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2006年5月31日 (水)

ブログタイトル総覧

ブログ「ブラームスの辞書」開設一周年を記念して、過去の記事のタイトルを振り返ることにした。本日のこの記事を入れて全部で414本だ。退屈は承知の上の儀式である。

【2005年5月】序奏/まずは!/めばえ/単純作業/執筆

【2005年6月】出版社選び/お打ち合わせ/出版契約/校正のプロフェッショナル/譜例との格闘/最後の校正/産地偽装/演奏家論/作曲家論vs演奏家論/調味料論/ブラームスネタ/最終校正①/困った問題/昔話/最終校正②/祝、脱稿/登場人物/配布と販売/マッコークル/ターゲット論/ヴィオラと私/学生オーケストラ/完全版下の台紙/名刺/切り貼りの朝/切り貼り完結/亡き妻に/いたずら/至福の一ヶ月/用語解説/作品123/パソコン一周年/ピアノ五重奏曲/初期ピアノ作品症候群/著作権の行方/伊独辞典状表記/マーケットサイズ/第三楽章問題/不完全版下/微調整語/母に/煽り系と抑制系/伴奏の藝術/中二階効果/子供たち/インターネット書店/金管打抑制/トップ系とパート系/22000行のエクセルデータ/mp銀座/不完全版下のその後/ノントロッパー/ブログ開設一ヶ月/presto銀座

【2005年7月】協奏曲風指定/運試し/maの二面性/生演奏と家庭菜園/sempreの賞味期限/カバーデザイン/ダイナミクスレンジ/スピードレンジ/石川書房/標題機能/納本日決定/喜び方のルール/原体験/通し番号/主旋律マーカー/写譜の楽しみ/ベースラインマーカー/足音/納本記念日/本の題名/祝!対面/prestoあれこれ/献本行脚①/発想記号の名詞機能/声は魔法/販売要項/トレーサビリティー/マリオのヴァイオリン屋さん/マイアルバム公開/献本行脚②/刊行一週間/ヴァイオリンレッスン/旧友と/sostenutoのピアノ偏在/ブラームシスト/吉報/動体視力/出版社の都合/crescendoの一理塚/装丁の評判/投稿100件到達/ブラームス・ムゼウム/国会図書館/本のプロ/ブラームスのマグカップ/フォルツァンド御三家/伴奏マーカー/最小の匙加減/ブログ開設二ヶ月/寿室内管弦楽団/祝週間100アクセス

【2005年8月】分水嶺/河口湖音楽祭/cantabile考/自費出版文化賞/父について/中国出張/思いがけない贈り物/marcatoの記憶/献本行脚③/ハ短調のスケルツォ/発刊一ヶ月/日本自費出版ネットワーク/発想の源泉/帰省ラッシュの実感/accelerandoの消滅/千葉披露宴サービス/agitatoは短調/ブラームスへの坂道/献本行脚④/我が家の楽器/モデラート周辺/メトロノームのこと/con moto考/初受注!!/夏合宿/animatoの謎/のだめの中のブラームス①/検索ロジック/週間アクセス300/のだめの中のブラームス②/献本行脚⑤

【2005年9月】piuの掟/献本行脚⑥/のだめの中のブラームス③/「p」は弱くない/のだめの中のブラームス④/ブログ立ち上げ100日/ブラームスのエロイカ/のだめの中のブラームス⑤/中国出張の予定/やけに嬉しいこと/ホルンへの嫉妬/よい子のための楽しいヴィオラ曲集/quasi論/のだめの中のブラームス⑥/祝2000アクセス/poco f賛/マーケットサイズ再考/のだめの中のブラームス⑦/週間アクセス600突破/記事の管理について/作曲家簡易人気投票/のだめの中のブラームス⑧/銭湯の下駄箱/ネタの備蓄/インテルメッツォとカプリチオ/書店における訳がない/我が家のチェリスト/のだめの中のブラームス⑨/歌いたい/落差

【2005年10月】意あって力足りず/祝3000アクセス/合わせてなんぼ/のだめの中のブラームス⑩/伝仁徳天皇陵/架空・共同記者会見/voce系のお話/秋川の奇跡/宴の後、祭りの前/ウイーンの思い出/のだめの中のブラームス⑪/国内版/むすめふさほせ論/アザースたち/音形ごっこ/「Sontag」op47-3/のだめの中のブラームス⑫/f ma dolce/ブラームスとサッカー/帰国報告/トラックバック音痴/リヒャルト・ミュールフェルト/のだめの中のブラームス⑬/倒置論/移動音楽教室/「e」の話/ヴィオラ仲間/のだめの中のブラームス⑭/記事200本/ヴァイオリン発表会/アルバム「中国紀行」

【2005年11月】ささやかな出来事/初受注/分数ヴァイオリン卒業/室内楽喫茶/のだめの中のサッカー/弓選び/踏ん切りとしてのハ短調/たかがカンマ、されどカンマ/「4」の因縁/のだめの中のブラームス⑮/格闘の痕跡/著作の効用/楽章の数/ジュピターごっこ/交響曲の噂/のだめの中のブラームス⑯/緩徐楽章の位置/Dein Brahms状態/祝5000アクセス/原点回帰/大量注文/のだめの中のブラームス⑰/同窓会/執筆開始記念日/受注第二号/カッコのさじ加減/発表!管楽器羨ましい出番ランキング/「ff」で曲を開始するということ/創作のスタッフ/ブログ開設6ヶ月

【2005年12月】良い知らせ/価格設定/和菓子とブラームス/「Lied」と「Gesange」/保管場所の話/献本行脚⑧/最上級のお作法/本の配送/ささやかな楽しみ/エポックとしての作品76/手渡しの味わい/献本の結果/受注第三号/回収行脚/糸引き4連四分音符/外道としての「ブラームスの辞書」/「Tempo Giusto」/アイデアの実現度/何と何の間なのだろう?/マーラー第五交響曲/ブログ本/名所・絶景/ゴールドベルグ/重唱の数え方/電子ピアノ15周年/ワルツ作品39の調性/三大B/ビートルズ/ニ短調の「Maestoso」/ブログの原点/至福の時

【2006年1月】「p espressivo」/狙って釣られる/ベルリンサーカス・ギリシャ公演/提示部のリピート記号/天才の気紛れ/三度下降の記憶/真夜中の部室/カイザーの教則本/記事台帳の完成/ドイツ語標記の声楽集中/ほとんど「業務分担」/思案のしどころ/2006年初荷/異色のブラームス本/「Andante」の感じ方/ご贈答好適品/心配していただいたこと①/協奏曲の心得/心配いただいたこと②/非日常のブログ/Capriccioの位置づけ/カヴァーをはずしたところ/受注第五号/誕生日/休符の表情/ipod購入/室内楽のつまみ喰い/「f」と「ff」の間/ipodな週末/私家版ブラームス全集/シューベルトのレントラー

【2006年2月】一日一本体制/イ長調三重奏曲/夜道の第一交響曲/維持することの難易度/ブラームスと一緒/ほとばしり出たもの/出版前最終校正/サー・ジョン・バルビローリ/寒い朝のテネラメンテ/コーヒー終止/CDの整理整頓/「f passionato」の法則/シャコンヌDmoll/恋のリスク管理/「poco」意訳委員会/献呈の空白/ブラームス節/音楽を彩る言葉/ヴィオラソナタ/精神衛生上の効果/クラリネット五重奏曲/いわゆる「mf問題」/カデンツァ・コレクション/「non troppo」を訳さないで/制約こそ命/のだめの中のブラームス⑱/今日聴いたCD/仕組まれた「ppp」

【2006年3月】歌曲コンプリート/受注第六号/引用と偶然/三歩下がって師の影を踏まず/ipod効果/オートマチックリタルダンド/脱稿記念日/祝10000アクセス/献本行脚⑨/原典版/架空・歌唱コンクール/お約束/春の便り/聴こえて欲しい度/渋い編成ランキング/掘り出し物①/mf marcato/仰げば尊し/ヴィオラとクラリネット/子守唄/お聴き初め/p pesante/ささやかな喜び/ニューヨーク上陸/もう一つのアガーテ/掘り出し物②/脳内基準/愛情の表現/歌曲への傾倒/ブラダスとベトダス/あの娘のもとへ

【2006年4月】初演あれこれ/引導の渡し役/ブラームス没後109周年/ヘミオリスト/弦楽六重奏曲ピアノトリオ版/ドリアンリート/楽譜の立場/メゾソプラノ/趣味以上、学問未満/ドイツレクイエム/音楽の三要素/歌曲リスト完成/オペラを書かぬわけ/「semplice」意訳委員会/ブラームス街道/とっておきの「Giocoso」/二重唱の魅力/ターセット/自費出版のリスク/奇数愛好家/「comodo」意訳委員会/英国嫌い/グルタミン酸ナトリウム/ヴァイオリンvsバドミントン/子守唄の花束/アドリブ/ゴールデンウイーク/molto dolce ed espressivo/我が恋はみどり/リーズルの思い出

【2006年5月】続・伴奏の藝術/ipodの特性/ドイツ人が羨ましい/譜例/好きこそ物の/ブラスマス・イヴ/三色対抗歌合戦/Sehr langsam und ausdrucksvoll/編集後記/再現部隠蔽/伴奏者たちの宴/コンプリート/暗譜/女歌・男歌/継続するということ/大型連休の成果/イントロ/シューベルト売り場/民謡風/クララのテーマ/嬰ヘ長調/「poco tenuto」/WoO31/AとB/シューベルトへの傾倒/もう一つの「野ばら」/題材ランキング/運動会のブラームス/「No music no life」/ブログ開設一周年/ブログタイトル総覧

2006年5月30日 (火)

ブログ開設一周年

昨年5月30日に立ち上げたブログ「ブラームスの辞書」が一周年を迎えた。

特筆すべきこと、それは、毎日一本の記事をアップすることが出来たことだ。立ち上げの日、密かに自分に誓ったことを達成することが出来た。昨年10月の中国出張の間、時限更新機能を活用してなんとか毎日アップが出来たことが大きい。本日のこの記事が413本目の記事である。

初めての自費出版本「ブラームスの辞書」の宣伝用という立ち上げの主旨は今も変わっていないが、継続すること自体がモチベーションになっていたことも否定できない。こうなると何だか止められない。本の販売実績は、自費出版ということを考えればそこそこである。本の売れゆきにあくせくせずブログを続けてゆくことにする。

自己満足で始めたブログが、何かの縁に導かれて誰かの目に止まり、それぞれのレベルで楽しんでもらえるのならラッキーである。

そうは言ってもブログである。読まれることが前提のしかけであるから、読者の存在は無視できない。自己満足と開き直ってばかりもいられないのが実情である。記事の内容を少しでも濃くしたいと思っている。たまにはブラームスとは全く関係の無い記事も息抜き的に混ざるが、全体の水準を底上げしたい。長く続くことと引き換えに内容が薄くなるのは、厳禁である。毎日毎日その日の更新に四苦八苦では、記事の内容もそれなりにしかなるまい。それでは「ブラームスに申し訳ない」というものだ。

今考えていることが一つある。ネタの掘り起こしを一層充実させることである。ネタをあらかじめ掘り起こしてイメージを膨らませておき、当日は細部に櫛を入れる程度にまで高めないといけない。それには事前のネタの掘り起こしと、検証が欠かせない。事前に想定したネタの中から厳選して一週間単位でネタの配置を考えるのだ。数あるネタ候補の中から厳選のネタのほうが、行きあたりばったりよりは水準が保ち易いと考えている。

というわけで本日現在ネタの積み立ては92本だ。何だか事業のプレゼンテーションみたいになってしまった。

2006年5月29日 (月)

No music No life

最近どこかのCDショップの店頭でこのキャッチフレーズがデカデカと書かれているのを見かけた。「音楽が無くて、何が人生ぞ」「音楽が無いと生きて行けない」「音楽こそ全て」等々、人それぞれに異なる意訳の方法があるだろう。いろいろな意味を込めることが可能だ。たった4つの単語なのになかなか懐の深い言葉だ。

音楽と人生をほぼ同等の重みとみなすこの言葉、私も賛同したい。「白髪三千丈」的な誇張が素晴らしい。「三千丈の白髪」と同じで現実にはあり得ないということが誰にでも明らかだから嘘にはならずに、形容詞として生き生きと語りかけて来るのだ。

今まで私は、意訳委員会なるものを開催していくつかの音楽用語について私見を示してきたが、この言葉ばかりはヘボな意訳をしては墓穴を掘りかねない。だから本日は少しだけ改造して今の私の心境を伝えたい。

「No Brahms No Life」

明日、ブログ「ブラームスの辞書」は開設1周年を迎える。

2006年5月28日 (日)

運動会のブラームス

昨日、小学校の運動会が雨で順延になった。今朝は一見無理目の天気の中、開催が決定した。明日の開催になれば、仕事の都合で見に行くことが出来ない人も多いので、やむを得ぬ決定だろう。

運動会といえば音楽だ。いわゆる「お遊戯」の間に音楽が流れることは当然なのだが、それ以外の競技の間も絶え間なく音楽が流されている。再生の切れ目で、図らずも無音になってしまったときなんだか間が持たない気分になるので、やはり運動会に音楽は必須だと思う。

しかし、音楽が流れていればいいというものでもない。いわゆる「向き不向き」というものも確実に存在する。校歌斉唱、優勝旗返還、全校体操、かけっこ、綱引き、玉入れ、騎馬戦、紅白対抗リレーなど競技の数々と、その前後に存在する生徒の入退場、ほとんど切れ目が無い。

古来から長い運動会の伝統によって確立された定番も存在する。優勝旗の返還と授与には定番中の定番がある。ヘンデル作曲の「勝利をたたえる歌」だ。「郵便馬車」もかけっこの定番に近い。モーツアルトのトルコ行進曲も人気だ。

競技前の入場は、歩いて入場なので遅めのマーチで、競技後の退場は駆け足の退場なので速めのマーチが似合う。

ブログ「ブラームスの辞書」としては「運動会の音楽が全部ブラームスだったら」という話題に進むのは当然の成り行きだ。

  1. 優勝旗返還 「ハイドンの主題による変奏曲」聖アントニーのコラール。
  2. 選手宣誓 ヘンデルの主題による変奏曲
  3. 50m走 ハンガリア舞曲第1番
  4. 綱引き ヴァイオリン協奏曲第3楽章
  5. 玉入れ ワルツ14番
  6. 騎馬戦 ピアノ四重奏曲第1番第4楽章
  7. 棒引き ヴァイオリンとチェロのための協奏曲第3楽章
  8. パン喰い競争 交響曲第2番第4楽章
  9. 借り物競争 弦楽六重奏曲第1番第4楽章
  10. 大玉転がし チェロソナタ第2番第4楽章
  11. 紅白対抗リレー ピアノ五重奏曲第3楽章
  12. 優勝旗授与 交響曲第1番第4楽章ピウ・アンダンテ~

どこかの運動会の音楽ディレクターをやってみたいものだ。

2006年5月27日 (土)

題材ランキング

ブラームスが他の作曲家の作品をどれだけ自作の題材に取り入れているかを、マッコークルをベースに調査した。変奏曲の素材、協奏曲のカデンツァの作曲、作品の編曲を行っている曲の数を作曲家別に集計した。

  1. シューベルト 32曲もある。ワルツ20曲のほか、リートの編曲が中心だ。シューベルトへの傾倒振りが裏付けられた。
  2. ヘンデル 16曲。作品24の変奏曲が有名だが、声楽器楽取り混ぜてよく編曲の題材に使っている。
  3. シューマン 7曲。ご存知のとおりの二人の関係だから意外に少ない印象。作品9と作品23の変奏曲のほか、ピアノ四重奏曲の連弾への編曲など器楽偏重だ。独唱歌曲は一顧だにされていない。
  4. バッハ 6曲。イメージよりは少ない。左手のためのシャコンヌが筆頭格だ。
  5. モーツアルト 4曲。ピアノ協奏曲のカデンツァばかりである。むしろ自筆譜のコレクションに傾注したのだろうか?
  6. ヨアヒム 3曲。ご存知の通りの大ヴァイオリニストだ。彼の管弦楽曲をピアノ連弾に編曲している。
  7. ベートーヴェン 3曲。意外に少ないけど、判るような気がする。素材として取り上げて面白い曲は少ないってことかも。

これ以下、ハイドン、パガニーニ、グルック、ショパン、スカルラッティ、ウエーバーがそれぞれ1曲ずつある。

一昨日の記事「シューベルトへの傾倒」がデータで裏付けられた。ブラームスの他の作曲家の好みの全貌を浮かび上がらせるには役不足だが、一面を伝えていると思われる。

2006年5月26日 (金)

もう一つの「野ばら」

シューベルトに有名な歌曲がある。「Sah ein Knabe ein Roslein stehn」と始まる。同じ詩にウエルナーも作曲していて、中学校の音楽に時間に両方聴かされて比較させられたものだ。

実はブラームスにも「野ばら」がある。WoO31の「子供のためのドイツ民謡」の中の6番だ。Andante con moto、ヘ長調、4分の2拍子、わずか16小節の有節歌曲だ。なんとこの作品の歌詞は、シューベルト/ウエルナーの「野ばら」と全く同じなのだ。正確には、作曲者はブラームスではない。彼は民謡の採譜をして伴奏を施しただけという立場だ。

さて中学校で「野ばら」の作詞者はゲーテと教わった記憶がある。ゲーテの詩にシューベルトやウエルナーとは別の旋律をつけて歌う民謡が存在していたということなのだろうか?マッコークルによれば、テキストの出典はクレッチマー-ツッカルマリオの「ドイツ民謡集」となっている。ゲーテ作ではなかったのだろうか?シューベルト好きのブラームスのことだから、シューベルトの「野ばら」の存在も作詞者の真相も当然知っていただろう。ご本家に比べてあまりにも語られることが少ないブラームスの「野ばら」である。

小さな疑問はあるが、作品のかわいらしさには影響がない。

2006年5月25日 (木)

シューベルトへの傾倒

お断りするまでもないが、シューベルトに傾倒しているのは私ではない。ブラームスがシューベルトに傾倒しているのだ。

CDショップの歌曲売り場を覗いていて思わぬ発見をした。シューベルトの歌曲は品揃えが豊富で羨ましいと思って、シューベルトの棚を眺めていた。「管弦楽編曲版による歌曲集」というアルバムを発見した。もちろんシューベルトの作品が集められているが、伴奏がピアノではなくオケだということだ。しかも編曲したのは古今の有名な作曲家たちというふれこみだ。収録21曲中に、ブラームス編曲という作品が4つも入っていた。他にはベルリオーズ、ブリテン、レーガー、ウエーベルン、リスト、オッフェンバックだ。演奏はオッターとクワストホフである。

さてブラームス編曲による作品は以下の通りだ。

  1. D838「エレンの歌第二」 ホルン4+ファゴット3
  2. D541「メムノン」 Fl、Ob、Cl、Fg各2、Hr4、弦楽五部
  3. D369「御者クロノスに」 Fl、Ob、Cl、Fg、Hr、Tp各2、Pauken、弦楽五部
  4. D719「ひめごと」 弦楽四部+ホルン

管弦楽版とはいっても編成はごくごく控え目だ。ここいらがブラームスらしいところだ。特に1番目のホルン4とファゴット3という編成は、渋過ぎる。こういう編曲ものまでちゃんと載せてくれているマッコークルはさすがである。このことを調べていて判ったのだが、ブラームスはシューベルトの歌曲はたくさん編曲しているが、シューマンの歌曲には目もくれていない。

これら4曲も「私家版ブラームス全集」に取り込むことにした。

2006年5月24日 (水)

AとB

クララ・シューマンのクララは「Clara」と綴られる。この中で実際に音名として存在するのは「C」と「A」である。人を愛するとは凄いことで、クララ・シューマンの夫ロベルト・シューマンはこの「Clara」のスペルからインスピレーションを次々と膨らませて作品を生み出していったという。

一方ブログ「ブラームスの辞書」でもたびたび考察してきたようにブラームスが作品に与えた調性の中でもっとも多いのが「A」の絡む調である。また「C」を背負った短調の「ハ短調」が一時期特別の意味を持っていた可能性がある。ひょっとするとクララ・シューマンの象徴ではないかとも思っている。

昨年11月18日の記事で言及したように変ロ長調の作品中にニ短調の楽章が現れる傾向がある。長調楽章に長三度上の短調が従うケースは全部で4回だが、うち3例が「変ロ長調→ニ短調」に集中している。この2つの調は「D」音と「F」音を共有している。ここに「A」音が加わればニ短調だし、「A」音ではなく「B」音が加われば変ロ長調になるのだ。「A」か「B」か半音の違いで行き来が可能な調なのだ。ピアノ協奏曲第二番の第二楽章がフォルテシモのニ短調で終わった後、独奏チェロの奏するアンダンテは「つややか」と「しっとり」が同居するやんごとなき変ロ長調だ。ニ短調の「ff」が「mp espressivo」の変ロ長調で解決しているかのように聴こえる。

つまり変ロ長調とニ短調は「B」と「A」のせめぎあいを味わう関係なのだ。この場合「A」はクララの象徴かもしれない。しからば「Bは?」などと訊くのは野暮である。「B」はブラームスに決まっている。

この手の音名遊びは楽しい。だから本日のタイトルは「アーとベー」と読まねばならない。

5月20日のクララ・シューマンの命日から続いた「無理やりシューマン関連ネタ」はひとまず本日までとする。

2006年5月23日 (火)

WoO31

「WoO」とは「Werke ohne Opuszahl」のことで「作品番号無き作品」を表す略号だ。その31番目とでもご理解願いたいが、この番号は出版順でも作曲順でもない。整理の都合で付与された番号である。栄えある「WoO1」は「ハンガリア舞曲」で「WoO2」は「FAEソナタ」という具合に器楽優先になっている。

「WoO31」は「子供ためのドイツ民謡集」である。曲集の冒頭に「Den Kindern Robert und Clara Schumanns gewimt」という文言が誇らしげに掲げられている。「gewidmt」は「献呈」という意味だ。ヴァイオリン協奏曲がヨアヒムに、ピアノソナタ第二番がクララに捧げられているのと同じ意味である。そう「ロベルトとクララの子供たちに捧げる」という献辞になっているのだ。献呈は1858年である。つまりロベルト・シューマンの死から2年後ということになる。父が他界し、母のクララは演奏旅行で家を空けがちな中、残された子供たちに捧げられたということなのだ。正確に言うと1858年の夏、ゲッティンゲンに避暑に訪れていた父親無きシューマン一家訪問の際の手土産であったらしい。マリエ、エリーゼ、ユーリエ、オイゲーニエ、フェリックスの5人とクララだ。

曲はブラームスの作曲ではないから作品番号はふられていない。民謡好きのブラームスが気に入った民謡の中から子供に相応しい作品を選んで、気の利いた和声と伴奏をつけたと思えばいい。もちろん自らの芸術を世に問う野心作ではないだろう。1858年と言えば、ピアノ協奏曲第一番の作曲が平行して進められていた頃だ。作曲の紆余曲折に加え初演でも痛みを被った作品の裏で、ひっそりと書き上げられたと思われる。このときシューマンの遺児たちは長女のマリエでさえまだ17歳である。それなのに、ヴァイオリン協奏曲やピアノソナタ第二番のような大曲と同じ「献呈」という手続きを踏んでいることが、健気でいじらしい。子供相手に巨匠的技巧を要する難曲大曲なんぞを選ばないところが、粋でさえある。

マッコークルによれば2番と4番にのみ初演の具体的な日付が付されているだけで、他は不明となっている。野暮を言ってはいけない。ブラームス自身かクララのピアノで5人の子供たちのうち誰かが最初に歌ったに決まっているのだ。1858年夏のゲッティンゲンといえば、あるいはアガーテが歌った可能性だって無いわけではない。

25歳の青年の誰もが出来る芸当ではあるまい。これもある意味でシューマンネタである。

2006年5月22日 (月)

「poco tenuto」

昨日、一昨日に続くシューマン関連ネタ。

「poco tenuto」は字義通りならば「少し、音を保って」と解されて何の支障もない。しかし既に開催済みの「poco意訳委員会」の提案を採用し「テヌート気味に」という解釈をしたい。ブラームスの作品における「poco tenuto」の用例は二箇所だ。独唱歌曲作品63-5「我が恋は緑」の19小節目と40小節目に出現するだけである。他の作品には一切出現しないといいたいところだが、例外もある。例外については後で詳述する。

作品63-5「我が恋は緑」の出番2箇所は、どちらも同じ景色である。フェルマータの付与された音符に付着している。フェルマータの意味を補足していると解したい。つまり「このフェルマータはテヌート気味にね」というニュアンスだ。「~気味に」という解釈がピッタリとはまり込む。もちろんこの作品はシューマン夫妻の末っ子フェリックスの詩に付曲されたものだ。

「ブラームスの辞書」の執筆を終えた後、念のために作品番号の無い作品についても、入手済みの楽譜を全て検証したところ、「poco tenuto」がもう一箇所発見出来た。「左手のためのシャコンヌDmoll」の92小節目である。原曲は超有名。バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのシャコンヌをブラームスが左手一本用に編曲したものだ。右手を脱臼したクララ・シューマンを見舞うためだ。

「poco tenuto」が出現する曲は、ロベルト・シューマンの妻と遺児に関係が深い両作品に限られているということだ。恐らく偶然だと思う。でなければ怖過ぎる。

この手の偶然を軽視しないと、そのうちいいこともあると思う。

2006年5月21日 (日)

嬰ヘ長調

昨日に続いてシューマン関連ネタだ。シューマンネタと言っても、ブラームスに全く関係ないネタというわけにはいかない。そのあたりのこだわりが大切である。

本日のタイトルは「嬰ヘ短調」ではない。「嬰へ調」である。文字にすると何ということはないのだが、これを調号で表すと厄介である。何とシャープが6個付くのだ。シャープの洗礼が届かないのはシだけである。鍵盤楽器の事情には疎いが、少なくともアマチュアの弦楽器弾きにとってはあまりありがたくない調である。

さすがにそのあたりを思いやってか、弦楽器が加わる作品には出現しない。冒頭にシャープ6個の調号が踊るのは3つだけだ。作品58-4「おお、心地よい夏の午後よ」、作品63-5「我が恋は緑」、作品86-5「沈潜」である。すぐにわかることは、この3つ全部独唱歌曲であることだ。さてさて、このどこがシューマンネタなんだろう。

ブラームスの全作品中、嬰へ長調という調性は3個だけであるからそのレア度は相当なものである。その3個が全部独唱歌曲だという点だけでも何だか意味ありげなのだが、その3つのうちの2つ、作品63-5「我が恋は緑」、作品86-5「沈潜」は、シューマン夫妻の末っ子フェリックスの詩によるものだ。ブラームスがフェリックスの詩につけた作品は3つだが、残る一つは残念ながらニ長調なのだけれど。ブラームス自身が嬰ヘ長調を頻発する作曲家とは言えないだけに、フェリックスの詩への付曲にあたっての調性の選択には神秘的なものを感じる。

同主調の嬰へ短調も実は、クララ・シューマンに関係がある。作品番号を持つ作品に限定すると、ブラームスが同一人物に2曲を献呈しているのは2人だけだ。ヨーゼフ・ヨアヒムとクララ・シューマンである。ちなみに作品番号の無い作品までに広げるとクララには3曲が加わる。左手のためのシャコンヌ、作品18の主題による変奏曲、グルックのガボットである。クララ・シューマンに捧げられた2つとはピアノソナタ第二番作品2とシューマンの主題による変奏曲作品9だ。この2つどちらも嬰へ短調になっている。

「嬰ヘ」は何かとシューマン一家にかかわりが深い。

2006年5月20日 (土)

クララのテーマ

ロベルト・シューマンあるいはクララ・シューマンに詳しい人に確認しなければないらない。ブラームス関連の書物を読んでいておやっと思った。「A-Gis-Fis-E」という下降4音の繋がりで構成されたモチーフが、どうやらロベルト・シューマンによって「愛する妻クララのモチーフ」と位置付けられているらしい。実際、ロベルトとクララは夫婦なので自然なことなのだが、このテーマがブラームスの作品に偶然とは解し難い濃密さで現れるとなると、俄然興味が深まる。

晩年のピアノ小品集、とりわけ作品116の中にしばしば現れる。無論ブラームス本人は、自作に「クララの主題を盛り込んでおいたからね」等の仄めかしを公式には一切していない。この手の4音下降は始まりをAに限定しなければもっと実例を増す。

また作品118の6曲の調性を順に並べると下記のとおりになる。

Amoll→Adur→Gmoll→Fmoll→Fdur→Esmoll

「ラ→ソ→ファ→ミ」となっているという訳だ。

「A-Gis-Fis-E」を臨時記号無しで実現するには、ソとファにシャープが付きながら、ラにはシャープが付かないことが、条件だ。となるとシャープ3つのイ長調か同じく4つのホ長調の作品との相性がいいと思われる。音形が下降であるという難点に目をつぶれば、イ短調の旋律的短音階も候補のひとつとなるだろう。

このモチーフの存在がブラームスの「イ調好み」の傾向を裏付けているとも思われる。

本日はクララ・シューマンの命日だ。1896年5月20日没だから没後110年ということになる。今年250年の人に比べれば、出版業界やCD業界からは相対的に無視されているので、せめて私が今日から少しシューマンネタを発信したいと思う。

2006年5月19日 (金)

民謡風

実は一昨日5月17日の記事は、本日の記事のイントロであった。

ブラームスの作品解説の中で割と見かける用語。字義通り「民謡っぽく」と解すると思われるが、書き手が定義を明らかにしていないケースも目に付く。同一書物の中で民謡についての言及がしばしば行われているならともかく、何の断りもなく「民謡風」といわれても困るが、「民謡風」と言われて判った気になっている受け手も少なくないことでうまくバランスが取れていると思われる。「民謡風」が「素朴な」の同義語として使われているにしろ、その「素朴な」の定義が甘いことには変わりがない。

そこでブログ「ブラームスの辞書」なりにブラームス作品の解説に使われる「民謡風」とはどういうことなのか考察を試みる。「民謡」とは「Volkslied」の邦訳とみることに異論はないと思われる。ここに異論があると以下の議論が台無しということになる。考察のツールとしてブラームスの「49のドイツ民謡」WoO33、「子供のためのドイツ民謡」WoO31、「28のドイツ民謡」WoO32の合計92曲とブラームスの独唱歌曲204曲を比較してみた。

<イントロ>5月17日の記事「イントロ」でも考察したが、ブラームスの独唱歌曲は65.2%がイントロを持っている。1小節未満の短いイントロはカウントしていない数値だ。これが民謡全92曲では驚いたことに5曲だけになる。わずか5.4%だ。

<アウフタクト>歌のパートがアウフタクトで始まる作品は、歌曲では134曲65.7%なのに対して民謡では77曲83.7%になる。さらにだ。ピアノのイントロがなく、いきなりアウフタクトで始まる曲となると歌曲は28曲13.7%に過ぎないのに対して、民謡では67曲72.8%に達する。アウフタクトに押し出されている音符は1個というケースが目立つ。そこにあてがわれている単語は「冠詞」または「代名詞」が多い。注意が必要なのは「ジプシーの歌」作品103だ。8曲全てアウフタクトなしになっている。これはもしかすると「ジプシー音楽」のイディオムかもしれない。

<シンプルな拍子>歌曲では14通りの拍子が採用されているのに対し、民謡では7通りに過ぎない。2/2、4/2、5/4、9/4、9/8の他混合拍子2種が民謡側では姿を消す。複雑な拍子はスポイルされていると思われる。

<拍子の出現頻度>歌曲では、3/4と4/4がともに25%で全体の半数に達する。三番手の2/4は16%強に過ぎない。以下4位が6/8となる。民謡においても4位までの顔ぶれは変わらないが、2/4が36回39.1%を占め、第二位の3/4のほぼ倍に達する。民謡においては2/4が特別の位置にあると考えていい。

<長短比率>ブラームス作品全体では約54%が長調だった。歌曲では55.4%が長調になっている。民謡では58.7%という具合に僅かに長調の比率が高まるが、誤差の範囲の可能性もある。ベートーヴェン、モーツアルトと時代が遡ると長調比率が上がることとの関連は今後の課題だ。

<長調>歌曲では13種類の調が採用されている。第1位はイ長調16曲7.8%だ。第1位にしてわずか7.8%だということが特徴だろう。第10位の変ロ長調が5曲2.5%だから5%差の中に10種がひしめいているということだ。むしろ満遍なく分布していると捉えたい。民謡では、7種類の調だけになる。フラット側2個の変ロ長調からシャープ側5個のロ長調までの狭い間に分布する。民謡側最大の特徴はト長調への集中だ。なんと23曲25%がト長調だ。歌曲側では7曲3.4%に過ぎないのだから驚異的な集中度だ。

<短調>歌曲では10種の短調が使われているうち、イ短調が14回6.9%で1位だ。長調と同様に満遍なく分布している。民謡側では8種類の短調が使われている。シャープ2個のロ短調からフラット4個のヘ短調に分布するフラット側に手厚い分布になっている。シャープ側に手厚かった長調と逆の分布である。最大のサプライズは、19曲20.7%がイ短調に集中するということだ。

上記の分析から「イントロなしのアウフタクトで立ち上がる4分の2拍子のト長調またはイ短調」という輪郭を想定できる。長調も短調もピアノの黒鍵で始まる調がほとんどないことも特徴だ。

これらの状況を総合すると「民謡風」ないしは「素朴な」という単語のニュアンスが、おぼろげながら確認できた。本日の記事は、相当おバカな記事だと我ながら思う。

2006年5月18日 (木)

シューベルト売り場

最近CDショップを覗いた際にシューベルトの売り場に立ち寄ることが習慣になった。もちろんブラームスに飽きた訳ではない。断じてない。

詳しく言うとシューベルトの歌曲売り場だ。この売り場に並んでいるCDを丹念に見ている。ときどきシューベルトの歌曲を収録した余白にブラームスの歌曲がおまけされている場合があるからだ。世間様一般には歌曲の業界ではシューベルトがトップブランドと評価されているし、ブラームスも相当なシューベルト好きだったこともあって、このようにいじましい振る舞いをしている。かなりへばりつくようにCDの裏面に見入っているので、ハタから見ると「このオッサン相当なシューベルト好きだな」くらいの見方をされているかもしれない。

これが、なかなかバカにしたものではない。現に数枚の掘り出し物を見つけた実績もある。もっと貴重なのは、「シューベルトはブラームスほどはテノールに嫌われていない」ということが実感出来たことだ。ソプラノも同様な傾向だ。同じことをシューマンやRシュトラウスあたりでやってみるのも収穫が期待できそうだ。

少なくとも三大テナーの売り場よりは、ブラームスに遭遇する確率が高そうだ。

2006年5月17日 (水)

イントロ

「前奏」の意味。狭い意味では歌曲の場合を指すと思われる。主旋律の登場をより円滑かつ効果的にするための音楽的な準備。多くの場合伴奏と呼ばれる声部が受け持つ。イントロが後から続く主部を聴き手に想起させる効果は低くない。これが昂じて、「イントロ当て」というお遊びがジャンルとして存在するに至った。

しかしながら、さりながらだ。ブラームスに限らず世の中の音楽作品には、このイントロを介在させずにいきなり旋律で始まるものも多数存在する。ブラームスの独唱歌曲204曲についてイントロの有無を調査した。イントロありは155曲76%を数えた。この場合のカウントのルールはピアノパートが、声のパートよりも先行して立ち上がるものを全部だ。

実際には、ビートルズの「She loves you」のように一瞬だけ伴奏が先行するものの、ヴォーカルがすぐにかぶさってくるケースもある。作品105-1「調べのように」が代表格である。これでは歌の導入をじっくり準備しているとはいえず、冒頭に挙げたイントロの定義を十分に満たしているとは言い難い。こうした極端に短いイントロつまり「She loves you」型を「1小節未満のピアノ先行」と定義してイントロに含めずに集計するとイントロありは133曲65.2%になる。

おそらく、作品の冒頭にイントロを置くかどうかは、高度に芸術的な判断に属するものと思われる。導入準備無くいきなり歌を始めることもまた、ある種の効果を狙ったものと解し得る。

2006年5月16日 (火)

大型連休の成果

今年の大型連休はありがたかった。おかげさまで、ずっと暖め続けていたネタの整理が進んだ。連休中の主たる目的は2つあった。一つはブラームスのお誕生日の記事を充実させることだった。これは5月7日掲載の「三色対抗歌合戦」で結実し、その後も「編集後記」「伴奏者たちの宴」「女歌・男歌」という関連記事をアップすることに繋がった。

もう一つの目的は、頭の中でバラバラに雑魚寝しているブラームスネタを整理することだった。通勤電車の中では、何の脈絡も無く思いつくものだから、そのままでは記事にならない。ブラダスを当たって裏を取ることも必要だし、場合によっては楽譜を参照しながらCDを聴かねばならない。まずは、頭にあるネタを全てエクセルに入力してみた。全文ではない。タイトルないしはキーワードだけだ。それらをテーマ毎に並べ替えたり、2つを1つにしたり、1つを2つにしたりしたというわけだ。これが意外と大変な作業で、思いのほか時間がかかった。昨日どうにか全体が形になった。

今日現在、ネタの積み立ては過去最多の79本に達した。いやいやあるものである。記事にするのはこれからなので油断は出来ないが、しばらくネタに窮することはあるまい。

ブログ開設1周年や、「ブラームスの辞書」刊行一周年を控え、気合を入れなおす意義は小さくない。

2006年5月15日 (月)

継続するということ

ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜外野手の連続試合出場が1768試合で呆気なく止まった。足掛け14年の記録と聞く。一生に一度挑戦出来るか出来ないかのチャレンジだ。連続試合出場は、淡々とした記録だ。5打数ノーヒットで2エラーの日だってあるだろう。監督が使い続けなければならないから大変だ。トッププロたる成績を維持しなければ、あっという間に途切れてしまうものだ。

左手骨折の重傷とあればいたし方ない。手術が成功したニュースを聞いてからでなければとても記事にする心境になれなかったと思う。途切れた無念さを周囲に悟らせない談話も彼らしい。

彼に比べれば、プレッシャーも注目も無い中で私のブログ「ブラームスの辞書」は本日の記事で351日連続更新を継続中である。いつか必ず途切れるからこそ尊い今日のアップである。

松井秀喜がヤンキースタジアムに戻って来るまでは、少なくともブログ「ブラームスの辞書」を継続しようと心から思った。一種の願掛けである。

2006年5月14日 (日)

女歌・男歌

ブラームス自身が、自作歌曲の演奏を女声または男声を指定することは少ない。「低声のための」というタイトリングが施されたり、楽譜がヘ音記号になっていたりということがたまにあるが、それとて男声オンリーを標榜しているわけではない。

しかしながら、結果として女声によって歌われ易い曲、男声によって歌われ易い曲という分類が、作曲者ブラームスの預かり知らぬところで行われている。

たとえば作品103のジプシーの歌全8曲は我が家にある9種の演奏全てが女声によるものだ。歌詞の中には男性の立場のものもあるにもかかわらず、男声では一切歌われていない。もちろん「アルトとヴィオラのための」という指図の作品91の2曲も女性オンリーだが、アルトにとどまらず、メゾソプラノやソプラノにも歌われている。これとまったく逆の位置にあるのが作品33の「ティークのマゲローネのロマンス」だ。我が家にある4種は皆男性歌手による演奏だ。

一方、いかにも女声向けっぽい子守唄は、実際にはかなり男性にも歌われている。女性9に対して男性5だ。同様に、てっきり男性専用と思っていた「四つの厳粛な歌」作品121は、男性7に対して、何と女性は6と肉迫している。ただしソプラノは一人も歌っていないのも面白い。

最強の女声歌は作品107-5「娘の歌」だ。11人の女性に歌われる一方で、男性は誰も歌っていない。さらに作品3-1「愛のまこと」10対0、作品105-2「まどろみはいよいよ浅く」12対2、作品86-1「テレーゼ」10対1、11対3の作品84-4「甲斐なきセレナーデ」といったあたりが横綱格だ。作品70-2「ひばりのさえずり」も7対1でこれに準ずると思われる。「娘の歌」と同系統の「娘は話しかける」「少女」「少女の歌」も数は少ないながら男性によって歌われていない点では同類である。

対する最強の男声歌は作品32-1「いかにおわすか我が女王」の1対8だ。作品105-5「裏切り」1対7、作品71-5「恋歌」0対6、作品47-3「日曜日」3対8あたりが横綱だろう。なんせ女性の歌うCDは男性歌手のCDの倍あるので、極端な数値が出にくい。イメージ的にいって男性が歌いにくい歌があるのに比べて、女性はどの歌でも比較的進出し易い傾向が見て取れる。

もちろん、ブラームスの歌曲は女性男性どちらからも愛されている。作品43-1「永遠の愛」、作品43-2「五月の夜」、作品86-2「野の静けさ」、作品105-1「調べのように」などは、男女どちらからも人気がある。

2006年5月13日 (土)

暗譜

娘たちのヴァイオリンのおさらい会が7月に開催される。昨日は異例の金曜日レッスンだった。もちろんパパ抜きだ。3月から取り組んできた曲を暗譜するよう促された。お姉ちゃんは125小節で、妹は141小節の作品だ。「出来るところまでで、いいから暗譜で弾いてごらん」といわれた。今日二人に弾かせてみた。恐る恐る弾き始めた割には、驚いたことに2人ともほぼ暗譜が出来ている。2ヶ月間さらってきたとはいえ、練習に付き合っていた私は全く暗譜出来ていないのに比べると上出来である。子供の暗譜力は舐めたものではない。

そもそも、コンサートで暗譜という風習は誰が始めたのだろう。クララ・シューマンが始めたという説もあるらしい。クラシック音楽という業界は「楽譜通り」がとかく珍重されるから、「楽譜を見ずに楽譜通りに弾く」ということが「暗譜」と名付けられてステイタス化されている訳だ。「私は楽譜通り弾ける上に、楽譜を暗記さえしてしまっているのです。凄いでしょ」という風情である。もちろんコンクールの演奏者にとっては、呼吸と同じくらい当たり前な位置づけだし、「目が悪いので仕方なく暗譜した」「私は楽譜が読めるので暗譜の必要はない」などなど古来から巨匠と暗譜をめぐるエピソードには事欠かない。

さらに事態を複雑にしているのは、同じクラシックでも曲のジャンルによっては扱いが微妙なことだ。器楽の独奏(多くの場合ピアノ)は無論暗譜だ。室内楽は二重奏までは暗譜で、トリオ以上だと楽譜を見るというような微妙な棲み分けが起きているらしい。協奏曲の独奏は当然暗譜なのだが、同じ奏者がカルテットを弾くときは楽譜を見ながらという訳だ。ついでに言うと室内楽のパート譜のうちピアノの楽譜にだけは他のパートが印刷されているのも不思議と言えば不思議である。かと思うと合唱は楽譜を見ていたりいなかったりで落ち着かない。

演奏を録音する場合には、大した影響は無いのだと思う。CDの演奏を聴いて、暗譜か暗譜でないかは判らないと思う。

ヨアヒムはブラームスのヴァイオリン協奏曲初演の際のソリストだ。1879年1月1日ライプチヒである。その後しばらくヨアヒムは、独奏者としてヨーロッパ中でこの曲を演奏して回った。ロンドンでは早くも2月22日に英国初演にこぎつけた。引き続いての3月6日フィルハーモニーでの演奏には注釈が付けられている。ヨアヒムにとって初めての暗譜での演奏だ。これは面白い。つまり初演から約2ヶ月強の間ヨアヒムは楽譜を見ていたことに他ならない。周知の通り、初演は評論家から絶賛されているし、初演後の各地の演奏も好意的に受け入れられている。つまり独奏者が楽譜を見て弾いていたことがマイナスに作用していないと解釈出来る。

ブラームスの2つのピアノ協奏曲の初演における独奏者はもちろんブラームス自身だ。ブラームスは巨人のようなあの2曲を暗譜で弾いたのだろうか?

娘たちを誉めてはやったが、昔は必ずしも暗譜が必須ではなかったようだ。

2006年5月12日 (金)

コンプリート

本日「私家版ブラームス全集」がコンプリートした。

ブラームスの作品番号付きの作品のコンプリートまで残り6曲に迫っていたが、本日ゲット出来た。某中古ショップを覗いていて発見した。中古なんだけど、とても状態が良くてありがたい。そのせいかほぼ新品と変わらない5枚組1万円だ。何のかんの言っても結局グラムフォンの全集に手を出してしまった。1983年生誕150周年記念のリリースだからちょっと古いが仕方が無い。作品66から1番、2番、5番と作品75から1番、3番、4番のたかが6曲欲しさに1万円と思ってはいけない。ここはポジティヴに考える必要がある。マティス、ファスベンダー、シュライヤー、ディースカウというメンバーは説得力がある。とくにマティスは、独唱歌曲のCDが手に入らないので貴重だ。加えて「49のドイツ民謡」も全曲収録されているのが嬉しい。

さらに嬉しいことに、この全集にはWoO31の「子供のための14のドイツ民謡」が全曲収録されている。4番の「砂の精」だけは今までも持っていたが、他は空白だったからありがた味もひとしおである。1858年クララ・シューマンの子供たちに献呈された作品だ。これも大きな収穫である。

10000円も浮かばれるというものだ。

これで作品番号の無い作品においても残った作品が20を切った。

2006年5月11日 (木)

伴奏者たちの宴

三色対抗歌合戦(5月7日掲載)終了後のレセプション会場だ。ここでも華やかなのはソプラノ歌手たちだ。会場の一角には別の集まりが出来ているようなので、覗いてみることにした。(多分、シャンパンファイトはやっていないと思う)

5月7日付けの記事「三色対抗歌合戦」で出演歌手たちの伴奏をしたのは主にピアノである。オケ伴やギター伴奏も一部あったがごくごく少数である。我が家にはブラームスの歌曲を1曲でも歌っている歌手は62名いる。伴奏ピアニストを数えてみると43名になる。同一歌手について複数のピアニストが伴奏しているケースもあるのでなかなか複雑だ。

CDに収録の歌曲1113曲に対してもっとも多く伴奏を受け持っているのは、嬉しいことに「ブラームスの辞書」の生みの親ヘルムート・ドイチュ先生で、なんと219曲だ。全集を持っているせいもあるが、サポートしている歌手の数も7人いる。

第2位は指揮者としても著名なサバリッシュで94曲。ただひたすらフィッシャーディースカウの伴奏だ。第3位のチャールス・スペンサー74曲をはさんで、ダニエル・バレンボイムの68曲が続く。フィッシャーディースカウとジェシーノーマンの伴奏だ。大御所ジェラルド・ムーアは6人をサポートしての66曲で4位。これも名伴奏者の誉れ高いジェフリー・パーソンズは3名に付き添って28曲の第8位。

断言は難しいが、多分女性ピアニストは16位のインゲル・ゼーデルグレンただ1人だけだろう。

有名無名入り混じった名簿になっている。フィッシャーディースカウとの間に「ティークのマゲローネのロマンス」で共演しているだけのズビャトスラフ・リヒテルの顔も見える。ペーター・レーゼルやゲルハルト・オピッツなどの希代のブラームス弾きも加わってくれている。ジュリアス・カッチェンの姿が見えないのが残念だ。

おっと、作品91-1でアンジェリカ・キルヒシュラーガーのサポートにまわったヴィオラ弾きのバシュメットさんもおいでだ。

歌手たちの歌声は、聴き込んでゆきさえすれば、聴き分けられそうだが、ピアニストたちを聴き分けることは難しそうだ。それでも皆嬉しそうだ。

2006年5月10日 (水)

再現部隠蔽

ブラームスの癖のこと。古来よりいろいろな人によって指摘されているブラームス節の根幹である。狭い意味においては、ソナタ形式の再現部がぼやかされる傾向を指しているが、「ブラームスの辞書」の中では、同一楽曲内において一度提示済みの旋律を再示する場合に単なる繰り返しを避ける傾向にまで対象を拡大して用いている。

ソナタの舞曲楽章では比較的単純な繰り返しが施されている場合が多い。そのものズバリのダカーポが使われていたりもする。

一旦舞曲楽章から離れると、ブラームスは単純なる繰り返しを避ける傾向を隠さない。それらのパターンを以下に列挙する。

  1. 旋律は回帰するものの、調性が違っている。
  2. 調性は復旧するが、旋律が微妙に変奏されている。
  3. 調性は復旧するが旋律は仄めかされる程度。
  4. 旋律も調性も復旧するが、担当する楽器が変わっている。
  5. 旋律も調性も復旧するが、伴奏の音形が変わっている。
  6. 旋律も調性も復旧するが、ダイナミクスが変わっている。
  7. 旋律も調性も復旧するが、テンポが微妙に変わっている。

上記の一つまたは複数に該当するケースがほとんどだろう。一番肝心なことは、再示がどんなに変化していようとも、その変化は聴き手が「あっ再現だな」と気付く範囲にとどまっているということである。聴き手に気付いてもらえなかったら元も子もないのだ。無論、気付くのに要する時間には際限がない。2年たって気付くケースだってありである。

これらは、ブラームスの変奏曲好きとも関係があると思われる。一つの旋律にいろいろな角度から光を当てる行為をブラームスは得意にしていた。「何故変奏をするのか?そこに旋律があるからだ」というノリを容易に想像できる。

2006年5月 9日 (火)

編集後記

ブラームスの誕生祝い替わりの一昨日の記事の編集後記である。

毎日がブラームスの誕生日みたいな私のブログでも、一昨日は特別だった。気合が入った。誰かさんの生誕250年だというのにおバカな企画である。

家中にあるCD内でブラームスの歌曲を1曲でも歌ってくれている歌手全員を対象に一人一曲を選定して、ipod上で架空歌合戦を再現するという企画はipod購入当初から暖めていたものだ。やってみてまず感じたこと、これがまた、無茶苦茶楽しい作業だった。歌手ごとに録音している曲が違うので、一人一曲を重複を生じぬように選ぶのはなかなか難しいのだが、その難しさが楽しみを増幅させていた。好きな曲を誰に歌わせるかにこだわった。だから1月以降、CDを聴きまくって誰に何を歌わせるかを考えた。その過程でいくつか感じたことを披露することとする。

  1. まず最初にお断りせねばならないこと。それは、三色対抗歌合戦にノミネートされた演奏は、全て実際のCDとして存在しているということだ。企画は全くの架空だが、音源としては実在だということだ。根を詰めて集めればもっと集まるだろう。ブラームスの歌曲はみんなから愛されているのだ。
  2. 子守唄しか歌っていない歌手が三人いる。マリリン・ホーン、アンジェラ・ゲオルギュウ、ブリン・ターフェルだ。仕方がないから彼らには子守唄で参加してもらった。マリリン・ホーンだけがピアノ伴奏だ。まあ世界最高の子守唄だから仕方がない。
  3. 昔の歌手は録音の状態が悪い。モノラルは気にならないのだが、音質は我慢という歌手は、ロッテ・レーマン、カスリーン・フェリアー、アレキサンダー・キプニスの三人だ。不思議なことに聴いているうちに音質は気にならなくなる。
  4. この審査のために根をつめて聴いているうちに魅力を再発見した曲がある。作品86-3「夢に遊ぶ人」、作品86-4「野を渡って」、作品107-2「ザラマンダー」、作品72-4「落胆」、作品72-5「とてもかなわない」、作品49-2「すみれに寄せて」、作品48-5「涙に濡れた慰め」、作品70-2「ひばりのさえずり」、作品70-4「夕立」、作品71-5「恋唄」etc。収録出来なかった曲にも良い曲がたくさんある。
  5. ブラームスの歌曲演奏におけるメゾソプラノの魅力と、ソプラノの難しさを再認識した。メゾソプラノはほぼ何を歌っても様になるが、ソプラノは選曲が難しい。CDジャケットにはソプラノとあっても声の性質によって細分化されていると聞くが、いわゆるコロラトゥーラは選曲のセンスが問われる。グルベローヴァは、他の歌手の選曲を微妙にはずした内容だが、聴いてみるとその理由がわかる。グルベローヴァの歌う作品85-6「森のしじま」は選曲の勝利だ。またプライスは作品85-1「夏の宵」がもっとも美しい。
  6. 同じソプラノでもエリー・アメリングやルチア・ポップは、乙女チック系の選曲だ。透明でゴムまりのように弾む声は、目隠ししてもそれと判る。この系統のソプラノは比較的ブラームスになじむ。シュワルツコップの作品84-4「甲斐なきセレナーデ」はゾクゾクする。録音状態の悪さを一瞬で忘れさせてくれる。
  7. デボラ・ポラスキはものの本によれば一応当代最高のワーグナー歌いという触れ込みだから、どうなることかと思っていたが、よい意味で予測を裏切った。よくよく聴くとこの人ドラマティク・ソプラノという最も太い声種だそうだ。声だけ聴いているとてっきりメゾソプラノかと思っていた。「まどろみはいよいよ浅く」作品105-2から底光りを引き出してくれている。
  8. その点メゾソプラノはもう百花繚乱である。メゾソプラノのみなさんはブラームスに足を向けて寝られないと思われる。アグネス・バルツァ、テレサ・ベルカンサがいないのが不思議だ。
  9. 我が家にCDがないので涙を呑んだが、是非入れたい人は以下の通り。CDが出ている出ていないは二の次であくまでおねだりだ。男性では何と言ってもマティアス・ゲルネ。シューマンばかり歌ってないでブラームスも出して欲しい。クルト・モルあたりも何とかならんものだろうか。女性では、コジェナー、ルネ・フレミング、アンドレア・ロスト、ジェニファー・ラーモア、ドロテア・レッシュマンあたり。あとダメ元でナタリー・デッセイでしょうか。バルトリもだ。
  10. 三大テナーはいなくてもほとんど退屈しなかった。三大テナーほどの人たちになるとそのあたりはとっくに心得ていて、ブラームスで飯食おうなどとはちっとも思っていないと思われる。小遣い稼ぎにもならんのとちゃいまっか?失礼ながらテノールには事実上用がない。なるほどこれではオペラは書けません。
  11. キャスリーン・バトル、ミレルラ・フレーニ、キリ・テ・カナワ、バーバラ・ヘンドリックス、エディット・マティス、グンドラ・ヤノヴィッツ、アンナ・トモワ・シントウの面々はブラームスを歌わないのだろうか?それからマリア・カラスもネトレプコもいない。なんだかやっぱりソプラノには避けられているかも。そりゃあオペラ歌ってたほうが目立つし・・・・・。
  12. ドイツ・レクイエムは歌っていてもリートはCDがない人もいて面白い。
  13. こうして選んだ歌・歌手をどのように配置するかもまた面白い。大晦日の紅白歌合戦をイメージしてあれこれ考えた。各組のトップやトリの人選はなかなか楽しめた。子守唄系や民謡をまとめて並べたりもした。

かくして出来上がった三色対抗歌合戦は実際に聴くと楽しい。桁違いの楽しさだ。とても言葉では説明が出来ない。最後の6曲くらいになるとなんだかしみじみとした気持ちになってくる。ラストの「永遠の愛」のイントロが立ち上がる時は涙モノであった。指を組んで除夜の鐘が聴きたいような。

心からブラームスが好きだ。

2006年5月 8日 (月)

Sehr langsam und ausdrucksvoll

「非常にゆっくりと表情豊かに」と解される。まことに旬な話題だ。それというのもこの語句が、生涯に一度だけ出現するのが作品43-2「五月の夜」の冒頭であるからだ。イタリア語で「Adagio molto ed espressivo」とせずにドイツ語があてられているところが、また奥ゆかしくも美しい。年に32回しかない5月の夜をじっくりと堪能したいものである。

昨今歌曲に目覚め、次から次への魅力ある作品の虜になっている私だが、その扉を開いてくれたのが「五月の夜」だと断言出来る。シンプルさ、歌詞との融合、品格の三拍子が高い水準で揃っている。男性女性どちらに歌われようとも、効果は変わらない。

ここに歌われている夜は、あまり膚寒くはないのだろう。そして銀色の月が煌々とあたりを照らすお陰で、闇夜のイメージは完全に払拭されている。季節は違うがここを聴くといつも李白の「静夜思」という絶唱を思い出す。「床前月光を見る/疑うらくは之地上の霜かと/頭を上げて山月を望み/頭を垂れて故郷を思う」

根は恋の切なさなのだろうが、どうも切った貼ったを超越している。特に15小節目ダブルバーでシャープ5個のロ長調に転じるところ、鳥肌物である。フラットしたソとファのシャープを回転軸にクルリと情景をすり替えて見せるところや、E♭とD♯の読み替えが、わかっていてもやられるという感覚で心地よい。たっぷりとした長調がかえって孤独感を高みへと押し上げている感じだ。

歌曲としてパーフェクトだと思う。

2006年5月 7日 (日)

三色対抗歌合戦

ハッピーバースデー!ブラームス

 

今日の日のためにipod上でコンサートを企画した。我が家にCDがある歌手60人を3組に分け、一人1曲ずつブラームスの歌曲を歌い合うという趣向だ。曲名の後の票数は我が家にあるCDで歌っている歌手の数。これが多いほど多数の歌手の支持を得ていることになる曲の人気のバロメータだ。

  • 青組:男性(監督:キプニス、主将:フィッシャーディースカウ)
  • 赤組:ソプラノ(監督:シュワルツコップ、主将グルベローヴァ)
  • 緑組:ソプラノ以外の女性(監督:フェリアー、主将:ジェシー・ノーマン)

おおっと、ようやく主賓のブラームスさんが貴賓席に着席したようだ。

審査委員の面々シューマン夫妻、エリザベート・フォン・ヘルツォーゲンベルグ、ヨアヒム夫妻、アガーテ・フォン・ジーボルト、ハンス・フォン・ビューロー、ユリウス・シュトックハウゼンが着席したところで、各組の主将による選手宣誓が行われた。

<第一部>ブラームスのために世界20ケ国から駆けつけた62名による祭典は、緑組の先攻で第一部のスタートである。

  1. クリスタ・ルードヴィッヒMsドイツ「セレナーデ」op106-1・・・19票
  2. トーマス・クワストホフBrドイツ「とてもかなわない」op72-5・・・4票
  3. カリタ・マッティラSpフィンランド「我が恋は緑」op63-5・・・12票
  4. マリアーナ・リポヴシェックMsスロヴェニア「静かな夜」WoO33-42・・・5票
  5. ペーター・シュライヤーTnドイツ「裸足で来ちゃだめよ」WoO33-12・・・3票
  6. リタ・シュトライヒSpドイツ「お姉ちゃん」WoO33-15・・・6票
  7. スーザン・グラハムMsアメリカ「ヘイ、ジプシー」op103-1・・・9票
  8. オラフ・ベーアBrドイツ「お前たち、黒い瞳よ」op65-4・・・・4票
  9. バーバラ・ボニーSpアメリカ「私の胸を噛む」op65-11・・・・4票
  10. 白井光子Ms日本「野を渡って」op86-4・・・9票
  11. 増位禎紀Br日本「二人はそぞろ歩いた」op96-2・・・11票
  12. 鮫島有美子Sp日本「日曜日」op47-3・・・11票
  13. キャスリーン・フェリアーCAイギリス「聖なる子守唄」op91-2・・・10票
  14. コンラッド・ヤルノートBrイギリス「木陰に憩えいとしい君よ」op33-9・・・4票
  15. ロッテ・レーマンSpドイツ「砂の精」WoO31-14・・・4票
  16. マリリン・ホーンMsアメリカ「子守唄」op49-4・・・14票
  17. ブリン・ターフェルBrイギリス「子守唄」op49-4・・・14票
  18. アンジェラ・ゲオルギューSpルーマニア「子守唄」op49-4・・・14票

ここで第一部終了。各組6名づつ18名の演奏が終わったことになる。「子守唄6連発」の威力はすさまじい。居眠りが後を絶たない。客席のロベルト・アラーニャ氏は、夫人のゲオルギューの出番でようやくお目覚めだ。15分の休憩の後第二部に移る。

<第二部>攻守ところを変えて青組の先攻だ。第二部のトップバッターには各組監督や主将を送り込むようだ。

  1. アレクサンダー・キプニスBrウクライナ「サッフォーの頌歌」op94-4・・・11票
  2. エリザベート・シュワルツコップSpドイツ「甲斐なきセレナーデ」op84-4・・15票
  3. ジェシー・ノーマンMsアメリカ「ことづて」op47-1・・・7票
  4. ハンス・ホッターBrドイツ「恋唄」op71-5・・・6票
  5. ルチア・ポップSpスロヴァキア「娘は話しかける」op107-3・・・5票
  6. アンネリーズ・ブルマイスターAtドイツ「娘の歌」op107-5・・・11票
  7. クリスチャン・エルスナーTnドイツ「領主フォン・ファルケンシュタインの歌」op43-4・・・3票
  8. ジュリアーネ・バンセSpスイス「ユッヘー」op6-4・・・3票
  9. ドリス・ゾーフェルMsドイツ「愛のまこと」op3-1・・・9票
  10. トーマス・ハンプソンMrアメリカ「心変わりした男」op48-2・・・3票
  11. マーガレット・プライスSpイギリス「夏の宵」op85-1・・・3票
  12. ブリギッテ・ファスベンダMsドイツ「エーオルスのハープに寄せて」op19-5・5票
  13. テオ・アダムBsドイツ「ザラマンダー」op107-2・・・3票
  14. フランソワ・ポレSpフランス「秘め事」op71-3・・・4票
  15. ワルトラウト・マイヤーMsドイツ「幾度も思い起こすか」op103-7・・・10票
  16. ローマン・トレケルBrドイツ「落胆」op72-4・・・6票
  17. イルムガルド・ゼーフリートSpドイツ「涙に濡れた慰め」op48-5・・・3票
  18. アンジェリカ・キルヒシュラーガーMsオーストリア「秘めたる憧れ」op91-1・10票

各組6名から構成される第二部18名の演奏がこれにて終了。おおおっと。キルヒシュラーガーの伴奏に登場したバシュメットさんが15分の休憩時間を利用してヴィオラソナタを弾き始めたようです。これではトイレに行けません。

<第三部>バシュメットさんの飛び入りのせいで10分遅れのスタート。赤組の先攻だ。

  1. デボラ・ポラスキーSpアメリカ「まどろみはいよいよ浅く」op105-2・・・14票
  2. アン・カトリン・ナイドゥMsドイツ「テレーゼ」op86-1・・・11票
  3. アンドレアス・シュミットBrドイツ「おお涼しい森よ」op72-3・・・7票
  4. サラ・コノリーSpイギリス「昔の恋」op72-1・・・6票
  5. コルネリア・カリッシュMsドイツ「日曜日の朝に」op49-1・・・7票
  6. ディオン・ヴァンデルワルトTn南アフリカ「すみれによせて」op49-2・・・3票
  7. キルシュテン・フラグシュタートSpノルウエイ「郷愁2」op63-8・・・11票
  8. ジャネット・ベイカーMsイギリス「小夜鳥」op97-1・・・5票
  9. ハカン・ハーゲコールBrフィンランド「墓地で」op105-4・・・10票
  10. ルート・ツィーザクSpドイツ「ひばりのさえずり」op70-2・・・8票
  11. マリー・ニコル・ルミュウMsカナダ「夢に遊ぶ人」op86-3・・・7票
  12. ロベルト・ホルBrオランダ「夕立」op70-4・・・4票
  13. エリー・アメリングSpオランダ「風もそよがね、和やかな大気」op57-8・・・8票
  14. ヴェッセリーナ・カサローヴァMsブルガリア「野の寂しさ」op86-2・・・17票
  15. ヨゼ・ファン・ダムBrベルギー「何度飛び起きたことか」op32-1・・・8票
  16. ヴィクトリア・ロス・アンヘレスSpスペイン「君の青い瞳」op59-8・・・10票
  17. コルネリア・ウルコプフAtドイツ「私は顔を向けてみた」op121-2・・・13票
  18. クリスチャン・ゲルハーヘルBrドイツ「死よ何と苦々しいことか」op121-3・13票
  19. フェリシティ・ロットSpイギリス&アン・マレーMsアイルランド「姉妹」op61-1・4票

第三部独唱18名と二重唱1組の演奏がこれにて終了。ここでブラームスさんによって巨大ケーキ上のローソク173本を吹き消していただきます。

いよいよ各組2人を残すのみとなった。

<第四部>

  1. エディタ・グルベローヴァSpスロヴァキア「森のしじま」op85-6・・・7票
  2. ナタリー・シュトゥッツマンCAフランス「あの娘のもとへ」op48-1・・・7票
  3. ヘルマン・プライBrドイツ「いかにおわすかわが女王」op32-9・・・9票
  4. リーサ・デラ・カーサSpスイス「調べのように」op105-1・・・14票
  5. アンネ・ゾフィー・フォン・オッターMsスウェーデン「五月の夜」op43-2・・・19票
  6. ディートリッヒ・フィッシャーディースカウBrドイツ「永遠の愛」op43-1・・・24票

これにてお開きだ。演奏時間は約2時間45分。テレビ番組なら司会者のコメントも入るので4時間に近づくだろう。

総勢62名赤青緑はたしてどこが勝ったのだろう。日本野鳥の会からは応援が出ていないようである。審査委員長のシューマン夫人から優勝旗の授与がある予定だ。ディスプレイの前の貴方も今すぐ投票しよう。

ブラームス!お誕生日おめでとう。

2006年5月 6日 (土)

ブラスマス・イヴ

明日はブラームスの誕生日だ。だから今日はブラスマス・イヴというわけだ。

結婚後ずっと、我が家は毎年ブラームスの誕生日を祝ってきた。クリスマスよりはずっと重要なイベントだった。外食したりケーキを買ったりである。長男が成長して幼稚園に通って、クリスマスの存在を知り、サンタクロースの存在を幼稚園で入れ知恵されるまで、プレゼントは5月6日の夜に来るものと信じさせていた。一方12月22日生まれの長女は、物心つくまで「12月は誕生日オンリー」と意識付けされていて、クリスマスという認識はなかった。5月7日に親がきまってケーキを買って来る変な家庭だったのだ。

クリスマスの一週間後に平然と初詣に出かけるという日本人の典型的な家庭に育ったせいで、クリスマスの本当の意味なんかロクにわかっていない私の人生に限定して申し上げるならば、クリスマスの主人公よりは、ブラームスのほうが世話になった実感が強い。お叱りを覚悟の内緒話である。

明日はブラームスの173回目の誕生日だ。お祝いにとっておきの記事をアップする予定だ。この連休はその記事に賭けていたといってもいい。

2006年5月 5日 (金)

好きこそ物の

世の中挙げて大型連休というのに、このようなオタクな記事をコツコツ毎日更新とは、我ながら奇特なことだ。

ちょうど大学2年の今頃、ブラームスににわかに目覚めた私は、文字通りむさぼるようにブラームスの管弦楽と室内楽作品を吸収した。当時はお金が無いから一つの作品に複数のレコードを買うなんぞ夢のまた夢だった。廉価版のLPにポケットスコアの必殺アイテムだ。まだ19歳だったこともあって、頭への吸収は速かった。

そして今また、あの頃を思い出している。ブラームスの歌曲にあっという間にはまりこんでしまった。つい先日曲名と作品番号が一致し始めたと思ったら、最近旋律の紐付けも頭の中で出来るようになってきた。45歳あたりから記憶力というよりも、思い出すことに時間がかかるようになった自覚があるが、ジャンルによってはまだまだ捨てたものではない。取引先の部長の名前は思い出せぬこともあるが、ブラームスの歌曲ならほぼ満点が取れよう。49のドイツ民謡集になるといささか怪しいものだが、作品番号付きの独唱歌曲であればしめたものだ。

毎日浴びるほど歌曲を聴いている。

物事を好きになるとはどういうことか、27年ぶりに思い出している。

2006年5月 4日 (木)

譜例

音楽関連の書物において論説を展開する上で、あるいはその論説についての読者の理解を深める上で不可欠なツール。これの充実した書物は読んでいて楽しい。もちろん紙幅の都合が付いてまわるだけに、いつも総譜をそのままベッタリ転写しているわけではない。読者が話題の場所を効率よく想起出来ることが目的だから、必要に応じて省略されている。この省略のしかたにセンスが感じられるケースも多い。

ひるがえって「ブラームスの辞書」に目をむけると、まさにこの譜例がアキレス腱になっている。ご予算の都合というよくあるパターンで、十分な数の譜例を盛り込むことが出来なかった。元よりオタク寄りに偏ったネタの集成本だから、譜例無しは読者にはちと辛かろう。「ブラームスの辞書」は読者が既に楽譜を持っていて、必要に応じて参照しながら読まれることをアテにしている書物なのである。

それでも173箇所の譜例がある。項目数が約1170なので全体の15%程度だ。市販の楽譜作成ソフトを使って自ら譜例を作成し、なんと切り貼りをした。幸い出来上がった本には、切り貼りの痕跡は跡形もないことが救いである。入れたいだけ入れていたら、1000ページにだって届いていたと思う。泣く泣くカットになった譜例に心の中で詫びている。

昨年の今頃譜例を選定していた。

2006年5月 3日 (水)

ドイツ人がうらやましい

生まれながらにドイツ語を話す人たちがうらやましい。学生時代には第二外国語だったドイツ語だが全く歯が立たない。単位をとるのに苦労した思い出しか残っていない。

しかし今ブラームスの歌曲に親しむようになって、当時では考えられぬ勢いでドイツ語の単語を習得しつつある。全くドイツ語がわからないのにブラームスの歌曲にゾッコンである。無論、自由にドイツ語を操る境地に到達出来る見込みは薄いが、もし息をするようにドイツ語を使える状態で、ブラームスの歌曲を聴いたらもっと素敵なのだろう。ブラームスの歌曲に採用された詩には優秀な日本語訳を紹介する書物もあるが、やはり翻訳を挟まずに直に理解したい。ドイツ語独特の音韻や、押韻をネイティヴとして味わいたい。詩への共感が、どのように作品に反映しているのかを実感したいものだ。

考えてもみたまえ。ドイツの子供たちはみな、これらの歌曲の意味を聴くそばから一瞬で理解しているのだ。理解しようなどという努力さえしていないはずだ。流れるように耳から入り、脳味噌が実感しているに違いない。これを羨ましいと言わずに何というのだ。

器楽曲にはまっていた頃には、こんな気持ちになったことは無い。それが第九交響曲だったときも同様だ。器楽では考えられない苦労だが、これしきのことで歌曲熱は冷めそうもない。

2006年5月 2日 (火)

ipodの特性

ipodについて購入した当初から感じていたことがある。いわゆるポピュラー音楽というジャンルの音楽を楽しむことを前提としたアイテムではなかろうか。

15000曲という大容量は、確かにクラシックにとってもありがたいが、その他の諸機能はどちらかというクラシック向けではないと感じている。ポピュラー音楽のマーケットはクラシックよりも断然大きいと思われるので、クラシック愛好家を特に意識した機能になっていないのは自然でさえある。交響曲や室内楽の楽章が、シャッフルされて聴けることなど、何のありがた味もない。どうせなら再生すると画面に歌詞やスコアが現れるとか、再生中の曲のメトロノーム値が自動で表示されるとか、再生中の曲のAの周波数が表示されるとかクラシック向けの装備を満載にしてもらいたいものだ。

ところがである。こと歌曲に限れば、一連のポピュラー音楽仕様が断然価値を持ってくる。連続して演奏または鑑賞することが前提の連作歌曲を例外とすれば、歌曲のほとんど全ては、1個の作品番号でまとめられた作品を連続して聴く必要はない。欧州で「リーダーアーベント」と呼ばれる歌曲のリサイタルも特定の作曲家の作品を番号の若い順にコンプリートするような選曲になっていないことのほうが多いのだ。むしろ歌い手が、あれこれと選んだ結果としてのプログラムの配列のセンスを競うような部分も否定できない。CDの選曲も同様で、歌手が自分の好みで作品を配列している個性を味わうことまで楽しみの内でさえあるのだ。それどころか「ブラームス歌曲全集」のような企画ものを別とすれば、1個の作品番号に含まれた作品を全部というような選曲は野暮というものだ。

ブラームスでは、連続して演奏されることを前提とした「連作歌曲」は多くない。作品33の「ティークのマゲローネのロマンス」くらいだ。作品19-2と3、作品59-3と4くらいは、もしかすると連続して演奏したほうがいいかもしれない他、作品121の「四つの厳粛な歌」や作品103の「ジプシーの歌」を無理やり挙げることが出来る程度だ。これらとて単独で演奏することが無趣味とまでは言えない。

一流歌手たちのブラームス歌曲アルバムを次々とipodに取り込んで、彼らの選曲のセンスを味わうというのも風流な楽しみ方である。

私の歌曲への傾倒が、ipodの購入をキッカケに加速したことは偶然ではない。

2006年5月 1日 (月)

続・伴奏の藝術

ヘルムート・ドイチュ先生の著書「伴奏の藝術」の28ページに背中を押されて、「ブラームスの辞書」が執筆された話は、既に述べた。

ドイチュ先生は歌曲伴奏の泰斗であるが、一方で器楽とのアンサンブルもこなしているという。最近、そうしたCDの一つを入手した。元ウイーンフィルのコンサートマスターであったゲアハルト・ヘッツェルさんと競演したブラームスのヴァイオリンソナタ全集だ。92年にヘッツェルさんが急逝する直前の録音で、これが遺作となったというエピソードつきのCDだ。この後、モーツアルトやベートーヴェンも録音する予定だったと聞く。ウイーンフィル歴代屈指のヴァイオリン奏者が、初のソロCDにと選んだのがブラームスだというのが、感激である。

ヘッツェルさんの最後の録音という切り口もさることながら、私は「伴奏の藝術」の著者が、歌曲でない室内楽のアンサンブルをどのようにするのかとても興味を感じていた。ずっと探し続けていたがやっと入手した。

唐突だが、対馬の海を思い出した。地元の食堂の女将さんが「ここいらは何にもなくてねぇ」と言っていた。その何も無いがどれほど素晴らしいか。景色もさることながら、こんなにキレイな海があるのに「何もない」と言い放ってしまう感覚まで景色のうちだと思った。

具体的な演奏家の名前を挙げない方針の当ブログで、ゴールドベルグ、バルビローリ、ヘルムートドイチュに続いてゲアハルト・ヘッツェルも例外の一人となった。

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ブラームスの辞書写真集

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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