手渡しの味わい
「ブラームスの辞書」を誰かに渡すのは、何度経験してもけして慣れることはない。提供にしろ販売にしろ、相手に「ブラームスの辞書」を手渡すという行為は何にも代え難い楽しみである。遠方の人、都合がなかなか付かない人など事情が許さぬ場合は仕方がないが、出来るだけ直接お渡しするのがありがたい。宅配便はあくまでも押さえなのである。
恐らく、待ち合わせ場所には私が先に着くだろう。そうだ。我が子同然の「ブラームスの辞書」をお渡しするのに遅刻するなど論外なのである。相手が現れる。立ち話もなんだからと近所の喫茶店か飲み屋に移動する。出来れば事前に相応しい店を探しておくのが心得というものだろう。無論ゆっくり話が出来る雰囲気は何よりも重要である。アルコールは気の利いた小道具である。話が適度に弾んでくれる。
席に着いたら、オーダーは早々に済ませたい。おもむろに「ブラームスの辞書」を取り出して「はいこれ」と渡す。このときの相手の顔は、長く記憶されるべきである。そして相手はまずページを繰らずに外観だけをただ見回すはずだ。きっとここで何か一言ある。これも聞き逃してはいけない。そしておもむろにページをめくる。本扉にブラームスの自筆譜。この後は凡例1ページを挟んでいきなり「a tempo」が続く。目次は無い。ここから「Z」の項までずっとこの調子であることは、すぐに悟ってもらえるだろう。
居酒屋ならこのくらいのタイミングで生ビールが届くことが望ましい。絶対にぬらす可能性の無い場所に一旦「ブラームスの辞書」を置いて乾杯をする。
次はいきなり奥付に飛ぶのが現実的だ。そこには私の顔写真がある。「ねっ!やっぱりボクでしょ!間違いないよね」当たり前のことに目一杯念を押す。そこには通し番号を打ったシールも貼られている。彼(彼女)は「おおっ」と声を漏らす。好みの作品番号がそこに踊っているからだ。上ずりながら生ビールに手を伸ばす。(こぼすんじゃねえぞ)
後は、お好みだが、あとがきに行くのがオーソドックスだ。あとがきに一通り目を通すのに5分から7分。人によっては10分である。ここで、一旦パタムと本を閉じもう一度装丁に目をやる。たいていここで「いや~ぁ」という反応だ。
ここで最初のつまみが現れる。「やきとりの塩」ってことが多かった。ブログでは書けないがこの間の相手の顔は鑑賞の対象でさえある。自費出版したものにだけ許される至福だと考えている。
この後、ブラームスネタで盛り上がるという寸法だ。「ブラームスの辞書」は「あとでゆっくり読んでねッ」てなモンである。あとで感想を聞かせてもらう約束だけは、忘れずに付け加えている。
この流れは「ブラームスの辞書」出版以前からの知り合いに手渡すパターンである。当たり前だ。「ブラームスの辞書」出版後に知り合った人には、まだ直接手渡したことはない。これがどうなるのかが次の楽しみである。
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