アドリブ
もはや日本語に定着している。本来は「ad libitum」と綴るラテン語で「自由に」という意味。しばしば「ad lib」と略記されることが、「アドリブ」という日本語の語源になっていると思われる。テレビのバラエティー番組ではこれの連続だという。脚本があるにはあるが、タレントたちのアドリブで繋いでいるらしい。
音楽の現場における意味を簡単に考察するなら「一時的かつ意図的な楽譜からの逸脱」とでも位置付けられるだろうか。単なる間違いは意図的ではないのでアドリブとは言わないが、言い訳には利用できる。「一時的」の解釈も時には多様で、ジャズの世界では曲中ほとんどアドリブということもあるそうだ。
楽譜に保存された音楽の再生が主体のクラシック音楽界では、楽譜の内容を音に翻訳する作業が重要だ。つまり「楽譜通り」であることがいつも要求されている。「ad lib」という用語は、「ここだけは楽譜から逸脱してもいい」という記号である。クラシック界では、楽譜からの逸脱さえ楽譜の指示に従うということなのだ。
さてブラームスにも「ad lib」は出現している。協奏曲のカデンツァを別にすると概ね以下の通りに分類される。
- 「テンポの自由」を許可するもの。「ティークのマゲローネのロマンス」作品33-3の82小節目と107小節目や同じく作品33-15の72小節目にこの例がある。「テンポの自由」の許可期限が切れる場所に「a tempo」があることが特徴だ。
- 「テンポの自由」を許可するが、何故か「a tempo」でリセットされないパターンだ。作品58-3「つれない娘」の32小節目にある。ピアノ協奏曲第二番第三楽章97小節目の独奏チェロに出現するのもこのケースと思われるが、自由度はあまり高くなさそうだが、次項「演奏するしないの自由」と解するにはあんまりな出番である。
- 「演奏するしないの自由」を許可するもの。何らかの原因でとしか言えない。せっかく書いてある音符を弾かなくてもいいなんぞ積極的な意味があるとも思えないのだが、ホルン三重奏曲第一楽章220小節目のホルンにこのパターンが出現する。
- 「演奏方法の自由」を許可するもの。チェロソナタ第二番第四楽章128小節目のチェロに「pizz marcato」と指図する一方で「ad lib col arco pp e staccato」と記されている。「ppのスタッカートで弾けるなら弓奏でもいいからね」と読める。
このほか、「ossia譜を弾いてもいい」という自由もあるがこちらはいちいち「ad lib」とは記されていないようだ。
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