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2006年1月28日 (土)

「f」と「ff」の間

ブラームスは「ff」と「f」の間に横たわる違いと真摯に対峙することを、さり気なく求めて来ることがある。

トロンボーンとトランペット、そしてしばしばホルンまで含めた金管楽器、およびティンパニの奏者たちは、弦楽器と木管楽器が「ff」を許可される場面で、じっと「f」にとどまることを強制される。これらの奏者たちは、ブラームスの総譜への深い洞察と、ダイナミクスのバランス感覚が求められる。周囲で鳴る「ff」を聴きながら、自らは「f」の領域にとどまらねばならない。「ブラームスの辞書」が命名した「金管打抑制」である。

ソナタの緩徐楽章には明らかに「ff」の出現が抑制されている。わずかにピアノソナタ第二番が例外的に「ff」を頻発させているが、ピアノソナタ第二番はいろいろな意味で異端だ。三曲のピアノソナタの第一楽章の冒頭のダイナミクスは興味深い。第二番の冒頭だけが「ff」で、一番と三番は「f」だということは顧みられていい。物理的な音量はともかくブラームスがそのように楽譜に記したことが象徴的なのである。

まだある。ピアノ五重奏曲第一楽章冒頭は「mf」だ。それが4小節目には「f」に到達し、12小節目では「ff」が実現する。12小節間で三段階のダイナミクスアップを実感させつつ、冒頭が弱めのイメージになることを戒めている。

さらに実例を一つ。第四交響曲の第三楽章は楽曲の冒頭に「ff」が踊る6例のうちのひとつだが、エンディングもまた「ff」になっている。この後に続く第四楽章の冒頭は「f」が要求されている。ここでは「金管打抑制」の呪縛は存在しない。14小節目の「diminuendo」が現れるまで全ての楽器が「f」になっている。ここの「f」は「強く」という側面もさることながら、「ffではない」ということが大切だと思われる。聴き手に力強さを感じさせながら「最強」でもないと感じさせねばならない。そのことは129小節目からの再現部においていっそうはっきりする。同様に「f」で冒頭の主題が回帰するが、わずか4小節後には全ての楽器が「ff」に昇格する。「金管打抑制」の呪縛も無い。全パートの「ff」である。ブラームスにおいて金管楽器、ティンパニまでが「ff」を許可されるということが、どれほど「マジ」か念頭においておきたいものである。

「fff」はほぼ出現しないと断言していいブラームスにあって「ff」は文字通り最強奏の座に君臨している。「ブラームスの辞書」の執筆に先立つデータベース作成と執筆の経験から、「ff」を最強奏たらしめている要因のひとつに「fの節度」があるように感じている。「ff」が最強奏でありながら、なお音楽にとどまるには、ひとえに「fの節度」が大切だと思う。

ヴァイオリン初心者の我が家の娘たちに「f」を「強く」と教えることには少しリスクがある。乱暴になってしまう副作用を伴うことが多いのだ。「f」を「濃く」と教えたとき、なんだか音楽になるケースが多いと告白しておこう。実は悪くない傾向だと思っている。

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