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2006年6月 2日 (金)

数住岸子先生の思い出

住先生はヴァイオリニストである。1997年6月2日にお亡くなりになったと記憶している。

1992年3月2日だったと思うが、私はかけがえのないひと時を先生と共有することが出来た。茨城県の日立市で開催された音楽祭で、アマチュアの演奏団体がプロの音楽家の指導を仰ぐことが出来たのだ。2日にわたって開催され、初日にレッスンを受けて、2日目に公開演奏出来るという代物だった。だめで元々でテープに録音し応募したら、なんと審査を通過してしまった。曲は弦楽六重奏曲第二番ト長調作品36の第一楽章だ。私は第一ヴィオラを担当した。1991年の秋から気心の知れた仲間と何回か合奏していたのだが、誰かがダメ元で応募しようと言い出したのだ。

当日、緊張しましたね。数住先生のレッスンは厳しいという噂だった。前年は2時間かかって10小節しか進まなかったなどいう話がまことしやかに伝わってきた。当日、同じ音楽祭に参加する音大生7人が、ベートーヴェンの七重奏曲でレッスンを受けていた。2時間で10小節というのはさすがに誇張が混じっていたが、厳しかった。相手が音楽を志す音大生という状況がそうさせていた。

我々の番になった。第一ヴィオラの緊張たるや並ではない。第一楽章の冒頭は開放弦のGとC線のFisの絶え間ない交代が延々と続くのだ。現在も使用している46センチの巨大ヴィオラのデビュウだったことも手伝って、ガチガチに緊張した。再現部に入る頃、先生が演奏を止めた。第一声はどんなことを言われるのだろう。

先生の第一声は「桐朋の学生たちいる?」だった。先ほどの七重奏の学生さんたちのことだ。意外なことに我々のレッスンは、そこに覗きに来ていた学生さんたちへの説教で始まったのだ。「貴方たちは、音楽大学を出て、いわゆる音楽界というところに生きる」「この人たちは音楽界の外にいて、こういう演奏をする」「あなたたちこの人たちの演奏を聴いてどう感じましたか?」アチャーという感じだった。先生は続ける。

「そりゃあ、ボウイングが安定しない、音程が悪いはあるでしょ」「でも、ブラームスが好きよね、この人たちは」「あんたたちの10倍は周囲の音を聴いてるわよ」「好きだとここまで出来るの」「あなたたちはこの人たちの演奏を聴いて恥ずかしいと思う気持ちを是非持って欲しい」学生さんたちは身じろぎもせずただうなずくだけだった。やがて先生は我々の方に向き直った。

手を叩いてくれた。「ブラヴォーです」「お気持ち伝わります」が我々に対する第一声だった。アマチュアである我々に花を持たせる意味ももちろんあったろうと思うが、嬉しかった。引き続いて「普段どれくらい練習なさるの?」「今日は何楽章を用意したの?」と矢継ぎ早のお尋ねがあった。「・・・・えっと。個人練習は週に2回か3回2時間程度、合奏するのは月1がやっと」とコンマス氏が恐る恐る答えた。先生は学生さんたちの方を振り向いて「聞いたぁ?月1だってよぉ~」「あんたたち年がら年中一緒に弾いててアンなもんだからね。何か抜けてなあい」とぴしゃりだ。

「今日は第一楽章だけです」とお答えすると「そりゃあ残念」とおっしゃる。「皆さんブラームスお好きなのね」だ。そりゃもう驚いたの何の。実は数住先生とのレッスンの直前の練習で、我々は2つ心に決めていた。旋律以外のつなぎの部分に心を込めることと、「ブラームスが好きだということを何とかして伝えたい」という2点だった。そのうちの後者が早くも伝わってしまったということなのだ。

公開レッスンの会場の雰囲気がこの一連のやりとりで和んだ。学生さんを叱ることで、我々を自然に持ち上げたことが緊張を取リ去った。普段通りに弾くことが出来た。数住マジックにかかったのだと思う。断っておくが、我々から見ると、この学生さんたちは上手いのだ。我々が絶対にたどり着けない領域に既に到達していることだけは、間違いの無いところだった。学生さんたちの名誉のために付け加えさせてもらった。

一番カッコ、二番カッコがあるリピート記号の前後、旋律らしい旋律もない仄めかしの音楽が続く部分。「主題が次々と模倣され、逆行される。こういうところキチンとね。」「でも何だか判ってらっしゃるようだから」とおっしゃる。判ってらっしゃると何故言えたのだろう。つなぎの部分に心をこめてというその日の我々のテーマに触れる発言だった。

我々の演奏がもつ多くのキズには、目をつむってもらったレッスンだったことは動かし難い事実だ。先生はレッスンの最後にさりげなく「あとは音程ね」とおっしゃった。

レッスン中何度かつぶやいた「ブラームスっていいわね」という言葉が今も心に残っている。我が家の弦楽六重奏曲第二番のポケットスコアにはこのときに頂戴した数住先生のサインが誇らしげに輝いている。

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コメント

<あおおに様

いらっしゃいませ。
数住先生、アマチュアの我々に対するあたたかなまなざしを鮮明に記憶しています。あの六重奏は人生の宝です。

それよりもレストロアルモニコ管弦楽団とな!私の個人レッスンの先生が、そこで指揮をなさっていました。ブラームスの第2交響曲のレクチャにお邪魔したことがあります。1979年頃ぴったりです。

このブログは何度か訪れていまして、今回も何も書かず立ち去ろうとしましたが、思い直して書きます。
僕は成城大学に1979年に一浪して入り。すぐにレストロ・アルモニコ廼名を持つ学生オケには入りTpを吹いてました。確か翌年メンデルスゾーンのコンチェルトを数住さんを迎えで演奏することになり、当時数住さんが借りていたお宅へ学生達が押しかけて小さなパーティなようなことがあり、そこで僕が見つけた陶器のコーヒーカップを頂いて帰ったことがありました。後日僕はアルバイトで手に入れたお金で別のコーヒーカップとお皿ミルク入れなどセットになったものを見つけ彼女にお返しのつもりで届けました。突然の訪問で翌日ヴィヴァルディの四季の楽譜が置いてあったと記憶しますが、お母様の写真を見せてくださったり、いまでも憶えているのはあの頃全く無名だった作曲家の細川俊之さんの数住さんへの私信をわざわざ僕にみせて下さいました。自分の置かれた状況をアルプスの冬山に喩えていた文を書かれておりました。
その後学生の賑やかさに影響をうけたのか、結婚なさっまのは知っていましたが1998年に岐阜県の田舎に戻ったのち僕はラジオでその年亡くなった音楽家の名前に数住さんの名前を聴き驚いてネットで彼女のその後の経歴を調べました。
現代曲が得意なのかメディアではそのような存在だとおもってましたが、数少ない僕の青春の貴重な思い出だったのでとても悔しくて悲しい放送になりました。
よく、僕の実家の中津川に近い木曽音楽祭に参加されていたようなのでいつも気になってたのですがタイミングが合わず一度も聴きに伺えませんでした、今となっては後悔するばかりです。
ながながと色々書いてしまいすみません。
そして数住さんにもう一度あわせて頂いタイミング気持ちになり感謝しています。

<岸子のいとこ様

いらっしゃいませ。
大昔の記事にあたたかなコメントありがとうございます。

お人柄のよく現れたレッスンで、今でもよく覚えています。

ふと、岸子姉の事を思い出し検索して記事を読みました。岸子姉さんらしいエピソードで懐かしく思い出します。亡くなって10年以上経ちましたが、いつまでも自慢のいとこです。
豪快な姉さんでした。

<ひふみ様
恐れ入ります。あの局面でアマチュアの我々をコテンパンにしても仕方がないという計算はしておられたと思いますが。

いいお話ですね。
本当にブラームスを愛する心が、
プロの演奏家にちゃんと伝わったんですものね。
素晴らしい想い出、羨ましい限りです。

数住岸子さんは、私も好きなヴァイオリニストでした。
ブラームスのドッペル・コンチェルトを聴いた事があります。
室内楽も何度か聴きました。
早逝が本当に惜しまれますね。

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