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2006年7月22日 (土)

解釈

楽譜を楽音に転写する際に、演奏者に認めれられている裁量の余地とでも言っておこうか。音楽作品においては作曲家が残した楽譜そのものは芸術として不完全である。それが演奏されて始めて芸術の対象たる地位を得る。演奏による「湯戻し」が必要なのだ。その「湯戻し」が作品よりも珍重される場合も少なくない。

「体系的で整合性があるかどうか」がある意味でポイントとなる。主観の差が大きいからだ。すなわち、他の誰よりも遅いテンポや他の誰よりも速いテンポというような単なるギネスブック的興味と解釈の境界はきわめて曖昧である。「解釈の違い」「見解の相違」「音楽観の違い」「価値観の相違」などという文言の数々がそれを雄弁に物語っている。「単に遅いだけのブラームス」や「こんな弾き方他の人はしてないでしょ」というケースが「解釈然」として混在する。

突き詰めてみると楽譜は、「音の高さ」「音を出すタイミング」「音の長さ(切るタイミング)」を相対的に表示し、それに曖昧な言葉が添えられているに過ぎない。メトロノーム値のような絶対的な指示があるケースは、ブラームスにおいては希な上に出現の場所も限られる。これらのことが「広大なる裁量の余地」を生み出している。それが音楽の魅力の源泉であること周知の通りだが、「無茶な解釈」がまかり通ることと表裏一体の関係にある。

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