コミック「のだめカンタービレ」第17巻に千秋真一がパニックに陥るシーンが描かれている。マルレオケ第2391回演奏会での出来事だ。ベートーベンの第4交響曲の中で起きる。千秋は一瞬今いる箇所を忘れる。94ページ最下段のコマだ。
演奏の冒頭から異変に気付いていたトマシモンの洞察力とリーダーシップ、そしてマルレオケメンバーの機転で、最悪の事態だけは免れるが、判る人には判ってしまう。原因は弾き振りのバッハのコンチェルトの演奏後に父の姿を客席に見た千秋の心の動揺にある。原因となった父はその瞬間「バーカ」と念ずる。ロランくんにも見通された。新聞の批評では「若者の背伸び」と書かれる。譜例に霞がかかっていてどの場所かわからない。第1楽章だろうとは思う。
私にも似たような経験がある。1980年6月22日千葉大学管弦楽団第47回定期演奏会のメインプログラムの中で起きた。何を隠そうブラームスの第一交響曲第2楽章である。38小節目からのオーボエのソロが消えたのだ。ヴァイオリンとヴィオラは拍頭に休符を持つシンコペーション気味の刻みなので、非常に数えにくいところだ。オーボエを聴くことによってのみアイデンティーを確認するという感じの場所だ。その肝心要のオーボエが落ちた。得てして「何でまた!」というようなところでトラブルが起きるものだ。オーボエに続くクラリネットも落ちた。一同もうだめだと思ったところで、チェロが決然とインテンポで入ってきた。後から思えばこのチェロが救いの神だった。チェロが曲がりなりにもインテンポで入って来なかったら止まっていた。後でチェロの連中に聞いた話では「オーボエを聴かずに数えていた」ということだった。今風に言えばリスク管理だろう。もちろん今では良い想い出だ。
何かと厳しいトマシモンはさすがである。93ページ左上スミのコマを見るがいい。「指揮を見るな」という合図があるのかという感じである。その合図をとっさに出すコンマスもコンマスなら、それを読み取るオケもオケだ。このとき千秋と父の葛藤はオケ全員誰も知らぬはずである。何がそうさせるのか?自分へのプライド、オケへの愛情、千秋への信頼などいろいろ考えられるが、結果として危機回避のためにオケは一致団結した。「ボレロ」や「魔法使いの弟子」でのあっけない決壊とは雲泥の差だ。
演奏会後、楽屋通路でのトマシモンの愛ある説教、後日ライブラリーでのテオの新聞音読およびそれに続くトマシモンのおやつ付きフォローには、暖かみを感じた。千秋がいることをテオから知らされている可能性を考えたい。でなければトマシモンにおやつを持ってライブラリーを覗きに来る癖があることになる。実はテオとトマシモンもいいコンビなのだ。客演指揮者アーロン・ネヴィルの使いッパシリと化す千秋とそれをネタにテオを叱るトマシモンの光景は、その延長線上にある。「うちの常任に人前でそんなことさせるな」とトマシモンが口走る場面がある。175ページ右下だ。13巻131ページ目で千秋の常任指揮者就任を聞かされて「私はまだ認めていない」と言い張った本人であることを考えると、この発言は感動的である。
その雰囲気は、トマシモンとテオだけにとどまらず、全員に伝染していたと解するべきである。巻末も程近い187ページ。ミスを謝るべきか迷いつつリハーサルに臨んだ千秋を迎えた足踏みがその根拠である。
第17巻まるまる一冊を使って、マルレオケと千秋の関係が「不滅」であることが描かれる。そしてそれが千秋自身のミスによって強調されるという筋立てだ。のだめとの微妙なすれ違いとは対極にある。
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