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カテゴリー「078 ハプスブルク」の36件の記事

2022年2月20日 (日)

ウィーン学派

ウィーン楽派ではない。「学派」だ。細菌学の世界ではコッホやパスツールが有名なせいか、ドイツやフランスが医学の最先端というイメージが強いが、実はウィーンも負けていない。それどころかウィーンは欧州一の医学の中心地だったという話。

1744年にマリアテレジアの侍医としてオランダから招かれたゲルハルト・ヴァン・ズヴィーテンがウィーン学派の開祖と目されている。彼の業績はベッド数12の市民療養所を設けたこと。ここで臨床授業を考案した。入院患者に毎日の検温を実施したのも彼が最初だ。療養所で亡くなった患者全てを対象に検死を始めたのも彼の業績。

やがて皇帝ヨーゼフ2世が総合病院「アルゲマイネスクランケンハウス」を創設する。全入院患者に専用のベッドを用意するという新機軸も打ち出された。ハード面のこうした充実をベースに医学界の俊英たちを次々と輩出した。

  1. イグナーツ・フィリップ・ゼンメルヴァイス 産褥熱の原因特定と治療法の確立。
  2. アードルフ・ローレンツ 先天性股関節脱臼の治療法確立。
  3. カール・ラントシュタイナー 血液型の発見。1930年ノーベル賞受賞。
  4. ユリウス・ワーグナー・ヤウレック 梅毒の末期症状としての神経障害について「マラリア療法」の考案。脳梅毒の症状が患者の体温が高いときに好転するという経験から導き出されたもの。1927年ノーベル賞受賞。
  5. ローレンツ・ペーラー 救急外科外来の父。

ウィーン大学医学部を中心としたウィーン学派の隆盛はナチスの台頭まで続いた。オーストリアのノーベル賞供給基地の異名をとったがナチス政権の発足とともに有力な学者たちが揃ってアメリカに脱出してしまう。

お気づきだろうか。もう一人、大事な人が抜けている。テオドール・ビルロートだ。特筆大書されるべき外科医。がん患者の咽頭あるいは胃の一部切除の方法を考案した功績がまぶしいばかりなのだが、彼はヨハネス・ブラームスの親友だ。ベルリン大学からの招請を断ったことは有名で、ブラームスがいるウィーンを離れたくなかったからだとささやかれてもいるのだが、実はウィーン学派の中枢に残ることにこだわった結果に過ぎない。 

 

 

2022年2月14日 (月)

女帝

日本なら「女性の天皇」の意味。欧州なら「女性の皇帝」だろう。

オーストリア・ハプスブルク家で申せばほぼ「マリア・テレジア」の代名詞だ。ドイツ語では「Kaiserin」という。「Kaiser」の女性形だ。しかししかし、カイザーというのは王の中の王だ。神聖ローマ帝国は「女帝」を認めていないから、彼女は厳密に言うと皇帝ではなく、女帝とは言えない。

「事実上の女帝」である。皇帝はあくまでも婿のフランツ1世である。プロイセンにいちゃもんを付けられたが、実質的には家事から国事まで全てを掌握してた国の母であった。

オーストリアの地図を開く。首都ウィーンの南およそ40kmの場所に「Theresiendorf」という地名があるほか、「Maria」または「Marien」で始まる地名がオーストリアには大変多い。

 

 

2022年2月13日 (日)

大公

ドイツ語「Erzherzog」の訳語。単なる公爵「Herzog」より偉いという意味がある。

神聖ローマ帝国では、皇帝を選ぶ選挙があって、投票権の保有者を選帝侯と呼んだ。制度正式発足時7名が名を連ねた。不思議なことにこの7名にハプスブルク家が含まれていない。長らく疑問だった。

これは当時の皇帝、ボヘミア王カール4世の陰謀だ。ルクセンブルク家出身のカール4世はライバルであったハプスブルク家をはずしたのだ。1396年の金印勅書でそう決めた。

ところがこれを逆手に取る切れ者がハプスブルク家に現れた。ルドルフ4世という。ハプスブルク家は選帝侯たちより上位にあるからといって、「オーストリア大公」を名乗った。公爵より上だという理屈だ。「選帝侯はどんなに偉くても選ぶ側」であり、ハプスブルク家がそれに入っていないのは「選ばれる側」だという理屈だ。

後にハプスブルク家が皇位を独占する法的根拠になったから、この知恵比べはルドルフ4世の勝ちだ。ベートーヴェンのパトロンとして名高いルドルフ大公など、オーストリア・ハプスブルク家には何かと「大公」が登場するのはそのせいだ。

 

 

2022年2月 9日 (水)

組の名前

世界中で親しまれているウィーン少年合唱団は、10歳から14歳までの男子およそ100名によって構成されている。形としては全寮制の私立学校になっている。彼らは4つの組に分かれてローテーション制で活動し、王宮ミサでの歌唱に穴が開かないようにスケジュールがくまれているという。

その4つの組は「ハイドン」「モーツアルト」「シューベルト」「ブルックナー」というウィーンゆかりの作曲家名になっているらしい。

  1. ハイドン ローラウ生まれ。1861年エステルハージ家に仕えるようになってからほぼ39年ウイーンに住む。。
  2. モーツアルト ザルツブルク生まれ。1781年から10年間ウィーンに住む。
  3. シューベルト ウイーン近郊生まれ。1797年から死去まで31年間。
  4. ブルックナー アンスフェルデン生まれ。ほぼ1868年から死去まで28年間。

「ウィーンゆかりの」というのは必ずしもウィーン生まれを意味していないのは明らか。ベートーヴェンは1792年から没するまで35年間、ウイーンで生活していた。ブラームスは1862年以降没するまで35年間ウィーンに住んだ。2人とも上記4人の中に置けば、ハイドンに次ぐ居住年数になる。ウィーン生まれのシューベルトは当確で文句も出まいが、この4名の人選は多分にイメージも影響していると思う。

楽友協会の芸術監督だったブラームスが「ウィーンゆかり」の審査基準で落選とは解せない。1年の3分の1が避暑地暮らしだった上に、演奏旅行でウィーンを明け勝ちだった生活実態が考慮されて留守補正がかかったかもしれない。

2022年1月23日 (日)

ウィーンの異邦人

北ドイツに生まれて、ドイツ語の話者であったブラームスは1862年に単身で帝都ウィーンに進出する。異国にポッツリやってきた異邦人だったのだろうかと調べてみた。どうも違いそうだ。ハプスブルク帝国は、もともと主要民族だけで10民族を超える多民族国家だったから、その首都にはたくさんの民族が入り乱れていた。

「ウィーン多民族文化のフーガ」という書物に興味深い数値が載っていた。1880年時点におけるハプスブルク帝国内の民族構成比だ。

  1. ドイツ人 26.4%
  2. マジャール人 17.1%
  3. チェコ人 13.7%
  4. ポーランド人 8.6%
  5. ウクライナ人 8.3%
  6. セルビア&クロアチア人 7.7%
  7. ルーマニア人 6.0%
  8. スロヴァキア人 5.0%
  9. スロヴェニア人 3.0%
  10. イタリア人 1.6%

このときの帝国の総人口は3779万人。支配層のドイツ人でもやっと4分の1だ。この26.4%の中にブラームスがカウントされているものと思われる。さらに同じ本の同じページに興味深い資料が掲載されていた。1890年現在のウィーンの出生地別構成比だ。

  1. ウィーン生まれ 44.7%
  2. ボヘミア・モラヴィア(=チェコ)生まれ 26.0%
  3. ウィーン以外のオーストリア生まれ 15.1%
  4. ハンガリー生まれ 7.4%
  5. ドイツ生まれ 1.9%
  6. その他 4.1%

ブラームスはドイツ生まれの1.9%にカウントされていそうだ。ウィーン生まれのドイツ人が相当たくさんいるということもほぼ明らかになる。ウィーンにおいてドイツ語を話している限りブラームスはちっとも異邦人なんかではないと言えそうだ。

 

 

2022年1月16日 (日)

帝国議会

1867年の和協によりオーストリアハンガリー二重帝国が成立したことは昨日話題にした。オーストリア側にもハンガリー側にも議会が発足した。このときをもってオーストリアは立憲君主制に移行したと解されている。

議員を皇帝が任命する貴族院と、領邦議会代表によって構成される衆議院の二院制で、両院は対等の権能を持った。1873年には領邦議会代表による互選制から直接選挙制に移行した。このときは制限選挙だったが1896年には普通選挙による72議席が追加された。この制度のもとでの最初の選挙が1897年3月だった。ブラームスの没する1ヶ月前である。ブラームスの伝記にはこの最後の3月についての記事が比較的厚く書かれるのだが、この選挙に言及されていることはない。この選挙では青年チェコ党が第一党に躍進して、ちょっとした衝撃だったというのだが、伝記は沈黙している。ブラームスの病状を考えると選挙どころではなかったことは確実なのだが、疑問もわき上がる。

そもそも友人たちの証言によればブラームスは政治の話にも積極的だったらしいのだが、選挙に行ったというエピソードは残されていない。ブラームスは投票に行ったことはあるのだろうか。もしあるとすればドイツとオーストリアどちらの議会だったのだろう。

2022年1月15日 (土)

アウスグライヒ

「Ausgleich」と綴るドイツ語。辞書を引くと「調整」「妥協」「調停」「和議」という訳語並んでいるが、歴史用語として使われる場合がある。ハプスブルク帝国の転換点のことを指す場合「和協」という言葉か特別にあてられる。

ブラームスの生きた時代、とりわけ1848年のメッテルニッヒ失脚以降、どうもハプスブルク家は旗色が悪い。プロイセンの台頭、とりわけビスマルクの登場により拍車がかかった感じがする。

イタリアに独立され、デンマークから手を引かされ、普墺戦争に負けて、多民族国家の弱点が次々と表面化する。領内でドイツ人の次の勢力だったマジャール人が分離独立を志向することで、帝国の維持がどうにも怪しくなる。その場面で採用された政治的妥協のことを後世の歴史家は「アウスグライヒ」(和協)と呼んだ。マジャール人との妥協だ。

帝国はオーストリアとハンガリーに二分し「オーストリアハンガリー二重帝国」となる。オーストリア帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世を王に戴きながらハンガリーは独立の政府と議会を持つことになる。軍事・財政・外交だけが共通事項とされたほかは、独自に大臣を持った。蔵相や外相がハンガリー人だったこともある。帝国内においてハンガリー人はドイツ人とならぶ特権階級になった。1867年の出来事だ。后妃エリザベートのハンガリーへの肩入れもあって、ハンガリーの地位が大きく向上した。

ブラームスの出世作ハンガリー舞曲第一集第二集の出版が1869年なのはけして偶然ではない。そしてその楽譜がベストセラーになったのは帝国内におけるハンガリー熱の高まりを考えるともはや必然という気もしてくる。

 

 

2022年1月12日 (水)

ワルツの夜明け

1766年だからベートーヴェンが生まれる4年前の話だ。皇帝ヨーゼフ1世は、宮廷ダンス教師たちに芸種としての独立を認める決定をくだした。そのときまで舞踏は宮廷作法の一つで、作法としての舞踏を王室や貴族相手に教授するためのお抱え教師を雇っていた。このときの決定は、平たく言うと「庶民相手に舞踏を教えてもよろしい」という意味合いを持っていた。これがワルツ大ブレークのキッカケとなった。

ワルツはカップルが数回ダンス教室に通えば、とりあえず踊れるようになる。習得に長い時間がかかるメヌエットは、あっという間に落ち目になる。さらに習得の手軽さに加え、踊る男女の密着度が大ブレークの原因とささやかれている。眉をひそめる向きももちろんあって、しばしば禁止令が出されたが効果は全くなかった。

メヌエットの代替品がただちにワルツになったわけではないこと周知の事実だがソナタの中間楽章からメヌエットが消えて行くタイミングと不気味なくらい一致している。ソナタに挿入されたスケルツォが「踊らぬ舞曲」の代名詞なら、ワルツは踊る舞曲の帝王である。まさに時代の最先端を行く踊りだ。

だからワルツop39を献呈されたハンスリックは驚いたのだ。「あの堅物のブラームスが」という台詞は、当時のワルツの大ブレークを下敷きに考えねば実感できない。

2021年7月 4日 (日)

ニコラウス・ドゥンバ

ウィーンの実業家。他にもさまざまな肩書き。国会議員、市会議員、貯蓄銀行総裁でもある。何よりも芸術家の支援者だ。さらには自身が有能なテノール歌手である。ウィーン男声合唱団の団長も務めた。パルクシュトラーセ4番地の屋敷は4階建てで、ほぼ宮殿と申してよい規模。ここの音楽サロンの装飾はグスタフ・クリムトによるものだ。

現在ウィーン観光の目玉になっているような有名な建物の多くが彼の寄付によって建てられたという。楽友協会、コンツェルトハウス、クンストラーハウス、市庁舎、国会議事堂、フォーティフ教会、ウィーン大学など枚挙に暇が無い。

屋敷の音楽サロンにはブラームスの出入りも確認されているし、資料室にはブラームスの手紙も保管されている他、何と言ってもシューベルトの自筆譜のコレクションが超目玉だ。ブラームスはこれが目的で出入りした可能性もある。ウィーン郊外への散歩にブラームスと同行したことがホイベルガーによって証言されている。

さらにもっと凄い話を小耳に挟んだ。ウィーン中央墓地にあるドゥンバのお墓は、ブラームスの墓の隣にある。ブラームスは26番で27番がシュトラウスなのだが、25番がドゥンバだった。ウィーン中央墓地32区Aは「楽聖特別区」だ。音楽家ばかりの一角に埋葬されているところを見ると現地では相当な位置付けだと思われる。

2020年10月20日 (火)

カール6世

神聖ローマ皇帝、というよりマリア・テレジアの父。即位前にスペイン継承戦争が起き、没後すぐにオーストリア継承戦争が起きた。1740年10月20日狩猟先で急死した。今日は命日だ。

ヴィヴァルディはカール6世に謁見したこともあるし、作品を献呈している。カール6世を頼ってウィーンに出たものの、その急死によりオペラ上演にも暗雲が立ち込める中同地にて没した。

三十年戦争以降、退潮傾向にあったとはいえ、神聖ローマ皇帝に謁見できたヴィヴァルディは大したものである。晩年にフリードリヒ大王にお目通りかなったバッハの事例と好一対だ。

 

 

 

 

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