毎日好き勝手な記事を発信しているように見える我がブログ「ブラームスの辞書」だが、短期的な隠しテーマを埋め込んである場合がある。昨年の12月14日以降の半月はまさにバッハが隠しテーマになっていた。
最近では本年2月15日の記事「名付け親」を皮切りに以下の記事が、一連のフレーズを形作っている。
これらの記事にはフェリクス・シューマンという隠しテーマが底流している。
よいたとえがある。バッハの器楽系独奏曲には、しばしば16分音符が延々と羅列される。それらのうち拍の頭に来る音をつなげると旋律が浮かび上がることが多い。小節の頭のこともある。ヴァイオリンやチェロなどの旋律系の楽器が無伴奏で演奏されるというのに、豊かなポリフォニー感覚が表現されている場合、この隠された旋律の手法が使われている。
私の記事もそれをまねしている。毎日「フェリクスネタ」を発信すると退屈する人もいるかもしれない。シリーズの途中でどうしてもはずせない出来事があった時困ってしまう。けれどもこのように一定の間を空けて発信することで、対処が可能だ。さらに、同時に複数の隠しテーマを進行させることも出来る。まさにポリフォニーだ。
実際一連のフェリクスのシリーズと平行して発信した以下の記事も不可分な文脈を想定できる。
そしてこれらの先頭に位置する「影響ごっこ」は以下の記事の到達点にもなっている。
これらシリーズ物は関連する記事の全てを先に考える。出来上がった記事を適当に間隔を空けて公開するのだ。何から順に言及するのが一番効率的かを考えているというわけだ。
隠しテーマの存在はいちいちブログで言及しないことも多い。けれども大抵は記事の中にリンクを貼るので気付いてもらえると思う。言ってしまっては「隠しテーマ」にならないからだ。こういうの何だかブラームス的である。
最近のコメント