ブラームスネタ
音楽の鑑賞にとって、演奏者の存在は不可避である。なんぼ名曲でも書かれた楽譜を見て「いやあ、素晴らしいですね」とはならない。演奏されてはじめて鑑賞の対象となりうる。論評もまたそこから始まる。当たり前の話である。作品が元々持っている素晴らしさを演奏家が引き出してはじめて鑑賞の準備が整う。その際の構成比はどのくらいだろう。ヘボな作品を演奏家が助けての100点もあれば、作品で90点なのに演奏家が台無しにして80点もあるだろう。いろいろなケースを想定出来ようが、概ね作品が過半のパーセンテージを占めるのではないだろうか?お叱りを覚悟で言うと7対3か8対2あたり。もちろん演奏家が3か2である。この3か2の部分を強調して議論するのが演奏家論。誰が演奏しようと普遍の7か8の部分を議論するのが作曲家論だ。大事なことだから何度でも繰り返す。
私はこの7か8の部分に深い興味がある。見知らぬ同士が始めてクラシックの話をする場合に、枕として演奏家の話から入るのも悪くはないが、そればっかりはいただけない。ブラームスの話がしたいのである。
ただいま執筆中の本は、こうしたブラームス話のネタの集まりである。ただ集めただけではつまらないから、音楽用語という切り口を与え、私が普段考えているこことをアルファベット順にならべた。あたかも音楽用語事典のようにである。長年ブラームスファンを続けてきた関係で、日本語で読めるブラームス本は大抵目を通しているが、そうしたコンセンプトの書物にはお目にかかったことが無い。もちろん音楽用語辞典ならば数多存在するのだが、特定の作曲家が使った言葉だけに的を絞った例は見かけない。
さてさて、最後の著者校正の追い込みをせねばならない。昨日までに400ページ中265ページまで完了した。あと135ページである。
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