たかがカンマ、されどカンマ
ブラームスは弦楽五重奏曲を二曲残してくれている。第一楽章にご注目願いたい。第一番が「allegro non troppo ma con brio」だ。一方の第二番は「allegro non troppo, ma con brio」になっている。「troppo」と「ma」の間にカンマが挟まっている点が違うだけだ。マッコークルもこうなっているので、このカンマは由緒正しきカンマであると思われる。カンマの有無はいったい何を物語るのだろう。たった二曲しかない珠玉の五重奏曲の第一楽章が瓜二つの発想記号を持っているのだ。勘繰るなというのは無理な注文である。
発想記号は、あくまでも曲想に即して決められて「異なる二曲間の数学的整合性は二の次である」というメッセージかとも思われるが、悩ましい。
別の例を挙げる。映画「恋人たち」で有名にならねばもっと素敵だった弦楽六重奏曲第一番の第二楽章だ。オイレンブルグのスコアでは「andante, ma moderato」になっているが、マッコークルでは「andante ma moderato」に過ぎない。ここでもカンマ一個の出し入れが存在している。
カンマの有無ははたしてブラームスのオリジナルなのだろうか?オリジナルとするならばそれはいったい何を演奏者に求めているのだろう。「ブラームスの辞書」では「思考の一段落」という仮説を提案しているが、一筋縄で行く問題ではないことも十分承知している。
楽譜を当たったかぎりでは、「allegro」や「adagio」のような単語に比べてカンマの扱いは数段ルーズのように見受けられる。草稿が印刷に回される段階で既に混乱が生じている可能性も否定できまい。
ブラームスの意思の反映であるなら、地を這ってでも突き止めたいのだが・・・。
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