愛情の表現
愛情や誠意は、時として形にしないと伝わらないことがある。極端な話「誠意を見せろ」は「金を出せ」の意味でさえある場合も少なくないという。
そこまで極端ではなくても、たとえば「ブラームスが好きだ」と言ってもどの程度に好きなのかは、下記の通り千差万別である。
- どちらかと言えば好きなほうに属する。
- クラシックの作曲家はブラームスしか知らない。
- いろいろ聴いたがやっぱりブラームスが好きだ。
- ブラームスしか聴かない。
- 三度の飯よりブラームスが好きだ。
- 前回定期演奏会で弾いた。
- 期末試験の課題だった。
- 私の好きな演奏家がブラームスを得意にしている。
- そういえばCDはブラームスが一番多い。
大抵は上記の一つまたはいくつかにあてはまってしまうのだろう。愛好家の集まりは、この点で空気を読むのが難しい。相手の好きさ加減を確認しないまま、適当に相槌を打っていると思わぬ墓穴を掘る事だってある。
かく申す私もたびたび「ブラームスが好きだ」と口にしたり、文字に書いたりするが、私の場合は本当に好きなのだ。どれほど好きなのか何とか周囲の人々に伝えたい一心で「ブラームスの辞書」を出版したり、ブログを立ち上げたりしたのだ。つまりブラームスへの思いを形にしたというわけだ。3年前くらいから、形にしておかないと不安で仕方が無くなってきていたのだ。判り易くいうとこの不安な気持ちは、はるか若き日の恋にも似た感情だった。
楽譜の何を見てどこを聴き、どのように感動したかを本やブログの上に書くことで、気持ちが落ち着いた。心の中が整理出来た。
それにしても恋愛に比べると心に傷を負うリスクだけは少なくていいが、お金だけはやっぱりかかるものだ。
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