ホルンへの嫉妬
ヴィオラ歴、ブラームスのめりこみ歴ともに四半世紀を超えた。「ブラームスの辞書」のような本も出してしまった。生涯の楽器にヴィオラを選び、生涯の作曲家にブラームスを選んだ奇跡のありがたみを深く感じる秋になりそうである。
オーケストラや室内楽でのささやかな演奏経験に照らして、他の楽器を羨ましく思ったことは一度も無い。ヴィオラ極上主義である。他の楽器が演奏するおいしい旋律を素直に素晴らしいと賞賛する機会は数多い。それとてヴィオラの魅力がかすむことは一瞬たりとも無かった。
しかしである。ホルンだけは只者ではない。ブラームスがヴィオラを愛していたことは確実だが、ホルンへの愛もまた相当なレベルだと解釈しないと説明の出来ない使われ方が随所に現れている。「ブラームスの辞書」に掲載するための譜例を選ぶ作業をしていて、あとから来ておいしい場所を独り占めするホルンの出番に何度ため息をついたことか。出番は管弦楽曲8曲とホルントリオ、他一部の合唱曲に限られる上、周囲よりも一段控えたダイナミクスを求められる理不尽を割り引いてもカッコいい出番が多い。これでもヴィオラ弾きの端くれなので、旋律にありつく頻度はあまり重視していない。表現は難しいのだが、「遠くからやってきて、やがて全オーケストラを包み込んでしまうような」「ブラームスの優しさそのもののような」「ブラームスという人格の投影のような」「どんなに出番が空こうと、要所をしめるような」後から後から言葉だけは浮かぶが、どれも決定版にはならない。
第二交響曲の第一楽章を結尾に導くソロ。第一交響曲終楽章の「piu andante」。ピアノ協奏曲第二番冒頭。第四交響曲第二楽章の冒頭。協奏曲にあっては主役の独奏楽器を脇に追いやるケースも珍しくない。「全オーケストラに冠たる地位」にしばしば位置づけられている。ホルンを愛するブラームスのこうした姿勢がまた、悩ましくも美しいとなるのである。
「ブラームスの辞書」の記述の中でもちろんヴィオラは別格の位置づけを与えられているのだが、ヴィオラを別にすればおそらくホルンが最も贔屓されているような気がする。
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