火事の思い出
6月28日「イ短調の記憶」、7月23日「学校説明会」に続く「奇遇ネタ」である。
時は1972年5月2日に遡る。当時私は中学1年だった。夕方気がつくと消防車のサイレンが鳴り響いている。窓を開けると黒い煙が見えた。野次馬根性を抑えきれずに自転車に飛び乗ると、煙の見える方向に向かって走り出した。ズンズン進んで行くとやがて長い長い塀にさえぎられて、それ以上は進めなくなった。煙は塀の向こう側だったのだ。仕方なく、塀によじ登った。何やら木造の建物が燃えているのが見えた。生まれて初めて火事を生で見た経験だった。消防車が程なく消し止めたところでそのときの記憶は途切れている。
やがてその6年後、私は千葉大学管弦楽団に入団した。さらにそこから2年が過ぎ、3年生になった私は、楽団創立30周年の記念誌の編集員になった。楽団のOBの皆さんにインタビュウをして団の歴史を整理する仕事だった。「在団中もっとも印象に残っている話」を伺っていると、何人かのOBは「部室の火災」を筆頭に挙げてくれた。
夏の定期演奏会を6月に控えたあの時期の火災は団の活動に深刻な影響を与えたはずだ。けが人はなかったそうだが、無視し得ぬ量の楽器や楽譜の焼失があったという。当時の金額で700万円の損失とも言われている。当時の顧問、団員、OBの熱意でその夏の第31回定期演奏会は無事行われたことが、何人かのOBの口から語られた。各方面から暖かい寄付を頂き、団備え付けの楽器はかえって質量ともに充実したとも聞いた。
お察しの通りである。中学1年の私が野次馬で見たあの火事が実は千葉大学管弦楽団の部室の火災だったのだ。火災後の演奏会の曲目がブラームスだったら完璧なのだが、実はブラームスではなく、ベートーヴェンの第五交響曲だったようだ。
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