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2005年10月 9日 (日)

宴の後、祭りの前

スペシャルなイヴニングだった。何がって昨日の話だ。興奮のあまり昨日の記事は「ブラームスの辞書」を手渡したことに話の重心が偏ってしまった。

肝心な演奏の話、少し触れたい。

鮫島先生の演奏については、語りつくされていると思うし、誰かが語るだろうから本ブログでは敢えて触れない。ドイチュ先生の昨晩のピアノ、そりゃあもう凄かった。ニュアンスに溢れていた。「sotto voce」と「mezza voce」の弾き分けくらい朝飯前という雰囲気がプンプン漂っていた。それでも「f」は10種類くらいじゃないかな。一方の「p」はその10倍くらいのニュアンスを自在に操っていた感じ。鮫島先生の歌聴いていると、「声って自由だな。比べてピアノって不自由な楽器なんだな」と思えるくらいなんだけど、ドイチュ先生はそのピアノを使って、声と対等だというところを聞かせる。声と比べたピアノの不自由さや不完全さを消してしまうということではない。不自由さ不完全さを聴衆に感じさせながら、なお声と対等だと唸らせるというのが芸の核心にあるように思えた。ああ、これって先生の著書のタイトル「伴奏の芸術」そのままではないか!

例えばピアノの余韻を消すタイミングと歌い手がさしはさむ子音のタイミングが毎回絶妙。でも練習の賜物というにはあまりに華麗だ。出るところ引く所のメリハリが凄いなどという言葉はむなしい。「繊細なタッチ」などという言葉がいかに不完全か!阿吽のアンサンブルなどということばは失礼にさえあたると思う。テクニックという言葉は全く正確ではない。芸風ですね。日本にいて世界の技を味わえた。トヨタカップみたいだ。オフサイドで幻となったプラティニの伝説のゴールを思い出した。

「ブラームスの辞書」を受け取ってくれたときの笑顔。鮫島先生の後ろでパラパラとページをめくっていたときの学者の顔、ステージの上で見せる茶目っ気とユーモア。それらと同じ人格の上に存在する、あの繊細なニュアンス。なんだか凄い。今度はお二人のブラームスが是非とも聞きたい。

「伴奏」という日本語がいかに不適切か、実感として納得させられた。・・・・・二人は対等。

気が付けば、明日は、中国出張に旅立つ日だ。ブログ上では毎日一件ずつ記事が更新されるが、私自身は日本を離れる。生まれて初めての中国だ。好奇心の塊になって何でも吸収してこようと思う。幸い昨夜のスペシャルな体験で、心が初期化された。脳味噌のコンディションは完璧である。

行ってきます。

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