インテルメッツォとカプリチオ
ブラームスに特有なピアノ小品のタイトルは、以下のようになっている。
①インテルメッツォ 19曲
②カプリチオ 7曲
③バラード 5曲
④ラプソディー 3曲
⑤ロマンス 1曲
これには第三ソナタ第四楽章、ピアノ四重奏曲第一番第二楽章の両楽章がインテルメッツォになっているのを含んでいない。また作品10-3のバラードはインテルメッツォにもカウントされている。念のため言うと、弦楽四重奏曲第一番の第二楽章のロマンツェもノーカウントです。
これらのタイトリングを施したブラームスの脳内基準はなんだろう。大抵の解説書では、キビキビ速めが「カプリチオ」で、ゆったりの瞑想系が「インテルメッツォ」という見解が提示されている。しかしop118-1やop10-3がインテルメッツォというのはこの基準では具合が悪かろう。もしかするとop119-3もインテルメッツォとしてはキビキビし過ぎかもしれない。
この区別、難解という他はない。ブラームスの気紛れという可能性さえあって、凡人を寄せ付けない壁を感じる。
ここに一つの提案をする。インテルメッツォには音楽用語「marcato」が一切用いられていない。「marcatoが一箇所でも用いられた楽曲にインテルメッツォのタイトルを与えない」という命題を提起したい。上記の感覚的な定義「キビキビ=カプリチオ」「ゆったり=インテルメッツォ」という基準では違和感があったop10-3、op118-1、op119-3の三曲もこの基準を満たしている。ブラームスの脳味噌にこの基準が無かったとしたら凄いことだ。基準なしの偶然にしては出来過ぎだからだ。「marcato」は作品1から120までの間、時代とジャンルを問わずほぼ満遍なく分布し、約500箇所登場するというのに、「インテルメッツォ」と名づけられた作品に現れないのは何やらいわくありげである。もちろんピアノ独奏曲以外で「インテルメッツォ」のタイトルを捧げられたピアノソナタ第三番第四楽章とピアノ四重奏曲第一番第二楽章に範囲を広げても。この命題は輝きを失わない。
同様の傾向がカプリチオと「dolce」の間にも存在する。「インテルメッツォ&marcato」のケース程徹底されてはいないが、「カプリチオ」も「dolce」とはほぼ共存しない。しかしながらこれには例外が存在する。op76の中の4曲のカプリチオの中に8箇所「dolce」が現れる。op76はいろいろな諸現象において例外となることが多い、神秘の作品なのでこの際棚上げかもしれない。
本日のネタはブログとしては多分書き過ぎ、つまり大盤振る舞いだ。
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