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2005年10月 1日 (土)

意あって力足らず

娘たちの発表会まで、一ヶ月を切った。今日レッスンに行って来た。絶望的でもないが、絶対に楽観も出来ないという、よくある状況だ。

発表会は立派なホールを借りて行われる。出番の前にはプロのアナウンサーが紹介してくれる。曲名と名前、それから簡単なコメントが付けられる。コメントは演奏者自ら考えることになっている。例年のことだが、このコメントが厄介だ。60文字という限られた字数で思いのたけを伝えねばならない。大人が作文してしまうとバレバレだし、かといって子供の発想に任せていると「ええと」「うんと」で終わってしまう。

長女は、音楽に感じないらしい。かれこれ2ヶ月は打ち込んでいる曲だというのに、「私はこう弾きたい」「ああしたい」が出てこない。感じていないのか、口に出来ないだけなのか判然としない。暗譜は出来た。だから表情をつけてと先生に言われれば、その通りにニュアンスをつけても見せてくれるが、けして自発的ではない。

翻って、父である私は、ブラームスについて、「ああしたい」「こう弾きたい」「であるべき」で固められている。全身全霊を傾けて、曲に打ち込み、曲から何かしらのメッセージを感じたいと、心から思っている。どんなに易しそうな曲にでも必ずメッセージが秘められていると信じている。また、どんなに演奏困難な曲でも、「万が一自分が弾けさえしたらこうしたい」という意思は持ち続けている。悲しいことと言えば、大抵のブラームスの作品が後者に属してしまうことだ。だからといってけっしてブラームスのメッセージを汲み取る努力を放棄したりしない。大袈裟に言えばメッセージの吸い上げに成功していながら、それを音に翻訳できない状況である。「意あって力足らず」だ。

長女が挑戦するのは、ヴィヴァルディのイ短調の協奏曲だ。ヴァイオリン弾きが大抵は通る道だ。ブラームスの室内楽の第一ヴァイオリンをゴールとすれば、まだ3合目だろう。しかし毎日練習を見てやりながら、つくづく思うのは、パパが大学一年冬、ブラームスの第二交響曲でデビュウした頃のレベルは、総合的にはもっと低かったということだ。暗譜が早い。16分音符を全く恐れていない。ポジション移動が億劫ではない。という諸点において既に負けている。私が確実に勝っていたのは、意欲と練習時間くらいだ。もし風向きが変わって、ヴァイオリンに100%打ち込んでくれたら、ブラームスを一緒に弾くのも遠い夢ではないだろう。

せめて今の長女くらいのレベルで大学に入れていたら、私のオーケストラライフはまた違ったものになっていただろう。著作「ブラームスの辞書」やブログで薀蓄めいた屁理屈をこねているのもその反動といえなくも無い。25年間「意あって力足らず」の状況は全く変わっていない。ブラームスのメッセージを受け止めて、余すことなく音に変換するテクニックを渇望する。思いのままに楽器を操ることが出来たら、どんなに素晴らしいだろう。悪魔との取引にも、ひょっとしたら応じてしまうかもしれない。

「力や可能性に、意が伴ってない人」が我が家に2人もいるのだから、もしかすると世の中には相当な数が存在しているのではないか?その手の人たちに私の「ブラームスの辞書」が役立つのではないか?娘らがいつの日か、音楽を心から渇望する日に、父である私のの著作が座右の書となることを願って止まない。

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