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    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

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    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

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2018年8月19日 (日)

塩の道

本日の行程

  1. 00.0 Buechen
  2. 08.0 Hornbek
  3. 06.5 Breitenelde
  4. 05.5 Moelln
  5. 08.0 Behlendorf

28km。塩の大産地リューネブルクから塩積み出し港リューベックに輸送するための街道を北上するバッハだ。先に紹介した観光街道にも数えられている「Altesalzstrasse」である。塩は必需品としてハンザ同盟時代引く手あまたの交易の目玉だ。英国方面への北海へはハンブルク、バルチック海向けならリューベックへの出荷となる。ハンブルクへはエルベ川の船便だが、リューベックへは運河整備までは陸送だった。これが「塩の道」である。

2018年8月18日 (土)

エルベの渡し

本日の行程

  1. 00.0 Lueneberg
  2. 06.0 Elba
  3. 04.0 Brietengen
  4. 05.0 Artlenburg
  5. 06.0 Schnakenbek
  6. 06.0 Basedow
  7. 08.0 Buechen

エルベ渡河を含む35kmだ。実際の渡しは上記4のアルトレンブルクの北にある。川が増水していれば足止めを食うこともあるはずだ。

2018年8月17日 (金)

Lueneburg

本日の行程

  1. 00.0 Uelzen
  2. 14.5 Ebsdorf
  3. 07.5 Velgen
  4. 10.0 Melbeck
  5. 07.0 Lueneburg

本日のお宿リューネブルクは古来からの塩の産地だ。15歳のバッハは同地聖ミヒャエル教会の聖歌隊の一員となった。有給の仕事初めての就任だ。同地で元同級生と旧交を温めるというシーンがあったかもしれない。

リューベックからもハンブルクからも近い。バッハの足跡はとかく旧東独に偏りがちな中、ここは珍しく西側だった。

2018年8月16日 (木)

Uelzen

本日の行程

  1. 00.0 Hankensbuettel
  2. 04.0 Bottendorf
  3. 05.5 Bokel
  4. 08.0 Nettelkamp
  5. 09.5 Uelzen

相変わらずの湿地行27.0km。到着地「Uelzen」がうまくカタカナに転写できない。「バッハの街」記載の地名がまったくない一日。

2018年8月15日 (水)

観光街道

本日の行程

  1. 00.0 Gifhorn
  2. 03.5 Gamsen
  3. 05.0 Wangenhoff
  4. 03.0 Weissenberge
  5. 07.5 Oerrel
  6. 06.0 Hankensbuettel

「Niedersachsenischer Spagelstrasse」沿いを北上しているのだが、この辺りには「Muehle街道」や「Fachwerk街道」など、現代の観光街道が錯綜する。「Muehle」は水車で、「Fachwerk」とはこの辺りは特有の建築のことだ。

地図の上では北ドイツ特有の湿地の中をいく29.5km。バッハの当時はもっと湿地帯だったはずで、街道はそうした湿地の間を縫って走っていた。水車街道の存在もうなずける。「バッハの街」の地名列挙がまばらなのは、古来迷う余地のないルートだからだと確信する。

現在、ブログ「ブラームスの辞書」上で展開しているバッハの旅路をたどる記事そのままに、現実の観光街道にしてもらえないものか。鉄道普及前にだって人は旅をしていた。それが陸上だった場合、観光街道を設定する余地がある。「Bachstrasse」バッハ街道とでもすれば盛り上がる。鉄道普及後の作曲家たちはこのさい除外するとしてボンからウィーンを目指したベートーヴェンの足跡、生涯旅に明け暮れたモーツアルトは足跡が網の目状になるかもしれない。

2018年8月14日 (火)

シュパーゲル街道

本日の行程

  1. 00.0 Braunschweig
  2. 07.0 Ruhme
  3. 05.0 Thune
  4. 05.0 Meine
  5. 07.0 Isenbuettel
  6. 04.0 Gifhorn

いよいよここから現代の観光街道「Niedersachsenischer Spagelstrasse」沿いを北上する。「ニーダーザクセン・シュパーゲル街道」とでも訳せよう。「シュパーゲル」とはドイツの春の風物詩「白アスパラ」のことだ。春先からほぼ6月いっぱいが旬で、日本人にとっての桜にも匹敵する位置づけだ。バッハの旅は11月なのでシュパーゲルを賞味できなかったはずだ。せめて写真で慰める。

20180413_174853

2018年8月13日 (月)

ブラウンシュヴァイク

本日の行程。

  1. 00.0 Salzgitterbad
  2. 05.5 Lobmach
  3. 03.0 Barum
  4. 03.0 Immendorf
  5. 06.0 Lindenberg
  6. 06.0 Runingen
  7. 09.0 Braunschweig

本日の32.5km踏破で全行程の中間だ。

2018年8月12日 (日)

七日目の宿

本日の行程。

  1. 00.0 Seesen
  2. 06.5 Neukrug
  3. 03.0 Rhode
  4. 05.0 Lutter
  5. 14.0 Salzgitterbad

28.5kmだ。「ゼーセン」から「ブラウンシュヴァイク」まで「バッハの街」の地名列挙が空白になる。つまり列挙しなくても迷う余地のないコースだということだ。地名の選択はかえって緊張する。

本日の宿はザルツギッターバート。語尾の「Bad」は温泉だ。本日はバートランゲンザルツァ以来の温泉宿が期待できる。ただし温泉を現す「bad」が語尾にくるのは地名としては少数派だ。

2018年8月11日 (土)

ハルツの西

本日の行程

  1. 00.0 Northeim
  2. 10.5 Echte
  3. 09.0 Ildehausen
  4. 03.0 Engealde
  5. 05.5 Seesen

東西ドイツ国境付近に横たわるハルツ山塊を西に迂回する28km。ハルツ山塊の西麓をかすめてブラウンシュヴァイクを目指す行程だ。ヒルデスハイムには世界遺産となった聖マリア教会があるけれど、残念ながら立ち寄れない。先に述べた「ドイツ並木道」と付かず離れずの行程だ。このショートカットにより25km短縮できる。

ブラームスのop53、通称「アルトラプソディ」は、ゲーテの「冬のハルツ紀行」がテキストになっている。

2018年8月10日 (金)

ノルトハイム

本日の行程

  1. 00.0 Duderstadt
  2. 07.0 Rollshausen
  3. 05.0 Gieboldhausen
  4. 05.0 Bilshausen
  5. 03.0 Lindau
  6. 04.0 Katlenburg
  7. 03.0 Freilichbuene
  8. 04.0 Northeim

久々に長めの36.5km。地名的に興味深いのは「Heim」と「Hausen」が混在していることだ。

2018年8月 9日 (木)

四日目の宿

本日の行程

  1. 00.0 Leinefelde
  2. 02.5 Breitenbach
  3. 11.0 Teistungen
  4. 05.5 Duderstadt

本日もまた短めの19.0km。上記3番目のTeistungenの少し北で、チューリンゲン州から、ニーダーザクセン州に入る。つまりこの辺り一帯は旧東西ドイツの国境地帯である。

2018年8月 8日 (水)

三日目の宿

本日の行程

  1. 00.0 Muehlhausen
  2. 03.0 Ammem
  3. 12.5 LengefelderWarte
  4. 03.5 Dingelstaedt
  5. 06.0 Kallmerode
  6. 04.5 Leinefelde

本日のお宿はLeinefeldeだ。「カルメローデ」の「ローデ」は開墾地だ。地域によって「Roth」「Reuth」「Roda」などなど様々に変化するけれど、開墾の痕跡を示すとされている。ワーグナーで名高いバイロイトもこの系統だ。地名語尾に「rot」つまり「赤」が来る場合、大抵は「roth」開墾地からの「h」の脱落であることが多い。

「Felde」は「野」で、「Warte」は「見張所」というのは一般的な意味。

2018年8月 7日 (火)

ミュールハウゼン

本日の行程

  1. 000.0 BadLangensalza
  2. 006.0 Schoenstedt 直訳すると「美しい街」
  3. 003.5 Grossengottern
  4. 006.5 Hoengeda
  5. 005.0 Muehlhausen

昨日の43km強行軍に比して、21kmという緩さだ。前日の無理をいやすための朝寝坊を配慮した。本日のお宿はミュールハウゼン。バッハはのちにここに勤務することになるゆかりの街だ。「ミュール」は水車。ハウゼンは「家」「ふるさと」を意味する。

本日の行程は、「Deutschealleenstrasse」という観光街道と概ね一致している。ドイツ並木街道くらいの意味だ。

2018年8月 6日 (月)

初日長丁場

旅の用語で、宿場と宿場の距離が長いことを長丁場という。バッハの生涯最長の旅行アルンシュタットからリューベックを目指す旅の初日はとんだ長丁場となる。

  1. 000.0 Arnstadt
  2. 004.5 Holzhausen
  3. 005.5 Gleichen
  4. 005.0 Wechmar
  5. 001.5 Guenthershausen
  6. 006.5 Gotha
  7. 004.5 Renstaedt
  8. 002.0 Warza
  9. 002.0 Westhauesn
  10. 007.0 Heningshausen
  11. 004.5 BadLangensalza

まずは説明から。赤文字は「バッハの街」に通過地として言及された地名で、昨日の記事「バッハの五十三次」でも宿場扱いしている。青文字は「バッハの街」に通過地として言及されていないものの、昨日の記事「バッハの五十三次」では宿場扱いしている。黒文字はそれ以外なのだが、より具体的な経路の特定のための補助として加えた地名。

最下段の街に宿泊するという扱いとする。本日でいうならバートランゲンザルツァ泊である。

地名に先行する数値は、前宿場からの距離をkm単位で表示した。1日目はこれを合計すると43.0kmとなる。一日7時間しか歩けないとするとこれは相当無理。時速5kmで歩いて8時間強だ。後の日程を考えての無理を承知の設定だ。ここは馬車でもいいことにする。

だからという訳ではないが、本日のお宿はおそらく温泉だ。冒頭の「Bad」は温泉の意味だ。地名からしておそらく「塩泉」である。志高い二十歳のバッハがここで弱音とは思えないという勝手な設定。

2018年8月 5日 (日)

バッハの五十三次

記事「バッハの旅支度」で、バッハ生涯最長の旅のコースを推定した。「バッハの街」の記述と現代の道路地図を頼りに、起点と終点の街の他に53の街を無理やり推定して、これらを「バッハの五十三次」と定義したと書いた。総延長492kmの旧東海道に53の宿場がある。バッハの旅420kmに53の街の羅列をもって経路の特定を試みたということだ。

本日はその53の街をアルンシュタットから順に列挙する。起点と終点を加えて合計55になる。

「バッハの街」に通過地の名前として挙げられた街は無条件で採用することとし、以下のリスト中では赤文字で表記した。その他の街を採用するのは宿場間の平均距離を旧東海道と同じ9kmとして、これを満たすような街とした。街の中に「教会」の表示がある街を優先的に採用した。教会の近辺は街の中心マルクト広場の存在が高い確率で推定できるうえに、古くからある街である可能性は高まる。道路地図に記載されているということは、現代でもランドマークとして機能していることに他なるまい。

「アルンシュタットからの距離/前宿場からの距離/街の名前」を表記する。

  1. 000.0/00.0/Arnstadt
  2. 010.0/10.0/Gleichen
  3. 015.0/05.0/Wechmar
  4. 023.0/08.0/Gotha
  5. 031.5/08.5/Westhausen
  6. 043.0/11.5/BadLangenssalza
  7. 052.5/09.5/Grossengottern
  8. 059.0/06.5/Hoengeda
  9. 064.0/05.0/Muehlhausen
  10. 067.0/03.0/Ammer
  11. 079.5/12.5/Langefelderwarte
  12. 089.0/09.5/Kallmerode
  13. 093.5/04.5/Leinefelde
  14. 107.0/13.5/Teistungen
  15. 112.5/05.5/Duderstadt
  16. 124.5/12.0/Gieboldhausen
  17. 132.5/08.0/Lindau
  18. 143.5/11.0/Northeim
  19. 154.0/10.5/Echte
  20. 163.0/09.0/Ildehausen
  21. 171.5/08.5/Seesen
  22. 178.0/06.5/Neukrug
  23. 186.0/08.0/Lutter
  24. 193.0/07.0/Ringelheim
  25. 200.0/07.0/Grossmahner
  26. 208.5/08.5/Barum
  27. 217.5/09.0/Lindenberg
  28. 226.5/09.0/Runingen
  29. 232.5/06.0/Braunschweig
  30. 239.5/07.0/Ruhme
  31. 249.5/10.0/Meine
  32. 260.5/11.0/Gifhorn
  33. 269.0/08.5/Wangenhoff
  34. 276.5/07.5/Weissenberge
  35. 290.0/13.5/Hakkensbuettel
  36. 299.5/09.5/Bokel
  37. 307.5/08.0/Nettelkamp
  38. 317.0/09.5/Uelzen
  39. 326.0/09.0/Gerdau
  40. 331.5/05.5/Ebsdorf
  41. 339.0/07.5/Velgen
  42. 349.0/10.0/Melbeck
  43. 356.0/07.0/Lueneburg
  44. 366.0/10.0/Brietingen
  45. 371.0/05.0/Altlenburg
  46. 377.0/06.0/Schnakenbek
  47. 383.0/06.0/Basedow
  48. 391.0/08.0/Buechen
  49. 399.0/08.0/Hornbek
  50. 4110/12.0/Moelln
  51. 419.0/08.0/Behlendorf
  52. 428.0/09.0/Klempau
  53. 430.5/02.5/Klummesse
  54. 438.0/07.5/Rothebek
  55. 443.0/05.0/Luebeck

総延長443kmとなった。「バッハの街」の見立てより少し長いけれど概ねマッチした。一日50kmの馬車でも9日かかる。

さあ出発だ。

2018年8月 4日 (土)

バッハの旅支度

バッハ生涯最長最大の旅をブログ上で再現するにあたって考慮したことを以下にまとめておく。

  1. 「バッハの街」で紹介されている街をまずは地図上にプロットする。これがおおまかな経路になる。すでにこの時点で総延長420kmと書かれている。直線距離350kmから70km増しである。
  2. これらプロット済みの街々を繋ぎ、現代の道路地図を頼りにコースを推定する。通過する街を無理やり53個推定しこれを「バッハの五十三次」と定義する。
  3. 「バッハの街」の著者は、一日50km歩くとしている。すなわち時速5kmを求めている。一日10時間時速5kmで歩くということだ。で420kmの踏破を8日と見積もっている。
  4. ブログ「ブラームスの辞書」はこれに異議を唱える。バッハの旅の時期は11月だ。ドイツでは最も日が短く、8時に明るくなって15時30分には暗くなる。バッハの旅は明るい間しか歩かないと仮定する。一日最長8時間。食事や休憩も入れたら7時間だ。たった1日なら時速5kmで10時間も出来ぬ相談とは思えないが、総延長420kmとなると簡単ではあるまいと見た。
  5. 江戸時代五街道筆頭の東海道は日本橋京都間492kmで53の宿場を置く。宿場間の平均距離は9km少々。旅人はこれを14日かけて歩いたという。気候、天候、勾配、男女差、年齢で差も生じようが一日35kmだ。一日50kmがいかに過酷かわかる。
  6. 大矛盾がある。バッハの旅はおよそ14日間と見積もるとなると、バッハの申告した4週間の休暇ではリューベック滞在がゼロになる。着いた翌日に出発しなければ休暇期間中にアルンシュタットに戻れない。これはもしかすると馬車を使った証拠になるかもしれない一方で、元々事前申請の4週間など守る気はなかったという確信犯の疑いも浮上する。
  7. 以前ビール特集をした際、ビールは生産場所から半径50kmの範囲で飲まれていたと調べた。これは馬車で丸一日で配送可能なエリアという意味だった。それ以上の配送は品質劣化が起きるとされていたからだ。このことは今回の推定の参考になった。「馬車なら一日50kmが可能」ということなのだが、むしろ「馬車でさえ一日50km」だと読み解くべきだ。

2018年8月 3日 (金)

バッハの旅路

バッハ65年の生涯のうちで、最大最長の旅はと問われれば、1705年11月の徒歩旅行と唱えても誤りとはなるまい。当時の任地アルンシュタットから、尊敬するブクステフーデのいるリューベックへの徒歩旅行だ。リューベック聖マリア教会のブクステフーデは当時最高のオルガニストだ。

一方のバッハは、二十歳。1703年8月9日にアルンシュタット新教会のオルガニストになったばかり。つまりブクステフーデは当代最高の同業者ということになる。リューベックは、アルンシュタットの真北、直線距離でおよそ350kmの位置にある。勤務先に4週間の休暇を申し出て徒歩でリューベックを目指した。

先に紹介した「バッハの街」の313ページに驚くべき記述がある。このときバッハのたどったコースが通過した都市名を添えて詳細に紹介されている。

せっかくなので、手持ちのドイツ道路地図をたよりにバッハの旅路を再現してみる。

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見開きに掲載の地図で、アルンシュタットとリューベックの位置関係を確認しておく。

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現代の地図ではアウトバーンが地形に関係なく張り巡らされているからわかりにくいが、アルンシュタットの北方は、ハルツ山地が横たわっている。これを直線的に突き抜けるコースは取れないから、図の直線はあくまでも目安となる。

2018年8月 2日 (木)

オルガン名曲集

古今の有名曲をオルガンで演奏したCDは珍しくない。本日話題のCDを店頭で手に取った時は、よくある名曲集かと思っていた。

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帰宅してブックレットを読むと、軽い衝撃を覚えた。2016年録音で2017年発売のCDなのだが、オルガニストのGeorges Athanasiades さんは1929年のお生まれだった。録音時点で87歳ということになるからだ。

オルガン名曲集としては自然なことだが、収録全14曲中4曲がバッハだった。

  1. 主よ人の望みの喜びよ
  2. アクトゥストラジクス
  3. G線上のアリア
  4. 恋するガリア

これら超有名曲が淡々とオルガンで鳴らされるのだが、冒頭の「主よ人の望みの喜びよ」の後にブラームスが置かれていた。最後の作品「オルガンのための11のコラール前奏曲op122」の10番「Herzlich tut mich verlangen」である。この手のオルガン曲集に採用されることは大変珍しい。これだけでも購入に踏み切るに十分だった。

さらにそのあとは「タンホイザー」の「巡礼の合唱」だった。オルガンで弾かれてみてはっとした。なんだかきっちりとはまっているので驚いた。しかもオルガン編曲はリストだという。その次にモーツアルトのハ長調ソナタK545全3楽章のオルガン版だ。本CDの唯一のキズともいうべき選曲だ。曲や編曲の良し悪し以前に雰囲気になじんでいない。

しかし続くシューベルトで違和感はリセットされる。「Litanei」D343だ。「連祷」と訳されて違和感の無い万霊節用リートのオルガン編曲だ。「しみじみ」とはこのことだ。

それからお次はショパン。前奏曲op20から4番6番20番が続く。4番はまたまたリストの編曲らしい。そして満を持すバッハ。アクトゥストラジクス、G線、ガリアという流れはよどみがない。

ラスト14曲目が流れ出して耳を疑った。思わずブックレットを読むと「Choral St,Antoni」と書てあるばかりか、演奏者本人の解説で「ブラームスのハイドンの主題による変奏曲の原曲」と明記されていた。87歳の老オルガニストの脳裏にブラームスがあることは確実だ。「聖アントニーのコラール」がハイドン作ではないことはもはや定説となっている。だからジャケットには作曲者名が書かれていない。オルガン曲集のプログラミングだというのにバッハを差し置いてトリにブラームスを持ってきたことは明白だ。ここに及んで、2曲目にブラームスのコラールが置かれた意図がはっきりする。バッハとブラームスでロマン派の作曲家たちをはさんだということに他なるまい。つくづく場違いなモーツアルトが惜しい。

で、演奏はというと。

演奏はというと、遅めのテンポでオルガンが奏でる「聖アントニー」は、なんだかしっとりと心温まる。弾かれてみて「その手があったか」と納得。ハイドンの木管五重奏の第二楽章として、ブラームスの管弦楽用変奏曲の主題として名高いのだが、あくまでもあくまでも本質は「コラール」なのだということを改めて思い知らされた。

2018年8月 1日 (水)

オルガン版トッカータ

バッハのトッカータBWV910から916までの7曲が、レーガーの手によってオルガン用に編曲されていた。7曲のうち、EmollBWV914とGdurBwv916を除く5曲だ。

レーガーのオルガン作品op16目当てにいろいろ探しているうちにこれらを収録したCDに巡り合った。元々好きな作品である上に、最近オルガンにはまっていることもあってホクホクと買い求めた。

すごいCDだった。

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まずは録音場所。ハンブルク聖ミヒャエリス教会。演奏は、同教会の音楽監督Christoph Schoenerという人。レーガーが編曲を残していないBWV914と916をみずから編曲してシリーズを完結させてくれている。同教会にある3つのオルガンを弾き分けてくれている。

このうち2つがジャケットに映っている。

何を隠そう、この教会は、テレマンやCPEバッハが君臨し、ブラームスが洗礼を受けたという聖地だ。

2018年7月31日 (火)

1日平均200アクセス

ブログ「ブラームスの辞書」は、2005年5月30日開設から昨日をもって4810日となった。この間記事更新を一日も欠かすことはなかったが、本日の主眼はそこにはない。

一方、わがブログへの通算アクセスは、およそ97万。

割り算の出番である。通算アクセス数97万を経過日数4810で割るといい。この数値が「200」を超えている。おそらくこの7月のどこかで200に到達したのだが、見落としていた。うかつであった。ここ数年、日々のアクセスを見ていると1日200アクセスは珍しくもないのだが、ブログ開設当初は一日数アクセスの日もあったから、開設からの平均アクセスが200に到達するのはひときわ感慨が深い。

記事の連続更新は、自分の問題だが、アクセスされるかどうかは他力なのでとてもうれしい。

2018年7月30日 (月)

クリンスマン

ワールドカップ終了直後、次期日本代表監督の人選がいろいろと取り沙汰されていた。

一時元ドイツ代表監督のユルゲン・クリンスマンが有力候補だとされていた。

彼は元ドイツ代表フォワードだ。1990年イタリア大会で西ドイツとして優勝した時のメンバーだった。背番号は18番。私のアイドルだったからレプリカのユニフォームを買った。捨てられずにまだ持っている。

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バロック特集を中断してまで言及したのは、今日7月30日は彼の誕生日だからだ。

2018年7月29日 (日)

伊豆の3B

何かと思った。まさかバッハ、ベートーヴェン、ブラームスではあるまいなと。伊豆のカフェの名前だった。

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スリービーンズのことだった。3種類の豆を常時扱っていることから来るネーミングだという。コスタリカの浅い焙煎が気に入った。もちろんコーヒー自慢のお店なのだが、ジビエやピザもおいしくて盛り上がった。

2018年7月28日 (土)

大奇遇

バッハ、ヘンデル、スカルラッティがそろって1685年の生まれだということだって相当奇遇だとは思う。

本日7月28日はバッハとヴィヴァルディの命日だ。バッハは1750年、ヴィヴァルディは1741年で二人は9年違いの同じ日に没した。バッハがヴィヴァルディを熱心に研究したという因縁を思うとこれはかなりの奇遇だ。

もしもである。1856年7月29日に没したロベルト・シューマンの死が一日早ければこのリストにシューマンも加わっていたところである。

2018年7月27日 (金)

ピアノ協奏曲第2番寿

本日、母83歳の誕生日。

子供たち全員が就職して初めての誕生日となる。おばあちゃんの誕生日には、みなで趣向を凝らすのだが、就職と共に全員の日程調整が難しくなった。協議の結果、パーティは明日で、帰宅が遅い長女は欠席となった。

各々プレゼントを準備した。

私からのプレゼントは下記。

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母の好物。ドイツ製のデザートワイン。暑いので貴腐よりはアイスワインかと。ハーフでもかなりなお値段だが、清水の舞台からパラシュート付きで飛び降りた。母の健康を祝して全員で乾杯すると一瞬でなくなる。

2018年7月26日 (木)

ラオホ樽生

ドイツはバンベルク特産のラオホビールは、麦芽を燻製することから名づけられた。癖があるといえばあるのだが、はまると抜けられない。日本でも飲めるのだが、ほとんど瓶入りというのが実情だ。

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樽ナマは諦めているのだが、毎度毎度の赤坂アイヒェンプラッツさんで入荷があり、一昨日賞味してきた。泣く子も黙るシェレンケルラである。

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期待以上の出来映えだ。瓶入りと比べるとまろやかな感じ。特有の燻香はそのままに、味わいが丸い。泡立ちもきめ細かな気がする。それでいてコクもある。濃いのとは違うけれど味に奥行きがある。

絶品のシュニッツェルとの相性が抜群だ。

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いやいや極楽。

2018年7月25日 (水)

FOOD,WINE & SONG

これがCDのタイトルだ。驚くべきCD。ザ・オルランド・コンソルトという声楽アンサンブルが出している。時代としてはバロック以前のルネサンス時代で、領域としては英独仏伊に、なんと驚きのブルガリアを加えたもの。

当時の歌の中からワインや食べ物を扱った作品が集められているばかりか、そこで扱われた料理ないしはお菓子のレシピが、取り扱い各国の言葉で載っている。

サイズこそCDサイズだが、体裁は小さな本だ。

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ドイツは3曲。いずれも1500年から1585年くらいまでの歌だ。
辞書片手にレシピを見ながら聴いていると時間を忘れる。いやはや楽しい。

2018年7月24日 (火)

華麗なるアンサンブル

1874年のヨハネス・フォールハウトの油彩画「家庭音楽のひとこま」に、ブクステフーデとラインケンが描かれている。ラインケンがチェンバロ、ブクステフーデはガンバを受け持っている。

ひょんなことから、両者の作品を収録したCDを入手した。

大オルガニストだった二人の室内楽作品が交互に演奏される。ジャケットには本日話題の絵に描かれた二人の姿が配されている。

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2018年7月23日 (月)

須賀ハリストス教会

やっと入れた。

千葉県の八日市場という街のそばに、須賀ハリストス教会がある。明治になってキリスト教の信仰が許された後に建てられたもの。現在の建物は20年前に建て替えられたものだが、祭壇前の絵画は明治期のものだという。九十九里海岸に近いとはいえ、あたりは田んぼ。のどかな風景が延々と続く。案内の標識もなく、グーグルの地図を頼りにたどり着いた。以前から存在は知っていたが、限られた日にしか内部に入れない。予定を合わせてやっと見学できた。

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寄付代わりにと購入した絵葉書の中の一枚。

なんといってもここはギリシア正教の教会。特色ある十字架が印象的だ。暑い日中、空調もない中、近所の信者の男性が丁寧に説明してくれた。噂に聞いていた明治期の宗教画はとても清楚で印象に残ったけれど写真撮影はしなかった。部屋の隅に置かれた4本の譜面台が聖歌隊の存在を物語る。館内にオルガンはない。尋ねてみるとミサの時には地元の人たちが歌うという。

バッハに親しむ過程で習得したキリスト教の知識に浸っていた脳みそが敏感に反応したのが、我ながらうれしかった。長崎の遺跡群が世界遺産に登録されたことは記憶に新しいが、ここにも何かがあると感じた。

2018年7月22日 (日)

虫のCD

なぜ虫のCDというのかは、以下の画像で明らか。

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木村理恵さんのドイツバロックのヴァイオリンソナタ集だ。時代的にバッハに先行する人々の作品が集められている。

ワルターやクリーガー、エルレバッハ、ブクステフーデなど濃いメンツだ。

とても気にいっている。

2018年7月21日 (土)

無伴奏ヴァイオリンのためのファンタジー

テレマンが1735年に出版した作品。バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータがあまりにも名高いので陰に隠れがちだ。私とてバッハの方に興味をもった後に、同じバロック時代の無伴奏作品ということで手に取った。

「ファンタジー」とは、「幻想曲」と訳されるが、パルティータや組曲ほどの制約はなく、自由に曲想の赴くままに作曲された12の小品集という気分である。全12曲すべて楽譜にして見開き2ページで事足りる。おしゃれな曲集だ。

<1番変ロ長調>

ラルゴの「プレリュード」にアレグロの「アルマンド」が続くかのように聞こえる。2分の3拍子のグラーフェは、サラバンドとは一線を画する体裁で独創的だ。驚くのはアレグロの冒頭にリピートされることだ。見た感じは序奏付きのアルマンドがトリオを挟むかとも思える。

<2番ト長調>

序奏ラルゴに次いで走り出すアレグロは4小節差で追いかけるカノン風の出だしなのだが、実態はもっと複雑。テンポ的にはコレンテだと直感が働くが、頻発する3連符とリピート記号の不存在が不気味だ。フィナーレは4分の2なのだが、4分音符が必ず3連符で割られるので実質は8分の6と聞こえるせいか思わずジーク認定したくなる。

<3番ヘ短調>

タイトルにははっきりと「へ短調」と記載されているのに、調合はフラット3つになっている。つまり最後のフラットが省略される「ドリアン風」だ。これもまた調性同様に独創的だ。ヴィヴァーチェの2分の2拍子は本当に魅力ある楽章だが、舞曲へのあてはめは難しい。フィナーレはヴィヴァーチェの8分の3拍子で、前半後半各々リピートされるので、ジークかとも思えるが、「♩♪」のリズムが一切登場せずジーク認定は保留する。

<4番ニ長調>

4曲目にして初めて遅い楽章が冒頭に来ず、いきなりのヴィヴァーチェで立ち上がる。舞曲理解からは程遠い。73小節目グラーフェはフランス風序曲かと見まがう。続く8分の6拍子はまばゆいばかりの典型的なジークだ。

<5番イ長調>

アレグロのプレリュードにプレスト2分の2拍子のフーガが続くかのように立ち上がる。フーガを引き裂いてまた冒頭アレグロに回帰する。それにまたフーガが続く。舞曲脳では理解不能だ。嬰へ短調のアンダンテが嬰ハ長調で終わって、フィナーレアレグロは4分の2拍子と8分の6拍子の急速な交代と聞こえるように設計されているものの、記譜上は4分の2で貫かれる。ジークとブーレの複合かとも。

<6番ホ短調>

大好きだ。2分の3拍子の荘重なグラーフェだが、断固サラバンドではなく、プレリュードを志向していると思われる。プレスト冒頭にホ短調の移動ドでジュピター主題「ドレファミ」が全音符で現れる。本当に衝撃的だ。51小節目以降らしくない半音階のオンパレードでぎょっとさせられる。続く楽章には珍しく「シシリアーナ」と明記される。続いてアレグロ4分の2拍子「ミノーレ」は前後半のリピート記号が存在するせいかブーレかと錯覚する。

<7番変ホ長調>

珍しく「ドルチェ」と記されているがおそらくプレリュード扱いで問題あるまい。リピートを伴う快速の3拍子はコレンテを想起させるが、音の跳躍が多く画一的な解釈は禁物だ。サラバンドかとも紛らわしいラルゴに続くプレストは典型的なガヴォットでいい。

<8番ホ長調>

チャーミングな序奏に続く4分の3拍子はボッケリーニのメヌエット張りの印象的なシンコペーションが売り。フィナーレ8分の3拍子はおそらく「メヌエット」だ。

<9番ロ短調>

冒頭いきなり「シシリアーナ」の表示で始まる。続く4分の2拍子アレグロはブーレーで決まり。さらにフィナーレ8分の9拍子アレグロもジークで文句ない。「シシリアーナ」「ブーレー」「ジーク」の舞曲集だ。

<10番ニ長調>

舞曲解釈ではたちまち限界が露呈する。プレストで曲が始まる衝撃を味わいたい。フィナーレ8分の9拍子もジーク認定しにくい。

<11番ヘ長調>

4分の2拍子ウンポコヴィヴァーチェが「Soave」を囲い込む異例の構成。フィナーレ4分の3拍子もコレンテとは言いがたく難解。

<12番イ短調>

うち続く付点のリズムはフランス風序曲を思わせる。続く「8分の6拍子アレグロ」は自然にジーク認定だ。フィナーレもこれまた自然にガヴォット認定されていい。

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