歌曲への傾倒
「ブラームスの辞書」の執筆に着手することになって心がけたことの一つが、歌曲によりたくさん接することだった。学生時代にブラームスに目覚めた頃、興味の中心は管弦楽曲だった。その後、室内楽、ピアノ曲に興味が広がっていったが、演奏・鑑賞・知識の諸点において、何かと器楽曲側に手厚い傾向は明らかだった。「ブラームスの辞書」のコンセプトの一つに「有名曲も無名曲も出来るだけ対等に扱う」という項目があったので、声楽曲を意識的に聴くようにし始めた。
「ブラームスの辞書」の執筆も終わりipodを購入して、やっはり歌曲に重点をおいて聴いていたが、このところすっかり歌曲に目覚めてしまった。学生時代、ブラームスに初めて目覚めた後、交響曲や協奏曲を手当たり次第に聴いた頃に似ている。ブラームス作品から新しい魅力を見つけ出すことに夢中になった。今同じことが歌曲で起きている。具体的な症状は以下の通りだ。
- 過半数の歌曲において、タイトルと旋律が一致してきた。
- 9割の曲で作品番号とタイトルが一致してきた。
- 「おおっ」と思わず唸る作品が両手両足の指では足りなくなってきた。
- 同一の作品を別の歌手で聴きたいという気持ちになってきた。
- CDショップに出かけると、真っ先に歌曲作品の売り場に行くようになった。
- 電車の待ち時間などで、口をついて出る旋律が歌曲だったりすることが増えた。
- 楽譜を参照しながら作品を聴くことが多くなった。
管弦楽や室内楽、ピアノ曲にも劣らない広大な領域が今、目の前に広がり始めたようだ。
それからさらに楽しみがある。しばらく歌曲に没頭した後、また管弦楽曲や室内楽に立ち戻ると、新鮮な発見があるということだ。これは間違いない。断言できる。
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