よい子のための楽しいヴィオラ曲集
大学3年の春のことだ。毎年の事ながらヴィオラのパートに後輩を迎えた。2年の春に後輩を迎えたときは、自分自身まだ楽器歴1年の初心者だったせいで、後輩の初心者指導どころではなかった。が、3年の春は、少し様子が違った。待望のブラームス第一交響曲が夏の演奏会のメインプログラムだったり、ブラームス贔屓がいやがうえにも高まった時期だ。
かわいい後輩たちがヴィオラに少しでも親しめるように、ブラームスの作品の中から名所(かならずしも名旋律ではない)をノートに写し始めた。名づけて「よい子のための楽しいヴィオラ曲集」だ。結論から言うならこの曲集が後輩たちの練習の題材に使われることはなかったが、それは今でも手元に残っている。「ブラームス名所91選」とでも呼ぶべき曲集である。もちろん私自身は何度も弾いている。
鉛筆で丁寧に写譜されている。こすられて汚くならないように画材屋さんで売っている、「泣き止めスプレー」をかけたので今でも鮮やかだ。やがて後輩たちの練習材料を作るという主旨から大きく外れ、単にブラームスの気に入った場所を書きとめておく備忘録代わりになっていった。思えば「ブラームスの辞書」執筆の最終段階で経験した173箇所の譜例作成が、全く苦にならなかったのは、このあたりの経験が物をいっているのだろう。まさに写譜そのものだ。聴くたびに感動する旋律を丹念に書き写してゆく作業は心が洗われる。きっと「写経」もこういう心境なのだろう。感動が頂点を迎えるその瞬間に付された一個の臨時記号を書きながら恍惚としたものだ。ブラームスの用語遣いの微妙さに徐々に魅せられていったのもこのころを起源と考えてよい。
もう25年以上前のものだが、その91箇所はいまだに色褪せていない。
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