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2005年10月25日 (火)

移動音楽教室

昔話になる。各地の小中学校を訪問するイベントを千葉大学管弦楽団では「移動音楽教室」と呼んでいた。「移音」と略されていたように思う。地元の千葉の学校にお邪魔することが多いのだが、夏休みには3泊程度の宿泊で演奏旅行をすることがあった。

1979年夏は忘れられない移音だった。7月16日から19日の3泊4日で山梨県の甲府と富士吉田を訪問した。大学は夏休みで小中学校はまだ1学期というタイミングを狙っての遠征だ。大学2年になると、オケのいろいろな係りを担当することになる。私は「外務」という役になった。「渉外担当」である。「渉外担当」というとカッコいいのだが、実態は移音屋である。移動音楽教室をPRし受注して手配する係りだ。交通機関の手配、訪問先との交渉、スケジューリング、宿泊の手配、大型楽器の輸送など全部こなさねばならない。演奏料金は生徒一人当たり150円を交通費という名目で徴収する。プロではないのだから当然だ。団員は一人4000円を食事費という目目で負担する。三泊四日の山梨旅行が4000円なら、当時としても格安であった。訪問したのは、甲府市立田富小学校、御坂小学校、須玉町立須玉中学、富士吉田市立下吉田第一小学校、下吉田第二小学校、吉田西小学校など。山梨交通の担当者に泣きついて格安でバスをチャーターしたり、武田神社横の護国神社の宿泊施設に確安で宿泊したり、なかなか大変なマネージメントだった。もちろん富士吉田市と甲府市の教育委員会にも断りをいれていた。ここいらの芸は我ながら細かい。7月の遠征の準備を始めたのはたしか2月頃だったと思う。ガリ版刷りのパンフを各学校に直接お送りしておいてから、訪問しまくるのである。門前払いがほとんどだったが、教育委員会の積極的な協力が得られた富士吉田市はすんなり決まった。一日2校ずつだが、午前の訪問先では2ステージをこなす。

曲目は、運命交響曲第一楽章、シューベルトの軍隊行進曲、宇宙戦艦ヤマト、リロイアンダーソンの曲いくつか、ラ・メール、ブラームスのハンガリア舞曲第五番そして、訪問先各学校の校歌である。訪問先の音楽の先生と相談して曲目を決定する。低学年と高学年で出し物を変えることもやった。楽器ひとつひとつを紹介する「楽器紹介」が名物だ。各パートが趣向を凝らした紹介をするので子供たちに人気があった。総合司会は教育学部の3年生が順番に担当した。

子供たちの反応は素晴らしい。どこの学校でもアンコールが延々と求められる。終演後子供たちに囲まれるプレイヤーも後を絶たない。もう25年以上前の話だ。このときの中学3年生は、40歳だし、小学一年生は31歳になっている計算になる。

今冷静になって考えると、この経験は業務のマネージメントそのものだ。ゼロから全てを計画しなければ、ならない。リスクを計算し、手を打つ。突発事項に瞬時に反応する。70名のオケのマネージメントをする快感は格別のものだった。

そしてお決まりの恋も少々である。

7月19日無事移動音楽教室を終えて新宿にたどり着いた。挨拶にたった団長さんから「かつてない移音だった」と褒められたこと、南口の雑踏で万歳三唱の後仲間に胴上げされたことが忘れられない思い出である。

遠い昔のこと。。。。。

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