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2005年8月31日 (水)

献本行脚⑤

献本先の本命の一つに献本を決行した。

「千葉大学管弦楽団」である。西千葉キャンパスの奥深くに鎮座する部室を訪ねた。西千葉の駅から10分の道のりを噛み締めるように歩いた。「ブラームスの辞書」の成り立ちを考えるとき、千葉大学管弦楽団への献本は必須事項である。

部室。昔のままだった。雑然とした様子も昔のままだった。この冬が98回目の定期演奏会だという。私の最後の演奏会は50回だったことを思うと時の流れを深く感じざるを得ない。第50回定期演奏会でマーラーに挑んだ頃、今の4年生でさえ大半は生まれてはいないのだ。古びたロッカー、床の敷物、楽器のにおい、この部室でヴィオラを勧められたのだ。新入団員名簿の番号は21番だった。4年の時にみんなで手作りした指揮台は昔のままだった。当時重くて不評だったが、裏を返せば丈夫だったということなのだろう。あのころのままという物品がいくつも散乱している。

「ブラームスの辞書」opus144に名刺を添えて置いてきた。いつかブラームスを演奏するときに役立ててもらいたい。

一人感慨にふけったが、忘れてはならないことがある。学生オケはやっぱり現役のものだ。4年でメンバーが入れ替わる学生オケは10年もたってしまったら別のオケと思わねばならない。OBが思っているほど学生は楽団の歴史を背負ってはいない。歴史が大切なのはOBOGであり、学生は次の演奏会の曲目、次のコンパ、それに目の前の恋ほどには歴史を重視してはいないのだ。それでいい。

それでもやはり我が子同然の著書を一冊捧げたくなるほど、このオケが与えてくれたものは圧倒的に大きい。千葉大学管弦楽団への献本は、この度の自費出版の総仕上げと位置づけ得るものだ。現役の学生諸君が「ブラームスの辞書」を受け入れるかどうかとは、話が別である。

「母なる千葉大学管弦楽団」である。

2005年8月30日 (火)

のだめの中のブラームス②

第七巻116ページ目。第四巻39ページ目に続いて「ブラームスなめてんじゃないっすよ」が出現する。「R☆Sオケ」の公演に向けたブラームス第一交響曲の練習が思うように進まない中、シュトレーゼマンのブラ1のビデオを千秋が見る場面にかぶって出てくる。

メンバーの気持ちがコンクールに傾いて思うに任せない中、苦悶する千秋を象徴しているというニュアンスだ。明らかに第四巻の39ページを踏まえた表現だ。千秋にはこれが苦い経験となっていることは、疑いが無い。シュトレーゼマンに横取りされたこともさることながら不覚にも準備の不備を指摘された場所なのだ。続く117ページには、第四巻の時には明らかにならなかったシュトレーゼマンの「お説教」の内容まで明らかになる。

「こことここのフレーズをつなぐ夢見るホルン」「6度の和音第一楽章のこだま」「ブラームスは交響曲という大きな物語の中で無駄な時間を使っていないんですよ」という具合にたたみかける。恐らくこの箇所は音楽の友社から出版されている「ブラームス4つの交響曲」(ウオルター・フリッシュ著、天崎浩二訳)の121ページから122ページにかけての部分が色濃く反映していると思われる。特に「無駄な時間を使っていない」云々の部分は122頁の2行目と瓜二つである。

117ページのバックに配された譜例は2つ。最初のものは第二楽章の冒頭である。夢見るホルンのつなぎのパッセージが見て取れる。角度が付いていて読み取りにくいが「gestopft」があるのでそれとわかる。もう一つは12小節目である。ブラームスの交響曲ではレアな「rf」(リンフォルツァンド)あるのですぐわかる。第一交響曲で「rf」は二箇所しか現れない。もう一箇所は同じく第二楽章の25小節目だ。

譜例は先の「ブラームス4つの交響曲」の121から122ページの記述に沿った形で選択されているとみて間違い無さそうだ。117ページに配されたシュトレーゼマンのお説教の4つの言葉も、ほぼこれをなぞっている。

その後の筋立て、特に第8巻において元ベルリンフィルのカイドゥーンを唸らせるほどの演奏を披露したという結果からみて、このあたりの苦労は十分に実を結んだと考えられる。

2005年8月29日 (月)

週間アクセス300

どうした風の吹き回しか、このところアクセスが増えた。「週間アクセス100」を超えたのが7月の最終週だった。その後8月第二週には、お盆休暇でアクセスが激減した。ところが盆明けの22日の週から妙にアクセスが増えてきた。

昨日までの一週間ではなんと344だ。月曜から土曜までの6日間でちょうど300に到達してしまい、日曜の44とあわせて空前の344だ。もちろん「344人のウオッチャー」を意味していはいないが、大体一ケ月で3倍になったことは確実だろう。

特筆すべきはアクセス元の中のブックマークの比率だ。アクセスが100件あたりをうろついていた頃のブックマーク率は30%だったが、344の先週も同じ30%だった。これには深く考えさせられる。コアな読者数が変わらず、行きずりのサーファーがアクセスを挙げたのなら、ブックマーク比率は下がるはずだ。コアな読者が単にアクセス回数を挙げたなら、ブックマーク比率が上がるはずだ。そのどちらでもないということは、新たな読者が増えて、ブックマーク登録をしてくれていると推定してよいのだろうか?

MSNサーチで9番目になって、露出度が上がったことが理由だろうか?にわかには信じられない。

いずれにしろブログが見られているということに違いはあるまい。ますます気合が入るというものだ。

2005年8月28日 (日)

検索のロジック

素朴な疑問が頭から離れない。キーワードを入力して検索する機能があるが、このときのロジックはどうなっているのだろう。検索結果の表示はどのようなロジックで決められているのだろう。

以前からずーっと疑問だった。同じキーワードを検索してもヤフーとMSNとニフティでは羅列のされ方が違う。知らないままでも大勢には影響がないので放置していた。しかし、検索の結果1万件のうちの最後の10件として表示されるか、最初の10件で表示されるかは、場合によっては死活問題である。特に商品の宣伝が目的のサイトが9990件目に表示されてもほとんど意味が無い。ブログ「ブラームスの辞書」は、宣伝の目的ではあるのだが、あくまでも道楽なのでそこは悠長に構えていた。

ところが、嬉しい誤算が発生した。MSNで「ブラームス」を検索すると14万6882件ヒットするのだが、「ブラームスの辞書」がなんとそのうちの9番目に置かれているのだ。「ブラームスの辞書」で検索すればこういうこともあろうと思うが、キーワードが「ブラームス」でそうなるというのは、喜びを通り越して不安でさえある。世の中ブラームスについての情報を求めてネット検索する場合十中八九「ブラームス」と入力するだろう。いきなり「ブラームスの辞書」と入力することは考えにくい。だからキーワード「ブラームス」で1ページ目に表示されるということの広告効果は計り知れない。サイトの露出度が上がるということに他ならない。

検索結果が複数ページ表示された場合、平均何回くらいスクロールするのだろう。個人的にいうと10回はやらないような気がする。よっぽどの探しものなら別だが、並みのサーファーでは5回でも上出来ではないだろうか?

今回図らずも1ページ目に登場できた。理由はよくわからないが、ごっつぁんだ。

2005年8月27日 (土)

のだめの中のブラームス①

「のだめカンタービレ」娘の愛読するコミックを読んだ。さらっと斜め読みのつもりが全12巻を熟読してしまった。聞けば、現在かなりのコアなファンが存在し、ネット上ではディープなやりとりが行われているという。新参者としては謙虚に、ブラームス好きの目から見た「のだめ」についていくつか申し述べたい。

「どんな作曲家のどれそれの曲が何巻のどこにある」というようなデータがネット上で公開されていて恐れ入る。凄い人がいるものだ。ブラームスの曲がどことどこにあってなどという論点は、マニアの間ではにとっくに議論が終わっていると思われる。

手元にブラームス第一交響曲のスコアがある人は開いて欲しい。まずはコミック第四巻39ページ目左上のコマ。主人公千秋真一の指揮の師匠・シュトレーゼマンが千秋に向かって「ここ勉強不足です」「ブラームスなめてんじゃないすよ」としかっている。対する千秋は次のコマで顔に縦じまの暗い表情だ。「たしかにここは昨日眠くて記憶が」とうめいてみせる。自信家で努力家で完全主義者の千秋が、自分の弱点を認めるシーンは全12巻見渡しても、何度もお目にかかれるわけではない。

幸い顔に縦じまのコマのバックに楽譜がある。第一交響曲第二楽章54小節目の弦楽器のパートだ。千秋の手の甲のとがったところあたりに来ているのがちょうどヴィオラのパートだ。下仮線二本目に串刺しにされた音にシャープが付いた音が出ている。これ「His」なのだ。実音Cである。つまりC線の開放弦なのだ。ブラ1の中でこの音HISはこの楽章だけだ。Cはいっぱいありますがね。実はここから5小節間ヴィオラの難所です。プロのオケのヴィオラの入団オーディションでも出たりするくらいだそうです。シャープ系の臨時記号が溢れかえっている。ダイナミックス「f」でクレッシェンドのうねりが激しい。ほぼ1小節単位でスラーがかかっているのだが、この滔々たる流れを表現しようとするとアマチュアではほぼ間違いなく弓が足りない。つまりスラーの途中で弓を返したくなる場所なのだ。木管楽器、第一ヴァイオリンとのスラーのかかり方の微妙なズレなど考慮すべき事項も多い。木管楽器や第一ヴァイオリンのスラーの切れ目に合わせて弓を返すのか、合わせずに返すのか、そもそも弓を返すこと自体がご法度なのか、無数の解釈が可能だ。プルトの裏表で返す場所を変える手や、同じパターンを弾く第二ヴァイオリンとだけわずかに弓の返しを変える手もある。私は今まで3度ブラ1を経験したが三度ともここのボウイングは違っていた。

また60小節目で「dim」が始まった途端にスラーが切れ切れになるという現象も厄介である。ここの弦楽器の弾き方には無数の方法があるといっていい。指揮者の見解にオケの力量を加味して仕切ることが求められているところ、千秋の準備が甘かった点を、シュトレーゼマンが指摘していると捉えたい。このあたりの交通整理はブラームス第一交響曲に挑もうかという指揮者ならば、事前に考えておいて当然の場所なのだ。

それからシュトレーゼマンがドイツの大指揮者である点も説得力の増強に役立っている。フランス系やアメリカ系の指揮者に言われたかないフレーズだ。とにかく千秋が勉強不足を師匠に指摘される場所としては、第一交響曲の中でもっとも相応しい場所とおもわれる。ストーリー構成上千秋が弱点をさらす場面を設定したのだめの作者様が、その場所にここを選んだことは卓見である。「のだめ」おそるべし。

第二楽章のような微妙な味わいの曲こそがブラームスの醍醐味なのだ。昔は第四楽章にしびれたが、40を過ぎた頃から第二楽章が身に沁みる。無理も無い千秋君はまだ大学生なのだ。

2005年8月26日 (金)

animatoの謎

通例「いきいきと」と解されるメジャーな音楽用語。トップ系には現れにくい。

実演奏上の処理としては「その場からいくらかのテンポアップ」とされることが多い。元来はテンポアップそのものが目的ではなかったと見られる。曲の内容によって「切実に」「切迫して」のようにニュアンスを変えることは言うまでも無い。

テンポが変わった後、元のテンポに復する指図としてブラームスは「a tempo」「in tempo」の2つを使い分けている。使い分けの基準自体が謎で、用例の分析だけでは傾向がつかめない。テンポリセットの元となっているテンポの変動の引き金を引くのは「accelerando」「stringendo」だったり「ritardando」「sostenuto」だったりさまざまだが、不思議と「animato」は無い。「animato」で速まったテンポを復旧する意味の「a tempo」「in tempo」が見つからないのだ。元々テンポアップを直接志向する指図ではないからなのだろうが、それなら「stringendo」や「sostenuto」だって同じようなものだと思うが、「animato」の特別扱いが妙に気になる。

op46でぱったりと使用が途絶える「accelerando」と入れ替わりに、つまりop43あたりから使用の頻度が増加するのも見逃せない。

ディープな話題である。

2005年8月25日 (木)

夏合宿

8月の最終週になると夏合宿を思い出す。大学オーケストラの恒例行事だった。

一年生の弦楽器の初心者にとって、冬のデビュウ演奏会に向けたスタートラインとなる。夏休みに入る前にパート譜が配られる。夏合宿までにキチンと個人練習をしておかねばならない。配られたのは、ブラームスの第二交響曲の楽譜だ。何せあのころは時間があった。毎日3時間は練習できた。夏休みの部室でひたすら個人練習だ。パート譜はすぐに指番号だらけになる。スコアを買い求めてレコードを聴いて全体の感じをつかむのも重要な練習である。

それで夏合宿に突入となる。1978年8月場所は群馬県の北軽井沢だった。6泊7日の合宿だ。6時起床で朝練。朝食後は昼飯まで練習。午後は14時から17時まで練習。夕食&入浴タイムを挟んで19時から21時まで練習。そこからコンパだ。初日と最終日にオフィシャル大コンパがある。ほぼ毎日この繰り返しとなる。練習の内容はパート練習だったり、弦楽器の練習だったり、全体練習だったりさまざまだ。最終日の午後に室内楽演奏会があったりもする。一年生の初心者の弦楽器奏者ばかり集めたアンサンブルは恒例になっている。私のときはヘンデルのハープ協奏曲だった。

大抵の初心者は楽器を始めて3ケ月という状態である。私の場合この合宿中に初めて左手の人差し指の指先が切れた。弦を押える部分である。毎日7時間は楽器に触っている。

この一週間、OBやトレーナーの先生や、他のパートの先輩ととことんコミュニケーションを深めることが出来る。そして何より一週間ブラームス漬けになるのだ。そしてヴィオラの仲間とはほぼ寝食をともにする状態が続く。つまり「ブラームスの辞書」のエッセンスが図らずも凝縮されていたことになる。4年間で4回経験する夏合宿は、それぞれの学年で意味が違う。1年には1年の、4年には4年の意味合いがある。自分を定点観測するポイントでさえあるのだ。

忘れてはならないのは、友情だ。現在もなお交友が続く仲間とこのとき真に打ち解けることが出来た。そして当時もっともっと大事だったのは、恋だ。これには個人差がある。でも少なくとも私ら男にとっては、大きな声じゃいえない目的の一つだ。

あの夏から全てが始まった。

2005年8月24日 (水)

初受注!!

2泊3日の出張から今日帰宅した。メールを開けてびっくりである。「ブラームスの辞書」の注文が2件も入っていた。注文者をみて納得した。もちろん赤の他人ではない。旧来の知人が「ブラームスの辞書」を知って注文してくれたのだ。二人は千葉大学オーケストラ時代の先輩と後輩でともにヴィオラ弾きである。

あの本をお金を出して買ってくれるという。はじめての注文者が2人そろってヴィオラ弾きであることは、「ブラームスの辞書」にふさわしい。

2人のうちの後輩の方は、脱サラしてヴァイオリン製作を修行中という。相当のブラームス好きと言いたいところだが、私の印象としてはヴィオラ好きの印象のほうが深い。かなりの理論派だ。しかも屁理屈中心の私と違って正統派である。ピアノ四重奏曲第一番のop25を所望である。

そして今一人の先輩は、「ブラームスの辞書」あとがきや、ブログで何回も言及した「初めて大学オケの部室に行ったとき偶然出くわしたヴィオラの先輩その人」である。彼がいて即日ヴィオラがあてがわれたことと、ヴィオラのパートリーダーだった彼の指導でブラームスの第二交響曲に挑んだのが、「ブラームスの辞書」の源流である。彼が練習中に発した言葉のいくつかがそのまま今回の執筆のネタになっているケースも少なくない。

何度でも言う。ありがたいことだ。そして2冊だ。今月のノルマ達成である。いい歳をして嬉しい。本当に嬉しい。

2005年8月23日 (火)

con moto考

おそらく「con moto」は煽り系だ。テンポを速める働きがある。ただし、ブラームスにおいては「andante」を特異的に修飾する。「allegro」を修飾していたのは改訂前のピアノ三重奏曲第一楽章だけだ。ほぼ「andante」にまとわりついて少しテンポを押し上げる思ってよい。

ところが、厄介なことに語幹なしのむき出しの「con moto」も無視しえぬ数の実例がある。「語幹」がないので煽り系とは呼べない。安易な日本語訳を寄せ付けぬ凄みがある。しかもこの「con moto」は、かなりの確率で声楽曲に現れる。さらにさらに「con moto」のむき出し型はベートーヴェンには全く現れない。

ブログではここまでだ。詳しくはブラームスの辞書をご覧ください。やな性格である。

2005年8月22日 (月)

メトロノームのこと

ベートーヴェンの時代に発明されたというテンポを特定する道具。古今を通じて作曲家や演奏家にはあまり信用されていない。

ブラームスだってそんなに信用していたわけではない。時々MM値を記入している例もあるが、概ね信用していないそうだ。ピアノ三重奏曲第三番をブラームスとヨアヒム交じりでの演奏を、クララ・シューマンの高弟が記録した文書が残っている。彼女が記録した場所のメトロノームテンポを後年ヨアヒムが「やはりあれで正しい」と追認している場面がある。何度やってもあのテンポになったと懐古している。が、その場所の楽譜にはメトロノーム値などかかれてはいない。

ブラームスがある「allegro」の曲を10回演奏して10回ともキッカリ同じ「四分音符=120」になったとしても、楽譜に「四分音符=120」と書いてはいないという事実は重い。ブラームスは「四分音符=120」のつもりで弾いたわけではないのだ。曲想に照らして本能のままに弾いたらたまたま「四分音符=120」になっただけである。

メトロノームは便利だ。楽器の練習には欠かせないことは認めるが、発想記号のものさしではありえないと断言したい。

考えても見て欲しい。ダイナミクスを音量数値で表現したりはしないではないか。「f=100デシベル」「p=20デシベル」「mf=60デシベル」「pp=10デシベル」などとやりはしない。これがどんだけ不合理であるかは、みんなわかっているのに、なんでテンポだけはメトロノーム値で表したいのだろう。

2005年8月21日 (日)

モデラート周辺

「moderato」は穏やかだ。具体的イメージが湧きにくくもある。単独で用いられる場合「中くらいの速さで」と解されるが、「中くらい」っていったいどのくらいだろう?人によって違うのは間違いない。

一方「allegro moderatro」のように何らかの形容詞に追随して用いられる場合「程よい」という意味の副詞的働きをする。ざっくり言えば主たる形容詞の意味を温和にするということだ。そう「抑制語」なのだ。「allegro」に付着すれば、現実問題としては「テンポダウン」が志向されよう。ブラームスでは「allegro」「andante」「allegretto」にしか付着しない。これら3つの用語が極端になることを戒めている。「non troppo」に近い。

それから「piu moderato」も無視できない。不思議なことに速めのテンポの曲にのみあらわれ、事実上テンポダウンとして機能している。「adagio」の楽曲中に現れてテンポアップを志すことはない。

もっとある。「molto moderato」だ。これはパラドックスだ。「抑制系」と「煽り系」の同居である。ブラームスは4箇所「molto moderato」を使っている。場所は秘密だけどね。

とどめは「moderato ma non troppo」だ。難解である。「moderato」の何が過剰になることを恐れているのだろう。元来過剰をそぎ落として「中くらいに」という意味ではなかったのか?2箇所あるから探して欲しい。

モデラートをなめてはいけない。

2005年8月20日 (土)

我が家の楽器

著書「ブラームスの辞書」でも、ブログでも頻繁に出てくるヴィオラの話。このかわいい楽器が何故か今まで画像になっていなかった。本日マイフォトにて公開することにしました。

娘たちのヴァイオリンが二本と私自身のヴィオラが二本計四本だ。

次女が使用中のヴァイオリンは4分の3だ。マリオのヴァイオリン屋さんの製作したものをレンタルしてもらっている。これがまたガキにはもったいないくらいに鳴る。正直でまっすぐな音がする。昨年までは長女が弾いていたが、今年から次女が引き継いだ。ちょうど弾きついだ日、同じ楽器なのにお姉ちゃんと全く違う音が出て驚いた。姉妹の性格がキッチリ反映するのでギョっとしたのを覚えている。

長女が使用中の楽器は大人用の楽器。実は亡き妻の形見だ。ママが学生オーケストラデビュウの演奏会でマーラーの第五交響曲を弾いた楽器。パパとママが学生オケで競演した最初で最後の演奏会だった。パパ4年、ママ1年の冬だ。そして結婚式のニ次会の演奏会で、ママがブラームスの第四交響曲を弾いたのもこの楽器。レンタル中の4分の3に比べると、良くも悪くも繊細で、気難しい。

パパの昔のヴィオラは1979年西ドイツ製。大学4年の夏にバイトして買った楽器。素直な性格だ。今の楽器を買うときに売ろうかと思ったけど、将来娘らが転向するかもしれないと思い、大事にしまってある。時々パパが弾いている。大学4年のマーラーはこの楽器だった。

現在のパパのヴィオラは胴長46cmの巨大ヴィオラだ。体の大きなパパにはピッタリだ。調弦にはやや苦労するし、取り回しが悪いが、いかんせんA線までヴィオラっぽい音がする。どんな音域もムラ無くよう鳴ってくれる。大きな音大好きだ。声の大きな奴に悪い奴はいないでしょ。発音にヴィオラ独特の間があるような感覚が癖になってしまった。1877年ドイツ製だから、ブラームス存命中である。ひょっとしたらブラームスが触ったかもしれない。「ブラームスの辞書」の末尾の奥付の上に著者近影が載せてあるが、そこにこのヴィオラが少しだけ写っている。

画像を公開したのでご覧あれ。

2005年8月19日 (金)

献本行脚③

大阪への出張にかこつけて、どうしてもはずせない献本を決行した。

仕事を終えてホテルにチェックインした後、いそいそと向かったのは吹田市文化会館、通称「メイシアター」である。ここの練習室で吹田市交響楽団が練習している。23年前、入社後いきなり転勤となった大阪で、取るものとりあえず飛び込んだ市民オケである。四国へ転勤するまでの3年間を過ごしたオケだ。今回の献本相手はそこのオケの常任指揮者だ。驚くなかれ大阪音楽大学のピアノ科の教授である。もちろん私が所属していた頃は、教授ではなかった。相当なブラームス好きなのだ。

練習場所に乗り込めばきっと会えるという目論見はあたった。練習室の前でいきなり「おお久しぶり」と言って握手を求めてきた。覚えていてくれた。ガッチリ握手だ。20年ぶりだぜ。「今度ブラームスについての本を出しまして」と切り出して「先生に一冊差し上げたい」いうと、どれどれと言ってパラパラとページをめくって内容を確認。「これホンマに書いたの?」と聞き返すしぐさが、昔のまんま。「もちろん、ブラームス好きですから」と応酬。注目の通し番号の希望をお聞きしたところ「op117」というお答え!!!「ピアノのための3つのインテルメッツォ」だ。う~んさすがにお目が高い。「これ20年かかったろ?」は私だけにわかる最高の褒め言葉である。

そうこうしているうちに20年前の仲間が何人か集まってきた。「お~」の連発である。いやいや懐かしい。青春の1ページである。しばし昔話に花が咲いた。

音楽大学のピアノ科の教授なんぞにチョクで話が出来るなんて夢みたいだ。でも彼は気さくだ。20年前とまったく変わらない。再会をこころから喜んでくれた。調子に乗ってもう一つお願いをしてしまった。大阪音楽大学の図書館に納本が出来ないだろうか?先生からこれを図書館に寄贈できないだろうか?と。。。なんとOKという即答だ。図書館用に別番号を振った本をもう一冊取り出してお渡しした。「いいよ僕が届けておくよ。この本凄いからな。」さっきパラパラとめくっただけなのに、何で凄いと判るのだろう。このノリ、このテンポ、昔のままである。

ありがとう、米山先生。ありがとう、吹田市交響楽団。

2005年8月18日 (木)

ブラームスへの坂道

「家族でブラームスの室内楽を演奏すること」が当面かつ最大の目標だということは、何回か書いた。これは、高校時代からの目標。家族がピアノか弦楽器を演奏することが出来るということが前提になる。亡き妻がピアノとヴァイオリンを弾けたことは、予定通りだった。子供3人も、予定通りだ。つまり目標はブラームスのピアノ五重奏なのだ。そして子供らが選ぶ伴侶が楽器を演奏すれば、六重奏曲や、クラリネット五重奏曲、ホルン三重奏曲さえ夢ではない。妻が他界したことが最大の誤算である。弦楽四重奏曲に目標を変更した。

妻の死の段階で3歳2歳0歳だった子供たちだが、その後4年たって娘ら2人にヴァイオリンを習わせ始めた。既に5年、反抗期にさしかかる娘たちだが、ヴァイオリンだけは従順に続けてくれている。中学高校に入れば塾、部活や受験で中断しそのままという子も多いと聞くが、そんなことは我が家では許さない。ヴァイオリン優先である。ヴァイオリンの練習量を減らさない程度の勉強で入れる学校を目指すか、寝る時間を削って少々の受験勉強をするかだ。今からいつも娘らにそういい続けて洗脳せねば。

10月の発表会では、2人ともコンチェルトに挑戦だ。ブラームスの室内楽の第一ヴァイオリンをゴールとすれば、3合目にも届いていないだろう。しかし積み重ねが肝心だ。どんなに易しい曲にもストーリーがある。テクが到底足りない曲だったにしても、それなりにハートだけは盛り込む訓練が必須なのだ。

たとえば「p」は弱くではない。と~んでもない!!コンチェルトのソロに出てくる「p」は「心をこめて」だ。「f」は当然強くではない。「濃く」とするべきだ。それが何故なのかを含めて、小学生に伝えることは、楽しい。そして彼らなりに吸収してゆく様子を見守るのは醍醐味だ。無論、正確な音程やリズムの追求は前提とせねばならないが、他にも大事なことはいっぱいある。単に楽譜通りに間違えずに弾けただけのブラームスなんてお断りだ。ここいらの主張が「へたくそのつっぱり」または「アマチュアの遠吠え」にならぬだけのテクを身に付けさせねばならない。パパの二の舞は困るのだ。

ある意味娘らは順調だ。問題はまったくチェロを習おうとしない長男だ。せっかく弦楽四重奏団にリーチがかかっているのに。

2005年8月17日 (水)

agitatoは短調

「agitato」が短調の曲中に特異的に現れる現象。

そもそもブラームスは、調の扱いが微妙だ。それが魅力の一つでさえある。だからある瞬間になっている調が何なのか直ちに断言できないケースも少なくない。それでも敢えて今「agitatoは短調と同居する」と申し上げたい。長調との並存は数えるほどもない。「agitato」を楽譜上に記す瞬間のブラームスの脳味噌の中はmollなのだ。正確を期すならば「短調と呼ばれている楽曲に姿を現す」ということだ。

ダイナミクスは予想に反して「p」も相当数現れる。だけど調はいっつもマイナーだということ記憶しておいて良い。

2005年8月16日 (火)

千葉披露宴サービス

音楽に打ち込んだ青春時代。ヴィオラやブラームスとの決定的な出会いのほかにも、数え切れない友情があった。恋と友情を分かち合い同じ釜の飯を食った仲間が社会人になり、結婚適齢期を迎えると、かなりの数の団内結婚が発生した。そしてかなりの数の披露宴。そこはオーケストラ出身者どうしの結婚だ。披露宴は、備え付けのエレクトーンに時給いくらのエレクトーン奏者では、話になるまい。披露宴会場に楽器を持ち込んでの演出は当然の成り行きだ。あいつの披露宴で弾いてやるから、俺の時にもとばかりに、披露宴が重なると、事実上の互助会となっていった。誰がつけたか「千葉披露宴サービス」である。略してCHSだ。会場でのBGMの演奏と、司会進行、演出までパックになったサービスだ。もちろん互助会なので無料だ。私の担当は司会と編曲と写譜である。他に事務局は指揮を担当のS羽氏と、コンサートマスターのI口氏。私は披露宴の司会を合計23回務めた。いまだに一組も離婚していないのが自慢だ。CHSとは10回程度競演した。

編成は、新郎新婦の希望と、会場の広さで決まる。どの場面で何を演奏するかは新郎新婦の希望に添う。希望に従って楽譜を手書きで作る。本番一ケ月前までに出演者を決定し、一週間前に練習だ。一般的な編成は「寿」と命名されている。コントラバス抜きの弦楽4部合奏に、FL、Ob、Cl、Fgの木管楽器にホルンとトランペットが加わる。指揮者をいれれば20名近い規模だ。会場の規模に編成を合わせることから始まったが、やがて、寿編成のオケが入る会場を選ぶカップルが後を絶たなくなった。120名の会場に90名しか入れないということだ。あまったスペースがオケだ。

新郎新婦入場では、ブラームスが似合う。ハイドンの主題による変奏曲の冒頭だ。いわゆる聖アントニーのコラールである。扉が開いて、新郎新婦がお辞儀、しずしずと歩いて正面金屏風の前に進み、一礼して着席。同時に曲が終わるように編曲したが、事前に会場を訪れて、広さを測って、適当にリピート記号を加減するのだ。

ケーキ入刀もブラームスの出番。第一交響曲第四楽章の主題だ。司会者の発声に先立って「piu andante」のホルンの朗々としたファンファーレだ。約30秒でフェルマータに入る。ここでめでたくケーキがカットされる。すかさず第一主題(ベートーヴェンの歓喜の主題に似た奴)が走り出すという仕掛けだ。ケーキがカットされるまでフェルマータで延々と停止するため、管楽器のブレスが心配というスリルまでついている。

乾杯の後の華やいだ雰囲気には、アイネクライネナハトムジークのメヌエットがいい。いつの間にかここに定着して譲らない。

新婦お色直し退場には、新婦の意見が色濃く反映する。毎回違うのがセオリーだ。私の時は、ウエストサイドストーリーから「I feel pretty」だったな。

新郎退場も同様だ。印象深いのは、エルガーの「威風堂々」、モーツアルトのフィガロの結婚から「もうとぶまいぞこの蝶々」だ。

再入場の時のキャンドルサービスにも抜きがたい定番が存在する。モーツアルト、ドンジョバンニから「手に手をとって」である。披露宴に「ドンジョバンニ」はいかがなものかという声を封じるだけのハマリ具合である。

花束贈呈にも、また定番が存在する。またまたモーツアルト、フィガロの結婚から「伯爵夫人よ許したまえ」だ。花束贈呈に相応しい空気を一瞬で作り出す効果がある。弦楽合奏で演奏されるのだが、切れ目無く飛び込む、新郎父あいさつにあたっては、弱音器をつけたトップ奏者4人だけの演奏になり音量を落とす。この技の細かさがCHSの売りであった。

フィナーレは、また毎回違う。ビートルズの「ロング・アンド・ワインディング・ロード」や。ウエストサイドストーリーの「somewhere」が良かった。

私の時は一瞬全曲ブラームスにすることを考えたが、難しい。

披露宴のあとニ次会では、演奏のメンバーが集まって反省会だ。進行の不手際や、選曲のセンスなどが話題となる。これが次回の改善につながってゆく。譜面台に立てる厚紙の色、司会から指揮者に出す合図の仕方、突発の事態に対処する機敏さなどだ。

今ではもう仲間の披露宴もすっかり途絶えた。誰かの娘の披露宴を頼まれる日も近かろう。

2005年8月15日 (月)

accelerandoの消滅

「accelerando」が創作活動の後期には、姿を消す現象のこと。

op46あたりを最後に姿を消していると思われる。テンポアップを要求する場面で「animato」や「stringendo」が使用され「accelerando」は用いられなくなる。「ritardando」は生涯にわたって使用が続くのと対照的である。「stringendo」や「animato」はともかく「accelerando」はテンポを直接いじる記号である。「a tempo」等のテンポリセット記号を伴うことが多い。

後半生で「accelerando」が姿を消す理由は、用例の分析からは浮かび上がってこない。

2005年8月14日 (日)

帰省ラッシュの実感

今週の水曜日10日から、ブログへのアクセスが半減している。道路や鉄道の混雑の様子がしきりに報道されているが、帰省をしない我が家で実感することは難しい。12日の金曜日の朝の通勤時間帯の電車が空いていたことくらいである。

ところが、「ブラームスの辞書」へのアクセス履歴を見ると先週と今週では、格段の違いがあって面白い。つまりみんな帰省で忙しくてパソコンの前に座れないということなのだろう。田舎の実家に帰ってもパソコンくらいありそうなものだが、やはりお気に入りが違うとかあってパソコンは自分のじゃないと勝手が悪そうだ。ダラダラとサイト行脚をしたりするのも他人のパソコンでは気が引けるというものだ。

2005年8月13日 (土)

発想の源泉

「ブラームスの辞書」のようなオタクな本を出し、それでも飽き足らずに同名のブログを立ち上げたりしている。知らない人は私を「単なる楽譜オタク」と想像しかねない。それでも仕方の無い怪しさが「ブラームスの辞書」には充満している。

自分の名誉のためにも言明しておきたいことがある。私の人生におけるブラームスへの傾倒は、楽譜よりも作品の鑑賞や演奏が先であった。ブラームス作品を聴く中から、何回と無く感動を味わった。聴くたびにいつも背中に冷たいものが走る場所や、弾く度に決まって鳥肌が立つ場所があることに気付くのに大した時間はかからなかった。そしてそれは、やがて「その場所の楽譜の成り立ちはどうなっているのだろう」という疑問と好奇心に変わっていった。注意深く楽譜を読めば読むほど、鑑賞や演奏での理解が深まり、それがまた新たな疑問を生み出し、さらに楽譜に没頭するというルーチンが自然に生まれていった。

あくまでも作品への感動が先である。けれども感動の源泉はなんだろうと考え始めると、楽譜に深入りせざるをえない。感動の源泉は必ず楽譜中に存在しているはずであるという仮説は、程なく確信に変わった。フルトベングラーでは感動するけどクライバーでは感動しないというのは、彼らの個性の違いか、こちらの先入観の問題であって、基本的にはブラームスの本質とは関係が無い。どの道楽譜に書いてあることを、気付かずに弾き飛ばすか、気付いて、それと判るように弾くかの差は、演奏者の感性や注意力やテクニックの差であって、ブラームスの関知するところであるまい。

この調子で屁理屈をこねまくった末に、ぶち当たるのが、アマチュア演奏家につきもののテクニックの壁である。「意あって力足りず」の状態だ。楽譜への思い入れや感性や、屁理屈は実際に誰にも負けぬと自認しながら、それを音に翻訳するテクニックに決定的なキズを持つということなのだ。その弱点を自覚するからこそ、情熱は勢い屁理屈寄りへとヒートアップせざるを得ない。「ブラームスの辞書」が持つオタッキーな怪しさの源泉をこのあたりに求めることが出来よう。「情熱に相応しいテクニックを併せ持つ人たちへの無限の憧れ」が「ブラームスの辞書」の執筆へと駆り立てたと言っても良い。おそらく少しは存在するであろう「情熱よりテクが優越してしまっている人たち」にとっての刺激になりはしないかという、そこはかとない希望も捨ててはいない。

たとえば「mp」と「molto p」の違いを自由自在に弾き分ける、感性とテクニックを持っていたなら、「ブラームスの辞書」の執筆を思いつかなかっただろう。

2005年8月12日 (金)

日本自費出版ネットワーク

自費出版文化賞に「ブラームスの辞書」を応募したということは既に述べた。

この自費出版文化賞を主催しているのが、日本自費出版ネットワークだ。この度「日本自費出版ネットワーク」のホームページに「ブラームスの辞書」を登録した。簡単な紹介文と書影で掲載されている。自費出版文化賞の応募と同時に簡単な手続きで登録できる。何よりも「ブラームスの辞書」の露出を増やす意味で貴重である。「研究評論部門」へのノミネートであるが、自費出版文化賞の競合作品が次々とこのホームページに現れると考えてよい。

今日、日本自費出版ネットワークから「ブラームスの辞書」の登録の礼状が届いた。

2005年8月11日 (木)

発刊一ヶ月

7月11日の納本から一ヶ月が経過した。

その間に41冊が私の手元から離れた。うち販売は1冊である。当初の販売目標は月2冊なので、予定達成率50%である。残り40冊のうち音楽系の知人への提供が19冊。図書館への寄贈が3冊だ。残る18冊が、音楽系でない知人への提供である。音楽系でない知人への提供は、主に出版に際しての功労者であるが、この配布は既に一段落した。音楽系の知人への配布もあと数冊で予定終了だ。あと20冊程度を図書館への寄贈を中心に考えている。道は必ずしも平坦ではあるまい。先週は都内の某音楽大学の図書館に寄贈を申し入れたところ、門前払いだった。ド素人の自費出版本に対する当然の警戒心の賜物だろう。ご縁がなかったと諦めるしかない。

41冊をお配りした先から、いくつかの反応も帰ってきている。今のところ本の装丁やデザインに対する感想にとどまっている。「中身の感想を述べるほど熟読していない」のがその原因らしい。どうやら熟読には相当の根気が要るようだ。書き手としてはそんなつもりはないのだが。。。もっと気軽に読んで欲しいところであるが、内容からしてそうもいかんらしい。

それにしても1冊だけとはいえ、よく売れたものだ。自分の著書が売れるということがこんなに嬉しいものだとは思わなかった。そのほかに嬉しかったのは、「ブラームスの辞書」を差し上げることがキッカケで、何人かの旧友と久々の会話が楽しめたことだ。彼らの褒め言葉は心に沁みる。「ばかじゃねえの」や「ちっとも変わってねえな」が極上の褒め言葉である。

次なる狙いは「ブラームスの辞書」がキッカケで新たな友人が出来ることだ。

2005年8月10日 (水)

ハ短調のスケルツォ

それは希代のヴァイオリニスト、ヨゼフ・ヨアヒムを待つ間に分担して作曲された作品である。ブラームスが担当したのがスケルツォで世に言う「FAEソナタ」である。このときの楽章で現在でも演奏されるのはブラームスが担当した部分だけとなってしまった。

この曲、「ハ短調」「スケルツォ」「8分の6拍子」である。ブラームス本人がこのときどれほど意識していたかは、別としてこの「ハ短調」「スケルツォ」「8分の6拍子」の組み合わせは、生涯にわたって脈々と受け継がれてゆく。

①FAEソナタ

②ピアノ五重奏曲

③ピアノ四重奏曲第三番

④ピアノ三重奏曲第二番

ハ短調のスケルツォは、いつでも8分の6拍子なのだ。五重奏曲、四重奏曲、三重奏曲、二重奏曲で各一回ずつになっているのも不思議である。しかも全てピアノ入りである

2005年8月 9日 (火)

献本行脚②

上野の森の奥まったところに東京藝術大学がある。「ブラームスの辞書」を東京藝術大学付属図書館に献本した。閲覧受付にて趣旨を述べると、「資料収集係」を教えてくれた。教えられたとおりに1階におり、薄暗い通路の奥にたどり着いた。同じく訪問の趣旨を述べると、係りの女性が「もちろんお受けできます」と言って申請の書類を出してくれた。住所氏名電話番号と書名数量を記入して手続き完了。審査はなかった。係りの女性が内容をパラパラと見て、「お受けします」と即答である。気風が良くて気持ちのいい対応であった。お高く止まっていることは全く無く、ド素人の自費出版本であることなど気にしていない様子だった。大学からの礼状は?と聞かれたが、「必要はないけれど、一人でも多くの学生さんに閲覧してもらいたい」と答えた。かえってきた答えが「大事にさせていただきます」である。この間ものの10分。あっけない献本の完了であった。

想像より数段低いハードルだ。そういえば門の警備員さんも親切だった。

藝大フィルハ-モニーの演奏会のポスターがあちこちに貼ってあった。曲目を見て驚いた。「ブラームス第一交響曲」「ブラームスヴァイオリン協奏曲」の二曲だ。演奏会は10月なのでこれからの練習では学生たちはブラームス漬けになるはずである。「ブラームスの辞書」が何かの役に立ってくれればいいのだが。

演奏会はさておき音楽家の卵たちが、「ブラームスの辞書」にどう反応するのか、気長に待つとしよう。

2005年8月 8日 (月)

marcatoの記憶

今から35年前になる。私とて10歳の小学5年生だった。そりゃそうである。今でこそレッキとしたオヤジだが、いきなりオヤジで生まれてきたわけではない。

音楽の授業時間というより、校内合唱際のような催しがあり、クラスで合唱練習をしていた。曲目だって忘れていない。「線路は続くよどこまでも」である。この曲一番の歌い出しは、題名と同じく「線路は続くよどこまでも」になっている。元々乗り気のしない悪ガキの集まりだったため、なかなか様にならない。普段はふざけ散らしているくせに歌となると今にも死にそうなカスミシモしか出せないのだ。

確か西村という女の先生がそんな我々に、この場所の最初の「せ」の歌い方だけで、曲の全てが決まってしまうと言って、あきらめずに練習をした。このとき「ここはマルカートなのよ」と再三口にしていたことが、今でも記憶に残っている。「p」や「f」「allegro」「adagio」以外の曲想用語とのはじめての出会いだった。このときの合唱の出来は、もう忘れてしまったが、「marcato」との出会いと先生の口ぶりについては、妙に鮮明に記憶している。

「ブラームスの辞書」の中で膨大な量の「屁理屈」を展開する私の、音楽用語体験の原点である。ブラームスにおいて「marcato」は混合事例を含めて約450箇所で用いられる。概ね「leggiero」の対立概念と思われる。ベースライン強調機能を負わされていることが多いが、「f」側の「主旋律マーカー」としても機能する。

2005年8月 7日 (日)

思いがけない贈り物

娘らにヴァイオリンを教えてくれている先生が音楽一家だということは、以前にも述べた。7月31日にはご一家に対して「ブラームスの辞書」を差し上げた。今日出版のお祝いをいただいた。

既に他界した小樽出身の画家と浅からぬお付き合いがあるとのことで、その画家の作品を額に入れて頂戴した。あまり大きな絵ではないが、我が家にはちょうどいい。皿の上の葡萄の粒がはりきれんばかりの構図である。早速、リビングに飾った。テーブルクロスの青緑が、まぶしい。部屋がキリリと明るくなった。

「ブラームスの辞書」を端緒に、ふれあいが広がってゆく。これもブラームスの導きに違いない。

2005年8月 6日 (土)

中国出張

唐突な話だが、勤務先から秋に中国出張を命じられた。10月に10日間日本を離れて中国を訪れる。実情視察の出張だ。なかなか出来ない体験だと思う。ありがたくお受けすることにした。

成田から上海に飛んで、そこから長江沿いに四川省の成都までを鉄道で遡るという行程だ。車中泊も何度か経験することになる。かなりタフなスケジュールだ。とはいえ、高校時代から唐詩大好き少年だったし、三国志も大好きなので、収穫の多い旅となるだろう。ドイツだったら、なお良かったが、贅沢はいうまい。

困ったことがひとつある。その間ブログを更新できないことだ。これまで毎日更新を継続中だが、どうやらその間はこれが途切れざるを得ない。

2005年8月 5日 (金)

父について

2ケ月間で100を超える記事を書いた。「ブラームスの辞書」と家族の関係については、既に触れたとおりだ。子供たち、母、亡き妻である。父が抜けている。父と「ブラームスの辞書」の関係は、なんだろう。「ブラームスの辞書」を読む限り、亡き妻同様全く痕跡を見せない父である。

他界して9年になる父は、温和で実直な男だったと、今では思える。子供から見れば理想の父だ。家族を愛するという原点において比類のない父だった。私の妻の死によって母を失った我が家3人の子らのために、購入間もないマンションを放りだして、私ら父子との同居を決意したのは、妻が他界したその夜だった。実際のところその時点で2年を切っていた父の命だが、最後の瞬間まで私と3人の子らのために一歩も逃げない父だった。

若い頃は文学青年だったのではと思われる。晩年は俳句に親しんでいた。物事の段取りが好きで、凝り性。文章を書くことを億劫がらない。好奇心旺盛だ。たとえば、45年前に長男の私のために残したアルバムは当時としては膨大な量の写真を含んでいる。そして全てに手書きのコメントが付されている。写真の整理を黙々とする父の横でいつまでも飽きずに眺めていたことを記憶している。親とは子供のために膨大な写真をコメントつきで残すものだと思い込んでいた。私も子供たちにそうした。2万枚を超える写真にコメントをつけて残している。それから、歴史。幼い頃から日本の歴史を話して聞かせてくれた。時代の脈絡はないものの、いわゆる日本の歴史の見せ場を物語としてきかせてくれた。百人一首を小学生の頃教えてくれたのも父だ。

思えば「ブラームスの辞書」のようなオタクで凝り性な本を書くことが既に父から受け継いだ性格の反映となっている。凝り性で、突き詰める性格は、間違いなく父のDNAだ。「ブラームスの辞書」を見たら、そりゃあもう喜んでくれたに違いない。音楽に知見が深いわけではないが、隅々にまで目を通してくれただろう。「ブラームスの辞書」を最初に読破するのは、著者と校正者を除くとすれば、おそらく父になっていた違いない。

ああ、忘れていた。ブラームスの命日4月3日は、父の誕生日だった。ブラームスの没後キッカリ38年後に父は生まれたのだ。もちろん父を尊敬している。

2005年8月 4日 (木)

自費出版文化賞

日本自費出版ネットワークという団体が「自費出版文化賞」という賞を設定している。今年もまた募集が始まるということで、このほど応募の手続きをとった。今年で9回目となる賞で、運よく入賞すれば賞金も出るという。審査の結果が出るのは来年だ。気長に待つとしよう。

運試しの応募だが、同時に同団体のホームページに「ブラームスの辞書」が掲載されることになり、「ブラームスの辞書」の露出度アップが図れるというわけだ。登録料も手ごろなので、明日さっそく、実物一冊を事務局に送る手配をする。実物が事務局に届けば書影も掲載されるという寸法だ。

「ブラームスの辞書」は「研究・評論部門」へのエントリーだ。昨年は100件近い応募があったらしい。運試しには、ちょうどいい。

2005年8月 3日 (水)

cantabile考

一般に「cantabile」は「カンタービレ」と読まれ一般に歌うようにと訳されている。ベートーヴェンの作品には緩徐楽章に頻発するし、チャイコフスキーにも有名な曲がある。

ひるがえって、ブラームス作品においては「カンタービレ」はほぼ姿を見せないといっていい。同じく歌うようにと訳される「cantando」には若干の用例が存在するが、それとてわずかである。

1938年に発見されブラームスの作品とされるイ長調のピアノ三重奏曲がある。マッコークルは無視を決め込んでいるが、古来真贋論争があるという。これを贋物とする立場の論拠に「Cantabile」が持ち出されているらしい。本件のイ長調のトリオに「cantabile」という表記がしばしば現れることが本作品をブラームスの真作ではないと推定する根拠に用いられている。「イ長調ピアノトリオが作曲されたとされる創作の初期にcantabileが使用されていない」「ゆえにこれは偽作である」という論法である。

この論法には2つ落とし穴があると思われる。

①「cantabile」の用例が少ないのは何も創作の初期に限ったことではない。生涯を通じてレアである。

②用例がレアであることを贋作と断ずる根拠にしてしまうと、初期のピアノソナタは皆贋作ということになりかねない。初期の作品、特にピアノ系には、中後期では用いられなくなる表記が珍しくない。レアな表記が使用されることを真作である証拠とまで断ずるつもりは無いが、贋作の証拠にもなりにくいと思われる。

で、そのわずかな「cantable」が、どこで用いられているかお気づきでしょうか?

2005年8月 2日 (火)

河口湖音楽祭

8月が来ると決まって思い出すことがある。1985年から1988年にかけての4年にわたって、毎年8月の第一金曜日から3日間、開かれていた河口湖音楽祭だ。最初の2回は八ヶ岳だったので正確には八ヶ岳音楽祭だが。発端は1983年、千葉大学を卒業就職して2年、いきなり関西に赴任した私が、関西在住のOB6人と有馬温泉に旅行した。「千葉大学管弦楽団西日本支部」と称したおふざけ旅行だった。夜の酒の席上「やっぱり楽器がないとさびしい」という話になり、何かやりたいという方向になった。翌年は京都に12名集まったが、やはり音楽がやりたいという気持ちは変わらなかった。

そして1985年一気に40名以上に声をかけて八ヶ岳の音楽民宿に楽器を持って集い、みんなでブラームスの第一交響曲を演奏した。二泊三日の間、学生時代の合宿そのままの雰囲気を再現することに努め、最終日の午前、本番と称して一回通して演奏する。指揮は学生時代に練習を振った仲間か勤める。2度ある夜は当然、学生時代顔負けの大コンパである。

当然の成り行きとして1986年の第二回はブラームスの第二交響曲だった。コンセプトも場所も何も変わらない。1987年の第三回は、場所を河口湖に変更した。参加者は60名を越えた。3回とも私は事務局として諸事にあたった。これが、またなかなかの難関なのだが、根が好きなので何も苦にならなかった。

そして1988年の第四回は、千葉大学管弦楽団の常任指揮者で当時、教育学部の教授だった水野修好を指揮者に迎えてのブラームス第四交響曲だ。メンバーはさらに充実。管楽器はメンツがあまり楽章ごとにメンバーを交代する有様。第一ヴァイオリンは歴代のコンサートマスターがズラリと4プルト。第二ヴァイオリンだって名だたる名手が4プルトだ。常々学生のオケを振っている水野教授が「このオケは良く鳴りますね」と相変わらずの乗せ上手である。

最終日午前の本番はものすごい演奏になった。このときも「メンツ」「曲」「気合」が高水準で揃っていた。

この年を最後に以後18年開かれていない。主催者の私は、ブラームスの4曲をやって終わりと最初から決めていた。今でもこの時のテープが手元にある。かけがえの無い私家版ブラームス交響曲全集である。

今回は「ブラームスの辞書」とは、記事としては何等関係が無い。ささやかな夏の思い出話である。あのころすでに相当なブラームス狂いだった。

2005年8月 1日 (月)

分水嶺

ブラームスの作品群を創作時期順に並べて、俯瞰した場合、用語使用面で大きな転換期となった作品をいくつか拾い上げることが出来る。それらを「分水嶺」と呼んでいる。

①op32以降。歌曲における分水嶺を形成している。ここを境に歌のパートへの指図が極端に少なくなっている。

②op76以降。ピアノ独奏曲における分水嶺。「初期ピアノ作品症候群」は完全に姿を消す。器楽曲での伊独併記が唯一用いられる。「sotto voce」「mezza voce」の出現もここいら。

③op68以降。「mp」の頻出。「pesante」の出現。

④op46まで。「accellerando」の消滅。

⑤1890年。「op8の改訂」「f ma dolce」登場。

代表的な例を列挙した。まだ他にもあるけど、ブログではここまで。

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ブラームスの辞書写真集

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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