三歩下がって師の影を踏まず
大好きな言葉である。ブラームスのヴァイオリンとチェロのための協奏曲第二楽章を聴くとこの言葉を思い出す。
ホルンの信号に続いて歩みを始める弦楽器のダイナミクスを見るがいい。2本の独奏楽器には「f espressivo」が奮発される一方で、オーケストラ側の弦楽器には「poco f ma dolce」が置かれている。独自の動きを採るコントラバスやヴィオラはともかく、独奏楽器とユニゾンのヴァイオリンやチェロまで「poco f ma dolce」で統一されている。
「少し強く、くれぐれも優しく」と解されよう。この「ma」を逆接の意味「しかし」と解することは心情的に許せない。断じて強調の「ma」でなくてはなるまい。
この場面、主役の独奏楽器はオーケストラのヴァイオリンやチェロと同じ音域にとどまっている。総奏に埋没しかねない状況なのだ。この状況にあってなお、ソリストたちは独奏楽器たる誇りを保ち続けなければならない。そこで一計が案じられている。独奏楽器をユニゾンで取り囲む弦楽器たちに特段の配慮を求めるという意味がこの「poco f ma dolce」にこめられているのだ。つまり「三歩下がって師の影を踏まぬこと」が求められている。
恩師たる独奏楽器の影を踏まぬかのような万全の配慮が弦楽器群に求められてはいまいか?そうした絶妙のバランスの上でのみ、このユニゾンが成り立ち得ると考えている。独奏楽器の「f espressivo」と弦楽器群の「poco f ma docle」の二つの言葉の微妙なせめぎ合いまでもが鑑賞の対象だと思われる。
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