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2006年4月 7日 (金)

楽譜の立場

音楽という芸術における楽譜の立場について考えたい。

作曲家が自作を後世に残す手段は、主に楽譜である。作曲家は頭に浮かんだ楽想を、最終的には楽譜という形式に転写して世間に発表する。口述秘伝やCDに自作自演を録音するという手段も考えられぬではないが、一般的とはいえない。

楽譜はけして音楽そのものではない。楽譜を見て「美しい」と感動させる狙いはこめられていない。楽譜を見ての演奏という行為が有って初めて芸術として成り立つのだ。この点、彫刻絵画とは大きく状況が異なる。彫刻絵画は、作者その人が残したものがそのまま鑑賞の対象となっている。無論ブラームスの自筆譜ともなればその価値は計り知れないが、その有り難味はモナリザの現物のそれとは事情を異にする。作曲家の自筆譜は骨董的価値を別にすれば、彫刻絵画のそれとは一線を画していよう。

地球上には各地にその地方独特の音楽が存在していたハズである。現在はそのうちの欧州地方に存在していた音楽が地球に君臨していると思われる。この原因について考えると楽譜の貢献はとても大きいのではなかろうか。欧州の音楽が地上を席捲している原因は、楽譜の発明と天才の出現によるところが多いと思う。

私は楽譜に保存された楽想の再生の結果としての音楽を心から愛するものであるが、保存の手段たる楽譜にも深い愛着を感じている。楽想の再生が正しく行われることを念じて作曲家が、思いを込めた痕跡が必ず横たわっていると信じる立場である。

こうした考えが「ブラームスの辞書」の背景にあること申すまでも無い。

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