「4」の因縁
今日は少し長くなります。
室内楽や管弦楽作品においてブラームスは、特定のジャンルを偏重して作品を残していない。破棄された作品については知る由もないが、作品番号を付与されている作品に限れば、全てのジャンルが4曲以内である。
ピアノソナタ 3曲、ヴァイオリンソナタ 3曲、チェロソナタ 2曲、ヴィオラソナタ 2曲
ピアノ三重奏曲 3曲、ホルン三重奏曲 1曲、クラリネット三重奏曲 1曲
弦楽四重奏曲 3曲、ピアノ四重奏曲 3曲
弦楽五重奏曲 2曲、ピアノ五重奏曲 1曲、クラリネット五重奏曲 1曲
弦楽六重奏曲 2曲
ヴァイオリン協奏曲 1曲、ヴァイオリンとチェロのための協奏曲 1曲、ピアノ協奏曲 2曲
という具合である。意図的に省いているジャンルがひとつある。お判りだろうか?
正解は交響曲だ。これはご存知の通り4曲である。もう一度リストをご覧いただきたい。ひとつのジャンルで4曲残っているのは交響曲の他には存在しない。ブラームスの交響曲が何故4曲なのか?古来議論されている。本人は「交響曲を5つ以上書く奴の気が知れない」といったとか言わなかったとか。3では少な過ぎて5では多過ぎるのだ。
交響曲が「4曲」でなければならない理由を私なりに考えた。
それには、交響曲の楽章数が4であることと密接な関係がある。ブラームスは自らの人生を、人生といって大袈裟なら創作活動を、一つの交響曲とみなしていたのではないだろうか?4つの交響曲を1組の組曲と考えていたのではないだろうか?第一交響曲のフィナーレを彩る「C-H-C」というモチーフを全4曲を貫くテーマとして織り込んだのではないだろうか?第二交響曲には冒頭やフィナーレにこのモチーフがあるし第三交響曲フィナーレ冒頭でもこの動機が聴こえる。第四交響曲は96小節目のフルートソロや105小節目のヴィオラに反映していると思われる。
そして古来指摘されていたジュピター問題だ。4つの交響曲の第一楽章の調性を並べると「CDFE」というジュピターの主題になるという事実だ。
今回さらに一歩踏み込む。ブラームスの交響曲の楽章の概念を各交響曲がなぞってはいまいか?第一楽章に相当するのが第一交響曲。第二楽章つまり緩徐楽章が第二交響曲。舞曲楽章というより管弦楽のためのインテルメッツォの様相を呈する第三楽章が第三交響曲に相当する。第四楽章はいわずと知れた第四交響曲となる。
4つの交響曲の性格がそのまま4つの楽章の性格をなぞっているように思われる。だから4曲なのだ。ブラームスは自らの交響曲の配列の仕方にまで物を言わそうとした。しかしこのことは、「1番の作曲をした時に既にこの構想を持っていたのか?」という至高の問いに到達せざるを得ない。私に言わせればイエスだ。だから第一交響曲は着想から完成まで異例の長大な時間を要したと考えたい。
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私もブラームスの交響曲は4つで一つの交響曲だと思っています。
これは素人の私が勝手に信じていることで、
説明できるような理由なんてありません。
ただ、その昔、この4曲を順番通りに聴いた時に、そう確信したのです。
きちんと説明できるアルトのパパさんが羨ましいです♪
<ひふみ様
め、めっ、めっっそーもない。
説明なんか出来てませんよ。
投稿: ひふみ | 2005年11月 9日 (水) 23時56分