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2005年9月30日 (金)

落差

音楽の聞こえと、楽譜の印象の違いを指す。

耳からの聞こえを頼りに、勝手に想像していた「譜面面」と、実際の楽譜とが大きく違うという現象がブラームスではしばしば起きる。

たとえば弦楽六重奏曲第一番第一楽章は、春を思わせる無垢で明るい立ち上がりだ。実際の楽譜はスラーのかかり方が複雑で微妙だ。第一弦楽四重奏曲の第三楽章は、まさか弱起だとは思わなかった。第二交響曲第四楽章には4分の5拍子から4分の3拍子に聴こえる場所があるけれど、楽譜上は2分の2拍子で押し通されている。4分の3拍子と8分の6拍子の騙し絵状態はしばしば見られるし、2分の3拍子と4分の6拍子も同様だ。

聞こえと記譜の落差を、ブラームスは楽しんでいたのではないだろうか?聴き手や弾き手をメビウスの帯やエッシャーの騙し絵のような感覚にさせることを楽しんでいたように感じられる。あるいは、その矛盾から解き放たれる瞬間の爽快感そのものを、音楽の目的を達するためのツールと考えていたフシがある。精巧に計算された字余りの短歌と同じニュアンスかもしれない。

2005年9月29日 (木)

歌いたい

ブラームスを歌いたい。もちろん歌だ。愛する楽器ヴィオラももちろんいいのだが、ブラームスを歌ってみたい。カラオケのCDでもでないものだろうか?

①ドイツレクイエム第三楽章 バリトン独唱

②日曜日op47-3

③人の子らに臨むところはop121-1

④おお死よ op121-3

⑤五月の夜 op43-2

⑥永遠の愛について op43-1

⑦我が恋は緑 op63-5

⑧喜びに満ちた僕の女王 op32-9

⑨野のさびしさ op86-2

⑩子守唄 op49-4

これらは、私がお風呂でよく口ずさむ歌だ。車を運転しながら歌うこともある。子供たちは呆れている。「ハイハイ、ど~せまたブラームスでしょ」みたいな無残な反応である。

マジメな話、一時は真剣に歌を習いたいと思ったこともある。少なくとも自分の声がテノールなのか、バリトンなのか確認したいとは、心から感じている。自分の血液型を知らないマヌケ度に匹敵すると思う。献血に行っても教えてくれまいし、どこかで教えてくれるところはないだろうか?

2005年9月28日 (水)

のだめの中のブラームス⑨

第一巻79ページをご覧願いたい。左上のコマだ。千秋が頭の中でつぶやいた台詞。「連弾だったらリストとかブラームスとかもっとメジャーでやり易い定番曲もあるのに」である。これ何を隠そう、「のだめカンタービレ」における記念すべきブラームス初出だ。

千秋は谷岡先生の発案でのだめと2台のピアノでの合奏をすることになった。曲はモーツアルト作曲「2台のピアノのためのソナタニ長調K448」だ。のだめ作者様は「モーツアルトがピアノのうまいデブ娘(知人の子)との合奏用に作ったあっかるいサロン向き音楽」と解説してくれている。千秋は曲を選んだ谷岡先生を「人が悪い」と評している。このモーツアルトの作品がマイナーであることを暗示していると見て間違いない。つまりブラームスやリストにならば、このモーツアルトのK448よりは、メジャーでやりやすい曲があるという文脈である。「やりやすい」には多分に「合わせ易い」のニュアンスが含まれている思う。

さて、そのK448に比して「やり易い」と称されたブラームスの曲はいったい何だろう。実を言うとブラームスは、一台のピアノを二人で演奏する連弾の曲を好んでいたようだ。シューマンの主題による変奏曲op23を皮切りに、名高いワルツを含むop39、op52とop65の新旧「愛の歌」という具合に作品番号付きだけでもこれだけある。さらに作品番号抜きまで範囲を広げれば、ハンガリー舞曲がこれに加わる。それから主要な管弦楽曲、室内楽曲はほとんど連弾用に自ら編曲している。作るだけではない。クララ・シューマンとの連弾が何より楽しみだったといくつかの書物は伝えている。

モーツアルトの「2台のピアノのためのソナタ」との対比として描かれている訳だから、ブラームス側も「2台のピアノ」向けでないとしっくり来ない。しかも、ある程度メジャーであることも重要と思われるので、作品番号を持った作品にそれを求めねばならない。幸い簡単に見つけることが出来る。注文通りの「2台のピアノのためのソナタヘ短調op34b」と、「ハイドンの主題による変奏曲op56b」である。前者はピアノ五重奏曲の弟分。後者は管弦楽版の弟分である。千秋が第一巻78ページでつぶやいたとき、この2曲のどちらかまたは両方を思い浮かべていたことは確実と思われる。

それにしても、どちらも千秋とのだめのコンビで聴いてみたいものである。

2005年9月27日 (火)

我が家のチェリスト

我が家の未来のチェリスト、つまり長男の話だ。何日か前の長女の話もそうだったが、今回も「ブラームスの辞書」には何の関係も無い。

中学二年生の長男は、勉強嫌いとゲーム好き、サッカー好き、野球好きのどこにでもいる男の子だ。身長は180cmの私にあと10cmと迫っている。足のサイズは既に追いつかれた。頭の成長が身体の成長に追いつかないというパターンだ。これまたよくある話なのだが、成績も自慢できるものではない。例によって月曜金曜の五時から週二回の塾通いだ。

昨夜の話だ。塾から電話があった。「講師の都合で月曜と金曜のどちらかの先生を変えねばなりません。」「あるいは曜日と時間を変える方法もあります」という内容だった。「子供と相談をして折り返します」と一旦電話を切った。

曜日は現状の月金、時間は17時が気に入っていて、それらは変えたくないという。ここまではテレビを見ながらの返事だった。「そうすると先生二人のうちどちらかを変えなきゃいけないんだよ。どっちにする?」と問うた時だった。キッとした顔でこちらを向くと、「ボクは悪くてどちらかを選ぶなんて出来ないよ」「塾にお任せしちゃって」よく訊いてみると、「今塾ではどちらの先生とも打ち解けていて、とても信頼している。その二人のうちのどちらかを自分から切ることは申し訳なくて出来ない」ということだった。

子供だ子供だと思っていた長男。成績が今ひとつでやきもきさせっ放しの長男。塾や学校の様子をちっとも話さない長男。それがなんという感性だろう。話の流れとはいえ「どちらかの先生を選択せよ」と迫ったことを親として恥じた。偏差値よりも重要なことを長男は身に着けようとしているのだ。勉強嫌いの長男が、この塾はいまだにやめたいと言い出さない理由がよくわかった。二人の先生たちと良い関係が出来ているということなのだ。誰から教えられるでもなく、きっぱりと一瞬の躊躇もなく言い切った長男の心を誇りに思う。

我が子ながらいい奴だ。塾の先生には折り返し電話をして経緯を伝えた。塾の責任者が「どちらの先生とも打ち解けている感じだったので、こちらで決め切れなくて電話しました」「やはりそうでしたか」「素敵な感覚ですね」「担当の二人ともよく相談して決めます」なんという素敵な出来事だろう。

この子がチェロをすれば弦楽四重奏団が完成する我が家である。

2005年9月26日 (月)

書店に置けるわけがない

我が子同然の著書「ブラームスの辞書」について「本屋さんには置かないのですか?」という主旨の質問を何回かお受けした。

「そうです。書店には置かないんです」としか答えられない。正確には「置かせてもらえない」とするべきであろう。

今回もう少し詳しく説明することにした。

私の著書「ブラームスの辞書」は自費出版である。出版にかかる費用を著者である私自身が全額負担している。無論、出来上がった本を在庫しておくコストまで著者負担である。本が売れればその代金は全額著者である私のものだ。この場合、一般に出版社は、私から出版代金の支払いを受けた時点で、利益は確保出来るので本の売れ行きには直接の利害関係がない。

これを一般の出版と比べる。出版にかかる費用は、出版社が負担する。そしてそれらは本が売れることによって発生する売り上げで回収されねばならない。だから死活問題として本のPRに力を入れる。著者の手元にはあらかじめ決められた比率で印税が支払われる。

書店の店頭は戦場である。限られた面積で最大の売り上げを確保せねばならない書店と出版経費回収のために一冊でも多く自社の本を売りたい出版社の思惑が交錯する戦場だ。このような戦場に、無名の著者による自費出版本がのこのこという情景を想像すれば、それがいかに無謀かすぐにわかるはずだ。売れやせんのだ。売れやせん本には、猫の額ほどの場所も提供されないのだ。

自費出版を決意した時点で、書店に置く望みは絶たれているというわけだ。といって、出版社が私の原稿を元に商業出版に踏み切るという望みは万に一つもない。

幸い現代日本はIT社会だ。自費出版本といえどもささやかにPRを継続する手段には事欠かない。著者による直接販売のメリットも、心構え次第だ。書店に置いてしまったら、誰に買われてゆくのかは運試しだ。著者直接販売ならば、このあたりのトレースが容易になる。

ネタがネタだけにコアでオタクな層には受け入れられる可能性だけは、いつでも信じている。それが著者としての愛情というものだ。

2005年9月25日 (日)

インテルメッツォとカプリチオ

ブラームスに特有なピアノ小品のタイトルは、以下のようになっている。

①インテルメッツォ 19曲

②カプリチオ 7曲

③バラード 5曲

④ラプソディー 3曲

⑤ロマンス 1曲

これには第三ソナタ第四楽章、ピアノ四重奏曲第一番第二楽章の両楽章がインテルメッツォになっているのを含んでいない。また作品10-3のバラードはインテルメッツォにもカウントされている。念のため言うと、弦楽四重奏曲第一番の第二楽章のロマンツェもノーカウントです。

これらのタイトリングを施したブラームスの脳内基準はなんだろう。大抵の解説書では、キビキビ速めが「カプリチオ」で、ゆったりの瞑想系が「インテルメッツォ」という見解が提示されている。しかしop118-1やop10-3がインテルメッツォというのはこの基準では具合が悪かろう。もしかするとop119-3もインテルメッツォとしてはキビキビし過ぎかもしれない。

この区別、難解という他はない。ブラームスの気紛れという可能性さえあって、凡人を寄せ付けない壁を感じる。

ここに一つの提案をする。インテルメッツォには音楽用語「marcato」が一切用いられていない。marcatoが一箇所でも用いられた楽曲にインテルメッツォのタイトルを与えない」という命題を提起したい。上記の感覚的な定義「キビキビ=カプリチオ」「ゆったり=インテルメッツォ」という基準では違和感があったop10-3、op118-1、op119-3の三曲もこの基準を満たしている。ブラームスの脳味噌にこの基準が無かったとしたら凄いことだ。基準なしの偶然にしては出来過ぎだからだ。「marcato」は作品1から120までの間、時代とジャンルを問わずほぼ満遍なく分布し、約500箇所登場するというのに、「インテルメッツォ」と名づけられた作品に現れないのは何やらいわくありげである。もちろんピアノ独奏曲以外で「インテルメッツォ」のタイトルを捧げられたピアノソナタ第三番第四楽章とピアノ四重奏曲第一番第二楽章に範囲を広げても。この命題は輝きを失わない。

同様の傾向がカプリチオと「dolce」の間にも存在する。「インテルメッツォ&marcato」のケース程徹底されてはいないが、「カプリチオ」も「dolce」とはほぼ共存しない。しかしながらこれには例外が存在する。op76の中の4曲のカプリチオの中に8箇所「dolce」が現れる。op76はいろいろな諸現象において例外となることが多い、神秘の作品なのでこの際棚上げかもしれない。

本日のネタはブログとしては多分書き過ぎ、つまり大盤振る舞いだ。

2005年9月24日 (土)

ネタの備蓄

あと二週間ほどに迫った中国出張の間、ブログの「公開日時設定機能」によって一日一件の記事を公開することにしている。ということはつまり、出発までに記事を10日分書き溜めねばならないということだ。

昨日最低必要な10件の記事を書き終えた。現在校正中だ。カテゴリー間のバランスを考慮し10日間に貼り付けてみた。「のだめ」系も2件含まれている。どの記事も冒頭には、中国でのその日の行動予定を簡単に記しておいた。

こう見えても私は、ブラームス好きなので、今まで記事の作成に行き詰まったことは一度もなかったが、さすがに1日で10本の書き溜めは厳しかった。ネタはかねて用意のエクセルファイルから10本選ぶだけでいいのだが、一気にというのは精神的にしんどい。ブラームスの音楽を久々にまとめて聴いたという感じだ。また記事の作成に必要な情報を確認するため、いくつかの楽譜や書物にも目を通した。「ブラームスの辞書」の執筆を終えて以来初めてのことだ。

それにしてもブラームスだ。いくら書いても次から次へと書きたいことが湧いてくる。

2005年9月23日 (金)

銭湯の下足箱

私が幼い頃、よく銭湯に行った。入り口で履物を脱いで下足箱に入れる。大きな木の札がキーになっている。その札には大抵番号が打ってある。当時東京ジャイアンツのV9真っ只中で3番「王」4番「長嶋」の全盛時代だった。だからその背番号である「1」と「3」には凄い人気があった。運良く下足番号の札が「1」や「3」になろうものなら一日気分よく過ごせたものだ。さすがに銭湯の下足箱はレアになったが、他人様から何気なくナンバリングされてしまう機会は現在でも少なくない。

たとえば銀行の窓口でボタンを押して受け取る整理券番号も、その類だ。98番の番号札をお持ちのお客様、4番の窓口にお越しください」などと言われるのは、ちょっとしたエクスタシーだ。「ブラームス交響第四番作品98」を思い起こさずにはいられないからだ。順番待ちのストレスなどこれで一気にチャラである。

今日は、お彼岸だ。おはぎの代わりにケーキを買いに出かけた。行きつけの洋菓子屋なのだが、店構えは至って小さい。繁盛していると見えていつも混雑していて番号札を配って順番に客の注文をさばいている。今朝も案の定混んでいた。「あ~あ」ってなもんで番号札を受け取る。しかしだ。その番号札が何と「18」である。

おおおっ!!!「18」とな・・・・・。「桑田真澄」「ユルゲン・クリンスマン」「ロベルト・バッジョ」いいえどれも違う。「ブラームス弦楽六重奏曲第一番変ロ長調作品18」だ。一気にストレス解消だ。これで一日気分が良い。途端に第一楽章の冒頭が頭の中で鳴り始める。

街中を歩きながら、こういう至福を探す癖がついてしまった。因果な性格である。

2005年9月22日 (木)

のだめの中のブラームス⑧

今日9月22日は、千秋真一と「R☆Sオケ」のCDデビュウの日である。早速一枚買い求めた。ブラームス交響曲第一番だ。コンサートマスターは「三木清良」とある。「のだめ」に登場の佐久間氏の文章も添えられている。徹底したノリが気持ちがいい。ライナーノートの内容や、演奏の出来については、今後ネット上でおびただしい数の批評が飛び交うだろうから、この際控えることにする。既に予約ベースだけで相当数の売り上げとなったと聞くが、大変興味深い現象である。

コミック「のだめカンタービレ」のブレークに触発されたリリースであること疑いは無い。「千秋真一」「R☆Sオケ」の名はコミックの力によって既に相当なブランド力を獲得していると考えてよい。「千秋真一」「R☆Sオケ」が架空の存在であり、実在しないことは、作り手、売り手、買い手の三者にとって等しく自明のことになっている点、すがすがしい。しかしながら実際にCDが存在するということは、誰かが演奏をしているということに他ならない。実演したオーケストラはもちろん、指揮者名は伏せられている。そしてこのCDは間違いなく無視しえぬ売り上げを記録することになる。このことが意味することはとても大きい。先行するコミックによって作り上げられた「千秋真一&R☆Sオケ」というブランド名が、名前も明かされぬオケの演奏が収められたディスクのジャケットに印刷されたことで、市場から小さからぬ支持を集めてしまったということに他ならないからである。

「カラヤン&ベルリンフィル」「クライバー&ウイーンフィル」等燦然と輝くブランド名をジャケットに冠したCDが巷には溢れている。そしてそれに立脚した無数とも思われる演奏家論もしかりだ。これらのディスクに「R☆Sオケ」のような覆面オケの演奏が一枚も無いと信じてよいのだろうか?全てが巨匠その人のタクトによるものと信じてよいのだろうか?どこの馬の骨とも判らぬ演奏に、ブランド名だけおっかぶせてなどと言うことは無いと断言してよいのだろうか?膨大な数の出版や著述が、それぞれ持論を展開する様相ながら、「ジャケットに記された演奏者の演奏がCDに収められていることを疑っていない」という一点においては、全てが同じ立場である。そして消費者は、残念ながらその違いを聞き分ける能力を持っていない。聞き分け不可能の微細な違いを、さも巨大で決定的であるかのように刷り込まれているだけなのだ。それは既に信仰の自由に属する領域「いわしの頭」だ。

なにより「R☆Sオケ」の市場での快走は、これらの現象のパロディーとして秀逸である。

それにしても「R☆Sオケ」の正体と実指揮者名の秘密はどこまで守り通せるのかということに興味がある。ジャケットには録音の期日まで記されている。オケのメンバーまで入れた100名近い関係者の口に戸が立てられるのだろうか?

お叱りを覚悟の私見がある。この演奏がジャケットに記された日に録音された演奏である必要などないのだ。たとえば20数年前のどこかの誰かの録音を落としたディスクであっても何等差し支えは無いのだ。このほうが秘密の維持は格段に容易になる。録音期日がジャケットに印刷されていることなど、パロディの一部と割り切っていい。元々指揮者もオケもライナーノートのライターも架空なのだ。後ほど、「何ちゃって」の種明かしがあるのも乙だと思う。録音場所が「桃ケ丘音楽大学ホール」になっていたり、裏軒の広告が入っていたらもっと素敵だったのに・・・・。

2005年9月21日 (水)

作曲家「簡易」人気投票

クラシックの作曲家の人気度はどうなっているのだろう。我がブラームスの位置づけはどのあたりだろう。なかなか適当な尺度がないものだが、今回はある提案をしたい。

先日も触れたコミュニケーションサイト「MIXI」には、サイト内に作られたコミュと呼ばれるサークルを検索する機能がある。作曲家の名前を入力して検索すると大抵の場合いくつかのコミュがヒットする。このうち、作曲家個人の名前を冠したコミュに的を絞り、さらに最もメンバー数の多いコミュを選んで、そのコミュの参加メンバー数を得票数に置き換える方法で「クラシック作曲家<簡易>人気投票」を実施してみた。サイトの加入者数100万という規模や、一人が特定の作曲家に複数の投票が出来ないこと、さらには組織票もあり得ないことを考慮すると、結果にはある程度の信用性を期待できる。欠点は「MIXI」のユーザー層が、どちらかというと若年層に偏っていることくらいだ。

9月18日日曜日現在の数字とお断りしてさっそく結果を発表する。

  1位 サティ      1740票

  2位 ショパン     1713票

  3位 ドビュッシー  1632票

  4位 バッハ     1605票

  5位 モーツアルト 1159票

  6位 ラフマニノフ  1130票

  7位 ラベル     866票

  8位 ベートーヴェン 764票

  9位 マーラー    690票

 10位 チャイコフスキー 670票

 11位 ブラームス    626票

 12位 リスト       478票

 13位 ショスタコービッチ 450票

 14位 ストラビンスキー 425票

 15位 バルトーク 349票

 16位 プロコフィエフ 323票

 17位 ドボルザーク 323票

 18位 フォーレ 321票

 19位 ワーグナー 316票

 20位 シューマン 306票

我らがブラームスは11位。微妙な順位である。マーケティングの手法としてはこの11という順位をアノ手この手で上げるということも考えられるが、一個人の手には余る。ブラームスの位置づけはこんなもんだと割り切って、ひたすらこの626人へのアピールに徹するのが穏当だ。50代の男性でやったら結果も違うだろうが、ブラームスに不利な方向には動くまい。明日発売の「R☆Sオケ」のデビュウCDも追い風の一つには違いあるまい。

それにしてもサティーの一位は少々意外だ。ワーグナーがこの位置というのも意外だ。

2005年9月20日 (火)

記事の管理について

ここでいう「記事」とはブログに投稿する記事のことである。

立ち上げの時に、ブログを立ち上げても書く記事が無いとやがて廃墟になると知人からさんざん脅かされたことが、いまだにトラウマになっている。立ち上げる前にある程度の数のネタをそろえようとメモを作成した。書きたいことのネタを書きとめたのだ。それが50になってからブログを立ち上げようと決めていたのだ。もちろん50になったからブログを立ち上げて今日があるのだ。

ところが、そのメモ、立ち上げた後もなかなか役に立つので、エクセルに打ち代えて今日に至っている。ブログに記事が掲載されてしまえば、管理も楽だし検索も容易だ。問題は「まだ記事にしていないネタ」の整理だということにすぐ気付いたというわけだ。

困ったことに大抵のネタは通勤の電車の中で思いつくのだ。それをトッサにメモにとり帰宅してからエクセルの記事管理ファイルに入力する。記事は「キーワード」とカテゴリーに分類され、ブログ掲載予定日を付与される。後日、似たような内容の記事を一本化したり、逆に1本のタイトルを複数の記事に分割したりもしている。すでに記載済みの記事との重複も避けることが出来る。一度掲載した内容でも、あまり昔のことだと顧みられることもなくなるので、大事なネタは微妙に内容を変えて記事にしている。

今後二週間の記事をどのようにするかもそのファイルとにらめっこしながら決めている。ブログのアクセス分析から、どんな記事が読まれているのかもチェックして掲載順に反映させている。特定のカテゴリーに偏らないように注意したり、ブログの「最近の記事」に載る10個の記事のカテゴリーバランスを考えたりと、配慮している事項は少なくない。また、記念日的な記事、たとえば「ブログ立ち上げ100日」などはあらかじめピンポイントで掲載日を決めてしまう。「アクセス2000」等の区切りネタは昨今のアクセスペースから逆算して掲載日を読んでいる。もちろん突発で嬉しいニュウスがあれば割り込みもやる。これらの記事の配置が実はなかなか楽しい。

今の傾向は「のだめ」だ。のだめ系記事がよく読まれている。だから「のだめ」系の記事は最大で中5日と決めている。現状では「のだめ」系の記事の備蓄は7つ。約一箇月はもつ。

来月中旬に迫った10日間の中国出張に際して、公開日指定の機能を駆使して毎日一件ずつ記事を公開するための記事の備蓄と選定をはじめねばならない。

初めて訪れた人が思わずブックマークしてくれるようなブログにするためのちょっとした工夫の話である。

2005年9月19日 (月)

週間アクセス600突破

ブログ「ブラームスの辞書」の先週一週間のアクセスが「647」を記録した。8月最終週に「344」を記録してからまだ半月である。一日「100」という数値も現実味を帯びてきた。

母数がコレくらい大きくなると、アクセス分析をする甲斐もある。約15%がブックマークからのアクセスだ。常連になってくれているということだと思う。初めての訪問者のうちいったい何%がこのブログをブックマークしてくれるのだろう。「また来たい」と思ってくれるのだろう。このパーセンテージを上げることがとても大切だ。しかし、あまりそれにこだわると、ブログの内容にまで微妙な影響が出そうで怖い。

どの記事が読まれているかの統計は興味深い。「のだめ」系が圧倒的に強い。ブレーク中だけのことある。記事を「のだめ」よりに設定することも大切だ。しかしなりふり構わずの内容は慎まねばなるまい。あくまでも「のだめ」とブラームスの接点をトレースするという姿勢が大事と自らにいいか聞かせている。

PRの手段をネットに依存せざるを得ないから、このブログが読まれることはよいことだ。露出度は何にも優先する当面の目標だ。そして本当は「ブラームスの辞書」を知ってもらうこと・・・。

2005年9月18日 (日)

のだめの中のブラームス⑦

第七巻。90ページをご参照願いたい。上半分に堂々たるブラームス第一交響曲の楽譜が配されている。「R☆Sオケ」デビュウ演奏会メインプログラムの決定のシーンである。「Sオケでシュトレーゼマンに途中で取り上げられた曲」という説明が何やらふさいだ表情の千秋にかぶっている。がしかし、続く91ページで木村君がこのチョイスに同意している。同意の理由には「バランスがいい」「千秋くんらしい」という2点を挙げている。それにしても木村君は13巻でヴァイオリンのエキストラに変装した千秋くんと確かに似ている。メガネとポマード程度で似てしまうのだから、この2人の顔の造作の基礎が似ているであろう。また94ページで佐久間さんがこのチョイスを「メジャーどころできたね」「千秋君て自信家だね」「楽しみだな君たちのブラームス」と評価している。これらを総合すると「ブラームス第一交響曲が千秋には相応しい」と評価されているようだ。肝心の千秋は91ページの中段右端で「オレらしい?!」と反応している。

「のだめカンタービレ」のここ以前の筋立てを見た限りでは「千秋がブラ1に相応しいこと」を仄めかす箇所は無かったと思われる。むしろ「勉強不足」を指摘されたり痛い目を見た点で目立っていた。描かれていない裏側で、千秋の知人たちがそう考えるだけの根拠があるのだろう。つまりそれは「のだめ」の作者様のキャラクター設定上の決め事にたどり着かざるを得まい。

話の枕が長くなった。本番はこれからだ。問題の第七巻90ページの中段右端にブラームスの第一交響曲を評して「完成まで20年を費やした」と記されている。これは業界の通説である。「のだめ」の作者様やスタッフの皆様がその通説に従ったと見てよいが、はたしてそうだろうか?私の見方は少し違う。「20年間ずっと第一交響曲の作曲に没頭していたわけではない」というのが私の見解だ。作曲自体は他の交響曲と同じ程度、つまり1~2年で済ませていたのが、最後のワンピースの決定に時間がかかったと解釈したい。記録に残る作曲への着手と完成年の差がたまたま21年になっているだけのことである。ベートーヴェンの偉大な交響曲を意識したために遅々として進まなかったという一般的な解釈にはただちには賛成できかねる。

作曲の着手から完成にかけて要した時間の長い順に作品を列挙してみた。

①交響曲第一番      1855年→1876年 21年 ハ短調

②ピアノ四重奏曲第三番 1855年→1875年 20年 ハ短調

③ドイツレクイエム     1854年→1868年 14年 ヘ長調

④弦楽四重奏曲第一番  1865年→1873年 8年 ハ短調

⑤ピアノ四重奏曲第一番 1855年→1861年 6年 ト短調

⑤ピアノ四重奏曲第ニ番 1855年→1861年 6年 イ長調

⑦ピアノ協奏曲第一番  1854年→1858年 4年 ニ短調

⑧ピアノ五重奏曲     1861年→1864年 3年 ヘ短調

⑧ピアノ協奏曲第二番  1878年→1881年 3年 変ロ長調

確かに第一交響曲は目を引く長さである。が、上位にハ短調が集中することや、1854年から55年にかけて着手された作品が多い点注意が必要だ。これを彼の伝記に重ね合わせれば、すぐにシューマンの悲劇との関係が思い起こされよう。単に忙しいから中断していただけの可能性さえ浮上する。20年以上作曲に没頭していたのか、20年以上中断していたのかを厳密に区別する必要があると思われる。単なる中断なら騒ぎすぎはよくない。

この時期のハ短調には恐らく積極的な意味がある。なぜか三曲全て1870年代中盤の完成になっている。このころブラームスの頭脳に何かが起きているのではないだろうか?

2005年9月17日 (土)

マーケットサイズ再考

6月21日の「マーケットサイズ」というタイトルの中で、「ブラームスの辞書」で想定すべきマーケットサイズに言及している。A5判400ページにブラームスねたテンコ盛のオタク本だ。「ブラームス大好き」という層をぼんやりと10000人とイメージし、1%の手元に渡れば100部だから、総発行部数300と、だいたいシンクロする。まったく無邪気な想定だ。この度これに再考を加えたいと思う。一種のマーケティングごっこだ。

ちょうど一週間前だ。知人の勧めで「MIXI」に加入した。詳細は割愛するが今ブレーク中のコミュニケーションサイトだ。8月1日現在ユーザーが100万人を突破したらしい。サイトの中にはコミュ」と呼ばれる同好会が無数に存在する。「ブラームス」というキーでヒットするコミュのうち最大の会員数を誇るコミュの会員は約600名である。つまり18歳以上の成年100万人に対して600名の会員と言うことになる。600ppmである。喫煙動向調査によれば日本の成年人口はざっと1億だから、この600ppmは60000人ということになる。この際、死ぬほどブラームスが好きなのにコミュには加入していない人々を、本当は大して好きではないのに加入している人々が相殺すると仮定しよう。

さて600名のコミュメンバーのうち各人の自己紹介欄に「ブラームス」や「Brahms」という文言を一回でも使用しているユーザーは意外に少ない。楽観的に見て3人に一人だ。約3分の2の400名は「ブラームスも聴く」というスタンスだと覚悟せねばならない。「ブラームスが一番」という層はざっとみて希望込みで10人に一人と言う感触だ。つまり60ppmだ。

厄介だが、重要な視点がもう一つ。ブラームス愛好家は2つに大別できる。「演奏家論の題材にブラームスも使っている人」とそうでない人だ。「フルトベングラーを語るのにブラームス避けて通れんでしょ」という類の人々をイメージすればいい。「ブラームス大好き」を想像させる自己紹介を書いている人の半分以上は、お勧めCDのレビュウが充実している。ブラームスの本質論より演奏家論に寄っていることをうかがわせる。その比率恐らく6対4だ。「ブラームスの辞書」は400ページのボリュウムながら演奏家論は一切現れない。つまり6対4の「4」の側なのだ。これで60ppmが24ppmに落ちる。これに成年人口の1億を乗じて2400人という数値が得られる。6月21日の推計の4分の1だ。

なんだか微妙でリアルな数字である。手元の在庫は現在280冊だから約10%強に届ければ完売となる。幸い「お勧めCDネタ」は扱っていないので10年後も記事の鮮度が落ちない賞味期限の長さは好材料だ。

「ブラームスの辞書」のメインターゲットは「ブラームスを演奏する人」である。この要素を折り込んだ場合、その24ppmが上下どちらに振れるのか断言出来ないが、10倍、10分の1のオーダーではブレないだろう。精魂込めて寝る間も惜しんで実行したシュミレーション値と、仮置き値まみれの、直感で求めた数値が結果として近似してしまうことは珍しくない。

当面のマーケティング目標を「ブラームス大好き層を探すこと」に設定する。

はい、ど~も!

2005年9月16日 (金)

poco f 讃

ブラームスにおいて「poco f」はおいしい旋律の巣である。

とりわけ「espressivo」を伴う場合この傾向が強まる。数え方にもよるが概ね320箇所が生涯にばら撒かれている。創作の初期においては、「f」を冠する主たる声部に道を譲る目的で記されることが多かった。程なく周辺に「f」を伴わない用例が発生する。直感的にいうなら「f non troppo」に近いと思われる。

「伴奏声部を担当するような繊細さをもったフォルテ」、あるいは「ぶっちゃけ過ぎないフォルテ」の意味を獲得していったと思われる。ブラームスの楽譜から「poco f」だけを抜き出してコレクションしてみるのも乙である。「f」と「poco f」の違いを真剣に考えてみることは、有益だと思われる。「mf」との違いはもっと微妙である。

第一交響曲第四楽章の主部、歓喜の歌の噂がつきまとう旋律が「poco f」を掲げていることが、「poco f」にのめりこむキッカケであった。あのころは、ブラームスのクララに対する微妙な気持ちの象徴であるとさえ思っていた。一方、伴奏自覚機能の代表としては、ヴァイオリン協奏曲第三楽章冒頭の弦楽器に付着する「poco f」を挙げたい。独奏ヴァイオリンの「f」に対する謙譲の美徳だ。自分のパートに「poco f」が現れたら、どちらの用法なのか一度は立ち止まって考えたいものだ。

ブログではここまで。

2005年9月15日 (木)

祝2000アクセス

ブログ「ブラームスの辞書」立ち上げからのアクセス累計が2000を超えた。立ち上げ108日目の2000件到達である。めでたい。記事の数は本件を入れて156件。108日間一日の空白も無い。

最初の一ケ月は自費出版ネタも混ざっている。演奏家論と作曲家論の分離を訴える記事も多かった。もちろん「ブラームスの辞書」執筆の経緯や、あとがきに盛れなかった事項の説明に時間を割いている。

最終版下を出版社に手渡した頃、カテゴリー「用語解説」を立ち上げた。これは、「ブラームスの辞書」の内容を小出しに提示することで、宣伝の一助とする目的だ。

2000アクセスはめでたいけれど、ここで今一度足元を固めたい。本ブログの立ち上げの原点を見つめなおすことにする。

我が子同然の初めての自費出版本「ブラームスの辞書」の宣伝が本来の目的である。「ブラームスの辞書」の最大の訴求手段であることは今までも今後も変わるまい。

2005年9月14日 (水)

のだめの中のブラームス⑥

第13巻が、ブラームス的にはエポックが無いことで、ひとまず安心。ブラームスネタてんこ盛りだったら、厄介だった。「ブラームス」が、のだめの癖「オケストラ」「シュベルト」等の「長音棒」省略の餌食になる日は来るのだろうか?

というわけでしばらくは、ブラームスてんこ盛りの七八巻に没頭出来そうだ。

第七巻125ページ目の最後のコマ。黒字の白ヌキの文字で「思わぬところで下の声部に戻って来る旋律」とある。もじゃもじゃ組曲第12曲が完成し、ハリセンとの約束でコンクールに挑むことになったのだめの夏休みを前に「今年の夏は大変だ~」となっていきなりの場面転換である。

次の126ページが「思わぬところで下の声部に戻って来る旋律」を説明する格好になっている。「オーボエの下降旋律レ♯ド♯シが、戻ってきた旋律シラソ♯の3度上で重なる。」「まるで運命だったように出会う旋律」これはブラームス第一交響曲第二楽章の22小節目から23小節目にかけての描写だとわかる。後にコンサートマスターの独奏でも聴かれることになるこのオーボエの旋律は第一交響曲中で始めて訪れた晴れ間と位置づけられよう。黒木クンのオーボエで聴いてみたい。聴衆がこの晴れ間の気高さに酔っていると、旋律の最高到達点22小節目の冒頭の「H音」とともにヴィオラ以下の低弦に楽章冒頭の旋律が何気に戻ってくるのだ。ここの部分の衝撃は全曲中随一の説得力だ。レアアイテムの「rf」が12小節目と25小節目にひっそりと配置されていることも冒頭旋律との関連を補強している。冒頭部分を粛々と開始したブラームスの構築力に脱帽だ。

「ブラームスなめてんじゃないすよ」とやられた千秋がリベンジのために一人勉強する様子を象徴する箇所としてこれほど相応しいところは、そう多くない。キレイ好きの千秋が散らかしっぱなし、入浴もせずに没頭する様子でさらにそれが強調されている。

127ページからは例によってのだめがおせっかい。128ページ目ではシャワーを浴びせようと上着のボタンをはずすところで、千秋にガツンとやられ、計略は頓挫することになる。この後千秋入浴中に部屋の片づけをするのだめ。散乱する楽譜を拾い集めるコマ「シューマン、バッハ?」というコマの次に驚くべき光景が展開する。「Johannes Brahms-Briefwechsel」と書かれた冊子があるではないか?のだめの顔の上には「?」だ。「Briefwechsel」手元の辞書には往復書簡とある。のだめの顔の上の「?」はこれが楽譜ではないことを驚く意味がこめられている可能性がある。「千秋おそるべし」とうならざるを得ない。ブラームス第一交響曲の勉強をしていた千秋がブラームスの往復書簡集を参照していたのか?第一交響曲については完成に時間を費やした分、ブラームスの親しい友人との間でいろいろなやりとりがあったことが知られている。クララ・シューマンとのやりとりが有名だが、作品の解釈に結びつくようなやりとりも含まれていた。シュトレーゼマンへのリベンジに燃える千秋の執念を感じさせる。131ページでは執念が昂じてか、あやうくおぼれかけていたことも判明する。

千秋真一・・・なるほどただのイケメンではない。

2005年9月13日 (火)

quasi論

「quasi」は大抵の場合「ほとんど」と解される。一昔前にはやった「ほとんどビョーキ」の「ほとんど」に近いニュアンスと思えば間違いはない。

「X quasi  Y」という場合、「Xで、ほとんどYのように」のノリである。よく考えると含蓄が深い。「ほとんどY」ならなんで単に「Y」としないのだろう。つまりは「Y」は比喩でやっぱり本質は「X」だと解さざるを得ない。

さらにこの場合「X」と「Y」は隣り合う概念であることの表出に他ならない。第二交響曲第三楽章は「allegretto quasi  andantino」だが、この場合「allegretto」と「andantino」がテンポ感覚上隣り合う概念であることが推定されよう。しかしそこはブラームスだ。事はそう単純ではない。ヴァイオリンソナタ第二番のフィナーレは「allegetto quasi andante」になっている。第二交響曲第三楽章が「allegretto quasi andantino」であることなど当然承知しているはずのブラームスは、ヴァイオリンソナタ第二番フィナーレに平然と「allegretto quasi andante」と記したのだ。ブログ上ではこれ以上謎解きはしないが、「quasi」にはこうした興味深い用例があちこちに転がっている。

初期のピアノソナタには「quasi pizzicato」や「quasi cello」まで存在している。目を疑う表示である。「quasi」の出番を一通り観察しているだけでちっとも退屈しない。

ああ、そうそう、今日はクララ・シューマンの誕生日だったはずだ。ブラームス好きとしては、はずせない日だ。

2005年9月12日 (月)

よい子のための楽しいヴィオラ曲集

大学3年の春のことだ。毎年の事ながらヴィオラのパートに後輩を迎えた。2年の春に後輩を迎えたときは、自分自身まだ楽器歴1年の初心者だったせいで、後輩の初心者指導どころではなかった。が、3年の春は、少し様子が違った。待望のブラームス第一交響曲が夏の演奏会のメインプログラムだったり、ブラームス贔屓がいやがうえにも高まった時期だ。

かわいい後輩たちがヴィオラに少しでも親しめるように、ブラームスの作品の中から名所(かならずしも名旋律ではない)をノートに写し始めた。名づけて「よい子のための楽しいヴィオラ曲集」だ。結論から言うならこの曲集が後輩たちの練習の題材に使われることはなかったが、それは今でも手元に残っている。「ブラームス名所91選」とでも呼ぶべき曲集である。もちろん私自身は何度も弾いている。

鉛筆で丁寧に写譜されている。こすられて汚くならないように画材屋さんで売っている、「泣き止めスプレー」をかけたので今でも鮮やかだ。やがて後輩たちの練習材料を作るという主旨から大きく外れ、単にブラームスの気に入った場所を書きとめておく備忘録代わりになっていった。思えば「ブラームスの辞書」執筆の最終段階で経験した173箇所の譜例作成が、全く苦にならなかったのは、このあたりの経験が物をいっているのだろう。まさに写譜そのものだ。聴くたびに感動する旋律を丹念に書き写してゆく作業は心が洗われる。きっと「写経」もこういう心境なのだろう。感動が頂点を迎えるその瞬間に付された一個の臨時記号を書きながら恍惚としたものだ。ブラームスの用語遣いの微妙さに徐々に魅せられていったのもこのころを起源と考えてよい。

もう25年以上前のものだが、その91箇所はいまだに色褪せていない。

2005年9月11日 (日)

ホルンへの嫉妬

ヴィオラ歴、ブラームスのめりこみ歴ともに四半世紀を超えた。「ブラームスの辞書」のような本も出してしまった。生涯の楽器にヴィオラを選び、生涯の作曲家にブラームスを選んだ奇跡のありがたみを深く感じる秋になりそうである。

オーケストラや室内楽でのささやかな演奏経験に照らして、他の楽器を羨ましく思ったことは一度も無い。ヴィオラ極上主義である。他の楽器が演奏するおいしい旋律を素直に素晴らしいと賞賛する機会は数多い。それとてヴィオラの魅力がかすむことは一瞬たりとも無かった。

しかしである。ホルンだけは只者ではない。ブラームスがヴィオラを愛していたことは確実だが、ホルンへの愛もまた相当なレベルだと解釈しないと説明の出来ない使われ方が随所に現れている。「ブラームスの辞書」に掲載するための譜例を選ぶ作業をしていて、あとから来ておいしい場所を独り占めするホルンの出番に何度ため息をついたことか。出番は管弦楽曲8曲とホルントリオ、他一部の合唱曲に限られる上、周囲よりも一段控えたダイナミクスを求められる理不尽を割り引いてもカッコいい出番が多い。これでもヴィオラ弾きの端くれなので、旋律にありつく頻度はあまり重視していない。表現は難しいのだが、「遠くからやってきて、やがて全オーケストラを包み込んでしまうような」「ブラームスの優しさそのもののような」「ブラームスという人格の投影のような」「どんなに出番が空こうと、要所をしめるような」後から後から言葉だけは浮かぶが、どれも決定版にはならない。

第二交響曲の第一楽章を結尾に導くソロ。第一交響曲終楽章の「piu andante」。ピアノ協奏曲第二番冒頭。第四交響曲第二楽章の冒頭。協奏曲にあっては主役の独奏楽器を脇に追いやるケースも珍しくない。「全オーケストラに冠たる地位」にしばしば位置づけられている。ホルンを愛するブラームスのこうした姿勢がまた、悩ましくも美しいとなるのである。

「ブラームスの辞書」の記述の中でもちろんヴィオラは別格の位置づけを与えられているのだが、ヴィオラを別にすればおそらくホルンが最も贔屓されているような気がする。

2005年9月10日 (土)

やけに嬉しいこと

今回の記事は「ブラームスの辞書」には全く関係がないことを初めにお断りしておく。

いつの日かブラームスの室内楽を家族で演奏する日のために、娘たち2人にヴァイオリンを習わせ始めたのが今から5年前になる。長女6歳、次女5歳の秋であった。パパの趣味の押し付けである。その日以来、毎週一度のレッスンと一日おきの練習が、曲がりなりにも日課になっている。私の帰宅後、食事 入浴を経た後、就寝までの時間が練習時間だ。子供たちにとっては一日おきだが、私は毎日どちらかの娘の練習を見てやっている。半年後には、早くも次女が「やめたい」と言い出した。長女も「パパのためにやってやっている」という態度をあからさまに見せるようになった。無論それらの抵抗は想定の範囲内だ。二人とも反抗期にさしかかり、生意気盛り。普段は娘にメロメロの私だが、ヴァイオリンの練習だけは絶対に譲らない。娘たちの顔色や体調を見ながら手加減はするが練習自体を休むことは無い。勝気で几帳面の姉は多分「三木清良」タイプ。妹は楽譜苦手の暗譜派、つまりは「のだめ」タイプだ。

長女は小学校6年生。生意気だ。中学に進むと部活動もやりたいという。聴くところによればヴァイオリンなどの習い事の大敵は部活動と受験だという。絶対にヴァイオリンを優先させたいのが、私の立場なので、今年の4月頃から、機会を狙っては繰り返し「部活動してもいいけどヴァイオリンはやめんじゃねえぞ」と言いくるめてきた。

先週の月曜日いつものように「中学行って部活はじめたからと言ってヴァイオリン止められると思うなよ」とつっかけてみた。いつもだと「あ~ハイハイ」みたいな胡散臭そうな返答をするのだが、今回は違っていた。「うん」「私も最近やめちゃもったいないって気がしてきたんだよねェ~」・・・・・!!!!

どうした風の吹き回しだろう。思わず「何で」と聞き返すと「何となくだよ」と照れ臭そうな反応だ。「ま、やめないから安心しなよ」といってその後の質問をさえぎるようにチュウニングを始めた。

そういえば最近、具体的にいうとヴィヴァルディのイ短調のコンチェルトへの取り組みが始まってから、私が不在の夜にも一人で練習をするようになった。チュウニングが自信ないといいつつ30分は一人で弾くらしい。「ちょっと暗譜がやばいからね」と照れ隠しの乱暴語だ。妹の練習もみてやっている。

生まれてから12年長女と付き合っている。ヴァイオリンを習い始めてからでも5年だ。ここ2ケ月の長女の変化がどれだけ大変なことか私にはよ~くわかる。何だかやけに嬉しい。

これがどれほどの一大事かご理解いただけるだろうか?

2005年9月 9日 (金)

中国出張の予定

中国出張の予定がほぼ固まった。

10月10日に成田を立ち、上海に降りる。そこから約2500km長江を遡った成都まで鉄道だけを乗り継いで9泊10日でたどり着き、10月19日成都から成田に戻る。その間、上海、九江、武漢、襄燓、重慶、成都に宿泊する他、車中泊が3度ある。

目的は中国の物流事情の視察だ。

高等学校以来の漢文好きの私には堪えられない。また、三国志ファンとしても涙モンである。三国志風に言えば呉から蜀への旅なのだ。

その間、公開日時指定の機能を使って、事前にまとめて書いておいた記事を順に公開するという予定である。しかしながら、上海と成都以外ではインターネットにアクセス出来ないと予想されるので、リアルタイムの更新は諦めざるを得まい。iPodも持っていないので、10日間ブラームスをただ思うだけになりそうだ。「ブラームスの辞書」の受注メールも残念ながら見ることが出来ない。

なかなか出来る経験ではなさそうなので、開き直って楽しんで来ることにする。

2005年9月 8日 (木)

のだめの中のブラームス⑤

「R☆Sオケ」のデビュウ演奏会は「のだめ」のクライマックスである。「lesson番号」でいうと41と42がこれに相当する。

「のだめ」の単行本は各巻とも6話収録を基本事項としているから普通に収録していると42話は第七巻の末尾に来ることとなる。ところが実際には第四巻と第五巻に「番外編」と「特別編」が収録されており、四、五の両巻は実質5話になっている。第五巻と第六巻の冒頭を飾る24話と29話は、とりたててエポックとなる内容ではない。

以上の事実から以下の通り一つの仮説を立ててみた。「第四巻と第五巻に、番外編と特別編が収録されているのは、クライマックスの41話「R☆Sオケ」デビュウを第八巻冒頭に据えるための細工である」第七巻末尾の40話はデビュウ演奏会前夜の部分となっていて、第八巻への期待が嫌でも盛り上がるという仕掛けである。この期待感が第八巻の売り上げに貢献したことは確実と思われる。

さらにこの操作は、思わぬ副産物をもたらす。第九巻の冒頭がマラドーナコンクールの本選の場面を収録した47話になるからだ。さらに第十巻の冒頭の53話が卒業&留学の節目を形成することとなり、第十巻以降を「パリ編」と位置づけることが可能になる。

番外編・特別編が収録されずに、各話が2つづつ前に繰り上がると、各巻へのストーリーの割付の収まりが悪化することは確実と思われる。異例のタイトルを持つ第十巻冒頭の「preludo to lesson53」が第九巻の中ほどに来ることになってしまい、第九巻が53話か54話で切れると言う間の悪さを露呈していたかもしれないいのだ。「パリ編」が第九巻の途中から始まるという歯切れの悪さを想像してみるといい。

第四巻、第五巻に番外編・特別編を挿入し、実質5話収録とすることで、各巻へのストーリー割を整えるマーケティング上の判断が、どこかでされたことは確実と思う。

ブラームス第一交響曲をなぞる「lesson42」はそれほどに重要なポイントなのである

2005年9月 7日 (水)

ブラームスのエロイカ

ブラームスのヘ長調交響曲のこと。ブラームスと同時代の偉い評論家がそう言ったらしい。

「バカ言うんじゃねえよ。」って感じである。相当偉い評論家が言ったらしいので、後世の人たちはずいぶん遠慮している。どう説明されても納得出来ません。ベートーヴェンの第三交響曲とブラームスの第三交響曲をなぞらえてるとしか解釈のしようがないが、無謀である。単に「第三」の語呂あわせと思われる。きっとそいつはブラームスが6番まで書いていたら「ブラームスの田園」と呼んでいたに違いない。

ついてに言わせてもらえば、シェーンベルグによるト短調四重奏曲の編曲を「ブラームスの第五」と呼ぶ習慣の立腹度もかなりのものだ。一番を「ベートーヴェンの第十交響曲」と呼ぶ習慣も同様だ。「交響曲に合唱なんぞ入れない節度」を強調する場合のみ使用可としたいくらいである。

「ブラームスの交響曲」というだけで条件反射的に「ベートーヴェン」というものさしを持ち出すのは止めにして欲しいものだ。ベートーヴェンにもブラームスにも失礼だ。

ベートーヴェンとの違いだって、無視しえぬ実例がある。類似点と相違点を平等にフェアに比較参照するスタンスを心がけたいものである。「ブラームスの辞書」はそれを目指している。

2005年9月 6日 (火)

ブログ立ち上げ100日

2005年5月30日にブログ「ブラームスの辞書」を立ち上げて今日で100日だ。

この間、記事の更新を一日も欠かすことなく続けて来れた。記事の総数は147件。総アクセスは約1500件だ。もちろんこれは単なる通過点だ。

はじめての自費出版本「ブラームスの辞書」の宣伝が目的のブログであるから、最も重視されるべきは本の売り上げなのだが、今のところ5冊売れた。10年で全部売り切るために毎月2冊の販売目標を設定したが、予定通りの進捗である。まあ、こちらはあくまでも道楽と割り切って気楽に考えている。私が「ブラームス大好き人間」であることが伝わりさえすればよいと思っている。

身内を含め(多分かなりの率)一定の数の読者がいることは、アクセス分析で「ブックマーク」が上位に来ることからも明らかである。MSNのサーチでは「ブラームス」で検索するとなんと5番目に表示されるという望外の状況となっている。

今後の展望としては、用語の解説はまだしばらく書き続けるだけのネタがあるので安泰。のだめネタは発売間近の13巻次第。献本関係は出版前にここはと思っていたところにはほぼ配り終えている。当面の課題は10月中旬に予定されている中国出張の間、ブログの更新が出来ないことである。

そういえば今日は末娘の10回目の誕生日である。

2005年9月 5日 (月)

のだめの中のブラームス④

ブラ1のスコア持ってる人はご用意願いたい。

カイ・ドゥーン。ベルリン弦楽四重奏団のコンマスにして三木清良の師匠という設定。ベルリンフィルの元コンマス。肩書きが華麗である。第八巻の冒頭を飾る「R☆Sオケ」のデビュウ演奏会に聴衆として立ち会っている。シューマンのマンフレッド序曲、モーツアルトのオーボエ協奏曲ですっかり聴衆を魅了した後の休憩時間に、ベルリン四重奏団の面々が品定めを展開する。前半の出来を賞賛する同僚を「まだまだブラームスを聞いてからだ」と苦み走った顔で制して見せるカイ・ドゥーンが渋い。話の脈絡からブラームスが試金石と位置づけられていると考えてよい。

この後36ページから始まる演奏の描写は「のだめ」の白眉といってよかろう。36、37ページ見開き上段の構図はティンパニのアップ。のだめの作者様はブラームス第一交響曲冒頭のティンパニによるC音連打を急所と考えているようだ。木管楽器と弦楽器の対比を「情熱」と「絶望」と置き換え、読者にページをめくらせる。38ページにはそのものズバリ木管と弦楽器の対立が描かれる。(一縷の望みは弦楽器でありながら木管の音形をなぞるヴィオラだ)一転39ページには「ブラームスの心の傷」とありオーボエのドアップだ。そうだ。ここは29小節目からのオーボエのソロだ。その証拠に39ページの左半分は上からフルート、チェロである。つまりオーボエソロを受け継ぐ楽器たちであることがそれを裏付けている。41ページ中央のティンパニの一閃は38小節目「allegro」冒頭に間違いあるまい。第一楽章が束の間のCdurで終わっても、この楽章の本質は絶望であると「のだめ」の作者様は考えているようだ。

43ページ目の左端から第二楽章が始まる。のっけからホルンとコンサートマスターの構図である。これは解説が無くても90小節目から始まるコンサートマスターの独奏であるとわかる。44ページ目の上半分は早くも第二楽章の終結部。千秋と清良を交互に配する構図は125小節目の独奏ヴァイオリンの描写に違いない。緩徐楽章終結部における上行する三連符はブラームスの癖、いわゆる「ブラームス節」と言っていい。緊迫感溢れるEdurの分散和音とラスト三小節間のGis音のロングトーンの描写だ。千秋の横顔は明らかに左側にいるコンマス清良の弓を見ている。小節ごとに音が切れるオケに対してコンマスである清良だけはロングトーンだから、最終小節のフェルマータはコンマスの弓との相談になるのだ。左端コマの清良の表情は明らかに「満足」を表現している。次のコマのカイ・ドゥーンのアップは、ここの出来のよさを象徴していると捉えたい。音楽の微細な息遣いさえ聞こえそうな絶妙のコマ割と思う。「のだめ」の大ブレークの一因をこのあたりに求めたい。

フィナーレは45ページから始まる。46ページ冒頭のホルンは第四楽章30小節目「piu andante」を象徴していよう。続くコマのトロンボーンはいわずと知れた47小節目からのコラール。「歓喜の歌を」に重なる清良の構図は61小節目「allegro non troppo,ma con brio」に間違いない。G線開放弦の音が聞こえてきそうだ。49ページは終止和音の後真っ先に席を蹴って立ち上がるカイ・ドゥーンである。

36ページから49ページまで13ページかけて、ブラームス第一交響曲をなぞって見せた。一コマたりとも無駄なコマは無かった。ブラームスを試金石としたカイ・ドゥーンに千秋が勝ったと考えてよい。これがやがて106ページの「よろしこ」に繋がっていると考えたい。106ページからの一連の練習がブラームス第一交響曲であること間違いはない。しからば何楽章か?109ページの構図からそれがヴァイオリンによって奏される第一主題であることが判る。第三楽章がこれで候補から外れる。110ページ下半分のやりとりから、そこが「フレーズのつながり」と「音量」のせめぎあう場所だとわかる。おそらく第二楽章53小節目だと思われる。「ブラームスなめてんじゃないすよ」とやられた因縁の場所だ。弓は返すがフレーズを切るなの意味と捉えたい。111ページで第二ヴァイオリンとヴィオラにネジを巻いている場面があるが、これを57小節目と考えると辻褄が合う。112ページの「あの千秋や清良を子ども扱い」というフレーズは象徴的だ。「ブラームスなめてんじゃないっすよ」と叱られた勉強不足をカイ・ドゥーンが完全に解決したと考えてよい。

シュトレーゼマンの課した宿題を、実はライバルのカイ・ドゥーンが解決したという大きな構想が横たわっていると思われる。

いい歳をしてお叱りを覚悟の深読みに走ってみました。

2005年9月 4日 (日)

「p」は弱くない

「piano」の略号。一般に「弱く」と解される。小学校の音楽の時間以来「p=弱く」と教えられてきた。テストではこれで○がもらえる。

5年ほど前、娘の通う幼稚園の園児たちと合唱をする機会があった。彼らは日ごろ小さな声で歌うと「元気が無いですねえ」と言われている。そういわれればほとんどどなり声で歌ってしまうものだ。こまったことに「ドナリ声=元気」という図式が刷り込まれている。「f」のプラカードと「p」のプラカードを用意して、「f」のプラカードがあがったら「強く」、「p」のプラカードなら「弱く」と教えてドレミの歌を一回通して歌ってみた。「f」の時は「元気に」歌えた。「quasiドナリ」であるがまだよい。一方の「p」となるとまるで声が聞こえないのだ。「弱くする加減」が全くつかめないようだ。そこで一計を案じた「p」を「弱く」ではないと訂正し「2つ隣の人の声が聞こえるように」と説明した。効果は劇的である。園児たちが2つ隣の席のお友達の声を聞こうとしている。

調子に乗ってもうひとつだ。「f」は「お隣のお友達の声が聞こえるように」と説明して歌わせた3回目は、今もって忘れられぬ「ドレミの歌」になった。ドナル子なんか一人もいない。音楽が生まれた瞬間だったと思う。

ブラームスの楽譜上にあっておそらく最も多用されている用語である。単独使用例は約6000箇所を数えるほか、何らかの単語との複合使用例は約1800箇所存在する。これらの「p」が単に「弱く」の意味で乱発されているとは到底考えられない。堂々の主役を張る「p」もあれば「mf」に主役の座を譲るための「p」もあり、画一的な解釈は危険でさえある。一方、ブラームスが楽曲の立ち上がりで最も多用しているダイナミクスもまた、「p」であり、これは200箇所。「p」を含む語句にまで範囲を広げればさらに180箇所がこれに加わる。

「p」はブラームスの音楽にとって「帰るべき港」でありかつ「発つべき港」であると思われる。サッカーでいう「ホーム」であるとも言い換えられよう。「ブラームスの辞書」の執筆を終えた今、8000箇所になんなんとする「p」がいとおしく思えてならない。

2005年9月 3日 (土)

のだめの中のブラームス③

第11巻の65ページ目。パリ留学を果たしたのだめがコンセルヴァトワールでアナリーゼの授業を受けるシーンがある。

教官が「アナリーゼ」の授業内容を自ら説明している。「まずは曲を聴いて、曲の特徴から時代や作曲家を推定し、次に楽譜を見て和声などの分析をしてみましょう」と言っている。そしてその後に流れる曲がブラームスの第三交響曲第三楽章になっている。こんな有名な曲を使用しておいて「曲の特徴から時代や作曲家を推定するもへったくれもないものだ」などといったらのだめファンから袋叩きにあうのだろうか?さすがに学生たちは作曲者ブラームスと作曲年を断定し第三交響曲についての薀蓄をぶっている。引き続いて和声や主題法に話題が進んでいる。のだめは例によってチンプンカンプンでショックを受けるという構成だ。授業がフランス語でなかったとしても、のだめちゃんはさっぱりわからなかったんだと思います。

会話されている内容は、日本で売られているブラームスの読み物には普通に書いてあることばかりなので、コメントは差し控えるとして、私が驚いたのはこういう授業が実際の音楽大学のカリキュラムに存在するということだ。空前のクラシック漫画としてブレークしている「のだめ」の売りは緻密な構成にあることは否定できないから、こうした授業が実際に行われ、一定の基準を満たした学生に単位が付与されていることは間違いないのだろう。漫画ではフランスという設定だが、日本の音楽大学でもこうした授業があるのだろうか?もしあるとするならば、「ブラームスの辞書」は副読本にピッタリである。「ブラームスの辞書」はほとんどこうした薀蓄のためにのみ存在していると言っていい。こうした薀蓄をグループ討議するだけで成立する授業なら今すぐ私でも受講できそうである。ブラームス学などという講座があれば間違いなく一級の参考書となるだろう。ブラームスとそれ以外の作曲家の知識のバランスが悪過ぎるのが難点ではあるが、どこぞ私を講師として雇ってはくれまいか?

問題はアナリーゼと称するこれらの学問(とりあえずこう呼んでおく)が実際の演奏にどう反映させるかだ。アナリーゼそのものを単位取得の要件とはせずに、アナリーゼの結果得られる情報を、的確に演奏に反映させるノウハウを単位取得の要件にしてもらいたいものである。

それにしても、第三交響曲を聴いて薀蓄を披露する学生たちの表情からは、ブラームスへの愛情が感じられない。おそらくこの後に聴かされるブラームス以外の作曲家についても同様の薀蓄をサラサラと語るのだろう。特定の作曲家への傾倒はプロの演奏家には邪魔なのだろうか?

2005年9月 2日 (金)

献本行脚④

昼のひと時を、はずせない献本にあてた。

楽器を手にして4ケ月のド初心者が、ブラームスの第二交響曲のパート譜をあてがわれて、半年後には演奏会に出てしまうことなど、学生オケの弦楽パートではあり得る話である。「初心者を育てて何ぼ」という面が少なくないし、立派に育つ奴も少なくない。

さすがにやばいと思ってか、ヴィオラの先輩がレッスンに通うように進めてくれた。先生を紹介するから、よく練習するようにと言われて恐る恐る訪れた。よい先生にめぐり合った。東京大学の出身で、やがてプロのヴィオラ弾き、ヴァイオリン弾きに転職した経歴の持ち主で、アマチュアオケの指導にも経験が深いとのことだった。大学一年の秋だったと思う。それ以来、ほぼ毎月2回のペースで大学4年の3月までお宅に通うことになった。

先生の指導は独特だった。幼少のころからプロ目指してという類の生徒ではない私に対しけっして多くを求めることはなかった。学生オケで取り組み中の曲は、どんなに難しい曲でもそれはそれで出来るところまでふんばりなさいと言う一方で、レッスンでは基礎的なボウイングを中心にいわゆる「ヴィオラらしい音」の出し方を教えてもらった。ポジションチェンジ、ヴィブラート、スケール、アルペジオetc。そしてそして何よりもブラームスの数々の曲について語ってくれた。かなりのブラームス好きなのだ。

今日23年ぶりにお目にかかった。私を覚えてくれた。しかもフルネームで。突然の訪問にも嫌な顔ひとつせずに室内に迎え入れてくれた。「ブラームスの辞書」をさしあげに来た主旨を告げると、あのころと全く変わらぬ笑顔で喜んでくださった。お好きな曲をひとつと申し上げると、しばし迷った挙句に「悲劇的序曲」を所望された。opus81のシールをその場で貼り付けて差し上げた。

再会を約してその場を辞した。約20分の嬉しい再会であった。「ブラームスの辞書」の持つもう一つの力。それは音信が途絶えていた旧来の知人と再会出来ることだ。既に一つや二つではない旧交が復活している。

2005年9月 1日 (木)

piuの掟

「piu~」は「もっと~」と解される。

あたりまえのことだが、楽曲の冒頭には現れない。「もっと~」という以上、そこまでのニュアンスを受けて「さらにそれよりもっと~」という意味合いである。楽曲の冒頭には現れる道理が無い。

用例は大きく2つに分けられる。「piu~」の「~」に相当する部分の言葉が、楽曲中それ以前に出現しているケースと出現しない。たとえば前者。楽曲のある部分に「dolce」が現れてから、後から同じ楽曲中に「piu dolce」が現れるケースである。「今までもdolceだったけど、今後はもっとdolceでね」という意味合いになる。これは大変判り易い。

「~」にあたる言葉が「piu~」に先行しないケースも少なからず存在する。たとえば第一交響曲第四楽章。序奏の混沌を振り払うように鳴り響くホルンは「piu andante」と記されているが、この楽章中ここ以前に「andante」は存在しない。「andante」は遅い概念なので、「andante」という楽曲中に「piu andante」が現れれば、それはテンポダウンを意味することは疑い得ない。しかし第一交響曲第四楽章の冒頭は「adagio」である。「stringendo」等の紆余曲折はあるが、「a tempo」によってリセットした後に現れる「piu andante」はいったいテンポアップなのかそれともダウンなのか?語感に素直に従えばテンポアップと思われるが、議論の余地はあると思う。

「crescendoの一里塚」でも書いたが、「piu f」と「piu p」では微妙に位置づけ違っている。「piu」を短絡的に「煽り系」と捉えることは危険であると思われる。むしろブラームスに特異な「微調整語」と位置づけるべきと考える。

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