事は存在しない。必ず何か別のカテゴリーも付与されている。
  3. 並び方は公開順だし、内容は多岐にわたるから、このカテゴリーはあまりインデックスの役に立ってはいない。
  4. このままの体制を維持するとしたら、このカテゴリーには最終的には数千本が収容されることになる。
  5. 将来「001 用語解説」の細分化を予測している。だから「001 用語解説」の次のカテゴリー「空席状況」には「50番」を与えて、用語解説カテゴリーに拡大のスペースを確保している。

<カテゴリー定義の維持>

  1. 今回の再定義で「171 ピアノ」と「201 ピアノ曲」を区別した。前者は「楽器またはパートとしてのピアノ」で、後者は「ピアノ作品」だ。従来は「ピアノ」というカテゴリーに雑多に放り込まれていた。それを厳密にしたということだ。
  2. このように各カテゴリーには、記事収容にあたっての定義が存在するが、時間の経過とともに管理人自身がこの定義を忘れてしまう。カテゴリーの性格が曖昧になって行くのだ。将来10000本の管理をするには大変不安である。

<カテゴリー改訂の手間>

  1. 前回の改訂時、公開済みの記事はまだ600本前後だった。未公開の記事を入れても1000本に届くかどうかである。
  2. 今日現在1750本で、備蓄記事がほぼ1123本、合計3000に近い記事がある。一新された定義に従ってカテゴリーを再配置する手間は、単純に考えて前回の3倍だ。
  3. たとえば3年後に改訂を実施するとなるとおそらく最低5000本の記事が対象になる。パソコンの力を借りるにしても、時間がかかる。
  4. 改訂作業の間、ネタ思い付きのペースが明らかに落ちることが今回判明した。バカにならない課題である。

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2010年1月25日 (月)

ピアノ連弾版新世界交響曲

いやいやお宝である。最近ドヴォルザークネタに滅法弱いのでイチコロだった。

ドヴォルザークの新世界交響曲のピアノ連弾版のCDを入手した。ドヴォルザーク本人の編曲だとCDのケースに書いてある。CDの無い当時、この手のピアノ連弾版はきっと貴重なのだと思う。ジムロックあたりの入れ知恵で、オケ版の出版と同時に出されたのだと思う。

管弦楽作品に本人編曲のピアノ連弾版があることについてはブラームスでおなじみだ。唖然である。ブラームスの交響曲のピアノ連弾版よりはずっと楽しい。元々交響曲はやっぱりオケで聴きたいタチだから、今回も半信半疑だったが、予想を裏切る面白さだった。着色前の原画を見せられた感じだ。着色後のオケ版を知っているからドヴォルザークの色彩感覚が覗ける感じなのだ。理由は思い当たらないがブラームスの交響曲をピアノ連弾版で聴くより面白い感じである。

出世作スラブ舞曲は、ピアノ連弾版が管弦楽版にわずかに先行する。あるいはドヴォルザークの初期のピアノ独奏曲には、自筆譜にオケのパート名が書かれているケースがある。つまり先にピアノ連弾で発想して、あとからオーケストレーションを施すという作業上の順序が感じられる。今回手に入れた新世界交響曲も、そうした流れを感じさせる程自然なのだ。8番も聴いてみたい。

校訂したついでに、ブラームスがピアノ連弾版を編曲してくれていたら、桁違いのお宝になっていたところだ。

さらに凄いのは、新世界交響曲の余白に入っている「モルダウ」だ。もちろんスメタナ本人によるピアノ連弾版だ。息を呑む面白さだ。管弦楽版の楽しさが、そのまま移植された感じ。ピアノ連弾でこの色彩感とは恐れ入る。「月の光」や「聖ヨハネの急流」の部分が半端でなく面白い。

スメタナは相当なピアノの名手だったと聞くが、なるほどと思う。昨年、合唱祭で「モルダウ」を歌った次女に聴かせたら「音が多い」と言っていた。合唱の伴奏はもちろん「ピアノ2手版」だから無理もない。

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2010年1月24日 (日)

思い浮かべる

優秀なスポーツ選手が取り入れていると聞く。良い結果が得られることを想像することと言い換え得る。いわゆるイメージトレーニングだ。プレッシャーのかかる大舞台になればなるほど、メンタル面のケアが大切だとされている。同感である。

ブログ「ブラームスの辞書」の大目標2033年5月7日のブラームス生誕200年まで毎日記事を継続するのも、大きなプレッシャーがかかるという意味では同じである。だから私もイメージトレーニングをする。2033年5月7日にどのように到達するのだろう。73歳の自分をイメージするのだ。

当然誰の助けも借りずにパソコンが打てている。日常生活に支障が出ていない。この程度ではイメージが乏しすぎる。

おそらく膨大な記事の備蓄を抱えていると見た。私の性格からいって、元気なうちはせっせと記事を備蓄するだろう。2033年5月7日までの連続記事更新が出来るとすれば余裕の達成となるハズだ。記事の備蓄が底を尽き、青息吐息の達成になるとは思えない。

そこで目標。10年後の定年退職までにフィニッシュに必要な記事を備蓄してしまいたい。ざっというと10年間に21年分の記事を考えてしまうのだ。今備蓄が2年強あるし、突発ネタが起きてくれることを考えれば20年分で足りるハズだ。1日に2本の記事がノルマになる。こうしておけば定年退職後の13年は悠々自適になる。

悠々自適の13年を使えば「ドヴォルザークの辞書」が書けるかもしれない。

鬼どころか親しい友人たちにも笑われている。

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2010年1月23日 (土)

財産の分与

ブラームスの遺書が法律的には無効な形で遺されたために、後で訴訟沙汰になった話は割と知られている。詳しい経緯を知りたくて調べているがなかなかたどり着けない。

実子が無く、姉も弟もブラームスより先に亡くなっているから、遺書の役割は重大だ。

  1. トゥルクサ夫人 ウィーンの生活を切り盛りして最期看取ってくれた。
  2. カロリーネ・シュナック 父の後妻だからブラームスの継母。
  3. イシュルの大家 毎年夏にお世話になるイシュルの家主。

この3人の他に楽友協会で決まりと思っていたら、思わぬお宝に巡り会った。

音楽之友社刊行の「大作曲家ブラームス」という本だ。ハンス・A・ノインツィヒなる人物の著述が和訳された代物だ。この中に驚くべき記述があった。

ブラームスは、自らの財産をドヴォルザークが望むだけ提供すると申し出たらしい。これが遺産分与の話なのか生前贈与の話なのか定かではないのが残念だ。さすがにドヴォルザークは辞退したとされている。話の出所は娘婿でもあったスークであるから、信憑性は高いと思われる。

この本、他の部分の記述を読む限り、出任せやはったりがあるとも思えない。ブラームスのドヴォルザークに対する惚れ込み振りを見ると、つい信じたくなるエピソードだ。もっと調べたい。

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2010年1月22日 (金)

背番号

チームスポーツには最早欠かすことの出来ない要素だ。人気選手の背番号は、愛好家にとって大切な象徴になっている。選手のキャラと背番号は最早密接不可分だ。グッズの販売面から見てもないがしろには出来ない。

さてブログ「ブラームスの辞書」の第2次カテゴリー改訂が終わった。何でも詰め込んでカオスに陥っていたカテゴリーの整理が大きな目標の一つだった。たとえば旧体系で18番だったカテゴリー「作曲家」もその代表だ。ブログ「ブラームスの辞書」では、主人公ブラームスを大切にするあまり、他の作曲家の話題をカテゴリー「18 作曲家」に集約してきた。独自にカテゴリーを持っていたのは、バッハ、シェーンベルク、ドヴォルザークの3名だけだ。他の作曲家は、現在の世の中での重要度を無視して全部カテゴリー「18 作曲家」に収められた。

これが最近カオスになっていた。たかだか1700本程度の堆積でもカオスなのだから、最終的なゴール1万本になったらきっと決壊するに決まっている。カテゴリー「18 作曲家」の整理は差し迫った問題だった。

独自のカテゴリーを付与する作曲家を少々増やすことにした。ご覧の通り新体系では300番台がそれに当てられている。カテゴリー「300 作曲家」には「その他作曲家」を収める一方で、300番台の見出しの機能も発揮して貰う。問題は新たに付与する作曲家のカテゴリーをどのような順番で表示するかだ。生年順、アルファベット順にすることも考えたが、後からメンバーを加えようとすると、順番が乱れる。

そこで考えたのが背番号だ。スポーツチームのオーナー気分で作曲家に背番号を割り振るというノリをご想像願いたい。結果は以下の通りだ。

  • 301 バッハ
  • 302 シェーンベルク 
  • 303 ドヴォルザーク
  • 304 ベートーヴェン
  • 305 シューマン
  • 306 メンデルスゾーン
  • 307 モーツアルト
  • 308 ショパン
  • 309 シューベルト
  • 310 ワーグナー  
  • 311 マーラー
  • 312 チャイコフスキー
  • 313 Rシュトラウス
  • 315  ヘンデル
  • 318 ヨハン・シュトラウスⅡ
  • 319 ビゼー
  • 320 ブルックナー

314、316、317などが欠けているが、本当は決まっている。追って明らかになって行くだろう。今後カテゴリーの引っ越しは発生すると思われるが、この背番号だけはずっと用いるつもりである。

当たり前のことだが、ここにブラームスが登場しない違和感を楽しみたい。

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2010年1月21日 (木)

哲学博士

長く接しているのに、ちっともわからない言葉ランキングがあれば上位進出間違い無しの言葉が「哲学」だ。脳内で繰り広げられる一定の精神作業を指すと思われるが、お手上げだ。

大学祝典序曲は、ブレスラウ大学から授与された哲学博士号への返礼だ。ケンブリッジ大学がブラームスに授与したのが音楽学博士号だったことと対照的だ。ケンブリッジ大学は、ドヴォルザークにも音楽学博士号を贈っているからちゃんと整合性が取れている。

一方ドヴォルザークは1891年にプラハのカレル大学から哲学博士号を授与されている。ここでも哲学博士だった。授与した大学こそ違うもののブラームスもドヴォルザークも哲学博士だということになる。

わかるような気がする。

単に音楽学あるいは作曲学とせずに哲学とした大学の気持ちがである。規模の上では大小さまざまの魅力的な作品を、頻度高く生み出す能力は、一般人から見れば神秘的でさえある。高度な精神作業としての作曲が哲学に擬されたとしても不思議ではない。仕組みの判らなさという点で、作曲は哲学に匹敵すると思う。ブラームスやドヴォルザークの音楽がロジカルな整合性に貫かれていることも大きく寄与していると感じる。

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2010年1月20日 (水)

ミュージックライフの担い手

ブログ「ブラームスの辞書」は昨年末に第2次カテゴリー改訂を実施した。いろいろ改訂したが、乱雑に放り込まれたカテゴリーの細分化が目玉の一つだった。旧カテゴリー「家族」も細分化の標的となった。「父」「母」「妻」「長男」「長女」「次女」に6分割されることとなった。

これにより我が家の子供たちそれぞれのカテゴリーに何本の記事が属しているかが明らかになった。ブログ「ブラームスの辞書」における言及のされ方が数値化可視化されることに他ならない。本日の記事を含まない昨日までの本数は以下の通りだ。

  • 第1位 次女 88本
  • 第2位 長女 67本
  • 第3位 長男 41本

予想通りだ。ブログを始めたときに既に3人とも生まれていたから、生まれ順の早い遅いによるハンデは存在しない。長男は楽器を習っていないから話題にされる機会が妹たちに比べて少ない。長女は一昨年5月にレッスンを止めたから、それ以降の登場が減った。次女の首位は当たり前だ。10年経過したヴァイオリンに加え、中学入学と同時に始めたトロンボーンでも話題に上る。

3人の子供たちとの接し方に序列などあろうハズもないが、音楽を切り口にした場合に限れば次女の優位は明らかだ。少し前から我が家のミュージックライフは、次女に支えられているという実感があったが、それを裏付ける結果になった。

従来、兄妹個別のカテゴリーにしていなかったから数えることも無かった。つまり3人の記事の多寡を意識することがないまま積み重ねられた数字であることに意味がある。逆にこれ以降は、こうした数字が意識に上ってしまい、公開のペースに手加減が施される可能性が生じてしまうから、公平とは言えなくなる。

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2010年1月19日 (火)

学位

高等教育機関(主に大学)から単位の修得や研究の成果と引き換えに授与される称号くらいの意味か。

ブラームスも持っている。

ブレスラウ大学から贈られたものだ。音楽学ではなく哲学の博士号だというのが面白い。1879年のことだ。大学祝典序曲はその返礼である。

実はブラームスに学位を授与してしまおうというアイデアはこの時が最初ではない。英国のケンブリッジ大学が1876年4月に学位の授与を申し出ている。音楽学博士の学位である。授与式への出席を口実に固辞してしまったが、ブラームスへの学位授与のアイデアを英国にさらわれたのはドイツの大学の面目丸つぶれだと指摘する向きもある。

このときまんまと辞退されてしまったケンブリッジ大学は、1892年に学位の授与に成功したようだ。授与式への参列を求めないという異例の措置で実現したらしい。ブラームス同様、あるいはブラームス以上に英国から愛されたドヴォルザークは1891年に同じケンブリッジ大学から学位を受けている。その授与式の模様はドヴォルザークの伝記に詳しい。大学幹部が正装で勢揃いした上に、ラテン語以外は口に出しにくい雰囲気だったと回想している。儀式嫌いのブラームスが出席を渋ったのは正解だったと思う。

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2010年1月18日 (月)

手が出ぬ

先日ホルンソナタの楽譜を探しにショップを徘徊していた。首尾良くゲットで会計をしてホクホクとレジを離れようとした時、1枚のパンフレットが目にとまった。

モーツアルト交響曲第40番ト短調のファクシミリ譜が発売されるという。

一瞬で脳味噌にアドレナリンが充満した。古楽譜コレクターだったブラームス自慢の筆頭が、モーツアルトのト短調交響曲の自筆譜だったからだ。ちょっと詳しい伝記には大抵書いてある。ピアノ五重奏曲を献呈した返礼にヘッセン王女アンナから下賜されたものだ。以来ブラームスは亡くなるまでこれを大切に保管していた。遺産を引き継いだウィーン楽友協会の所蔵となって今に至る。

そのファクシミリ譜の発行元も楽友協会だった。間違いないと思ってパンフを詳しく読むと「元々の所有者はブラームスだった」とはっきり書いてある。あわせて「19世紀半ばまで買い手が現れなかった」というエピソードも紹介されている。「もしや」と思うことがある。「19世紀半ばまで買い手がつかなかった」という状態を打破したのは、ブラームスにこれを下賜したヘッセン王女アンナだったのではあるまいか。ピアノ五重奏曲op34の完成は1864年だ。19世紀半ばという表現と矛盾しない。ブラームスの古楽譜コレクターぶりを察知したヘッセン王女アンナが、何か喜びそうなものをと物色した結果ではなかろうか。

さらに凄いのは「ブラームスによって音の間違いに印が付けられている」とも書いてある。ということはつまりモーツアルトとブラームスの筆跡が共存している資料ということだ。お宝である。

価格は72000円。お宝度から見ればリーズナブルだと思う。そうは思うが「それでは」とばかりに買えるかとなるとそうはいかない。楽譜やCDのショップをうろつくのは気晴らしになるが、こればっかりはストレスだ。7200円だったらきっと買っていたと思う。72万円だったら、すっぱり諦めがつく。何とも微妙な価格設定だ。

ブラームス神社の賽銭はあてにならない。「ブラームスの辞書」が今年中に20冊売れたら買いに行こうと思う。まだ2冊しか売れていない。

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2010年1月17日 (日)

ホ短調の交響曲

1886年1月17日は交響曲第4番のウィーン初演があった日だ。ハンス・リヒター指揮ウィーンフィルハーモニーの演奏である。これについてのハンスリックの演奏評が残っている。この批評の中に興味深い部分があった。

ハンスリックは、交響曲第4番の調性「ホ短調」を指して、「それこそがまさに独創的」と指摘している。交響曲の第1楽章に「ホ短調」を採用することがそもそも珍しいという観点だ。

本当だろうか

  1. 1771年 ハイドン44番
  2. 1885年 ブラームス4番
  3. 1888年 チャイコフスキー5番
  4. 1893年 ドヴォルザーク9番「新世界より」
  5. 1899年 シベリウス1番
  6. 1905年 マーラー7番
  7. 1908年 ラフマニノフ2番
  8. 1943年 ハチャトゥリアン2番
  9. 1953年 ショスタコーヴィッチ10番

ご覧の通りだ。このほかに怪しいのはリムスキー・コルサコフの1番。1865年に変ホ短調として完成したが1884年にホ短調に改訂された。改訂版の初演は1885年12月4日だからブラームスの4番よりは約1ヶ月遅い。

直感としてはハイドンの44番以来114年途絶えていたホ短調交響曲をブラームスが復活したように見える。ハンスリックは、その点を鋭く指摘していると思われる。それを皮切りに他の作曲家が次々とホ短調交響曲に殺到したように思える。つまりドヴォルザークも殺到組の一員ということになる。

古来ブラームスの保守性の指摘に熱心な人は多いけれど、ホ短調交響曲の復活についてはあまり大きくは取り上げられない。

それにしてもハイドンの44番とは何者だ。1872年から1875年まで3シーズンの間ウィーン楽友協会芸術監督の座にあったブラームスは、在任期間中の演奏曲目に原則として交響曲を取り上げていない。ところがたった一つ例外がある。それが今日話題のハイドン作曲交響曲第44番ホ短調だった。(←コメント欄に注記あり)

演奏会で取り上げるにあたってブラームスがハイドンの44番を十分に研究していたことは確実だから、単なる奇遇とばかりも言えない気がしている。

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2010年1月16日 (土)

ピアノ協奏曲第3番

ブラームスはピアノ協奏曲を2つ残した。だから今日のタイトルは変だ。しかしト短調ピアノ四重奏曲のシェーンベルク編曲版が「交響曲第5番」と言われていたり、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の独奏をピアノに差し替えた演奏が「ピアノ協奏曲第6番」と呼ばれていたり、奇妙な前例には事欠かない。何よりもブラームスの交響曲第1番はベートーヴェンの「第十」などと称されている。

だから察しのいい人々にはオチが読まれている。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲の独奏ヴァイオリンを、独奏ピアノに差し替えたバージョンのCDを購入してしまった。管弦楽をピアノに差し替えたのでは有り難みが薄いが、ソロをピアノに差し替えたとあっては、お宝度はかなりのものだ。これを買わずに踏みとどまるようなこらえ性は持ち合わせていない。独奏はデヤン・ラディックというクロアチアのピアニストだ。独奏者自らの編曲である。ピアノ版用にカンデンツァも書き下ろしている。昨年10月の世界初演のライブ録音だそうだ。

当たり前だが第1楽章と第2楽章冒頭の管弦楽の導入は、オリジナルのままだと思う。第1楽章90小節目の独奏の出には、ワクワクさせられた。オリジナルを忠実にトレースしている感じ。348小節目から380小節目までがヤマで、このあたりのみかなり感じが違う。もちろん見せ場はカデンツァだ。

オリジナルの管弦楽がガッシリと緻密に書かれているから、独奏ピアノだけを律儀に転写すれば様になってしまう。違和感があるとすればカデンツァ明けの薄靄が、ピアノだとくっきりし過ぎてしまうことで、第1楽章結末に向かう高揚感が削がれる点くらいだ。

キーワードを申すなら「大真面目」だ。どうせ編曲物といういじけた感じはまるでない。照れ笑いも一切封じて天下の大曲に真正面から挑む感じ。ピアノ協奏曲としての難易度もかなりのモンなのだと思う。

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2010年1月15日 (金)

ホルンソナタ

クラシック音楽業界の慣例に従えば、「ホルンとピアノのためのソナタ」ということになる。

次女がベートーヴェンのホルンソナタヘ長調op17の楽譜が欲しいと言い出した。理由を訊いて唖然とした。昨年のクリスマスにプレゼントしたCDが発端だった。ブラームスのホルン三重奏曲のCDを贈った。そこはさすがに一ひねりしてあって、ホルンのパートをトロンボーンで吹いている演奏だ。私の狙いはもちろんブラームスだったのだが、そこに収録されていたベートーヴェンのホルンソナタが気に入ったらしい。

ブラームスより面白そうなどとしょっぱいことを言っている。CDで聴く限り音も高いし、細かい動きも多くてトロンボーンではしんどそうだ。次女は「せっかくトロンボーンをやっているのだから、何か1曲くらいキチンと吹ける曲を持っていたい」という。「練習の合間や、春休みなどにコツコツと練習したい」(キッパリ)と続けた。

ホルンはト音記号だし、「inF」で書かれているから難しくないかと問う。「いんえふって何」という間延びした質問が返ってきた。

昨日楽譜ショップに出向くと吉報が待っていた。やはり現場に行ってみるものだ。ベートーヴェンのホルンソナタは元々ホルンの代わりにチェロで代用可となっていた。店頭の楽譜にはチェロのパート譜がついていた。「おおぉ」ってなもんだ。少なくともチェロならヘ音記号だ。これをB管のトロンボーンで吹いたらどうなるのかと思ったが、ピアノと合奏しない限り問題はあるまいということで、さっそく買い求めた。

帰宅して手渡すと、最近ちょっと見かけないくらいの笑顔が返ってきた。CD聴きながらずっと眺めている。ヘンレ版2190円だがスマイルがお釣りで戻ってきて何だかとてもお手ごろ価格ある。

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2010年1月14日 (木)

審査の方法

オーストリア国家奨学金のドヴォルザークの初受賞は1875年1月に決定した。応募はその前年の7月だった。審査に半年かかっていることになる。ドヴォルザークは交響曲第3番と4番その他をもって応募した。ドヴォルザークの才能を絶賛する審査員の声については1月11日の記事「講評」で言及した。

素朴な疑問がある。

ドヴォルザークが応募した2つの交響曲は、審査にあたって実際に演奏されたのだろうか。答えはおそらく「No」なのだと思う。ブラームスほどの作曲家になると、総譜を見るだけで頭の中に音楽が鳴るのだ。ピアノを使って数フレーズを再現することはあったと思うが、フルオーケストラで鳴らされてはいないだろう。オケのメンバーを揃えたり、場所を確保したり、パート譜を用意するのは手間とお金がかかる。

ドヴォルザークだけがこうした仕打ちを受けた訳ではなかろう。全応募作品のうち管弦楽曲については、実際には鳴らされることなく序列が決められたという意味では実に公平だ。

才能の有無は音にするまでも無く、既に楽譜に現われるのだ。楽譜を舐めてはいけないということだ。

さらに審査の過程はともかく、晴れて栄冠を勝ち取ったドヴォルザークの応募作品が受賞作として公開の席で演奏された訳でも無さそうだ。

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2010年1月13日 (水)

極上の時

一昨日の夕方だった。次女が机で何か書き込んでいる。のぞき込むとそれはトロンボーンの楽譜だった。「何してんの」と訊くと、「譜読みだよ」という返事。実はこれだけで、舞い上がってしまった。「譜読み」という言葉が次女の口から当たり前のように発せられたからだ。

新しく配られたセカンド・トロンボーンのパート譜に、いろいろ書き込みをしているのだ。ややこしいところは、スライドのポジションを書き入れておくと言っている。他にもいろいろな縦線や記号が書かれている。

私が冒頭のAllegro vivaceを指して「これどういう意味?」と訊くと「はて」というアクション。「譜読みならこういう用語は全部調べろよ」というと「そうだね」と言う反応。今までは先輩から教わっていたらしい。「今年は3年生になるンだから自分で調べて後輩に教えないとマズイでしょ」というと真顔で「わかった」という。

「パパ、何か辞典持ってない?」と「ブラームスの辞書」の著者に思うつぼの質問が飛んできた。ここで「ブラームスの辞書」を薦めてはドン引きされかねないから、手持ちの音楽用語辞典をサラリと渡した。

しばらくして「この本くれる」と訊いてきた。「いいよ」と答えた。調べ物が終わってもずっと眺めている。「こういうの調べるのって大事だろ」と話しかけるとコックリだ。「メンバー全員が知っているのと知らないのとでは、出る音が違うと思わないか?」とカマをかける。鉄が熱くなり始めている。「何も全部暗記する訳じゃない」「調べて楽譜に書いておくだけでいいんだ」「楽譜もらって最初のパー練は、その確認だけに費やしてもOKだよね」熱いうちにたたみかける。

この後の次女の反応は極上だった。

「それをやっておいたら、去年のコンクール、金賞に届いたかもしれない」

私が「ブラームスの辞書」を書いた本当の理由に迫るやりとりだった。一緒に歩いて行けそうだ。

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2010年1月12日 (火)

ハンスリックのコメント

ドヴォルザークを世に送り出すキッカケが、オーストリア国家奨学金制度だったことは既に述べた。「若く」「貧しく」「才能ある」作曲家の発掘が狙いだった。そこで審査員をしていたブラームスの目にとまったことがドヴォルザークの転機になった。審査員メンバーの中にもう一人大物がいた。それがエドゥワルド・ハンスリックだった。反ワーグナーの論陣を張るウィーン楽壇最高の批評家だ。

ドヴォルザークに対するハンスリックのコメントが残っている。

奨学金の狙いは「若く貧しく才能ある作曲家の発掘」だったが、応募者のほとんどが、若くて貧しいという条件だけしか満たさない中、プラハのアントンの習作が大きな喜びをもたらした。

さすがにウィーン批評界の大御所だ。スパイスの効いたコメントで、ドヴォルザークという原石の発見を喜んでいる。

ブラームスの熱狂に加え、ハンスリックの高評価が、その後5年の奨学金獲得の前兆だったと見て間違いあるまい。

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