ブラームスその愛と死
一昨日都内白寿ホールに出かけた。演奏会のタイトルが「ブラームスその愛と死」だった。メゾソプラノ小山由美先生、伴奏が佐藤正浩先生。もうずっと前、ブログ上の歌曲特集が始まった頃にチケットを予約して楽しみに待っていた。ちょうど台風一過に緊急事態宣言の解除も重なるという奇遇にも恵まれた。プログラムは下記。
- その谷の下で
- 僕の娘はバラ色の唇
- お姉さん
- 静かな夜に
- 日曜日
- 2人はそぞろ歩いた
- 湖上で
- サフォーの頌歌
- 甲斐なきセレナーデ
- 教会墓地で
- 雨の歌
- 永遠の愛
- 人に臨むことは
- 私は全てを見る
- おお死よ
- たとえ私が
伴奏の佐藤先生が進行役も兼ねている。声を張り上げるでもなく、淡々と適度なユーモアも織り交ぜて知らず知らずに聴衆を引き込んでゆく。4曲、5曲、3曲の塊に意図を持たせ、その間を素晴らしいトークが繋ぐ。ブラームスがオペラを書かなかったのは「低い側の声が好みだったから」という興味深い仮説も披露された。全く同感 だ。お人柄まで想像されるトークなのだが、やがてそれがピアノ伴奏にも色濃く反映していると思い知る。
さて小山先生。プログラムの進行は佐藤先生に任せ演奏に集中するが、ステージ奥壁面に投影されるテキストの日本語訳がご自身の執筆だということで理解を助けてくれる。深々という表現がまさにあてはまる歌声。とことん練り上げられた「愛と死」というテーマにふさわしい選曲なのだが、それもこの声があってこそだ。上記12番の後に休憩が来る。休憩明けには「4つの厳粛な歌」しかない。ステージの照明は抑えられ、小山先生は黒のドレスに着替えていた。この時点でもう我々は演奏者の掌中にいる。全てが意図されていてなおかつ、演奏者二人の間に完全な合意ある。でなければ絶対にできない演奏だった。台風一過、緊急事態宣言明けとのタイミングの一致は神様まで、この合意に加わっていることの証明に違いない。
「4つの厳粛な歌」の後、ようやく小山先生が聴衆に語りかけた。「コロナ禍のこんな中、お運びいただきありがとうございます」という切り出し。本当はお一人お一人の手を取ってお礼したいけれでもそうもいかないので、最後に「子守歌」を歌ってお別れしますと。
名高いブラームスの子守歌が披露された。「愛と死」と銘打ったコンサート。「死」と真正面から向き合った「4つの厳粛な歌」の後、「子守歌」を聴いて「愛と死」とは、実は「生」のことだと実感した。
凄いコンサート。
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