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2006年2月25日 (土)

制約こそ命

与えられた条件が難しければ難しいほど力を出す人がいる。ハードルが高ければ高いほど工夫を凝らして達成して見せる人たちだ。

ある意味で、ブラームスの創作に対する態度もこれに近いと思っている。自分で自分に困難な制約を課して、その解決を楽しんでいるかのように見える。世はまさにロマン派爛熟の時代。「感情表現のためには形式なんぞどうでもよろしい」「形式打破こそ善」的な時代の中にあって、ブラームスは敢えて自らに制約を課し、その枠内でどれほどの作品が書けるかについて自らを鼓舞していたように見える。作品番号の最初二つがピアノソナタであることは、象徴的だ。私はブラームスを「最後のソナタ書き」だと思っている。ソナタ形式を思いのままに操ることが出来た最後の作曲家だと思う。ソナタ形式がこの場合の制約にあたる。

ワルツは全て4分の3拍子だ。ハンガリー舞曲は4分の2拍子。そうした制約に進んで身を投げ、むしろ制約を楽しんでいるように見える。ブラームスが制約の内側でいきいきとしているように見える。

変奏曲にしても然り、対位法にしても然りである。究極の姿はパッサカリアだ。シャコンヌとの境界は必ずしも厳密ではない。実直にワンパターンを繰り返すベースラインというこれ以上無い厳しい制約の中で、呆れるほど多様な曲想を展開する。約束事が多いということをブラームスはやすやすと逆手に取る。ハイドンの主題による変奏曲や第四交響曲のフィナーレがその実例だ。

さらにである。変奏曲、シャコンヌというだけでも相当な制約なのに、演奏を左手一本に制限したピアノ作品がある。バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのシャコンヌニ短調を、ブラームスはピアノ左手用に編曲している。右手を脱臼したクララ・シューマンへの見舞いだ。原曲は有名だ。このピアノ編曲もまたじっくりとした鑑賞に堪える佳曲である。黙って聞かされたら左手オンリーであることなどわからない。聴き手に制約の存在を悟らせない多様さがある。「左手用」というのがブラームスらしい。右手ではこうはならないのではと思わせる何かがブラームスにはある。クララが脱臼したのが右手で良かったといったら、クララファンから総攻撃を受けるのだろうか?

考えてみたら当たり前だ。聴き手が「ああそうだね。制約が多いのだから仕方ないね」という感想を持つようなら失敗作だ。ブラームスは自ら制約の海に飛び込みながら、それを言い訳にしない。それどころかしばしば聴き手に制約の存在さえ忘れさせる。

何だかオフサイドに似ている。サッカーがアートに思える原因の一つがこのルールの存在だ。守り手はオフサイドを味方に守備を固める。攻め手はそれをかいくぐる。スルーパスに時として芸術性が宿るのは、オフサイドルールという制約のおかげである。

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