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2005年10月10日 (月)

ウィーンの思い出

今日から10日間中国出張のため日本を離れる。事前に書き溜めておいた記事を「公開日時指定機能」を用いて10月19日まで毎日朝6時に一件ずつ公開してゆくこととする。

今日10月10日午前の便で上海に向かう。今夜は上海に宿泊の予定だ。

今は亡き妻とのハネムーン以来の海外である。今日はその時のウィーンの思い出を綴ることにする。

1990年11月26日から8泊10日の間、ただひたすらウィーンに居座るという旅行だ。ブラームスゆかりの地を訪れまくるというコンセプトだった。ムジークフェライン、国立歌劇場、カールスガッセ4番地、ポストガッセ、カール広場、ハイリゲンシュタット、グリンツィンク、ハイドンハウスetcだ。

特に中央墓地には滞在中3度出かけた。備えられている花が他の作曲家に比べて貧弱だったのでせっせと献花した。中央墓地での扱いに限った話ではないのだが、どうも生粋のウィーンっ子であるシューベルトやJシュトラウスに比べて扱いが粗末な気がした。

ブラームスゆかりの楽友協会ホール(ムジークフェラインザール)を見学した。そこには他の作曲家に混じって立派なブラームスの胸像が置いてあった。その像の前で指を組んで拝んでいたら、一人のおじいさんがこちらを見ている。服装から察するにムジークフェラインザールの職員か関係者だと思われる。身振り手振りに加えとっさに「ich liebe Brahms」と言うと一言「Gut!」とおっしゃってくれた。どうも英語がだめっぽい彼の「Gut」には重みがあった。我々若造の心などお見通しといわんばかりの威厳と優しさに溢れていた。ブラームスは彼の祖父と同世代かもしれないのだ。実はこの旅行中に、ブラームスの曲を生で聞くことは出来なかった。だからこの一瞬の会話が最大のブラームス体験であった。

そして11月30日はショルティ&シカゴ響のウィーン公演があった。彼らは、私たちと同じインターコンチネンタルホテルに滞在していたのだ。ロビーのホワイトボードにオケの予定が団員向けに大きく書いてある。29日の夕刻これを発見した私は、フロントに駆け込んだ。30日の公演のプログラムは何とマーラーの交響曲第五番ではないか。ポスターには「sold out」と書き込まれてる。「チケットを何とか入手したい」とブロークンイングリッシュでホテルのフロントに交渉してみたのだ。夢のようだが入手できたのだ。30%の手数料がかかるという。ノープロブレムだ。でいくらだ?バルコンと呼ばれる上席なのだが手数料コミで一枚6000円程度。「ショルティ・シカゴのマーラーをむじーくふぇらいんのバルコンで6000円」だと。これを激安といわずに何と言おうか?「6万じゃないのか」ってなもんである。

当日、早めにホールについた。楽屋に直行する。あっけなくすんなりはいれた。みな思い思いにさらっている。violaを弾いている渋い紳士がいた。近づいてみるとニコリだ。

日本から来たこと。マーラーが好きなこと。ハネムーンのこと。学生オケでヴィオラを弾いていたこと。を突撃イングリッシュで伝えた。会話になる。ロバート・スワンさんという名前だった。突然楽器を私に差し出して弾いてみろというしぐさ。旅の恥は掻き捨てとばかりに弾いてしまったんです。それもブラームス弦楽六重奏曲第一番の第二楽章の冒頭を。スワンさん大きくうなずいて「Do you like Brahms?」と一言。「Yes」(ったりめえよ)と答えると「me too」という反応。音楽はやっぱりドイツがいい。と持ちかけると、これにも「I think so」だという。続けて「食べ物は日本だ」と付け加えてくれた。馬肉が忘れられないという。不意にチケットを見せろと言われチケットを見せると「良い席だ」と褒めてくれた。

凄い演奏だった。鳥肌。このときの演奏がCDになっている。最後の拍手には我々の分も入っているはずだが、何度聴いてもあのときの現場での感動には及ばない。「フィガロの結婚」序曲、「牧神の午後への前奏曲」とアンコールが続いた。聴衆は誰一人席を立たない。最後ショルティがコンサートマスターの袖を引っ張って退場するまで続いた。この演奏に感激したことが、後日長女に「あるま」と命名するキッカケの一つとなった。

翌朝、朝食のためにレストランに行くとあれあれ。スワンさんがコーヒーを飲んでいた。図々しく相席をお願いすると、あっさりOKである。昨晩のコンサートの話で朝のコーヒーをすするなんざあ夢みたいだ。しかもシカゴ交響楽団のヴィオラ奏者相手にだぜ。心をこめて「凄く感動した旨」伝えた。英語でだよ。よろこんでくれた。プログラムにサインしてもらい記念撮影にも応じてもらった。「マエストロ」はまだ寝ているという。聞けばこのあと午前中に飛行機に乗るそうだ。

シカゴ交響楽団ご一行様のバスがホテルの前に止まっている。12月1日の朝だ。スワンさんを見送るためにこの日の午前の予定をキャンセルした。

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