引導の渡し役
大学オケのデビュー演奏会でブラームス第二交響曲を弾き、すっかりブラームスを見直した私だったが、中学以来のベートーヴェン熱が冷めてしまったわけではなかった。「ブラームスでさえこれほど楽しいのだから、ベートーヴェン様だったら、もっと楽しめるに違いない」と確信さえしていたのだ。そしてすぐにそのことを検証するチャンスが訪れることになる。ブラームスの第二交響曲を演奏した次の定期演奏会のメインプログラムがベートーヴェンの第三交響曲に決まったのだ。
ベートーヴェンの第三交響曲といえば、「英雄」という通り名がまぶしい、ベートーヴェン城の本丸、保守本流だ。これでブラームス熱などすっかり消し飛ぶに違いないと、当時の私は本気で思っていたのだ。
約4ケ月の間を通じてブラームスの二番に挑んだ時以上の手間ヒマかけて練習に没頭した。無論ヴィオラを始めて一年もたたないひよっ子には荷の重い曲だったには違いないのだが、ブラームス第二交響曲には確かに存在した報われる瞬間がなかなか来なかった。「こんなはずではなかった」と感じるのにさしたる時間はかからなかった。
さて、メインプログラムのベートーヴェンに続いてサブプログラムとオープニングが決まった。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲と、ブラームスの大学祝典序曲だった。
配られた楽譜が、指番号で埋まる頃、異変に気付いた。大学祝典序曲が面白いのだ。大学祝典序曲は、ブラームスの保守本流ではないにもかかわらず、ベートーヴェン様の英雄交響曲を凌ぐ面白さでキラキラ輝いていた。旋律にありつく頻度なんぞ大して変わりはしないのだが、生かされ方に半端でない説得力がある。「ひょっとするとブラームスって只者ではないのかもしれない」という考えが頭の中をよぎった。駅伝風に言うならベートーヴェンとブラームスの間に横たわっていた広大な差を第二交響曲が追い詰めて、第二交響曲の次の走者、大学祝典序曲で並ぶ間もなく追い抜いたようなイメージだ。そう。ベートーヴェン様に引導を渡したのは交響曲ではなく、大学祝典序曲なのだ。
時は1979年春。このとき首位に踊り出て以降、今日まで27年間ブラームスは私の脳味噌に君臨している。おそらく死ぬまで誰かにとって代わられることは・・・・・あるまい。
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