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2006年4月30日 (日)

リーズルの思い出

「p molto espressivo e dolce」という用語が生涯で一回使われている。

一昨日の記事と比較していただきたい。「molto dolce ed espressivo」が生涯で二回使用されているという記事だった。もはや日本語訳を律儀に記述するのは野暮の領域だ。ましてや「molto dolce ed espressivo」との比較論を延々と論じるなぞもってのほかだ。「空気を読む」としか言えない。

「molto dolce ed espressivo」がピアノ協奏曲第一番の緩徐楽章とあまりメジャーでない歌曲の冒頭に配置されていたことは一昨日述べたとおりだ。実を言うと本日話題の「p molto espressivo e dolce」もまた歌曲のピアノ伴奏冒頭に一回だけ出現する。作品32-9だ。この歌曲の原題「Wie bist du meine konigin」となっているが、日本語訳が定着していない。「いかにおわすか我が女王」「わが妃よ、そなたは何と」など翻訳者の苦労ばかりが透けて見える。近いうちに意訳委員会を開催せねばなるまい。

ブラームスの伝記には必ず出現する女性のランキングを作ると第一位のロベルト・シューマン夫人のクララは順当として、第二位をアガーテ・フォン・ジーボルトと争いそうな候補にエリザベート・フォン・ヘルツォーゲンベルグがいる。ブラームスより16歳年下だ。ブラームスに弟子入りしたが、あまりの美貌と才能に恐れをなしたブラームスが他の先生に押し付けてしまったというエピソードで名高い。愛称はリーズルである。

実はこの作品32-9は、彼女リーズルことエリザベート・フォン・ヘルツォーゲンベルグを想って作曲されたものだという。それにしてもピッタリの詩をよく見つけてきたものだ。大切な小鳥を両掌でそっと受け取るかのような絶妙なニュアンスを冒頭の「p molto espressivo e dolce」にこめたものと推察できる。4節目で「そなたの腕の中で息絶えることを許し給え」と歌っているが、彼女はブラームスより早くこの世を去る。

訃報を聞いたブラームスが彼女の思い出のために作った歌もまた残されている。作品121「四つの厳粛な歌」の最後を飾る第四曲がそれだという。他の3曲より実は作曲時期が早いことがその根拠とされるが、土壇場92小節目からの7拍間の旋律が、作品32-9のこれまた土壇場77小節目からの7拍間の旋律とピタリと一致する。

2006年4月29日 (土)

我が恋はみどり

クララ&ロベルトのシューマン夫妻の末っ子フェリックス・シューマンの詩に付曲された作品63-5の歌曲のタイトル「我が恋はみどり」である。

シューマン夫妻の子供たちは7人。マリエ、エリゼ、ユーリエ、オイゲーニエが女の子。フェルデナンド、ルドヴィッヒ、フェリックスが男の子だ。ブラームスにアルトラプソディを書かせたユーリエが30歳で没してしまった以外の女の子はみな長生きしたのだが、男の子たちはあまり元気ではなかった。

フェリックスには詩の才能があった。名高いのは作品63-5「我が恋はみどり」だが、他に作品63-6「にわとこの木のあたりで」と作品86-5「沈潜」の合計三篇がブラームスによって付曲されている。詩の才能があるといっても、ドイツ歌曲のマエストロたちが曲を奉った巨匠たちの間に入ってしまうと、いささか分が悪い。もしフェリックスがシューマン夫妻の息子でなかったら、ブラームスの目に止まったかどうか。

本日話題の「我が恋は緑」は19歳のフェリックスにブラームスが贈ったものだ。この5年後に結核でこの世を去るフェリックスの名は、ブラームスが曲を奉ったことで永遠に記憶されることになる。若々しさの残る、ややぎこちない詩に付与されたブラームスの曲は、短いながらキリリとしたみずみずしさに溢れている。詩の未成熟さすら魅力にすりかえてみせる。クララの日記によれば、それは1873年のクリスマスだ。クララ自身の奏するピアノに合わせて歌のパートを弾いたのは当代最高のヴァイオリニスト・ヨアヒムだったという。

今日はみどりの日である。

2006年4月28日 (金)

molto dolce ed espressivo

「非常に優しく、かつ表情豊かに」と解される。しかしながら機械的な邦訳ではこの語句の持つただならぬ趣は伝わらない。主旋律マーカー第一位の「espressivo」に同じく第二位の「dolce」が併用されている上に「dolce」が強調語「molto」によって補強されている。この手厚さはブラームスにあってもひときわ光彩を放っている。無論乱発はされていない。生涯でたったの2回だ。

一回目は1857年のピアノ協奏曲第一番第二楽章の冒頭に出現する。同楽章は後世の研究者からクララ・シューマンの音楽的肖像とまで評価されている逸品だ。初期緩徐楽章の白眉と考えていい。弦楽器とファゴットのからみが美しい。華麗とは無縁の塑像のような静けさである。

さてニ回目はどこだろう。おそらく1877年に作曲されたとされる「Nachtwandler」op86-3冒頭のピアノによるイントロにひっそりと置かれている。「夢に遊ぶ人」と言い習わされるが、ブラームス作品の中での注目度はピアノ協奏曲第一番には遠く及ばないばかりか、歌曲の中でもそれほど目立つ曲ではない。しかしながら「molto dolce ed espressivo」の特異性を考えると、この表示をイントロに与えられた歌曲というものの位置づけが透けて見える。冒頭にはこの表示の他にはダイナミクス表示が見当たらないものの、p以下であることは確実だ。全53小節の間、ダイナミクスの最高は「p」でしかないと思いきや、41小節目に現れる「rf」(リンフォルツァンド)が響きの頂点だと思われる。生涯に130箇所使用されている「rf」だが、これほど微妙かつ重大な用例は他にない。

実際に曲を聴いてみる。ハ長調4分の3拍子がLangsamで立ち上がっている。約6小節間の前奏を聴くだけで直感できる。作品116-4や116-6、あるいは118-2に共通する「4分の3拍子のインテルメッツォ」のDNAを間違いなく持っている。1小節目の3拍目に出現するEフラットは只者ではない。わずか1拍でそれは再びEナチュラルに復旧するが、「松葉状<>」がちょうどその部分にかぶっている。

あるいは作品39のワルツのいくつか、おそらく3番か15番と精神的に繋がっていると考えていい。7小節目から歌が合流する。インテルメッツォとワルツに加えて名高い子守唄の痕跡も見て取れる。右手のシンコペーションが歌のパートに寄り添ったり、せき止めたりする様はまさに「ブラームスの子守唄」そのものである。

ピアノ協奏曲第一番の成立から20年を経て、「molto dolce ed espressivo」と記したブラームスの意図を思い遣りたい。

なんだか本当に心に沁みる宝物のような歌曲である。今更ながらではあるが、ブラームス恐るべし。

2006年4月27日 (木)

ゴールデンウイーク

あさってから9連休だ。正月でもなかなか9連休にはならないから、貴重である。行楽地はどこも混んでいるし、娘の部活動もあるのでどこにも行く予定はない。昨年は「ブラームスの辞書」の校正が最終段階にさしかかってあわただしかったことを思い出す。

おそらく、連休の間ブログへのアクセス数が激減するので、日本民族の大移動ぶりを実感出来るはずだ。

しかし、9日連続の休みをもらっても、何だか持て余すような予感がしない。ブログに書きたいネタがいくつかあるので、それらのための下調べがじっくり出来ることは喜ばしいことだ。今そうした話の種が20と少々あって、そのうち、ちょっと気合を入れて裏づけ調査をしなければならないのが3つある。温泉につかることは出来ないが、どっぷりとブラームスに浸かることにする。連休の最終日はブラームスの誕生日になるのだから。

2006年4月26日 (水)

アドリブ

もはや日本語に定着している。本来は「ad libitum」と綴るラテン語で「自由に」という意味。しばしば「ad lib」と略記されることが、「アドリブ」という日本語の語源になっていると思われる。テレビのバラエティー番組ではこれの連続だという。脚本があるにはあるが、タレントたちのアドリブで繋いでいるらしい。

音楽の現場における意味を簡単に考察するなら「一時的かつ意図的な楽譜からの逸脱」とでも位置付けられるだろうか。単なる間違いは意図的ではないのでアドリブとは言わないが、言い訳には利用できる。「一時的」の解釈も時には多様で、ジャズの世界では曲中ほとんどアドリブということもあるそうだ。

楽譜に保存された音楽の再生が主体のクラシック音楽界では、楽譜の内容を音に翻訳する作業が重要だ。つまり「楽譜通り」であることがいつも要求されている。「ad lib」という用語は、「ここだけは楽譜から逸脱してもいい」という記号である。クラシック界では、楽譜からの逸脱さえ楽譜の指示に従うということなのだ。

さてブラームスにも「ad lib」は出現している。協奏曲のカデンツァを別にすると概ね以下の通りに分類される。

  1. 「テンポの自由」を許可するもの。「ティークのマゲローネのロマンス」作品33-3の82小節目と107小節目や同じく作品33-15の72小節目にこの例がある。「テンポの自由」の許可期限が切れる場所に「a tempo」があることが特徴だ。
  2. 「テンポの自由」を許可するが、何故か「a tempo」でリセットされないパターンだ。作品58-3「つれない娘」の32小節目にある。ピアノ協奏曲第二番第三楽章97小節目の独奏チェロに出現するのもこのケースと思われるが、自由度はあまり高くなさそうだが、次項「演奏するしないの自由」と解するにはあんまりな出番である。
  3. 「演奏するしないの自由」を許可するもの。何らかの原因でとしか言えない。せっかく書いてある音符を弾かなくてもいいなんぞ積極的な意味があるとも思えないのだが、ホルン三重奏曲第一楽章220小節目のホルンにこのパターンが出現する。
  4. 「演奏方法の自由」を許可するもの。チェロソナタ第二番第四楽章128小節目のチェロに「pizz marcato」と指図する一方で「ad lib col arco pp e staccato」と記されている。「ppのスタッカートで弾けるなら弓奏でもいいからね」と読める。

このほか、「ossia譜を弾いてもいい」という自由もあるがこちらはいちいち「ad lib」とは記されていないようだ。

2006年4月25日 (火)

子守唄の花束

ブラームス作曲「Wiegenlied」作品49-4は、「ブラームスの子守唄」として名高い。今朝は聴きながら通勤と洒落込んだ。愛用のipodに家中の子守唄のCDを取り込んで、連続で再生したのだ。全部で12名の歌手が私のために子守唄を歌ってくれた。

以下再生の順番に列挙する。

  1. ジュリアーネ・バンセ(sp)
  2. アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(ms)
  3. ルチア・ポップ(sp)
  4. ディートリッヒ・フィッシャーディースカウ(br)
  5. ディオン・ヴァン・デルヴァルト(tn)
  6. トーマス・ハンプソン(br)
  7. アンジェリカ・キルヒシュラーガー(ms)
  8. ラン・ラオ(sp)
  9. アンジェラ・ゲオルギュー(sp)
  10. マリリン・ホーン(ms)
  11. 白井光子(ms)
  12. ブリン・ターフェル(br)

オペラ系オンリーの歌手も子守唄だけは録音している可能性も高く、このリストはもっともっと充実すると思われる。男性によって歌われる子守唄も悪くない。悪くないどころか、ソプラノに歌われるよりは子守唄本来の機能を発揮しやすいと思われる。

この中で言うと、私なら11番・白井光子さんの歌で眠りにつきたい。ろうそくの灯りの下で、今にも眠りに落ちそうな子供の耳元で歌うような甘い緊張感に溢れた歌いぶりである。

2006年4月24日 (月)

ヴァイオリンvsバドミントン

長女が中学に入って2週間が過ぎた。バドミントン部に正式に入部した。意外である。思えば小学校時代は非体育会系の女の子だった。個人競技、団体競技、ダンスの3回出番がある運動会では、もっぱらダンスに打ち込み、芸術点狙いのパフォーマンスに終始した。かけっこのとき横風が吹こうものなら流されかねないお嬢様走りだった。エネルギーが前に進むことに使われていない感じだった。

それが一転バドミントン部とは!校舎の階段を3階まで走って20往復とか言っている。中学校とはいえ部活は厳しいものだ。私も中学時代にはバスケットボールをしていたから想像がつく。案の定五月の練習日程を持ってきた。ゴールデンウイーク返上、週末返上の予定がビッシリと詰まっている。ということは、ヴァイオリンのレッスンとバドミントンの熾烈な日程争いがあるということなのだ。

本人もヴァイオリンをやめさせてもらえないことは自覚しているようで、「上手にやりくりするからヴァイオリンの先生にお願いして」と言ってきた。かわいそうだが、疲れていてもヴァイオリンの練習はキッチリやらせることにしている。もし中学三年間ヴァイオリンとバドミントンを両立したら誉めてやらねばならない。

本日の話題は、ブラームスには関係が無い。

2006年4月23日 (日)

グルタミン酸ナトリウム

「ブラームスの辞書」あとがきに2回出てくる単語。1908年東京大学の池田菊苗博士が世界で初めて昆布のうまみがグルタミン酸ナトリウムであることを突き止めた。昆布の出し汁は、普通のお湯とは違ってよい味がすることそれ自体は、池田先生の発見のはるか以前から庶民にとっても周知の事実だった。そのおいしさの元がグルタミン酸ナトリウムという物質に起因するということを立証したという点で意義の大きい発見だった。これをキッカケに、グルタミン酸ナトリウムだけを精製分離して、必要に応じて食品にふりかけるという発想が生まれた。いわゆる味の素の源流である。

ブラームスの音楽が耳に心地よいことは、みんな知っている。それらの心地よさの原因は全て楽譜に溶け込んでいるはずである。しかしその正体は必ずしも明らかになっているとは言いがたい。ブラームスの音楽が「昆布の出し汁」であることは明らかながら、心地よさの元、いわば「グルタミン酸ナトリウム」はまだ発見されていない状態である。五線を用いた楽譜を使用しながら、誰でもがブラームスのような作品を残せる訳ではない。ブラームスの音楽をブラームス音楽たらしめている源、つまり「ブラームスのグルタミン酸ナトリウム」を探すためのツールになりたくて「ブラームスの辞書」がささやかに存在している。

ブラームスの音楽が素晴らしい理由は必ず楽譜の中にあるハズだ。演奏の拙さによって作品が台無しになる可能性は考慮しつつもなお、ブラームスのグルタミン酸ナトリウムは、楽譜の中に発見されるべきである。

2006年4月22日 (土)

英国嫌い

ブラームスは英国が嫌いである。英国の音楽愛好家たちが早くからブラームスを認めていたのとは対照的に、ブラームス自身は生涯英国の地を踏むことはなかった。英国嫌いではなくて、船が嫌いだったという説もあるがはっきりしない。イタリアにはたびたび出かけていたのとは対照的である。友人たちはしきりに訪英を薦めたらしいが、頑として首を縦に振らなかったということだそうだ。何しろクララ・シューマンの説得にも応じなかったのだからよっぽどである。

クララ・シューマンの高弟で、英国出身の女流ピアニストが、「ご自身の作品を広めるためにも英国に行くべき」という理屈で食い下がったが、これも敢え無く頓挫している。そのときのブラームスの答えが渋い。たしか「そのために出版しているのだから」「全ては楽譜に書いてある」のような返事だったようだ。何たる自信だろう。楽譜に全てを盛り込みきったという手応えと自負がそう言わせているとしか思えない。国境を挟もうが、海を隔てようが、異国語を繰ろうが、かならずや伝わるハズという自作への強烈な自負だ。自らの意図は全て楽譜上で発信するだけに限定し、一切のジャーナリスティックな手段を放棄した姿がダブって見える。ブラームスの楽譜にはこうした並々ならぬ決意が込められていたと解されるべきである。

ブラームスの楽譜ほどの完成度は到底望むべくもない我が「ブラームスの辞書」は、ブログであれこれコメントを施してなお、一人歩きもままならぬ代物である。せめてブラームスの心意気だけは肝に銘じていたいものである。はしゃぎ過ぎは慎まねばなるまい。

2006年4月21日 (金)

「comodo」意訳委員会

意訳委員会シリーズ第三弾である。

「comodo」は音楽用語。一般には「気楽に」「飾らずに」「心地よく」「のんびりとした」という意味と解される。ブラームスは、その「comodo」という単語を下記の通り生涯で3度使っている。全て楽曲の冒頭になっている。

  1. 弦楽四重奏曲第一番op51-1第三楽章「Allegretto molto moderato e comodo」
  2. ピアノ四重奏曲第三番op60第四楽章「Allegro comodo」
  3. 歌曲「歎き2」op69-2「Comodo」

1番と2番が1873年、3番が1879年の完成だ。非常に近い時期に、「Comodo」を使用した曲が集中しているということが出来る。

次に3曲に共通する短調であるということだ。1から順にヘ短調、ハ短調、イ短調だ。この点だけで冒頭に列挙した「気楽に」「飾らずに」等の訳語が浮いた感じになる。訳語としての座りが悪いのだ。特にピアノ四重奏曲第三番は「ウエルテル四重奏曲」の異名を取る作品だ。「頭にピストルを突きつけている男のイメージ」とブラームス自ら語ったというエピソードがあるくらいの曲なのだ。その曲のフィナーレの発想記号を「速く、気楽に」と解釈するのは無神経が過ぎるというものだ。

残る二曲にも奇妙な共通点がある。楽譜があるならば参照して欲しい。まずは「歎き2」の拍子が4分の2拍子である。これに対してカルテットの方は8分の4拍子になっている。1小節に8分音符が4つという枠組みが共通である。そしてどちらも8分音符一個がアウフタクトとして第一小節の前に飛び出している。その押し出されたアウフタクトにアクセントとスフォルツァンドが付与されているのだ。どちらの曲も8分音符一個分だけ強拍が前にズレている。ブラームスによくある記譜と拍節感のズレが生じているのだ。まどろっこしい説明は後だ。「歎き2」のピアノの左手と、カルテットのヴィオラパートを見比べて欲しい。フレージングが瓜二つだ。

やはり、曲想や拍節のズレという現象から見ても「気楽に」という解釈は具合が悪い。「気楽に」「飾らずに」「心地よく」「のんびりとした」では、なんだか悩みが無さ過ぎる。この3曲の曲想に照らして、もっと真面目でストイックなニュアンスが必要である。

「comodo」はブラームスに限って「粛々と」と解する提案をしたい。

2006年4月20日 (木)

奇数愛好家

一部のブラームス好きの間で、根強い噂になっていることがある。「ブラームスは奇数がお好き」という説である。

なるほどハンガリー舞曲は21曲、ドイツ民謡集は49曲、ピアノのためのエチュードは51曲だ。

本日はその噂を検証したい。まず一つの作品番号にいくつの楽曲が収められているかをカウントした。結果は以下の通りである。

  1. 52回。一番多い。当たり前である。一つの作品番号に一つの作品が収まっているケースだ。交響曲や協奏曲はみなこのパターンに該当する。ピアノ五重奏曲とハイドンヴァリエーションは、ピアノ版と管弦楽版があるが、2とせずに1とカウントしている。もちろん「1」は奇数だが、これはノーカウントにしないとかえって不公平だろう。
  2. 8回。弦楽四重奏の1、2番。ヴィオラソナタもここに該当する。ピアノのためのラプソディやop91の歌曲などメジャーどころが並ぶ。
  3. 8回。op20の二重唱に始まってop117のインテルメッツォまでにまたがる。
  4. 12回。op10のバラードや、土壇場の四つの厳粛な歌などメジャーどころも多い。
  5. 13回。op19に始まって、op107まで全て声楽曲になっている。
  6. 9回。op93はaとbに分かれていて、aの側が6曲になっている。
  7. 5回。op22マリアの歌からop116のピアノ小品まで。
  8. 5回。op76のピアノ小品が代表選手だ。
  9. 3回。さすがに少なくなる。op32、op63、op69だけである。
  10. なし。
  11. 2回。op103ジプシーの歌とop122土壇場のオルガンコラール。
  12. 1回。op44だけです。
  13. 1回。op113のカノンだけ。
  14. なし。
  15. 2回。マゲローネのロマンスと新・愛の歌だけ。
  16. 1回。ご存知ワルツop39だけ。
  17. なし。
  18. 1回。愛の歌op52。

19回以上は作品番号つきの作品には出てきません。これで奇数34回に対して偶数は37となる。もちろん「1」はノーカウントだ。

作品番号のないところは以下の通り。没後の出版もあるからブラームスの意図ではないケースも入っているので参考程度です。

2曲:3回、5曲:1回、12曲:1回、14曲:1回、15曲:1回、16曲:1回、20曲:1回、28曲1回、49曲:1回、51曲:1回

全部併せると45対38で偶数の勝ちとなる。

必ずしも奇数偏愛とは言えないことが判る。10、20、30、40、50のような10進法で数えて区切りのいい数字を使っていない傾向があることは事実である。1から15までの数字で存在しないのは10と14だけである。「10を避けている」と思えなくも無いというわけである。作品番号の無い作品に20が一度だけ使われているほかは、区切りのいい数字は表れない。

この手のおバカなネタを真面目に突き詰めるところが本ブログの特徴である。

2006年4月19日 (水)

自費出版のリスク

最近、自費出版界では大手と目される出版社が倒産したらしい。ネット上ではちょっとしたニュースになっている。費用を支払ったのに、出版されないばかりか返金もされないような人も相当数出ているらしい。

思えば2年半前、自費出版を思い立ち、最初にしたことはインターネットでの情報収集だった。何が驚いたって「自費出版」と入力して検索するとヒット数が7万件を超えたことだ。完全な情報過多だ。検索されたサイトはまさに玉石混交だった。自費出版の出版社の広告に始まって、出版経験の手記、自費出版への評論などなどである。自費出版がブームと呼びうる状態にあることだけは、感じ取れたがそれ以上を一瞬で理解することは無理だった。

十数日の間、ネット上をうろついていて判ったことは、自費出版には賛否あるということだ。自費出版の素晴らしさを強調し煽る内容もさることながら、そのネガティブな面を強調する内容も目に付いた。後者は、「一部の悪質な出版社」と「一部の著者の無知」に大別出来よう。初めて自費出版を志す私には、刺激が強い内容であった。

結局、ネット上でいくつかに絞った出版社とコンタクトしたが、大半は「原稿出来たらもっといで」という反応だった。相談は原稿が出来てからという暗黙のハードルがあったようだ。そんな中、石川書房さんだけが熱心に私の構想に耳を傾けてくれた。程なくカバーデザインの案をお送りいただいたことが決め手になって出版社を決めたと言っても過言ではない。よいめぐり合わせが全てだが、運をたぐり寄せた面も無いではない。

まず、私自身が「売れぬ覚悟」が出来ていたことが大きい。売れぬ覚悟はイコール、書店に並べ得ない覚悟だ。この消去法から、ブログを立ち上げてのネット販売が導かれた。この部分がしっかりしていたことで、「あなたの本を書店に並べます」のセールストークに背を向けることが出来た。同時に原稿募集目的の出版社系の原稿コンクールを無視したことも大きい。

今、目の前に「ブラームスの辞書」がある。今日のようなニュースを知ったせいか、いつもよりキラキラと輝いて見える。「よく無事で生まれてきたね」と心から思う。子供たちが生まれるたびに思ったことと全く同じである。「我が子同然」とは良く言ったものだ。

2006年4月18日 (火)

ターセット

「降り番」のこと。ある多楽章楽曲において、全体としては合奏に加わる設定になっていながら、特定の楽章においては全く出番が無いこと。確かスペルは「Tacet」だったと思う。元々加わっていない場合は「ターセット」とは言わないようだ。たとえばヴィオラはピアノ三重奏曲には出番がないが、こういうケースでは「ターセット」とは言わないらしい。いわば「楽章丸ごとの降り番」と位置づけられる。

ブラームスにおいては交響曲の中間楽章でホルンを除く金管楽器やティンパニで見られる。もちろんヴィオラでは一切発生しない。この「ターセット」がヴァイオリンで発生している例がドイツレクイエム第一曲に存在する。ドイツレクイエムの第一曲はヴァイオリンが除かれた編成で立ち上がるのだ。ヴィオラ以下の弦楽器が6部に分けられている。第一ヴィオラが弦楽器最高音の地位に君臨するのだ。最高音はBつまりヴィオラA線上の第五ポジションの4の指になる。

ヴィオラ弾きの感情は微妙である。普段プリマドンナのヴァイオリンと、片方の主役のチェロに挟まれて、せっせと伴奏(ブラームスに限っては退屈ではないが)にいそしんでいたところ、急に「ヴァイオリンがいないんでよろしく」と言われると、「鬼の居ぬ間に・・・」とはならずに、かえって緊張してしまうのだ。

他にも極端な例がある。「管弦楽のためのセレナーデ第二番op16」は全曲にわたりヴァイオリンが除かれている。これなど弦楽器を主導する立場と言いながら、なんだかケツの座りが悪いのである。

結局は「ヴァイオリンやチェロに挟まれていてこその快適」であることを気付かされる。因果な性質だと思う。私だけだろうか?

2006年4月17日 (月)

二重唱の魅力

「私家版ブラームス全集」のコンプリートまで二重唱6曲を残すのみとなった。そのせいか、最近CDショップを徘徊して、二重唱のCDを手当たり次第に購入している。目指す作品75はなかなか見つからないが、おかげで二重唱曲のコレクションも充実してきた。

「Die Schwestern」作品61-1という曲がお気に入りだ。「姉妹」という意味だ。歌詞は、「容姿がとてもよく似たチャーミングな姉妹がいる。双子でもないのに二人はとてもよく似ている。二人はとても仲良しで糸を紡ぐときは隣に座り、寝るのも同じベッドだ。しかし、ある時二人は一人の男に恋をした。仲良しももうおしまい」とでもいうような内容である。

これが、Allegrettoのテンポにのって、やや哀愁を帯びたト短調で疾走するのだ。ソプラノとメゾソプラノの2人がつかず離れずの間合いでキリリ、キビキビなアンサンブルを披露する。一人の男を好きになるところで、ト長調に転じるあたりが小粋である。「もうおしまい」に相当するのが「ein end」という歌詞だ。「ジャンジャン」という感じでバッサリと終わるのが、これまたスパイスが効いている。

我が家にはこの曲のCDが4種類ある。

  1. エディタ・グルベローヴァ&ヴェッセリーナ・カサローヴァ
  2. フェリシティ・ロット&アン・マレー
  3. ジュリアン・バンセ&ブリギッテ・ファスベンダー
  4. バーバラ・ボニー&アンジェリカ・キルヒシュラーガー

ご覧の通り華麗である。特にバーバラ・ボニー、フェリシティ・ロット、アン・マレーの3人は何故か独唱歌曲のCDが手に入らないので貴重である。この4種類の演奏を続けて聴くのもなかなか乙である。

2006年4月16日 (日)

とっておきの「giocoso」

手許の音楽用語辞典には「陽気に」「楽しげに」と書かれている。

ブラームスはトップ系で7回この「giocoso」を使っている。「giocoso」単独での使用は一度も無く、すべて他の単語との併用だ。7例全てが長調になっているというブラームスならではの整合性がまぶしい。

さて「presto」1回「allegretto」1回「allegro」4回を「giocoso」と併用した後、生涯最後の用例が作品119-3に出現する。生涯最後の「インテルメッツォ」だ。前例にならって長調になっている。しかしである。「allegro」系や「presto」 などのいわゆる「速め系」との共存に終始してきた「giocoso」だが事ここに至って初めて「Grazioso e giocoso」という現れ方をする。「grazioso」は「優雅に」または「優美に」と解されるメジャーな用語だ。

ブラームス最後のインテルメッツォは、冒頭のダイナミクスも「molto p leggiero」という珍しいもの。「molto p」はブラームスにあっては「p」と「pp」の間の中二階の設定という使われ方をしてきた。つまり「molto p」にはいつも「p」と「pp」の両方が伴って出現してきたが、このインテルメッツォには「pp」が出現しない。

「grazioso」(優美に)の語感と「giocoso」(陽気に)はどうもしっくりなじまない。この2つの語を「e」が結んでいるということは、ブラームス本人は矛盾と感じていなかった証拠だ。何か異質と感じていいたら「e」ではなく「ma」を使ったに違いないのだ。日本語訳が「優美にそして陽気に」では収まりが悪いのだ。

「ブラームスの辞書」ではここで一つの提案を試みている。良い日本語がある。「優美にそして小粋に」がそれである。「giocoso」を本例に限り「小粋に」と捉えてみた。このインテルメッツォの曲想にピッタリだと思っている。

2006年4月15日 (土)

ブラームス街道

今日は、長女が中学入学後初めてのレッスンだった。おいでいただく先生を待つ間、発表会の曲を一緒に練習した。「Home sweet home変奏曲」だ。シャープ2個のニ長調。スケールやら分散和音での装飾が変奏曲っぽい雰囲気を漂わせている。

このとき6年間ヴァイオリンを習わせてきて初めての出来事があった。私が娘に音程を注意されたのだ。ニ長調だからファにはシャープがついている。これまでにもピアノのミスタッチを指摘したりされたことはあったが、こちらもヴァイオリンを弾いていての指摘は初めてである。ファにシャープのつくところを、勘違いしてF音を発してしまい「あれぇ」ということはあったが、今回は自信をもってFis音を出したつもりが「パパ今のファシャープ低くなぁい?」と娘にやられた。確かに低かった。スケールや分散和音がずっと快適に合奏できていたのに、そこの部分で濁った。音出してから内心やばいと思っていたところをズバリ指摘された。「何も言わないと私が悪いことになっちゃうからね」と二の矢が飛んできた。嬉しいものだ。将来、音をはずしたクラリネットあたりをにらみつけるコンマスになりはしないか少々心配な言い草だった。

娘は今、バトミントン部に入りたいと希望している。ヴァイオリンをやめないという条件付である。「両方がんばる」と口では言っている。

娘が今、遥か彼方のブラームスに続く道の上にいることは間違いない。

2006年4月14日 (金)

「semplice」意訳委員会

「poco」に続く意訳委員会第二弾である。そもそも意訳委員会の対象になるということ自体、解釈に苦労していることの裏返しである。手許の音楽事典では、「無邪気に」「素朴に」「飾り気なく」とある。英語の「simple」と語源が同じとも書いてある。であるなら訳語としては「シンプルに」で収まるのではないかとも思うのだが、しっくり度が今いちなのだ。

「semplice」の単独使用例は2例。「semplice」を含む語句になると19例を数える。けして一大勢力ではないのだが、用法に規則性が見つからない。声楽にはけっして現れないことと、f系のダイナミクスとは共存しないことが特色といえば特色だ。しいて言えば「tranquillo」に近いとも思われるが、断言は慎みたい。

ためしに一つの提案をする。「淡々と」がそれである。用例の分析を通じてそう感じるだけで根拠を示せないのが残念だ。

2006年4月13日 (木)

オペラを書かぬわけ

我が家にあるCDの中でブラームスの歌曲を1曲でも歌っている歌手は総勢53名いる。男性18名に女性35名である。声種別の内訳は、以下の通りである。

  1. ソプラノ    17名 32.08%
  2. メゾソプラノ 14名 26.42%
  3. アルト      4名   7.55%
  4. テノール    3名  5.66%
  5. バリトン    13名 24.53%
  6. バス       2名  3.77%

これはなかなか面白いデータだ。私は「ブラームスの辞書」の執筆開始以来、コツコツと歌曲のCDを集めてきたが、特定の歌手への傾倒はないので、店頭にあるCDを手当たり次第という集め方だった。だからこの数字は世の中のブラームスの歌曲の縮図になっていると思ってもそう大きな間違いはないと思われる。

まず言えること、テノールの比率が極端に低いことだ。加えてメゾソプラノとバリトンの健闘が目立つ。CDショップの店頭を思い出して欲しい。歌手別の陳列で一番スペースが割かれているのはソプラノで、次がテノールだ。ブラームスの歌曲に限れば、CDショップ店頭の陳列シェアとパラレルな数値とはいいにくい。メゾソプラノはソプラノのマリアカラス一人のスペースでしかない。またバリトンは一人ディートリッヒ・フィッシャーディースカウを除けば、残りは三大テナーの陳列シェアにも届かない。(これはやや大袈裟)

ブラームスの歌曲においては、オペラでは必ずしも華やかとは言いがたいメゾソプラノやバリトンに光が当てられているのだ。少なくとも歌手たちがそう感じるから無視しえぬ数のCDがリリースされるのだろう。それから重要なのはブラームス以外の歌曲、つまりシューベルトやシューマンやRシュトラウス、モーツアルトではもっとテノールやソプラノが充実しているから、ブラームスのメゾソプラノの充実とテノール日照りは、歌曲全体の傾向ではなく、「ブラームスの傾向」と位置付けられる。ちなみにテノール三名は三大テナーではありません。

これは少々大袈裟に言うならばブラームスの音楽性の発露と捉えることも出来るだろう。ブラームスの脳裏に去来する音楽がメゾソプラノやバリトンを求めるということなのだ。なるほど生涯オペラを書かなかったのは正解かもしれない。

2006年4月12日 (水)

歌曲リスト完成

ブラームスの独唱歌曲作品全てをエクセルに入力した。

作品名(日本語、ドイツ語)、作品番号、作詞者、作曲年、初演年月日、調性、拍子、小節数といった基礎データに加えて、我が家で聴くことが出来る歌手名も検索できるようになった。歌曲への傾倒については、すでに述べたが、さらにさらに深く楽しむためのデータベースが完成したことになる。作品103「ジプシーの歌」の独唱編曲版や、ヴィオラ伴奏付きの作品91も対象とした。もちろん楽譜とCDは全部の作品で揃っている。

CDで演奏が聴ける歌手も入力しているので、CDを新たに買い求めるたびにデータ入力が発生するが、これも一つの楽しみになる。さらに加えて検索やソートが思いのままということになる。お楽しみはこれからというところだ。

ブラダス、ベトダスに続いてリトダスとでも名付けたい。

2006年4月11日 (火)

音楽の三要素

中学か高校で試験に出たら「旋律」「リズム」「和声」と答えねばならない。「おっしゃる通り」という感じで面白くもなんとも無い。

今まで室内楽やオーケストラに携わった経験から私なりの三要素を密かに持っている。

  1. メンツ 演奏を一緒にする仲間のこと。気心の知れた仲間、家族ならなお良し。
  2. 曲   演奏をする曲目。もちろんブラームスであることが望ましい。
  3. 気合  演奏へののめりこみ度。曲への思い入れを含む。

この三つの要素が揃ったとき、良い演奏が出来る。演奏が公開なのか、非公開なのか、あるいは演奏の場所さらには聴衆の数にかかわらず、真剣であることが「気合い」の前提である。多くても数人の室内楽のほうが気心の知れたメンツを集め易い。オケで指揮者を含む全てのメンバーと気心が知れている状態というのは、滅多に実現できるものではあるまい。そして何よりも演奏する曲にメンバーが共感していることが大切だ。

私の結婚式の二次会でみんなで弾いたブラームスの第四交響曲。大学最後の演奏会のーラーの五番。大学のOBの合奏団で経験したRシュトラウスのメタモルフォーゼン」。いつもの室内楽仲間と出演した室内楽フェスティバルで弾いたブラームス弦楽六重奏曲第二番第一楽章。そして何と言っても八ヶ岳音楽祭と河口湖音楽祭のブラームス交響曲全集だ。三要素が全部そろった演奏はさっと思い出せるのだが、この8つくらいだ。

この次に娘と演奏するブラームスが続くことを密かに祈り続けている。

2006年4月10日 (月)

ドイツレクイエム

1868年4月10日、つまり138年前の今日、ドイツ・ブレーメンにてドイツレクイエムが初演された。ブラームスの作曲家としての名声を確立させた出来事である。

レクイエムは一般に日本語で「鎮魂曲」と表記される。本来は「死者のためのミサ曲」なのだが、ラテン語の歌詞の歌い出しの部分がそのまま通称になって定着したものだ。モーツアルト、ヴェルディ、シューマン、ドボルザークなどみんなそのノリでレクイエムを書いている。大切なのは「死者のための」という部分だ。要は死者のための曲なのだ。最後の審判に恐れを抱く死者の魂を開放するために、生きている者たちが歌うのがレクイエムなのだ。日本風に言うと「成仏しろよ」くらいの位置づけなのだろう。

翻ってブラームスの「ドイツレクイエム」は通常のレクイエムの形態を一応なぞってみせてはいるものの、歌詞はラテン語ではなくドイツ語だし、内容もレクイエムの独訳とは程遠いものになっている。ブラームスのドイツレクイエムは既にそうした基本の部分で異例のスタンスをとっている。作品の目的が実は大きく違うのだ。「死によって残された側」の救済が目的あるとさえ思われる。

大切な人と死別したとき、心のリセットのために聴いてみるといい。そのことが腹の底から実感出来る。

2006年4月 9日 (日)

趣味以上、学問未満

A4判上製本400ページ、ざっと36万字をほぼブラームスネタだけで埋め尽くした本を自費出版してしまうような趣味が、サラリーマンの趣味の平均値付近にとどまるとは、思っていない。いわゆる「趣味が昂じて」とはこういう現象を指すのだろう。

しかし、「ブラームスの辞書」が趣味の平均値付近にいないことも確かながら、あくまで趣味の領域にとどまっているということもまた確かな事実である。「ブラームスの辞書」があくまでも学問として扱えない理由はいくつかある。

  1. ブラームスだけに視点が偏っている。ブラームスの特質を明らかにするには、他の作曲家との比較は避けて通れないことながら、「ブラームスの辞書」では、そうした視点が決定的に欠けている。
  2. 譜例を指し示しての議論が貧弱である。
  3. 楽譜の版の明示を意図的に避けている。

ただただ「ブラームスが好き」というスタンスで貫かれた「ブラームスの辞書」は、趣味としては異例ながら、あくまでも学問にまでは届かない領域を志向している。狙ったのは「事実に即したファンタジー」だ。作品を鑑賞したり、演奏したり、楽譜を眺めたりする過程で頭に浮かんだ些細なネタを題材にして、少々の統計的裏づけを与えたものだ。あるいはプラモデルと同じで、製作の過程が楽しいのだ。

さらにはずせない視点がある。「バカ話も情報めかして語るとありがたい」という一点だ。どんな業界にもこうしたノリは存在すると思われる。業界で流布されている定説に自分なりの裏づけを与えたり、反論したりすることや、オリジナルな仮説を提案するという形式を採用して、あたかも情報っぽい雰囲気を与えたと言うわけである。

2006年4月 8日 (土)

メゾソプラノ

女性の声の種類。ソプラノとアルトの間とされる。声域には思ったより差が無い。せいぜい1音か2音で、むしろ音質の差のほうが重視されているという。オペラでの主役といえばもちろんソプラノだ。男性ならテノール。メゾソプラノは主役ソプラノのライバルといった位置づけ。ライバルというと聴こえはいいのだが、実態は「かたき役」ないしは「色仕掛けの使い手」だったりもする。

大きなCDショップへ行くと陳列棚が歌手別になっている。さらには声の種類別に分類されている。売り場面積最大はやっぱりソプラノだ。メゾソプラノは並べられる歌手の知名度や数においてソプラノやテノールの後塵を拝している。

そもそも声楽曲はオペラと歌曲と合唱曲という三本柱からなっている。いやいや、柱として巨大なのはオペラだけで歌曲と合唱曲は日陰者だ。だから巨大な柱を形成するオペラの主役たるソプラノが売り場の主役になることはとても自然なことだ。

しかしだ。ことブラームスの歌曲に限定すれば、メゾソプラノは途端にソプラノに拮抗する勢力となる。ソプラノ歌手の出したCDが、しばしば余技なのに対して、メゾソプラノ歌手のブラームスは飯の種だったりしそうである。楽器でいえばヴィオラみたいなイメージだ。

ブラームスの作品がメゾソプラノの音質を要求しているとしか思えない。アルトやコントラルトにも同様の現象が起きている。たとえば「4つの厳粛な歌」作品121はブラームスの遺書代わりの作品だ。元々男性歌手の専売特許だが、これを女性も歌うことがある。実をいうと私の知る範囲ではあまりソプラノは歌わない。上限はメゾソプラノあたりにあるようだ。燦然と輝くコロラトゥーラも結構だが、ブラームスを聴くなら底光りのする声が相応しいような気がする。

2006年4月 7日 (金)

楽譜の立場

音楽という芸術における楽譜の立場について考えたい。

作曲家が自作を後世に残す手段は、主に楽譜である。作曲家は頭に浮かんだ楽想を、最終的には楽譜という形式に転写して世間に発表する。口述秘伝やCDに自作自演を録音するという手段も考えられぬではないが、一般的とはいえない。

楽譜はけして音楽そのものではない。楽譜を見て「美しい」と感動させる狙いはこめられていない。楽譜を見ての演奏という行為が有って初めて芸術として成り立つのだ。この点、彫刻絵画とは大きく状況が異なる。彫刻絵画は、作者その人が残したものがそのまま鑑賞の対象となっている。無論ブラームスの自筆譜ともなればその価値は計り知れないが、その有り難味はモナリザの現物のそれとは事情を異にする。作曲家の自筆譜は骨董的価値を別にすれば、彫刻絵画のそれとは一線を画していよう。

地球上には各地にその地方独特の音楽が存在していたハズである。現在はそのうちの欧州地方に存在していた音楽が地球に君臨していると思われる。この原因について考えると楽譜の貢献はとても大きいのではなかろうか。欧州の音楽が地上を席捲している原因は、楽譜の発明と天才の出現によるところが多いと思う。

私は楽譜に保存された楽想の再生の結果としての音楽を心から愛するものであるが、保存の手段たる楽譜にも深い愛着を感じている。楽想の再生が正しく行われることを念じて作曲家が、思いを込めた痕跡が必ず横たわっていると信じる立場である。

こうした考えが「ブラームスの辞書」の背景にあること申すまでも無い。

2006年4月 6日 (木)

ドリアンリート

東南アジア産の例の果物の名前ではない。これを最初に断らねばならないのが辛いところである。

この場合の「ドリアン」は「ドリア調の」という形容詞的な働きをする単語である。しからば「ドリア調」とは何か?超平たく言うと、ピアノの白鍵をCから順に弾くとハ長調になるが、これをCではなくDから弾くとそれがドリア調だ。ニ短調の旋律的短音階のうちCisがナチュラルした形である。

先日、とある音楽用語の解説書を読んでいた。バロック時代までの古い時代には、最後に付与される調号を省略する習慣があったらしい。フラットを伴う短調や、シャープを伴う長調にその傾向が見られたという。省略した調号はその都度臨時記号を付加して補っていたらしい。たとえばニ短調なら現在であればHにフラットが付与されるという調号が一般的なところ、調号を付与しないということなのだ。

バッハの「トッカータとフーガニ短調」BWV538にこの実例があり、ゆえに「ドリアントッカータ」と呼ばれているという。

フラット1個の調号を持ったニ短調で言うと旋律的短音階を弾こうとすると、「Bにナチュラル、Cにシャープ」という臨時記号を付加せねばならない。もしもドリアン風の調号なら、「Cにシャープ」だけでいいことになる。

実はブラームスにもこの実例がある。作品48-6「幸せも救いも僕から去った」がそれだ。2分の4拍子のアンダンテで、ほぼ全曲がいわゆる「白玉」2分音符と全音符で出来ている。作品番号つきの作品で2分の4拍子は多分これだけだろう。この曲鳴っている音はニ短調なのに調号にはフラットもシャープもない。臨時記号は全曲を通じてCへのシャープが16回とHへのフラットが2回現れる。

古風な感じがする渋いリートになっている。つまり「ドリアンリート」である。

2006年4月 5日 (水)

弦楽六重奏曲ピアノトリオ版

ブラームスの2曲の弦楽六重奏曲がピアノトリオ版に編曲された楽譜が出版されている。

テオドール・キルヒナーという人の手による編曲だ。彼はブラームスの友人の作曲家だそうだ。友人のマンションで開かれた「室内楽のつまみ喰い大会」で一番第一楽章に挑戦したことがある。娘のヴァイオリンを引っ張り出してのチャレンジだ。

一方この演奏を収めたCDも手許にある。せっかくだから「私家版ブラームス全集」にも入れてあげている。

ヴィオラ弾きのわがままと笑っていただきたいのだが、はっきり言って好きになれなかった。原因はいろいろある。原曲がとても好きだというのが最大の原因だのだろう。原曲の味わいは弦楽四重奏曲に比べて中低音の音域がヴィオラとチェロによって補強されていることに尽きる。これを根こそぎピアノに差し替えては元も子もないということだ。当然ながら原曲ではヴィオラにあてがわれているフレーズが、他の楽器に付け替えられている。なまじ原曲を知っているだけに、本来ヴィオラの旋律が出てくると「あっ、それボクのだ」みたいに耳が反応してしまって、じっくり演奏も鑑賞できなかった。

クラリネットソナタのヴィオラ版には熱狂しているのとは対照的だ。クラリネット五重奏曲のヴィオラ版には懐疑的だったりして何かと一貫していない。

こうした編曲物が出版されていること自体、原曲の人気の証明なのだろうとは思うが、やはりオリジナルな編成が一番しっくり来るというものだ。

2006年4月 4日 (火)

ヘミオリスト

ブラームスのこと。個人的にはブラームスを史上最高の「ヘミオラの使い手」と思っている。思い込みが激しいとの批判は覚悟の上での話だ。「ブラームスの辞書」のようなオタクな本を出版してしまった私ではあるが、さすがにブラームスの使用したヘミオラの全てをリストアップはしていない。ましてや他の作曲家についてヘミオラの使用頻度を捉えている訳ででもない。それでいてなお「史上最高」と称したいというわけだ。

ヘミオラ。語源はどうやらギリシャ語あるいはラテン語だそうだ。「1.5」とか「3対2」とかいう意味のようだ。転じて「比例配分」の意味。ブラームスの使用実態から見るとこの「比例配分」という語感がピッタリとはまり込む。

ブラームスが仕掛けるヘミオラをいくつかに分類してみると以下の3つがよく用いられていると思われる。

  1. 「6/8拍子と3/4拍子」の間で起きる。両者に共通する「8分音符6個」という切り口を軸足にして自在にピポットして見せる。数字の裏付けはないが、このパターンが一番多いような気がする。作品76-5のカプリチオは全曲この感覚で貫かれている。作品119-3も気持ちがいい。
  2. 「3/4拍子と3/2拍子」の間で起きる。「4分音符6個」という切り口がピポットフットだ。たとえばヴァイオリン協奏曲第一楽章や弦楽四重奏曲第二番第四楽章で見られる。これも1型と同様使用頻度は高い。
  3. 「6/4拍子と3/2拍子」の間で起きる。2型と同様「4分音符6個」という切り口だ。とゆうよりブラームスが6/4拍子を採用するのはヘミオラがやりたいためだと断言したいくらいだ。第三交響曲第一楽章を筆頭とする6/4拍子が現れたら、まずヘミオラの存在を予想していい。

最近のお気に入りは、「永遠の愛」op43-1だ。この曲、三部に分かれている。「夜の描写」「男の弱音」「健気な女」とでも名付けうる構成だ。第二部の「男の弱音」までが3/4拍子だ。第三部で複縦線を境に6/8拍子と明記される。これだと単なる拍子の変更だけで面白くもなんともないのだが、第三部がまさにクライマックスを迎える113小節目のピアノパートが事実上3/4拍子にすり替わるのだ。この場所曲中で「f」が最初に記された場所でもあるのだが、声のパートは頑として6/8拍子で突っ張り続けているから、ピアノ側の3/4拍子との間でせめぎ合いが起きる。116小節目で一瞬ピアノが6/8拍子に戻るとき、声の側に軍配かと思わせておいて、次の117小節目で声が歌い切ると同時にピアノ側に再び力強い3/4が復帰する。エンディングまでの4小節間、ピアノは声の側が沈黙する中、3/4拍子を貫き続ける。記譜上の表示はあくまでも6/8拍子を押し通したままで、実質的には楽曲冒頭の3/4拍子が回帰するというわけだ。

このラスト9小節のせめぎあいが明瞭に聴こえてこない演奏だけは、願い下げである。

2006年4月 3日 (月)

ブラームス没後109年

今日4月3日はブラームスの命日。1897年4月3日ウイーンにて没した。だから今年は没後109周年という訳だ。たしかに生誕250周年に比べるとかなり歯切れが悪い。CD業界や出版業界からはほぼ無視されている。来年の110周年にしても同様だと思われる。せめて私がここで言及することとしたい。

「まだ109年しか経っていない」とも言える一方、100年以上も前の作品が、飽きられずに繰り返し演奏されていて、こうしている間にも新たな愛好家を増やしているという意味では100年は長い。

ブラームス本人が切望していた通り、彼の作品は確固たる地位を獲得している。バッハやベートーヴェンやモーツアルトの作品と同等の永続性を持ち合わせていると思われる。恐らく没後200年も人々から忘れられることはないだろう。

以前にも述べたのだが、4月3日は私の父の誕生日だ。1935年4月3日生まれだ。

2006年4月 2日 (日)

引導の渡し役

大学オケのデビュー演奏会でブラームス第二交響曲を弾き、すっかりブラームスを見直した私だったが、中学以来のベートーヴェン熱が冷めてしまったわけではなかった。「ブラームスでさえこれほど楽しいのだから、ベートーヴェン様だったら、もっと楽しめるに違いない」と確信さえしていたのだ。そしてすぐにそのことを検証するチャンスが訪れることになる。ブラームスの第二交響曲を演奏した次の定期演奏会のメインプログラムがベートーヴェンの第三交響曲に決まったのだ。

ベートーヴェンの第三交響曲といえば、「英雄」という通り名がまぶしい、ベートーヴェン城の本丸、保守本流だ。これでブラームス熱などすっかり消し飛ぶに違いないと、当時の私は本気で思っていたのだ。

約4ケ月の間を通じてブラームスの二番に挑んだ時以上の手間ヒマかけて練習に没頭した。無論ヴィオラを始めて一年もたたないひよっ子には荷の重い曲だったには違いないのだが、ブラームス第二交響曲には確かに存在した報われる瞬間がなかなか来なかった。「こんなはずではなかった」と感じるのにさしたる時間はかからなかった。

さて、メインプログラムのベートーヴェンに続いてサブプログラムとオープニングが決まった。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲と、ブラームスの大学祝典序曲だった。

配られた楽譜が、指番号で埋まる頃、異変に気付いた。大学祝典序曲が面白いのだ。大学祝典序曲は、ブラームスの保守本流ではないにもかかわらず、ベートーヴェン様の英雄交響曲を凌ぐ面白さでキラキラ輝いていた。旋律にありつく頻度なんぞ大して変わりはしないのだが、生かされ方に半端でない説得力がある。「ひょっとするとブラームスって只者ではないのかもしれない」という考えが頭の中をよぎった。駅伝風に言うならベートーヴェンとブラームスの間に横たわっていた広大な差を第二交響曲が追い詰めて、第二交響曲の次の走者、大学祝典序曲で並ぶ間もなく追い抜いたようなイメージだ。そう。ベートーヴェン様に引導を渡したのは交響曲ではなく、大学祝典序曲なのだ。

時は1979年春。このとき首位に踊り出て以降、今日まで27年間ブラームスは私の脳味噌に君臨している。おそらく死ぬまで誰かにとって代わられることは・・・・・あるまい。

2006年4月 1日 (土)

初演あれこれ

ブラームスに限らず作曲家の伝記を読んでいると、数々の作品が、どういう経緯で生み出されたかというエピソードが、脈々と語られることが多い。それらのうちの多くが初演にまつわるエピソードであったりもする。

「初演」の定義とは何だろう。ものの本に寄れば「楽曲が、完成後最初に演奏される機会のこと」と解されているようだ。とりあえず判ったような気にはなっていたのだが、よく考えるとおかしなこともある。

たとえばマッコークルの「ブラームス作品目録」によれば、ピアノソナタ第一番の初演は「1853年12月1日ライプチヒにてブラームス本人の演奏により」となっている。ブラームスは作曲後一度もこのソナタを全曲演奏したことがなかったのだろうか?

こうなると「初演」という言葉を「客観的な証拠により立証可能な初めての演奏」と解さざるを得ない。マッコークルはそのあたりを意識してか、公開の初演と「私的初演」を分けている。それにしてもまだ、疑問は払拭しない。

世に名高いブラームスのシューマン家訪問は1853年9月30日である。大抵の伝記にはそう書いてある。このときブラームスはシューマン夫妻の前でピアノソナタ第一番を演奏したことになっている。シューマン夫妻の前では全曲演奏しなかったのだろうか?これなどは、シューマン本人の日記で客観的に証明できるはずなのに、「私的初演」とは認められていない。

大勢の演奏家の参加が前提となる大編成の曲であれば、「客観的な証拠により立証可能な初めての演奏」という概念で辻褄があうことが多いが、それでも初演に先立つ練習やゲネプロで、全曲通しをしていないかどうか立証せねばなるまい。

一人か二人で演奏が出来てしまう曲は、もっと怪しくなる。ピアノ独奏曲、連弾曲、独唱歌曲は、とりあえず「公開の演奏会の最初のもの」が「作曲後初めての演奏」である確率はかなり低いと覚悟せねばなるまい。特にピアノ曲は、厄介だ。ブラームスは自作を出版する前にクララ・シューマンに草稿を送って批評を請うことを常としていた。クララは毎回必ず、キチンとした批評を返していたらしい。となると少なくともピアノ独奏曲の初演は全てクララ・シューマンでなければ辻褄が合わない。しかしながらマッコークルの作品目録ではそうなっていない。無論、クララが初演となっている曲も存在するが、全部とはなっていない。

そんな曖昧さのとばっちりか、「ブラームス&クララ」というゴールデンコンビによって初演されたことになっているブラームスの作品は大変少ない。「ブラームス指揮のクララ独奏」か「二人のピアノ連弾」という組み合わせしかないことも少ないことの原因だ。

ゴールデンコンビによる初演は「ハンガリア舞曲」しかない。第一集と第二集両方全21曲がこの二人による初演だ。記録の上では他には存在しない。バカを言ってはいけない。ブラームスは自作の大半をピアノ連弾用に編曲している。少なくともピアノ連弾用の作品は出版に先立って、クララと試演していたと考える方が自然なのだ。日時が客観的に証明できないものを初演とはしないと定義すると、こういう現象が起き得る。

初演という概念の持つ曖昧さを棚上げにすれば、話のタネとしては面白い。最も作品が初演されている月は11月で104作。第二位が1月で83作。一番少ないのは8月で何とゼロだ。あくまでマッコークルの上でのお話。夏休みには避暑地で悠々と作曲という訳だ。

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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