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2006年4月 1日 (土)

初演あれこれ

ブラームスに限らず作曲家の伝記を読んでいると、数々の作品が、どういう経緯で生み出されたかというエピソードが、脈々と語られることが多い。それらのうちの多くが初演にまつわるエピソードであったりもする。

「初演」の定義とは何だろう。ものの本に寄れば「楽曲が、完成後最初に演奏される機会のこと」と解されているようだ。とりあえず判ったような気にはなっていたのだが、よく考えるとおかしなこともある。

たとえばマッコークルの「ブラームス作品目録」によれば、ピアノソナタ第一番の初演は「1853年12月1日ライプチヒにてブラームス本人の演奏により」となっている。ブラームスは作曲後一度もこのソナタを全曲演奏したことがなかったのだろうか?

こうなると「初演」という言葉を「客観的な証拠により立証可能な初めての演奏」と解さざるを得ない。マッコークルはそのあたりを意識してか、公開の初演と「私的初演」を分けている。それにしてもまだ、疑問は払拭しない。

世に名高いブラームスのシューマン家訪問は1853年9月30日である。大抵の伝記にはそう書いてある。このときブラームスはシューマン夫妻の前でピアノソナタ第一番を演奏したことになっている。シューマン夫妻の前では全曲演奏しなかったのだろうか?これなどは、シューマン本人の日記で客観的に証明できるはずなのに、「私的初演」とは認められていない。

大勢の演奏家の参加が前提となる大編成の曲であれば、「客観的な証拠により立証可能な初めての演奏」という概念で辻褄があうことが多いが、それでも初演に先立つ練習やゲネプロで、全曲通しをしていないかどうか立証せねばなるまい。

一人か二人で演奏が出来てしまう曲は、もっと怪しくなる。ピアノ独奏曲、連弾曲、独唱歌曲は、とりあえず「公開の演奏会の最初のもの」が「作曲後初めての演奏」である確率はかなり低いと覚悟せねばなるまい。特にピアノ曲は、厄介だ。ブラームスは自作を出版する前にクララ・シューマンに草稿を送って批評を請うことを常としていた。クララは毎回必ず、キチンとした批評を返していたらしい。となると少なくともピアノ独奏曲の初演は全てクララ・シューマンでなければ辻褄が合わない。しかしながらマッコークルの作品目録ではそうなっていない。無論、クララが初演となっている曲も存在するが、全部とはなっていない。

そんな曖昧さのとばっちりか、「ブラームス&クララ」というゴールデンコンビによって初演されたことになっているブラームスの作品は大変少ない。「ブラームス指揮のクララ独奏」か「二人のピアノ連弾」という組み合わせしかないことも少ないことの原因だ。

ゴールデンコンビによる初演は「ハンガリア舞曲」しかない。第一集と第二集両方全21曲がこの二人による初演だ。記録の上では他には存在しない。バカを言ってはいけない。ブラームスは自作の大半をピアノ連弾用に編曲している。少なくともピアノ連弾用の作品は出版に先立って、クララと試演していたと考える方が自然なのだ。日時が客観的に証明できないものを初演とはしないと定義すると、こういう現象が起き得る。

初演という概念の持つ曖昧さを棚上げにすれば、話のタネとしては面白い。最も作品が初演されている月は11月で104作。第二位が1月で83作。一番少ないのは8月で何とゼロだ。あくまでマッコークルの上でのお話。夏休みには避暑地で悠々と作曲という訳だ。

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