曖昧を味わう
作品105-2に「Immer leiser wird mein Schlummer」という独唱歌曲がある。日本語ではもっぱら「まどろみはいよいよ浅く」と訳されている。この曲の冒頭は、ピアノ協奏曲第2番第3楽章アンダンテ冒頭の独奏チェロの旋律に似ていると古来から指摘されてきた。ニ短調の第2楽章がフォルテシモで終わったあと、滑るように始まる変ロ長調である。独奏チェロの旋律は変ロ長調の移動ドで読むと「ミ~レファ~ミ」となっている。トゥッティ側のチェロとコントラバスが変ロ音を鳴らし、ヴィオラがキッチリとヘ音を鳴らしているお陰で、変ロ長調ががっちりと地に足をつけている。
ピアノ協奏曲の第2番は作品83で1881年の作だ。「まどろみはいよいよ浅く」のほうは1886年だから、こちらの方が後である。
この2つ何が似ているのだろう。「まどろみはいよいよ浅く」の方はシャープ4つを背負った嬰ハ短調だ。協奏曲は長調なのに何故似ているとされているのだろう。その秘密は「まどろみはいよいよ浅く」の側にある。この冒頭を嬰ハ短調と捉えて、移動ドで読むと「ソ~ファラ~ソ」になる。しかしだ、同時に鳴らされているピアノのパートには主音の嬰ハ音が無い。ホ音と嬰ト音しかない。聴き手は頭の中でロ音を補って勝手にホ長調と感じてしまっているということなのだ。「ホ-嬰ト-ロ」ならばホ長調であり、移動ドで読めば「ミ~レファ~ミ」となり、ピアノ協奏曲と完全に一致する。「ホ-嬰ト」に嬰ハが補われるかロが補われるかで、「嬰ハ短調」になるか「ホ長調」になるかが決まる。協奏曲でこれを決定しているのがヴィオラの放つ「ヘ音」だ。ヴィオラがもし「ト音」ならト短調になっていたところだ。平行調をもてあそぶという訳だ。余談だがこういうヴィオラの出番はおいしい。調性の決定権を握っているというわけだ。チェロより低い音を出しているというのもブラームスらしい。
旋律の構造や、イントロなしのいきなりの立ち上がりは両者共通だから、ピアノ協奏曲のチェロ独奏を知っている聴衆が、「まどろみはいよいよ浅く」冒頭を聞けば、必ずホ長調と聴いてしまうとブラームスは計算していたに違いない。しかし2小節目から明らかに翳りが見えはじめ、3小節目のロ音につくシャープで嬰ハ短調への傾斜が決定的になる。
シャープ2個を背負ったクラリネット五重奏曲の冒頭でもニ音と嬰ヘ音だけを提示して同様の効果を上げている。イ音が補われればニ長調だし、ロ音が補われればロ短調というわけだ。これも3小節目の嬰イ音によってロ短調に軍配が上がる。
また第一交響曲冒頭は、全オーケストラが上から下までハ音を鳴らす。8分音符にして3つ分はハ音しか存在しない。だからハ長調ともハ短調とも決まったわけではないのに何故か、ハ長調には聴こえない。第一交響曲を聴くという決意をした聴き手は勝手に心の中で変ホ音を鳴らしているかのようだ。
これらの曖昧さがブラームスの魅力の一つであることは論を待たない。付け加えるなら、これらの曖昧さ自体に加え、曖昧が確信に変わる瞬間の心地よさや、確信に変わって行く過程にこそブラームスのだしがつまっていると思われる。
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