亡き妻に
原稿のあとがきを読んだ出版社の社長が「奥様のことには言及しなくてよいのですか」と言葉を選びながら尋ねてきた。誠実で暖かい質問である。あとがきの文末には、この本を子供たちと母に捧げる旨記されているのだが、亡き妻に言及がない点を心配してくれたのだ。
妻が他界して9年と5ケ月になろうとしている。長男、長女、次女を生んでくれた上に、ピアノとヴァイオリンも演奏する。特筆せねばならないのは、妻もまたブラームスが一番好きだったということだ。長男が生まれるまでは、よく二人でアンサンブルを楽しんだ。私がヴィオラを弾くのでファーストチョイスは当然のことながらブラームスのヴィオラソナタになる。ヴィオラソナタ第一番の第二楽章を「子守唄」と呼んだ彼女の感性に驚かされた。何度繰り返しても、そして何箇所弾けないところがあっても、心の底から楽しめた。我が家に今ブラームスの室内楽の楽譜がたくさんあるのも当時の名残りである。妻の遺品から見つかったラプソディop79-2ト短調の楽譜には、学生時代の発表会での彼女の取り組みの痕跡がはっきりと残っていた。3人の子供をもうけたのは、将来家族でブラームスのピアノ五重奏を演奏するためでもあった。
思い出せばきりがない。もし存命なら執筆の手助けをしてくれただろうし、刊行を喜んでくれるだろう。「亡き妻に捧げる」の一文を本書末尾に躍らせるかどうか、迷った。結論から言えば「亡き妻には直接触れない」である。妻とのアンサンブルの過程で知りえた知見をふんだんにちりばめることで、よしとする。「亡き妻に云々」の文言は、読者にとっては無用のメッセージだ。お涙頂戴の「闘病日記」の類ではない。
強がってみせたものの、本文には仕掛けを施すことにした。出版社にお願いして奥付に記載される本書の発行年月日は2005年6月15日に固定することにした。実際の発刊日がこの日にならなくてもである。本日6月17日の時点でまだ印刷にも回っていないのだから6月15日に発行されるはずはない。がしかし、妻の誕生日6月15日を本書末尾に記載することとした。実際の発行は7月中旬以降となることが確実なので一ケ月を超える「オフサイド標記」となる。
あとがきに書ききれなかった思いを綴るという、このブログの趣旨からして、もっとも大書されるべき記事である。
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