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2006年9月24日 (日)

交響楽

高校から大学にかけて、「さだまさし」に親しんでいた。ベートーヴェンからブラームスへの移行期に一方ではビートルズやさだまさしにものめりこんでいた。

さだまさしの作品に「交響楽」がある。これで「シンフォニー」と読ませる。女から別れを切り出されて、それをさっぱりと受け入れるさわやかな男の回想が、さだまさし独特の澄み切った長調で描かれている。初期さだまさしの傑作だと思う。作者さだまさし本人も何かのインタビューで「この作品を書いたことでプロになる決心がついた」と語っていたと記憶している。

男は、「今から振り返れば、彼女がワーグナーの交響楽を聴き始めたのが、別れの兆候だった」と回想する。「何故って彼女は次第に飾ることを覚えたから」と続ける。最後には「確かに美しくなったけれど」と結ばれている。話の脈絡から推定するに「飾ることを覚え、確かに美しくなること」と引き換えに男は別れを切り出されるのだ。少なくともそうした因果関係を聴き手に想定させる歌詞になっている。時間を隔てての回想なのだろう。男の語り口には嫌味も未練もない。女を恨む素振りは全く見せない。それどころか「まだその女性を愛している」ということが仄めかされてもいる。周知の通りさだまさしは相当なヴァイオリンの腕前の持ち主だから、この比喩、この小道具の配置には絶妙な説得力がある。

当時ブラームスへの傾倒が決定的になりつつあった私にとっては看過出来ない歌詞だった。ワーグナーに傾倒し、飾ることを覚え、結果として美しくもなった女に振られる男は、当然アンチワーグナーだと私は直感した。別れを悠然と受け入れ、女を許し、澄み切った長調で淡々と歌い上げるこの男は、歌詞の中には一切明示されないが、ブラームスを象徴している。あるいは少なくとも反ワーグナー陣営に身を置いていると私は確信した。次第にワーグナーに傾倒する恋人を、男はどんな思いで見つめたのだろう。そこに破局の予兆を見たのだろうか。

この曲の聴き手のうちの何人が、何の痕跡も無い中からブラームスを想起するかは判らぬが、私には潔くも賢い男の優しさが、等身大のブラームスと重複して聴こえる。

歌謡曲史上、ワーグナーをこれほど鮮やかに小道具として扱った例を私は知らない。さらに付け加えるならば、「ブラームス」という文言を一切使わずして暗に「ブラームス」を浮かび上がらせることにも成功していると思われる。

私は、反ワーグナーの表札を掲げている訳ではないが、ブラームス陣営の一員となるべく修行中である。いつかお庭番くらいにはなってみたいものである。

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