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2006年6月26日 (月)

マイケル・ジョーダン

本日の記事のおバカ度もかなりのものであるから先にお断りする次第である。

時は1992年バルセロナオリンピックに遡る。プロ参加が初めて容認されたバスケットボール競技に、アメリカはドリームチームを送り込んだ。当時29歳全盛期のNBAのスーパースター、マイケル・ジョーダンも当然中心選手として名を連ねた。結果から申せば圧勝だった。注目は銀メダル争いだった。アメリカと準決勝で対戦しない組み合わせになるかならぬかで銀か銅かの明暗が分かれた。

普段NBAルールでリーグ戦を行う選手たちも、国際ルールにのっとって戦った。ベンチ入り12名の背番号は国際ルールに従って4番から15番までの12個の整数があてられた。マジック・ジョンソンは15番、ラリー・バードは7番だ。

奇跡はここで起きた。発表されたマイケル・ジョーダンの背番号は9番だったのだ。ジョーダンは所属するNBAのシカゴ・ブルズでは23番をつけていたからジョーダンに当てられる背番号には少なからず注目していたし小さな期待もあった。それが期待通り9番になったということなのだ。

ジョーダンが、所属チームの23番に加えナショナルチームでは9番を背負うということはブラームス好き&ジョーダン好きの私にとっては重大だった。ブラームスの作品番号でいうと9番も23番も「シューマンの主題による変奏曲」になっているのだ。私のようなブラームス好きにとっては9番と23番には「シューマン」という共通の切り口がある。無論ジョーダン本人がシューマンやブラームスの愛好家だという話はいっこうに聞かないが、この種のおバカな偶然を軽視しないのがブログ「ブラームスの辞書」の立場である。

このことに触れたブラームス関連本には今までお目にかかったことが無い。(あたりまえだろが)

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