河口湖音楽祭
8月が来ると決まって思い出すことがある。1985年から1988年にかけての4年にわたって、毎年8月の第一金曜日から3日間、開かれていた河口湖音楽祭だ。最初の2回は八ヶ岳だったので正確には八ヶ岳音楽祭だが。発端は1983年、千葉大学を卒業就職して2年、いきなり関西に赴任した私が、関西在住のOB6人と有馬温泉に旅行した。「千葉大学管弦楽団西日本支部」と称したおふざけ旅行だった。夜の酒の席上「やっぱり楽器がないとさびしい」という話になり、何かやりたいという方向になった。翌年は京都に12名集まったが、やはり音楽がやりたいという気持ちは変わらなかった。
そして1985年一気に40名以上に声をかけて八ヶ岳の音楽民宿に楽器を持って集い、みんなでブラームスの第一交響曲を演奏した。二泊三日の間、学生時代の合宿そのままの雰囲気を再現することに努め、最終日の午前、本番と称して一回通して演奏する。指揮は学生時代に練習を振った仲間か勤める。2度ある夜は当然、学生時代顔負けの大コンパである。
当然の成り行きとして1986年の第二回はブラームスの第二交響曲だった。コンセプトも場所も何も変わらない。1987年の第三回は、場所を河口湖に変更した。参加者は60名を越えた。3回とも私は事務局として諸事にあたった。これが、またなかなかの難関なのだが、根が好きなので何も苦にならなかった。
そして1988年の第四回は、千葉大学管弦楽団の常任指揮者で当時、教育学部の教授だった水野修好を指揮者に迎えてのブラームス第四交響曲だ。メンバーはさらに充実。管楽器はメンツがあまり楽章ごとにメンバーを交代する有様。第一ヴァイオリンは歴代のコンサートマスターがズラリと4プルト。第二ヴァイオリンだって名だたる名手が4プルトだ。常々学生のオケを振っている水野教授が「このオケは良く鳴りますね」と相変わらずの乗せ上手である。
最終日午前の本番はものすごい演奏になった。このときも「メンツ」「曲」「気合」が高水準で揃っていた。
この年を最後に以後18年開かれていない。主催者の私は、ブラームスの4曲をやって終わりと最初から決めていた。今でもこの時のテープが手元にある。かけがえの無い私家版ブラームス交響曲全集である。
今回は「ブラームスの辞書」とは、記事としては何等関係が無い。ささやかな夏の思い出話である。あのころすでに相当なブラームス狂いだった。
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