molto dolce ed espressivo
「非常に優しく、かつ表情豊かに」と解される。しかしながら機械的な邦訳ではこの語句の持つただならぬ趣は伝わらない。主旋律マーカー第一位の「espressivo」に同じく第二位の「dolce」が併用されている上に「dolce」が強調語「molto」によって補強されている。この手厚さはブラームスにあってもひときわ光彩を放っている。無論乱発はされていない。生涯でたったの2回だ。
一回目は1857年のピアノ協奏曲第一番第二楽章の冒頭に出現する。同楽章は後世の研究者からクララ・シューマンの音楽的肖像とまで評価されている逸品だ。初期緩徐楽章の白眉と考えていい。弦楽器とファゴットのからみが美しい。華麗とは無縁の塑像のような静けさである。
さてニ回目はどこだろう。おそらく1877年に作曲されたとされる「Nachtwandler」op86-3冒頭のピアノによるイントロにひっそりと置かれている。「夢に遊ぶ人」と言い習わされるが、ブラームス作品の中での注目度はピアノ協奏曲第一番には遠く及ばないばかりか、歌曲の中でもそれほど目立つ曲ではない。しかしながら「molto dolce ed espressivo」の特異性を考えると、この表示をイントロに与えられた歌曲というものの位置づけが透けて見える。冒頭にはこの表示の他にはダイナミクス表示が見当たらないものの、p以下であることは確実だ。全53小節の間、ダイナミクスの最高は「p」でしかないと思いきや、41小節目に現れる「rf」(リンフォルツァンド)が響きの頂点だと思われる。生涯に130箇所使用されている「rf」だが、これほど微妙かつ重大な用例は他にない。
実際に曲を聴いてみる。ハ長調4分の3拍子がLangsamで立ち上がっている。約6小節間の前奏を聴くだけで直感できる。作品116-4や116-6、あるいは118-2に共通する「4分の3拍子のインテルメッツォ」のDNAを間違いなく持っている。1小節目の3拍目に出現するEフラットは只者ではない。わずか1拍でそれは再びEナチュラルに復旧するが、「松葉状<>」がちょうどその部分にかぶっている。
あるいは作品39のワルツのいくつか、おそらく3番か15番と精神的に繋がっていると考えていい。7小節目から歌が合流する。インテルメッツォとワルツに加えて名高い子守唄の痕跡も見て取れる。右手のシンコペーションが歌のパートに寄り添ったり、せき止めたりする様はまさに「ブラームスの子守唄」そのものである。
ピアノ協奏曲第一番の成立から20年を経て、「molto dolce ed espressivo」と記したブラームスの意図を思い遣りたい。
なんだか本当に心に沁みる宝物のような歌曲である。今更ながらではあるが、ブラームス恐るべし。
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