ドリアンリート
東南アジア産の例の果物の名前ではない。これを最初に断らねばならないのが辛いところである。
この場合の「ドリアン」は「ドリア調の」という形容詞的な働きをする単語である。しからば「ドリア調」とは何か?超平たく言うと、ピアノの白鍵をCから順に弾くとハ長調になるが、これをCではなくDから弾くとそれがドリア調だ。ニ短調の旋律的短音階のうちCisがナチュラルした形である。
先日、とある音楽用語の解説書を読んでいた。バロック時代までの古い時代には、最後に付与される調号を省略する習慣があったらしい。フラットを伴う短調や、シャープを伴う長調にその傾向が見られたという。省略した調号はその都度臨時記号を付加して補っていたらしい。たとえばニ短調なら現在であればHにフラットが付与されるという調号が一般的なところ、調号を付与しないということなのだ。
バッハの「トッカータとフーガニ短調」BWV538にこの実例があり、ゆえに「ドリアントッカータ」と呼ばれているという。
フラット1個の調号を持ったニ短調で言うと旋律的短音階を弾こうとすると、「Bにナチュラル、Cにシャープ」という臨時記号を付加せねばならない。もしもドリアン風の調号なら、「Cにシャープ」だけでいいことになる。
実はブラームスにもこの実例がある。作品48-6「幸せも救いも僕から去った」がそれだ。2分の4拍子のアンダンテで、ほぼ全曲がいわゆる「白玉」2分音符と全音符で出来ている。作品番号つきの作品で2分の4拍子は多分これだけだろう。この曲鳴っている音はニ短調なのに調号にはフラットもシャープもない。臨時記号は全曲を通じてCへのシャープが16回とHへのフラットが2回現れる。
古風な感じがする渋いリートになっている。つまり「ドリアンリート」である。
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