Grave
「荘重に」と訳される。一般に「largo」とともに「adagio」より遅い領域をカバーしていると考えられるが、ブラームスにおいては、速い遅いの問題よりニュアンスが問われている感じである。「adagio」では少ない「f」との共存が普通に見られる。「遅さ&ある種の圧力」を想定したい。
作品番号付きの作品においてはパート系での使用は一切無く、トップ系で2回出現するに過ぎない。弦楽五重奏曲第一番の第二楽章に「Grave ed appasionato」として出現するのと、土壇場「四つの厳粛な歌」作品121-3「おお死よ何と苦々しいことか」冒頭で単独使用されているのみだ。ベートーヴェンでは「grave」入りの語句が6回も使用されているのと好対照である。「grave」「largo」等の「adagio」より遅いとされる用語はブラームスにおいては出現頻度が低い。「largo」に至っては無いも同然の使い方になっている。
だから尚更、「四つの厳粛な歌」第三曲での単独使用が目立つ。物理的数学的なテンポだけで言うなら「adagio」としても支障は無いと思われるが、あえて「grave」を起用するところに底知れぬ意図を感じる。個人的にはこの第三曲を「四つの厳粛な歌」の頂点と位置付けることにためらいはない。平たく言うと、この曲が好きなのだ。
演奏時間にして4分前後、独唱とピアノ伴奏だけの作品なのに、何と言う奥行き、深みだろう。フルオーケストラ、それも4管編成とやらに、まだ足りぬと言って混声四部合唱と独唱者を加え、一時間以上かけねば、自らの音楽的意図が表現できないとしたら、何かしらの才能の欠落があるとしか思えない。
この曲をピアノ弾き語りで聞かせながら涙するブラームスを想像してみるがいい。
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