マーラー第五交響曲
本日の記事はブラームスとは何の関係もない。
それは今からちょうど24年前1981年12月20日のことだった。千葉大学管弦楽団第五十回定期演奏会が行われた日だ。そのときのメインプログラムがマーラー作曲の交響曲第五番だった。指揮水野修好によるこの演奏はいまでもCDで聴くことが出来る。演奏の良し悪しは、当事者としての欲目が勝ってしまうと思うので客観的には論じられない。あくまで「私にとっては」という条件付だが、今でも史上最高のマーラーである。
私はその第五十回定期演奏会を団長という立場で迎えた。演奏曲目は6月の49回定期演奏会が終わって大騒ぎの末の決定だった。「五十回という区切りにでかいことを」という思いも多分にこもっていた。マーラーの第一交響曲が最後まで残ったが、水野先生の「どうせ苦労するなら報われる方」という鶴の一声で決まった。トレーナーの先生方の危惧の声も漏れ聞いた中、夏合宿が始まった。何故か気合いを入れているところを見せたくて私は頭を丸めて合宿に望んだ。その髪型を有効活用してコンパでは「ゴルゴ13」の出し物をして受けがとれたが、トレーナーの先生方は、誰も笑っていなかった。
それから半年、本当によく練習をした。昨年の「ブラームスの辞書」の執筆よりも時間を割いていた。就職の内定が9月末に出ていたのをいいことにマーラー漬けの4ケ月だった。たしか12月に2度ほど弦楽器奏者だけを集めて第四楽章オンリーの4時間練習があった。さすがに休憩はあったが、大したエネルギーだ。
今でこそ、いやいや当時も私はブラームス狂いなのだが、この時のマーラーだけは悔しいけど手放しで別格扱いである。アンコールは第四楽章を途中から演奏した。嬉しかったのは、アンコールで出番がなくなった管楽器の連中から出来を誉められたことだ。生涯最高の演奏会だ。おそらく今後も出るまい。
私は4年生で最後の演奏会。今は亡き妻は、当時1年生でこれが第二ヴァイオリンでのデビュウ演奏会だった。
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