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2006年7月 2日 (日)

テンポ

モーツアルトによれば「音楽においてもっとも必然的で難しくかつ主要なもの」で、ストラヴィンスキーによれば「原点」とされている。ヘルムート・ドイチュ先生もその著書では1章30ページをテンポの著述に割いておられる。いわく「演奏家や聴衆の間での意見の相違の元になるもの」とある。適正なテンポの定義は個人個人で相違するが、明らかに間違ったテンポも存在すると指摘する。作品中の最も細かい音符の部分でテキストが明瞭に聴こえることが、速い側の上限を規定し、フレージングの緊張を失わないこととブレスが遅い側を規定しているという。

同じ発想記号でも時代により指し示すテンポが変化していることも珍しくは無い。それどころか同じ作曲家でも作品により相違してしまう事さえある。厄介なことにメトロノームはあまり尺度としては使えない。メトロノーム上(すなわち数学的に)正しいテンポでも心が拒否することさえあるだろう。

ブラームスもメトロノームには懐疑的であったが、いくつかの作品にはMM値が書き込まれている。フレーズごとに変幻自在にテンポをいじるビューローの演奏を聴いて、オーケストラからまるでピアノのような自在のニュアンスを引き出す手腕を評価する一方で、明らかにやりすぎを匂わせるニュアンスで「テンポをいじって欲しいところには、楽譜にそう書いてある」とも語っていたらしい。裏を返せば、「何も書いていないところでテンポをいじるな」とも解し得る。ブラームスの楽譜に溢れる夥しい量の音楽用語は、こうした意思を裏付けていると思われる。

多岐にわたると思われる音楽記号も、実は「テンポ」「ダイナミクス」「奏法」の3本の柱に集約されると思われる。ニュアンスとはこれらの組み合わせで生み出されるものに違いない。「テンポ」はまさに三本柱の一角を構成している。

同一楽曲の演奏家による比較論を詳述した書物にたびたびお目にかかる。特定の楽章の演奏時間の比較は日常茶飯だが、少し凝った書物になると特定の曲の特定の部分のメトロノーム値を計測しそれを比較するという手法がとられていることが多い。一度試してみるといい。その作業がどれほど大変かわかる。鳴っているCDの特定の場所のメトロノーム値の計測は口で言うほど簡単ではない。テンポは調性以上に移ろい易い。「特定の瞬間のテンポ」などという微分法的な概念は、理論的には存在を想定出来るが、測定は難しい。

何故、労を厭わずにそうした試みを続けるのだろう?

複数の演奏間の微妙な相違は、極めて言葉になりにくい。それを第三者に理解可能な言葉にするとなると対象は限られる。つまりテンポしか比較出来ないのだ。テンポと、そのテンポを駆使した結果としてのトータル演奏時間しか客観性のあるデータを提供出来ないと自ら告白しているようなものである。「テンポしかわかりません」とはっきり書くわけにもゆかないので、微分法的テンポネタでお茶を濁すといったところが意外と図星なのではなかろうか。まず結論ありきの先入観が測定に影響していないことを祈りたい。

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コメント

<空の風様
どうぞ、お使いください。
ちょっと緊張しますが。

正しいテンポでも心が拒否する。。。
心が拒否するとは、今日も素晴らしい表現ですね。
私も使っていいかしら。。。

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