趣味以上、学問未満
A4判上製本400ページ、ざっと36万字をほぼブラームスネタだけで埋め尽くした本を自費出版してしまうような趣味が、サラリーマンの趣味の平均値付近にとどまるとは、思っていない。いわゆる「趣味が昂じて」とはこういう現象を指すのだろう。
しかし、「ブラームスの辞書」が趣味の平均値付近にいないことも確かながら、あくまで趣味の領域にとどまっているということもまた確かな事実である。「ブラームスの辞書」があくまでも学問として扱えない理由はいくつかある。
- ブラームスだけに視点が偏っている。ブラームスの特質を明らかにするには、他の作曲家との比較は避けて通れないことながら、「ブラームスの辞書」では、そうした視点が決定的に欠けている。
- 譜例を指し示しての議論が貧弱である。
- 楽譜の版の明示を意図的に避けている。
ただただ「ブラームスが好き」というスタンスで貫かれた「ブラームスの辞書」は、趣味としては異例ながら、あくまでも学問にまでは届かない領域を志向している。狙ったのは「事実に即したファンタジー」だ。作品を鑑賞したり、演奏したり、楽譜を眺めたりする過程で頭に浮かんだ些細なネタを題材にして、少々の統計的裏づけを与えたものだ。あるいはプラモデルと同じで、製作の過程が楽しいのだ。
さらにはずせない視点がある。「バカ話も情報めかして語るとありがたい」という一点だ。どんな業界にもこうしたノリは存在すると思われる。業界で流布されている定説に自分なりの裏づけを与えたり、反論したりすることや、オリジナルな仮説を提案するという形式を採用して、あたかも情報っぽい雰囲気を与えたと言うわけである。
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