ブラームス節
弾いていて、聴いていてブラームスを感じさせる場所、つまり「これぞブラームス」という場所を「ブラームスの辞書」ではしばしば「ブラームス節」と表現している。こうした表現をしていながら、無責任なことに「ブラームス節」の定義は必ずしも明確ではない。
ヴァイオリン協奏曲だというのに、ソリストを差し置いてオーボエが延々と旋律を奏でるなど、サラサーテには顰蹙を買ったらしいが、これなどまさにである。そもそも協奏曲おけるソリストへの花の持たせ方が渋過ぎるとか、オケが伴奏の域にとどまっていないなど、協奏曲にはブラームス節が炸裂している。低弦またはホルンがソロの華麗なパッセージに一人お付き合いするパターンもこの類だろう。
交響曲では、中間の2つの楽章の楽器編成を薄くするほか、演奏時間もコンパクトだ。特に第三楽章に断固としてスケルツォを置かずに、小粋なインテルメッツォを配置するこだわりも、ブラームスらしい。緩徐楽章がもっとも高まる場面で拍を3つに割る癖や、緩徐楽章の結末に上行する三連符を貼り付けるのも、ブラームスの香りがする。
チェロが歌う旋律の下支えをヴィオラにさせるなどという芸当もならではという感じである。とにかくヴィオラが邪険にされていないのも嬉しい特質だ。ヴィオラに付与された臨時記号一個が現場の景色を一転させるような実例も少なくない。
主題再現を単なる繰り返しに堕落させない点もブラームス節の大きな柱だ。それでいて聴き手には明確に再現と解らせても見せるバランスが真骨頂だろう。カノン、フーガ、変奏が巧妙にさり気なく埋め込まれる様子はただため息をつくばかりである。
それからリズム。ヘミオラの多用や旋律の聞こえと、記譜のズレ。実質上の変拍子でも記譜上は変化無く押し通すという演奏者へのからかいあるいは挑戦。シンコペーションとフレージングの複雑さはむしろ快感を催す。6度や3度の偏愛もブラームスらしい。音の重複。低い音偏愛と関連があるベースラインへの執着。ジプシー音階の多用。独特の和声の用法。フリギア2度大好きな傾向。
「ブラームスの辞書」はこうしたブラームス節の発掘探索を容易にする手引書の側面が小さくない。
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