正月休みに入ったのをいいことに、のんびりとヴィオラを練習している。もちろん相変わらずバッハの無伴奏ヴィオラ組曲だ。「組曲」という言葉に素朴な疑問を感じていた。「パルティータ」との区別はどうなっているのだろうということだ。
名高いシャコンヌニ短調が入っているのは「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ」で、今私がのめりこんでいるのが「無伴奏チェロのための組曲」だ。両方とも古典舞曲の集合体であることに変わりはないのに何故使い分けられているのだろう。
いろいろ調べていて面白いことが判ってきた。バッハは几帳面な性格で言葉の使い分けには厳格だったことが本日の話の大前提になる。たとえば組曲にもパルティータにも頻繁に現れる「クーラント」は当時フランス風とイタリア風とがあった。バッハはフランス風の時は「クーラント」とする一方で、イタリア風の時には「コレンテ」と表記した。例外の一切無い厳密さだという。
さてさて「組曲」(Suit)と「パルティータ」の区別の話に戻る。どちらも古典舞曲の集合体なのだが、その選曲や配列、あるいは個々の舞曲の形式が必ずしも厳密にルールを守っていないものを「パルティータ」と言い、それら全てにおいて厳密にルールが遵守されている場合を「組曲」と呼んだらしい。
個々の舞曲の形式がルール内かどうかについてもバッハの判定は厳密であったという。メヌエットとて単に典雅で高貴な4分の3拍子という曖昧な基準ばかりでもなかったようだ。厳密なメヌエットとは呼べないが、テンポだけはメヌエットと同じという曲も数多くあったのだが、そういう場合は「メヌエット」という断定を避け、「Tempo di menuetto」という表現を用いているという。数学的物理的なテンポという意味では「Moderato」でも事足りるのに、「ホラ皆さんもご存じのあのメヌエットのテンポですよ」というニュアンスが「Tempo di menuetto」には込められている。また当時のメヌエットはいわゆる中間部に「Trio」というタイトルが掲げられずに「Menuetto Ⅱ」と記されている。形式的には事実上のトリオとして機能していても「Trio」とは標記されないということだ。
やっと本題に入れる。ブラームスは今述べたようなバッハの厳密さを知っていた。ブラームスとて「Menuetto」という語を楽譜上に記すことはあったが、管弦楽のためのセレナーデ第1番の第4楽章を除いて、「Menuetto」と断言することを避けている。「Allegretto quasi menuetto」「Tempo di menuetto」という具合である。私の著書「ブラームスの辞書」では「Menuetto」と断言しないこれらの癖に言及して、「単にメヌエットのテンポを借りただけというブラームスからのメッセージ」という解釈を提案しているが、この姿勢はバッハの厳密さと一脈通じるものがある。「形式としてはメヌエットとは言えないが、テンポはまさにメヌエットなんです」という状態だ。「Moderato」と記すよりも誤解の発生する余地は数段低いと思われる。
さらにだ。唯一「Menuetto」と断言している管弦楽のためのセレナーデ第1番の第4楽章では、「MenuettoⅠ」と「MenuettoⅡ」という標記が見られる。「Trio」と書かずに「menuettoⅡ」という書き方を採用しているのだ。
ブラームスのバッハへの傾倒はよく知られている。ブラームスが意図的にバッハへの接近を図った事例だと考えている。
正月気分を吹き飛ばすガチンコ記事である。気分満載だった昨日の記事との落差が我ながら心地よい。
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