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2006年9月23日 (土)

「Tempo I」問題

暑さ寒さも彼岸までの「お彼岸」である。

一日の平均気温の推移を観察していると、同じくらいの気温を記録する時期が、春と秋に来る。ところが、温度計の記録が同じ値を示していても人間様は同じとは感じないことがあるという。たとえば同じ20度でも、暖かくなる途上の20度と、冷え込んでいく過程の中の20度とでは、感じ方が違うらしい。一般に暖かくなる途上の20度のほうが気温が高く感じるとされている。

テンポやダイナミクスでも同じことが起き得るのではないかと思っている。たとえば同じメトロノーム値「MM=80」でも、アッチェレランドの途中と、リタルダンドの途中では、感じ方が変わるのではないだろうか?物理的には同じダイナミクスでもクレッシェンドの途中かディミヌエンドの途中かによって人間の感じ方に差が出るのではないかとも思う。

ブラームスは、人間の耳のそうした特性をどう考えていたのだろう。たとえば「Tempo Ⅰ」は一般に「最初のテンポで」と解されているが、ブラームスは下記のうちどちらを意図していたのだろう。

  1. 厳密な楽曲冒頭のテンポ
  2. 聴き手が楽曲冒頭のテンポと同じだと感じるテンポ

暑さ寒さの例でも解るとおり、物理的に全く同じテンポで演奏しても聴き手が「同じテンポだな」と認識するとは限らない。

ブラームスは「Tempo Ⅰ」を含む語句を56回使用しているが、それらは上記のうちのどちらを意図しているのだろう。56回の全てが1あるいは2に偏るのではなくて、1もあれば2もあるという具合に使い分けられているのだろうか?そしてその使い分けの基準は明確になっているのだろうか?

何だか2が無視し得ぬ比率で混入しているような気がする。「Tempo Ⅰ」は形式的に意味の無い置かれ方はしていない。主題再現の標識として置かれることがほとんどである。聴き手に「回帰感」を与えることが狙いなのだから、その狙いのためには一定の範囲で厳密な「元のテンポ」からの逸脱は、ブラームスとて想定していたのではあるまいか。

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