marcatoの記憶
今から35年前になる。私とて10歳の小学5年生だった。そりゃそうである。今でこそレッキとしたオヤジだが、いきなりオヤジで生まれてきたわけではない。
音楽の授業時間というより、校内合唱際のような催しがあり、クラスで合唱練習をしていた。曲目だって忘れていない。「線路は続くよどこまでも」である。この曲一番の歌い出しは、題名と同じく「線路は続くよどこまでも」になっている。元々乗り気のしない悪ガキの集まりだったため、なかなか様にならない。普段はふざけ散らしているくせに歌となると今にも死にそうなカスミシモしか出せないのだ。
確か西村という女の先生がそんな我々に、この場所の最初の「せ」の歌い方だけで、曲の全てが決まってしまうと言って、あきらめずに練習をした。このとき「ここはマルカートなのよ」と再三口にしていたことが、今でも記憶に残っている。「p」や「f」「allegro」「adagio」以外の曲想用語とのはじめての出会いだった。このときの合唱の出来は、もう忘れてしまったが、「marcato」との出会いと先生の口ぶりについては、妙に鮮明に記憶している。
「ブラームスの辞書」の中で膨大な量の「屁理屈」を展開する私の、音楽用語体験の原点である。ブラームスにおいて「marcato」は混合事例を含めて約450箇所で用いられる。概ね「leggiero」の対立概念と思われる。ベースライン強調機能を負わされていることが多いが、「f」側の「主旋律マーカー」としても機能する。
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