のだめの中のブラームス⑧
今日9月22日は、千秋真一と「R☆Sオケ」のCDデビュウの日である。早速一枚買い求めた。ブラームス交響曲第一番だ。コンサートマスターは「三木清良」とある。「のだめ」に登場の佐久間氏の文章も添えられている。徹底したノリが気持ちがいい。ライナーノートの内容や、演奏の出来については、今後ネット上でおびただしい数の批評が飛び交うだろうから、この際控えることにする。既に予約ベースだけで相当数の売り上げとなったと聞くが、大変興味深い現象である。
コミック「のだめカンタービレ」のブレークに触発されたリリースであること疑いは無い。「千秋真一」「R☆Sオケ」の名はコミックの力によって既に相当なブランド力を獲得していると考えてよい。「千秋真一」「R☆Sオケ」が架空の存在であり、実在しないことは、作り手、売り手、買い手の三者にとって等しく自明のことになっている点、すがすがしい。しかしながら実際にCDが存在するということは、誰かが演奏をしているということに他ならない。実演したオーケストラはもちろん、指揮者名は伏せられている。そしてこのCDは間違いなく無視しえぬ売り上げを記録することになる。このことが意味することはとても大きい。先行するコミックによって作り上げられた「千秋真一&R☆Sオケ」というブランド名が、名前も明かされぬオケの演奏が収められたディスクのジャケットに印刷されたことで、市場から小さからぬ支持を集めてしまったということに他ならないからである。
「カラヤン&ベルリンフィル」「クライバー&ウイーンフィル」等燦然と輝くブランド名をジャケットに冠したCDが巷には溢れている。そしてそれに立脚した無数とも思われる演奏家論もしかりだ。これらのディスクに「R☆Sオケ」のような覆面オケの演奏が一枚も無いと信じてよいのだろうか?全てが巨匠その人のタクトによるものと信じてよいのだろうか?どこの馬の骨とも判らぬ演奏に、ブランド名だけおっかぶせてなどと言うことは無いと断言してよいのだろうか?膨大な数の出版や著述が、それぞれ持論を展開する様相ながら、「ジャケットに記された演奏者の演奏がCDに収められていることを疑っていない」という一点においては、全てが同じ立場である。そして消費者は、残念ながらその違いを聞き分ける能力を持っていない。聞き分け不可能の微細な違いを、さも巨大で決定的であるかのように刷り込まれているだけなのだ。それは既に信仰の自由に属する領域「いわしの頭」だ。
なにより「R☆Sオケ」の市場での快走は、これらの現象のパロディーとして秀逸である。
それにしても「R☆Sオケ」の正体と実指揮者名の秘密はどこまで守り通せるのかということに興味がある。ジャケットには録音の期日まで記されている。オケのメンバーまで入れた100名近い関係者の口に戸が立てられるのだろうか?
お叱りを覚悟の私見がある。この演奏がジャケットに記された日に録音された演奏である必要などないのだ。たとえば20数年前のどこかの誰かの録音を落としたディスクであっても何等差し支えは無いのだ。このほうが秘密の維持は格段に容易になる。録音期日がジャケットに印刷されていることなど、パロディの一部と割り切っていい。元々指揮者もオケもライナーノートのライターも架空なのだ。後ほど、「何ちゃって」の種明かしがあるのも乙だと思う。録音場所が「桃ケ丘音楽大学ホール」になっていたり、裏軒の広告が入っていたらもっと素敵だったのに・・・・。
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