piuの掟
「piu~」は「もっと~」と解される。
あたりまえのことだが、楽曲の冒頭には現れない。「もっと~」という以上、そこまでのニュアンスを受けて「さらにそれよりもっと~」という意味合いである。楽曲の冒頭には現れる道理が無い。
用例は大きく2つに分けられる。「piu~」の「~」に相当する部分の言葉が、楽曲中それ以前に出現しているケースと出現しない。たとえば前者。楽曲のある部分に「dolce」が現れてから、後から同じ楽曲中に「piu dolce」が現れるケースである。「今までもdolceだったけど、今後はもっとdolceでね」という意味合いになる。これは大変判り易い。
「~」にあたる言葉が「piu~」に先行しないケースも少なからず存在する。たとえば第一交響曲第四楽章。序奏の混沌を振り払うように鳴り響くホルンは「piu andante」と記されているが、この楽章中ここ以前に「andante」は存在しない。「andante」は遅い概念なので、「andante」という楽曲中に「piu andante」が現れれば、それはテンポダウンを意味することは疑い得ない。しかし第一交響曲第四楽章の冒頭は「adagio」である。「stringendo」等の紆余曲折はあるが、「a tempo」によってリセットした後に現れる「piu andante」はいったいテンポアップなのかそれともダウンなのか?語感に素直に従えばテンポアップと思われるが、議論の余地はあると思う。
「crescendoの一里塚」でも書いたが、「piu f」と「piu p」では微妙に位置づけ違っている。「piu」を短絡的に「煽り系」と捉えることは危険であると思われる。むしろブラームスに特異な「微調整語」と位置づけるべきと考える。
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